荒木伸吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

荒木 伸吾(あらき しんご、男性、1939年1月1日 - 2011年12月1日)は、日本のアニメーターキャラクターデザイナー。作画プロダクション「有限会社荒木プロダクション」代表取締役日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。車田正美原作漫画のアニメーション作品を多数手がけている。

代表作は『聖闘士星矢』『キューティーハニー』『魔女っ子メグちゃん』など。その端正な絵柄で、1970年代から1990年代初頭まで、アニメで美形キャラクターと言うと、荒木伸吾デザインの代名詞とされるほどだった。アクション作画の腕前を評価する声も多い。

略歴[編集]

愛知県名古屋市出身。中学卒業後、日本車輌製造に勤務する傍ら、1955年に貸本劇画誌「街」の新人コンクールで入賞してマンガ家デビューし、昼は工場で働きながら、「街」「顔」などの貸本劇画誌に短編を約60本発表。さいとうたかを辰巳ヨシヒロのファンだったという。

しかし漫画で生計を立てることは出来ず、22歳頃から1年ほどCMのコンテを描く仕事に従事し、さらに貸本漫画家仲間で、先に虫プロダクションに入っていた真崎守の誘いで、1964年に虫プロダクションへ入社。テレビアニメジャングル大帝』でアニメーターへの転身を果たした。

虫プロダクションは1年ほどで退社して、1966年に作画スタジオ「ジャガード」を斎藤博ら仲間数人で発足。アニメについては、ジャガード時代に斎藤から多くを学んだと後に荒木は感謝の弁を述べている。

ジャガードは、虫プロダクションの作品とともに東京ムービーの作品の作画も手がけて、荒木は楠部大吉郎作画監督の下で『巨人の星』の劇画タッチの作画に挑戦。劇中の一つのクライマックスになる飛雄馬の大リーグボール1号を花形満が打ち返すパースを強調させたシーンの作画は語り草となった。

1970年から虫プロダクションで、杉野昭夫金山明博との3人共同で『あしたのジョー』の作画監督を務めた。また、この年から『キックの鬼』『魔法のマコちゃん』で作画監督をしたのを手始めに東映動画作品にも参加するようになった。1971年には友人とスタジオZを設立(後輩の金田伊功貞光紳也富沢和雄もここに在席)。1973年にフリーになり、テレビアニメ『バビル2世』で荒木は初のキャラクターデザインを任された。これらは初期のキャラクターでは最も愛着が強いという。

さらに東映動画では、1973年の『キューティーハニー』、1974年の『魔女っ子メグちゃん』、1975年の『少年徳川家康』『UFOロボ グレンダイザー』、1977年の『惑星ロボ ダンガードA』と立て続けに東映動画作品のキャラクターデザインをして、荒木の名を印象付けた。特に『惑星ロボ ダンガードA』の男性キャラクターのトニー・ハーケンは女性ファンの支持を得た。

1970年代末に始まったアニメブームで荒木を人気アニメーターの地位に押し上げたのは、これらの作品である。この間、1972年に倒産したジャガードに代わり、1974年に荒木プロダクションを設立。設立時からのメンバーである姫野美智を片腕として、姫野の少女漫画的な華麗なタッチが荒木の作風に加わった。

1979年の東京ムービー作品『ベルサイユのばら』を終えると、荒木プロダクションは、1980年から同じく東京ムービーで、フランスとの合作作品『宇宙伝説ユリシーズ31』『ルパン8世』『ガジェット警部』『シャンソン・ノノ』『ヒースクリフ』を1983年まで手がけて、日本国内ではアニメファンに対して目立った仕事がなかった。フランスとの仕事ではソフトな演技を学び、後の仕事に役立ったという。

荒木の作風の人気に再び火がついたのは、1986年車田正美原作の『聖闘士星矢』のテレビアニメ化による。3年間にわたって放送され、自他ともに認める荒木・姫野の代表作となり、2000年代以降も続編を制作する人気シリーズとなった。その後は車田作品の『リングにかけろ1』・『風魔の小次郎』に加え、横山光輝作品のリメイク版など、多くのキャラクターデザインを手がけるようになった。この人気を背景に、荒木・姫野のオリジナルキャラクターデザインによるコンピュータゲームBURAI』(1989年)[1]と『KIGEN 輝きの覇者』(1991年)が発売された。

『聖闘士星矢』以降も東映動画作品を主としてキャラクターデザインを続けたが、作画監督を務めることは少なくなっていった。

2010年8月には公式サイトを開設(外部リンク参照)。45年ぶりに作成中の漫画作品『Sourire』のサンプルを数ページほど公開した。

2011年12月1日、水泳中の事故による[2]急性循環不全で死去[3]、享年72。

作品リスト[編集]

テレビアニメ[編集]

劇場アニメ[編集]

未製作[編集]

OVA[編集]

漫画[編集]

  • 街路 (1960年5月、『街』40号 セントラル文庫)
  • Sourire (鋭意制作中。正式発表時期未定)

ゲーム[編集]

  • BURAI (1989年、リバーヒルソフト、キャラクターデザイン・原画)
  • KIGEN 輝きの覇者 (1991年、リバーヒルソフト、キャラクターデザイン・原画)

注釈[編集]

  1. ^ 『BURAI』の原作・シナリオ等を手がけた飯島健男は自著『ゲーム業界白書』の中で、「荒木の参加によってこれまでパソコンゲームに見向きもしなかった女性層に興味を持ってもらえ、発売前後のショップイベント等では珍しく女性ファンの姿を見る事ができたが、肝心のソフトの売り上げはそれまでの作品と比べて大差無かった(=荒木キャラに熱中する女性ファンは、ソフトを買うほど作品そのものには入れ込んでくれなかった)」と当時を述懐している。
  2. ^ 荒木伸吾 公式サイト 「ファンの皆様へ」を参照。
  3. ^ 「バビル2世」など手がける、荒木伸吾氏が死去 : ニュース : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)”. 読売新聞社 (2011年12月2日). 2011年12月2日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]