しらね (護衛艦)

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JapanNavyShipDDH143"Shirane"
航行中の「しらね」 (改装以前の撮影)
艦種 ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)
発注 1975年
起工 1977年2月25日
進水 1978年9月18日
就役 1980年3月17日
除籍 2015年3月25日
定係港 舞鶴
その後 2015年11月
JMU因島事業所に回航。同事業所にて改造を施され、XASM-3の実爆試験用実艦標的となる予定。
性能諸元
排水量 基準:5,200トン
満載:6,800トン
全長 159m
全幅 17.5m
深さ 11.0m
吃水 5.3m
機関 石川島播磨FWD2 2胴水管型缶 2缶
石川島播磨
2胴衝動型蒸気タービン(35,000ps)
2基
推進器 2軸
速力 32ノット以上
定員 350名
兵装 73式54口径5インチ単装速射砲 2門
高性能20mm機関砲CIWS 2基
GMLS-3
※GMLS Mk.25から換装
1基
74式アスロック8連装発射機 1基
68式3連装短魚雷発射管HOS-301 2基
艦載機 HSS-2A/B / SH-60J/SH-60K
哨戒ヘリコプター
3機
C4I AN/USC-42
※AN/WSC-3 SATCOMから換装
MOFシステム
(NORA-1, NORQ-1 SATCOM)
海軍戦術情報システム
OYQ-6-2 CDS+リンク 11/14
OYQ-101 ASWDS
TDS-2 目標指示装置
72式射撃指揮装置1型AGFCS 2基
81式射撃指揮装置2型-12 (MFCS)
WM-25から換装
1基
レーダー OPS-12 3次元対空レーダー 1基
OPS-28 対水上レーダー 1基
OPS-22 航海レーダー 1基
ソナー OQS-101艦首ソナー 1基
SQS-35(J) 可変深度ソナー 1基
電子戦
対抗手段
NOLQ-1 ESM/ECM
OLR-9B RWR
Mk 36 SRBOC
AN/SLQ-25 曳航式音響デコイ

しらねローマ字JS Shirane, DDH-143)は、海上自衛隊護衛艦しらね型護衛艦の1番艦。艦名は白峰三山(「しらねさんざん」しらみねと書いてしらねと読む。)に因む。

艦歴

「しらね」は、昭和50年度計画5200トン型ヘリコプター搭載護衛艦2403号艦[1]として、石川島播磨重工業東京第1工場で1977年2月25日に起工し、1978年9月18日に進水、1980年3月17日に就役した後に護衛艦隊の直轄となり、横須賀に配備された。

これ以降、「しらね」は当時最大の護衛艦であったこと、旗艦設計のためVIPを接遇できる公室等の設備を備えることから、外国艦艇訪問時のホストシップ、政府関係者の視察受け入れや、各種広報協力等を行い、また観艦式においては国際観艦式も含め10回にわたり観閲艦を務め、名実ともに海上自衛隊の顔として活躍する。

1981年3月27日第1護衛隊群隷下に第51護衛隊が新編され、「はるな」とともに編入された。

1983年3月30日、第51護衛隊が廃止となり、第1護衛隊群直轄艦となる。

1984年3月30日、第1護衛隊群旗艦となる。

2004年1月から同年9月までの間、改造工事が施され、短SAM管制用射撃指揮装置はWM-25から国産の81式射撃指揮装置2型-12(FCS-2-12)に、発射機は国産のGMLS-3に換装され、合わせてミサイルはRIM-7Mとなった。 これらはいずれも2003年11月に除籍された護衛艦「きくづき」に搭載されていたものを移載したものである。

2008年3月26日、護衛隊改編により第1護衛隊群第1護衛隊に編入。

2009年3月18日、「DDH-181 ひゅうが」の就役に伴い第3護衛隊群第3護衛隊に編入され、舞鶴に転籍となる。以後、同基地を定係港とする。

2015年3月25日、後継艦であるいずもが就役、除籍された。

国際訓練等参加歴

1982年1988年1998年2012年環太平洋合同演習 (RIMPAC)に参加。

1982年1985年1987年1993年に米国派遣訓練に参加。

1991年7月1日から31日にかけて「DD-153 ゆうぎり」、「DD-154 あまぎり」、「DD-155 はまぎり」とともにフィリピン方面海上実習(外洋練習航海)に参加。

1995年7月1日から8月4日にかけて「DD-153 ゆうぎり」、「DD-129 やまゆき」、「DD-156 せとぎり」とともにフィリピン方面海上実習(外洋練習航海)に参加。

1999年11月7日、横須賀周辺および相模湾にて在外邦人等輸送訓練を行う。この訓練では他に「むらさめ(DD-101)」、「あまぎり(DD-154)」、「うらが(MST-463)」、「とわだ(AOE-422)」の艦艇、陸上自衛隊からは第1空挺団で編成された誘導隊が参加した[2][3]

1999年8月2日から4日にかけて「DD-131 せとゆき」、「DE-234 とね」とともに韓国釜山を訪問、4日から5日にかけて東支那海において初の日韓共同訓練を実施した。

2003年9月4日から8日にかけて「DD-106 さみだれ」とともにロシアウラジオストックを訪問、8日にはウラジオストック沖で日露共同訓練に参加。

2005年8月4日から28日までシンガポール周辺海域で実施された拡散に対する安全保障構想(PSI)海上阻止訓練に参加[4]

2012年、RIMPAC参加に先立ち日米桜寄贈100周年記念式典及び米英戦争200周年記念式典(NEW YORK FLEET WEEK 2012 COMMEMORATING THE WAR OF 1812 BICENTENNIEL)に参加[5]

2013年ADMM+ HADR MM実動演習に参加。 これは、同年6月18日より、ブルネイにて東南アジア諸国連合加盟国と日米中露韓の計18ヶ国が参加した初の合同演習で、「しらね」は海上自衛隊のSH-60Jと陸上自衛隊のUH-1Jを搭載し参加。演習内容は大型台風による被害からの救援を目的としており、自衛隊からは他にC-130輸送機も参加した[6]

2013年12月、若狭湾北方海域で実施された日露合同捜索救難訓練(日露SAREX)に参加[7]

2014年3月21日から4月22日にかけて、「DD-132 あさゆき」と共に平成25年度外洋練習航海(飛行)に参加[8]

艦名

当時最大の護衛艦となる本艦の艦名候補として、海上幕僚監部では、山岳名でもある旧海軍の金剛型戦艦からの命名を希望し、その旨を当時の防衛庁長官だった金丸信に進言したが、金丸は自らの出身地である白根町からとって「しらね」とすることを強引に推したため、このような変則的命名となった[9]

ちなみに「しらね」の命名由来として、「白根山」という単一の山があると思われがちだが、これは誤りである。 全国にいくつか「白根山」という名前を冠する山岳があることから、所在地区名を頭につけており(日光白根山草津白根山等)、それぞれ「白根山」と地元では呼ばれているが、いわゆる俗称であり正式名としての「白根山」は存在しない。 前述の理由から、海上自衛隊は「白峰三山」からとっている、としている。(護衛艦しらねの公式パンフレットに記載有り)

フリートウィーク2012参加時の姿
フリートウィーク2012参加後の撮影。
改装以前に比べMFCS及びGMLSが換装され、
着艦標識が新方式になっているのが確認できる
除籍後、東舞鶴港Gブイに係留中の元「しらね」

火災事故

しらねは2007年12月14日に、横須賀基地に停泊中に火災事故を起こし、戦闘指揮所(CIC)内の機器を全損している[10]

2007年12月14日午後10時19分頃、無人のCICより乗組員が発見、初期消火にあたるも鎮火に至らなかった。しらね・海上自衛隊から横須賀市消防局への通報は行なわれず、火災に気付き、不審に思った市民からの通報により、消防局が海自へ問い合わせを行なっている。午後11時35分頃より横須賀市消防局が消火支援にあたり、完全鎮火は翌午前6時19分であった[10]

火災発生当時、戦闘指揮所が無人であったために初期消火が遅れたことが指摘されている。さらに内部構造の複雑さも相まって、鎮火までには約8時間を要し、内部のコンピューターや計器類が全損状態となった(消火に海水を使用したことが、電子機器の被害を拡大させたとの報道もある)。火災の他区画への延焼は防がれたが、消火活動による放水でCICの一つ下の区画に冠水被害が発生した。

当初はCICのレーダー液晶ディスプレイが火災の火元とされていたが、調査の結果海上幕僚監部・事故調査委員会は、CICに無許可で持ち込まれ、艦内の電圧に変圧されていなかった中国製の「保冷温庫」の過熱が出火原因となったと結論づけた。他事案と合わせ、海上幕僚長や艦長などには減給処分が下されている[11]

接触事故

2008年12月15日午前、横須賀港内で護衛艦しらねと作業船が接触したが、双方ともにけが人は出なかった。

除籍の検討

2007年(平成19年)12月の火災事故で同艦は指揮通信系統(CIC)をすべて交換しなければならなくなった。修理には約2年程度、費用は約200億円(最終的に約300億円程度に膨らむとの見方もあった)かかるとの暫定的な見積もりが出たことから、当初、防衛省と海上幕僚監部では、平成20年度末除籍予定のはるな型護衛艦はるな」を延命させ「しらね」を除籍させる方向で検討していた。しかし「はるな」の艦体の老朽化も進んでいたことから、「はるな」の指揮通信系統(CIC)移植による修理のほうが短期かつ安価(約50億程度)になることがわかり、こちらによる移植修理が行われた。

除籍後

XASM-3の実爆試験用実艦標的となる予定であり[12]、舞鶴東港Gブイに係留保管されていたが、2015年11月14日、所要の改造を施すためJMU因島工場へ向けて曳航され、舞鶴を後にした。

なお、本艦艤装品の一部(救命浮環、艦歴銘板)が、舞鶴地方総監部内の委託食堂「白峰三山」店内に展示されているほか、同店の食卓の椅子は、本艦の司令公室、士官室、先任海曹室にて実際に使用されていた椅子をそのまま使用している。

主錨(前錨)が、舞鶴基地に隣接する「赤れんがパーク駐車場」の一角に保存展示されている。

歴代艦長

歴代艦長(特記ない限り1等海佐
氏名 在任期間 前職 後職 備考
1 小川正美 1980.3.17 - 1981.3.15 しらね艤装員長 護衛艦隊司令部付
→81.3.27 第52護衛隊司令
2 岩沢 徹 1981.3.16 - 1983.3.15 護衛艦隊司令部幕僚 第2護衛隊群司令部付
→83.3.30 第62護衛隊司令
3 加藤 晃 1983.3.16 - 1986.1.9 第1海上訓練指導隊訓練科長 横須賀補充部付 就任時2等海佐
1985.1.1、1等海佐
4 藤原弘之 1986.1.10 - 1987.12.1 あさかぜ艦長 余市防備隊司令
5 柴田亮一 1987.12.2 -1989.5.7 第1護衛隊群司令部付 佐世保補充部付 就任時2等海佐
1988.7.1、1等海佐
6 高井 仁 1989.5.8 - 1990.7.31 舞鶴地方総監部防衛部第3幕僚室長 余市防備隊司令 就任時2等海佐
1989.7.1、1等海佐
7 山本角八郎 1990.8.1 - 1991.7.31 あまつかぜ艦長 防衛大学校教授 就任時2等海佐
1991.7.1、1等海佐
8 竹重孝一 1991.8.1 - 1993.3.23 しらせ副長 とわだ艦長 2等海佐
9 福崎幸則 1993.3.24 - 1995.3.31 さわかぜ艦長 第3海上訓練指導隊司令 就任時2等海佐
1993.7.1、1等海佐
10 加藤正治 1995.4.1 - 1996.8.19 はたかぜ艦長 あすか艦長
11 佐治正憲 1996.8.20 - 1997.10.30 横須賀地方総監部管理部人事課長 かしま艦長
12 上田勝恵 1997.10.31 - 1999.9.29 佐世保地方総監部防衛部第3幕僚室長 かしま艦長
13 椋尾康弘 1999.9.30 - 2001.3.26 こんごう艦長 余市防備隊司令
14 井崎秀則 2001.3.27 - 2002.9.19 さわかぜ艦長 かしま艦長
15 佐藤正志 2002.9.20 - 2004.3.28 たちかぜ艦長 海上自衛隊幹部候補生学校教育部長
16 青木 陽 2004.3.29 - 2005.3.31 開発隊群司令部幕僚 横須賀地方総監部監察官
17 寺嶌栄治 2005.4.1 - 2006.8.3 海上自衛隊幹部学校計画指導班長 横須賀基地業務隊司令
18 松岡秀樹 2006.8.4 - 2008.3.25 通信開発隊副長 海上自衛隊幹部学校運用班長
19 中尾博孝 2008.3.26 - 2009.10.31 海上幕僚監部人事教育部
人事計画課募集班長
かしま艦長
20 池田徳重 2009.11.1 - 2010.12.19 第2護衛隊群司令部首席幕僚 統合幕僚学校企画室長
21 竹内 修 2010.12.20 - 2012.8.29 第3護衛隊群司令部幕僚 海上幕僚監部装備部装備需品課
22 藤原秀幸 2012.8.30 - 2014.2.20 佐世保地方総監部管理部人事課長 いせ艦長
23 甲斐義博 2014.2.21 - 2015.3.25 ありあけ艦長 統合幕僚学校教育課
第1教官室学校教官
拝命時2等海佐
2014.7.1、1等海佐 

脚注

参考文献

  • 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)
  • 世界の艦船 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)
  • 『世界の艦船』第750号(海人社、2011年11月号)

外部リンク