青木あすなろ建設
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| 種類 | 株式会社 | ||
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| 市場情報 |
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| 本社所在地 | 〒105-0014 東京都港区芝2丁目14番5号 |
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| 電話番号 | 03-5419-1011 | ||
| 設立 | 1950年9月25日(※1) | ||
| 業種 | 建設業 | ||
| 事業内容 | 建設業 | ||
| 代表者 | 代表取締役社長 市木良次 | ||
| 資本金 | 50億円 | ||
| 売上高 | 単独954億8,400万円 連結1,242億9,800万円 (2008年3月期) |
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| 主要株主 | 髙松コンストラクショングループ 67.24% | ||
| 主要子会社 | みらい建設工業 100% | ||
| 外部リンク | www.aaconst.co.jp | ||
| 特記事項:(※1)旧青木建設の設立は1947年6月 | |||
青木あすなろ建設(あおきあすなろけんせつ)は、1950年(昭和25年)に扶桑土木(後に、小松建設工業)として創業したあすなろ建設と、1947年(昭和22年)にブルドーザー工事として創業し、2001年(平成13年)12月に民事再生手続開始の申立てをした青木建設が2004年(平成16年)4月に合併してできた日本の建設会社。 東京証券取引所一部上場。高杉良の「小説ザ・ゼネコン」はバブル期前後の青木建設がモデルである。
[編集] 株式会社青木建設
- 1947年5月 大阪で創業した資本金300万円、従業員38人の「ブルドーザー工事」社が前身。関西を地盤に、高度成長と共に宅地造成や海洋土木工事で成長した。
- 1961年10月 大阪証券取引所二部に上場。
- 1962年7月 東京証券取引所二部に上場。
- 1964年2月 東京、大阪両証券取引所の一部銘柄に指定される。
- 1968年 ガルフオイル社沖縄原油基地工事を受注し海外工事に進出。
- 1969年8月 青木建設へ社名変更。
- 1973年5月 創業者青木益次は、長男であり佐藤栄作内閣で官房長官橋本登美三郎の秘書官を務めた際、副長官の竹下登と親密な関係を築いていた大蔵省出身の青木宏悦に社長の座を譲る。兜町筋から「竹下銘柄」と呼ばれた。
- 1988年 世界的ホテルチェーンのウェスティン・ホテルズ・アンド・リゾーツを1730億円で買収。
- 1989年 青木宏悦が会長に、日本興業銀行OBの宮脇崇一が社長に就任。
- 1993年4月 茨城県つくば市に研究所を開設。
- 1996年6月 宮脇が大幅赤字を理由に引責辞任、建設省OBの矢野洋一郎が社長に就任。
- 1997年 関西新空港の埋立という超大型工事の受注に成功する。
- 1999年3月 上場ゼネコン債権放棄の第1号として主取引銀行のあさひ銀行や日本興業銀行など26社の金融機関から2049億円もの債務免除を受け、20年間の再建計画を策定した
- 2001年12月 民事再生法を申請。
- 2002年9月 民事再生手続終結。髙松建設(70%)と小松建設工業(30%)が株式を引き受ける。
- 2004年4月 あすなろ建設と合併し、青木あすなろ建設に。
[編集] あすなろ建設株式会社
- 1950年9月 扶桑土木株式会社として創業。
- 1960年5月 小松道路建設株式会社と合併して小松扶桑建設株式会社と称する。
- 1962年11月 社名を小松建設工業株式会社に改称。
- 1973年5月 東京証券取引所市場第二部に株式上場。
- 1974年4月 東京証券取引所市場第一部に指定替。
- 2000年10月 株式公開買い付けにより親会社が小松製作所から髙松建設へ異動。
- 2002年9月 青木建設の株式30%を取得。
- 2002年10月 社名をあすなろ建設株式会社に改称。あすなろ建設・髙松建設・青木建設の3社でGWA(Green Wood Alliance)として企業提携。
[編集] 青木あすなろ建設株式会社
- 2004年4月 あすなろ建設と青木建設が合併し、青木あすなろ建設に。(存続会社はあすなろ建設)
- 2006年5月 防災土木工事準大手東興建設株式会社を株式譲渡により、完全子会社とする。
- 2008年9月 みらい建設工業およびみらいジオテックを完全子会社とする。

