オロチョン族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。JackieBot (会話 | 投稿記録) による 2012年4月26日 (木) 08:41個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.2) (ロボットによる 変更: jv:Wong Oroqen)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

オロチョン族
鄂伦春族
鄂倫春族
総人口
7000人〰8200人
居住地域
中華人民共和国の旗 中国内モンゴル自治区黒竜江省
言語
オロチョン語
宗教
シャーマニズム仏教
関連する民族
エヴェンキツングース満州民族モンゴル族

{{{footnotes}}}
オロチョン族のシャーマン

オロチョン族(Orochon,Oroqin、繁体字:鄂倫春、簡体字:鄂伦春族)はアルタイ諸語ツングース系の言葉を話す民族ツングース系民族)。主に北東アジア興安嶺山脈周辺で中国領内の内モンゴル自治区、その近隣のロシア領内に居住する。人口は約7千人。もともとは狩猟をしながら移動していたが、現在は定住化が進んでいる。

生活

この民族の代表的な生業は、内臓の食用・飲用や皮革採取目的でのの狩猟である。狩猟の対象の獣は、マールー(馬鹿(ばろく)、ワピチの亜種マンシュウアカシカ)、ノロ、ハンダハン(駝鹿(だろく)・ラクダジカ、ヘラジカの亜種マンシュウエルクジカ)などのシカ類やリステンオオカミイノシシオオヤマネコクマなどが挙げられる。狩猟時の移動と荷物運搬の手段は、伝統的には主にである。

シャーマニズムを信仰し、シラカバの樹皮を加工した工芸品(樺皮細工)が知られている。

オロチョン族の伝統的な住居は、比較的細いシラカバなどの幹の柱を何本も組んでその外部をシカ類などの毛皮で覆った円錐形の天幕式住居だが、定住化が進んだ現在では、日常的には近隣の漢族ロシア人と同様の住居で生活し、泊まり掛けの狩猟の際に山野で臨時に設けるのみである。このような天幕式住居はエヴェンキも伝統的に製作・使用してきた。

他民族との関わり

こうした伝統文化は、ロシアではソビエト連邦時代、中国では文化大革命時には弾圧され一時途絶えていたが、ロシアではその体制崩壊により、少しずつ復興されつつあり、中国では文革後はそのような伝統文化が保護・奨励されている[要出典]

かつてはロシア人やダウール族商人との交易を行い、皮革と引き換えに、ロシア人やダウール族からなどの生活用品、狩猟に必要な散弾のほか、酒類などの嗜好品も得た。

中国側のオロチョン族に対しては、満洲国時代の1930年代後半に、関東軍特務機関が工作して軍事訓練をほどこし、対ソ情報収集の任務を与えた。オロチョン族はソ連領内にも同族がおり、ロシア語と中国語に通じていたため、その種の任務に適していた。当時関東軍の特務機関は少数民族宣撫工作に阿片を用いたとも言われており、オロチョン族の間に麻薬中毒が広がり、戦後もしばらくの間続いたと主張する研究者もいる[1]

北海道網走市ではオロチョンの火祭りが行われているが主体はアイヌで、語呂のよさから「オロチョン」の呼称が用いられているだけで、この民族とは関係がない。味噌ラーメン唐辛子等で辛く味付けした、「オロチョンラーメン」(またはラーメン店名がオロチョン)というものもあるが、オロチョンの火祭りから連想された名称である。

関連項目

脚注

  1. ^ 中生勝美「オロチョン族をアヘン漬けにした日本軍」、『世界』第674号、2000年5月。