カイル・シャナハン

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カイル・シャナハン
Kyle Shanahan
Kyle shanahan skins.jpg
生年月日 1979年12月14日(35歳)
生誕地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス
ポジション ワイドレシーバー
大学 デューク大学
テキサス大学オースティン校
所属チーム(選手)
所属チーム(コーチ/管理職)
2003
2004-2005
2006-2009
2010-2013
UCLA
タンパベイ・バッカニアーズ
ヒューストン・テキサンズ
ワシントン・レッドスキンズ

カイル・シャナハン(Kyle Shanahan 1979年12月14日 - )は、ミネソタ州ミネアポリス出身のアメリカンフットボールコーチ。2008年1月11日、28歳と26日でNFL最年少のオフェンスコーディネーターとしてヒューストン・テキサンズで就任していた[1]。父親のマイク・シャナハンデンバー・ブロンコスワシントン・レッドスキンズなどでヘッドコーチを務めた。

経歴[編集]

父親のマイク・シャナハンがミネソタ大学でコーチをしていた時、ミネアポリスで生まれた。その後父親がデンバー・ブロンコスのヘッドコーチをしていた時、コロラド州の高校に入学した。高校卒業後、奨学金をもらいデューク大学に入学したがテキサス大学オースティン校に転校した。彼はWRとしてプレーした。在学当時、ロイ・ウィリアムスセドリック・ベンソンボー・スカイフェマイク・ウィリアムスクエンティン・ジャマークリス・シムズとチームメートだった。

大学卒業後の2003年、UCLAのアシスタントコーチになった。翌2004年にはジョン・グルーデンヘッドコーチのタンパベイ・バッカニアーズのアシスタントコーチに加わり、グルーデンが1990年にサンフランシスコ・フォーティナイナーズに所属していた時と似たポジションについた。

2006年ゲイリー・キュービアックヘッドコーチのヒューストン・テキサンズのWRコーチに就任した。この時点で彼はNFLのポジション別コーチとしては最年少であった。キュービアックはデンバー・ブロンコスで父親のマイク・シャナハンの下でオフェンスコーディネーターを務めていた。2007年にミネソタ大学のオフェンスコーディネーター就任のオファーを受けたがチームに残留した[2]2008年マイク・シャーマンオフェンスコーディネーターがテキサス農工大学ヘッドコーチに就任し退団した後のオフェンスコーディネーターに昇格した[3]。2008年1月11日時点でニューイングランド・ペイトリオッツジョシュ・マクダニエルズより3歳若いNFL最年少のコーディネーターであった。テキサンズではマット・ショーブアンドレ・ジョンソンエアリアン・フォスターらによる強力なオフェンスを構築した[4]

2010年1月、父親のマイク・シャナハンがワシントン・レッドスキンズのヘッドコーチに就任したためテキサンズを退団、レッドスキンズのオフェンスコーディネーターとなった[5]

2010年シーズン開幕前にフィラデルフィア・イーグルスからドノバン・マクナブが加入し彼の元チームメートであり去就の決まっていないブライアン・ウエストブルック(ワシントン出身)加入の噂があるがこれに対してクリントン・ポーティスラリー・ジョンソンウィリー・パーカーなどタレントが豊富にそろっておりウエストブルック獲得には消極的な発言を行った[6]

2011年シーズン開始から4試合を3勝1敗でスタートしたチームが4連敗、2試合合計11得点にとどまるなど攻撃陣の不振が目立ち、彼に対する批判も高まった[4]

2013年シーズン終了後、父親のマイク・シャナハンヘッドコーチとともにレッドスキンズから解雇された[7]

脚注[編集]

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先代:
マイク・シャーマン
ヒューストン・テキサンズ
オフェンスコーディネーター

2008-2009
次代:
リック・デニソン
先代:
シャーマン・スミス
ワシントン・レッドスキンズ
オフェンスコーディネーター

2010-2013
次代: