クラウディオ・タファレル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Lomocompact (会話 | 投稿記録) による 2015年4月8日 (水) 11:46個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:FIFAワールドカップ優勝選手を追加 (HotCat使用))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

クラウディオ・タファレル
名前
本名 クラウディオ・アンドレ・メルゲン・タファレル
ラテン文字 Cláudio André Mergen TAFFAREL
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1966-05-08) 1966年5月8日(58歳)
出身地 サンタロサ
身長 182cm
体重 80kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985-1990 ブラジルの旗 インテルナシオナウ 252 (0)
1990-1993 イタリアの旗 パルマ 79 (0)
1993-1994 イタリアの旗 レッジャーナ 31 (0)
1995-1998 ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ 191 (0)
1998-2001 トルコの旗 ガラタサライ 129 (0)
2001-2003 イタリアの旗 パルマ 8 (0)
代表歴2
1988-1998[1] ブラジルの旗 ブラジル 104 (0)
監督歴
2004-2005 トルコの旗 ガラタサライ (ゴールキーパーコーチ)
2011- トルコの旗 ガラタサライ (ゴールキーパーコーチ)
2014- ブラジルの旗 ブラジル (ゴールキーパーコーチ)
2014- トルコの旗 ガラタサライ (暫定)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月21日現在。
2. 2014年11月21日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
オリンピック
男子 サッカー
1988 サッカー競技

クラウディオ・タファレルCláudio André Mergen Taffarel1966年5月8日 - )は、ブラジル・サンタロサ出身の元サッカー選手。現役時のポジションはGKブラジル代表GKとして最多出場記録を持つ。

経歴

1984年SCインテルナシオナルでデビュー。1988年7月7日オーストラリア戦で代表デビューを果たすと、1990年イタリアW杯でベスト16に終わったものの活躍を見せ、パルマへ移籍。イタリアでプレーする初のブラジル人ゴールキーパーだった[2]。当時ブラジル人ゴールキーパーで欧州で活躍する選手はなく、キーパーが欧州で活躍するのは無理だという説を覆した。コッパ・イタリアなどのタイトル獲得に貢献した。

その後1993年から2シーズンをACレッジャーナでプレー。翌年にはアトレチコ・ミネイロへ移籍したが、1998年にはガラタサライSKへ移籍。代表からしばらく遠ざかっていたがトルコでの活躍を買われ、同年のフランスW杯では出場を果たし、準優勝に貢献した。

1994年アメリカW杯ではPK戦にもつれこんだイタリアとの決勝戦を制して優勝した。決勝戦から1年後の同日に行われたコパ・アメリカの準々決勝・アルゼンチン戦でもPK戦に勝利した。1998年フランスW杯でも準決勝のオランダ戦ではPKを止め、勝利に貢献した。

2001年にはパルマへ復帰。2003年に現役を引退。ワールドカップ通算18試合出場はゴールキーパーとしての出場最多記録である。

現役引退後は古巣ガラタサライのゴールキーパーコーチに就任。2014年11月、チェーザレ・プランデッリの解任を受け、ガラタサライの暫定監督に就任した[3]


選手経歴

関連項目

  • ガルヴァオン・ブエノ - ブラジルの有名なスポーツ実況アナウンサー。1994年と1998年のワールドカップに際して、ブラジルゴールが脅かされそうになった局面で“Sai que é sua, Taffarel!”「(ゴールから)出ろ、お前の(ボール)だぞ、タファレル!」という台詞を決まり文句にしていた。

脚注