ヴァルプルギスの夜

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ヴァルプルギスの夜に焚かれるかがり火。スウェーデンにて
ハイデルベルクでヴァルプルギスの夜を祝う群衆

ヴァルプルギスの夜(ヴァルプルギスのよる)[1]は、4月30日5月1日中欧北欧で広く行われる行事である。

発祥[編集]

古代ケルトにはバルティナあるいはケートハブンと呼ばれる春の祭りが5月1日にあり、この祭りの前夜がヴァルプルギスの夜などと呼ばれ魔女たちがサバトを開き跋扈するなどと伝えられていた。ケルト人たちは一年を暖季と寒季の二つにわけ、暖季を迎えるこの日を、寒季の訪れる11月1日のサァオインあるいはハロウマスの祭りとともに季節の変わり目として大切にしていた[2]

祭りは、710年ウェセックス(イングランドの七王国の一つ)で生まれた聖ワルプルガにちなんで名付けられた。彼女は聖ボニファティウスの姪で、言い伝えによると、サクソン人の王子・聖リチャードの娘だという。彼女は兄弟たちとともにドイツフランコニアに旅し、ワルプルガはそこで尼僧となって兄ウィリバルドの創設したハイデンハイム修道院に入った。ワルプルガは779年2月25日に亡くなり、その日は今も伝統的な聖人暦では聖名祝日として暦に残る。ヴァルプルギスの夜にあたる5月1日は、彼女の聖遺物アイヒシュテットに移された日であるとも[3]ハドリアヌス2世によって列聖された日であるとも言われる[4]。このため、例えば、フィンランドスウェーデン典礼暦では、5月1日に彼女の名前が載っているのである。

歴史的なヴァルプルギスの夜は、キリスト教到来以前の異教の春の風習にちなんでいる。ノース人の風習では、ヴァルプルギスの夜は『死者を囲い込むもの』とされていた。北欧神話の主神オーディンルーン文字の知識を得るために死んだことを記念するもので、その夜は死者と生者との境が弱くなる時間だといわれる。かがり火は、生者の間を歩き回るといわれる死者と無秩序な魂を追い払うためにたかれ、光と太陽が戻るメーデー(5月1日)を祝うことにつながる。ワルプルガの聖なる日が同じ日に移動されたことにより、彼女の名前が祝祭と結びついたのである。ヴァイキングたちが春を祝った風習がヨーロッパに広まることでワルプルガは同じ方法で讃えられ、2つの記念日がともに混じり合い、ヴァルプルギスの夜の祭りとして成立していった。5月を祝う祭りは今も「五月祭」(メイフェア)としてヨーロッパに残っている。

ヨーロッパ各地での行事[編集]

ドイツ[編集]

ブロッケン山で行われる魔女の集会

ドイツでは、ヴァルプルギスナハト (Walpurgisnacht) またはヘクセンナハト(Hexennacht、「魔女の夜」という意味)は4月30日の日没から5月1日未明にかけての夜を指し、伝えられるところによれば、魔女たちがブロッケン山で大規模な祭りを催して、春の到来を待つという。

ドイツの伝承では、ヴァルプルギスの夜は五月祭前夜の4月30日の夜で、魔女たちがブロッケン山で集い、彼らの神々とお祭り騒ぎをする…

ブロッケン山は中央ドイツ北部にあるハルツ山地の最高峰である。ブロッケン現象による自然現象と、魔女の酒宴がヴァルプルギスの夜に催されることで有名である。

ブロッケン現象は、見る人の影の周りにに似た輪が現れる現象である。最初にこの自然現象が報告されたのがブロッケン山である。

—Oxford Phrase & Fableより引用。

ゲーテの『ファウスト 第一部』での場面は「ヴァルプルギスの夜」と呼ばれ、第二部での場面は「古典的ヴァルプルギスの夜」と呼ばれる。

ドイツ北岸地域の一部では、大きなバリティニゲール人の伝承)の火をたく風習が未だ保存され、5月の到来を祝う。ドイツの大部分では復活祭の頃の『復活祭のかがり火』として、キリスト教化された風習となっている。

南ドイツの田舎では、ヴァルプルギスの夜に若者たちが悪ふざけをする文化が残っている。例えば隣人の庭をいじくったり、他人の物を隠したり、私的財産に落書きをする、などである。これらの悪ふざけは時に、財産に致命的な損傷を与えたり、他人を負傷させたりすることもある。

奇妙なことに、アドルフ・ヒトラーは、ヨーゼフ・ゲッベルスら側近数名と、1945年の4月30日から5月1日にかけてのヴァルプルギスの夜に自殺を図った。ヒストリーチャンネルのドキュメンタリー番組『ヒトラーとオカルト』によれば、ヒトラーらがその日は悪魔崇拝のうえで重要な日であると信じていたからだという。

スウェーデン[編集]

ウプサラ城外で歌を歌い、ヴァルプルギスの夜を祝う群衆。その多くが典型的なスウェーデンの白い学生帽を被っている。背景にはウプサラ大聖堂のシルエットが浮かび上がる。1920年頃の写真より

スウェーデン語でヴァルボリスメッソアフトン (Valborgsmässoafton) またはヴァルボリ (Valborg) と呼ばれるヴァルプルギスの夜は、スウェーデンの祝日の一つで、ユール夏至祭に匹敵する祭りである。様式は地方や都市によって様々な違いがある。スウェーデンの伝統的な様式の一つでは、大きなかがり火を焚く。これはスヴェアランドで確立した風習で、18世紀の間にウップランド地方で始まったものである。イェータランドで始まった古い風習では、黄昏時に若者らが青々した草木や枝木を集め、村の家々を飾った。この仕事の報酬は、で支払われた。

国中に最も広まった伝統は、おそらく春の歌を歌うことである。歌の多くは、19世紀に始まるもので、学生たちの春の祭りから広まった。最も影響力があり最も伝統のある春の祭りは、ウプサラルンドのような古い大学を抱える都市で確立した。どちらも在校生・卒業生がそろって4月30日の早朝から深夜まで行事に参加する。また、ルンドなどではその行事がシスタ・アプリル(Sista April、4月最後の日という意味)と呼ばれる。謝肉祭のパレードのような新入生の伝統行事、コテーシェン (Cortègen) は、ヨーテボリチャルマース工科大学の学生によって1909年から催されている。

フィンランド[編集]

フィンランドのヴァルプルギスの夜、ヴァプンアーット (Vapunaatto) は大晦日と夏至祭に次ぐ大規模なカーニヴァル風の祝祭で、フィンランド各地の市街で行われている。祭りでは、よく発泡ワインとその他のアルコール飲料が大量に消費される。学生の伝統行事もヴァップの特徴の一つである。19世紀の世紀末以降、伝統的に上流階級の祝祭だったこの祭りは、大学に入って既に学生帽をもらっていた学生たちによって吸収された。ルキオ(Lukio、ギムナジウムに相当)を卒業した多くの人々も帽子を被る。ヴァップの期間中は、様々なアルコール含有量の蜂蜜酒の一種シマを飲む風習がある。行事には、ヘルシンキにある裸婦像ハヴィス・アマンダに帽子を被せることと、『アプ』 (Äpy) と『ユルック』 (Julkku) と呼ばれる下品な事柄をおさめた本を1年おきに出版することが含まれる。どちらの本もヘルシンキ工科大学によって発行され、内容は子供じみたものだが、『ユルック』は標準的な雑誌で、『アプ』には常に仕掛けがある。これまで、『アプ』はトイレットペーパーやベッドシートに印刷されたことがあり、サーディンの缶詰や牛乳パックといった標準的な製品のパッケージの中に詰め込まれていたことも何度かある。祝祭には5月1日の贅沢なピクニックも含まれる。

フィンランドの伝統には、旧ソヴィエト連邦の影響を受けたメーデーのパレードがある。左派政党に始まり、フィンランドの政界全体が、ヴァップを遊説や煽動の日としている。これには右派政党が含まれるだけでなく、教会もこれにならい行進や演説をしていた。スウェーデンでは、労働党と社会主義政党だけが5月1日を政治活動の日としていたが、その他は伝統的な祭りに参加していた。

1970年代まで活動した労働党支持者らは今も5月1日に祝宴を行う。彼らは祝祭を組織し、労働者が好んで聞いたような古い左派の歌をラジオでながす。労働者の精神は、フィンランドの首都ヘルシンキに今も残っているのである。

5月最初の日は、皆が楽しみ騒ぐ日である。市場で家族連れは春の最初の日と夏の到来を祝う。風船が街頭を飾り、人々は屋外でその年最初のビールを味わう。道化や仮面を被った人々なども繰り出し、色とりどりの吹き流しや、太陽に溢れ、おかしく馬鹿げた日なのである。フィンランドでは、多くの人々にとって春の始まりを意味する。

伝統的な5月1日は、ヘルシンキの場合、カイヴォプイスト公園やカイサニエミ公園でピクニックをして祝う。ほとんどの人は、友人と毛布を敷いておいしい食べ物と発泡ワインを広げて楽しむ。しかしながら一部の人々は、白いテーブルクロス、銀製の蝋燭台、クラシック音楽、豪華な食べ物を用意して極端に豪華にしたピクニックを組織する。ピクニックは通常早朝に始まり、一部の破天荒なパーティーでは前夜から一睡もせずに徹夜で続けられる。一部の学生組織は毎年キャンプをしたりする伝統的な場所を持つ。

エストニア[編集]

エストニアでは、ヴォルプリエー (Volbriöö) と呼ばれるヴァルプルギスの夜は4月30日から5月1日の夜にかけ祝われる。5月1日当日はむしろ春の日と呼ばれる公の祝日ケヴァトピュハ (Kevadpüha) であるが、国中で行われる祝宴をともなうヴァルプルギスの夜よりも重要でない。ドイツ文化の影響から、ヴァルプルギスの夜は魔女の会合と酒宴の夜であると考えられている。現在も一部の人々は魔女の出で立ちに着替えて、カーニヴァルの雰囲気を漂わせて街頭に繰り出す。

しかし多くのエストニア人にとって、ヴァルプルギスの夜は夜通し屋外で飲んでパーティーをし、春の到来を祝うという理由になっている。これは、南エストニアの学問の都市タルトゥで特に顕著である。学生組織に属すエストニアの学生にとって、タルトゥの通りで伝統的なパレードのある夜が始まると、夜通し互いの組織の家々を訪問しあい、たくさんのビールをあおり、ともに過ごしたり街頭へくり出しあちらこちらへ移動するものなのである。5月1日当日は、カートリペエヴ (Kaatripäev) としても知られる。これはドイツ語で二日酔いを意味するカター (kater) から発祥した名称で、「二日酔いの日」を意味する。

ヴァルプルギスの夜に触発された文化[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ドイツ語ではヴァルプルギスナハト (Walpurgisnacht) 、スウェーデン語ではヴァルボルグスメッソアフトン (Valborgsmässoafton) 、フィンランド語ではヴァップ (Vappu) 、エストニア語でヴォルブリヨー (Volbriöö) 、リトアニア語でヴァルプルギヨス・ナクティス (Valpurgijos naktis) 、ラトビア語でヴァルプルグ・ナクツ (Valpurģu nakts) またはヴァルプルギ (Valpurģi) 、チェコ語でチャロディエィニツェ (čarodějnice) またはヴァルプルジナ・ノツ (Valpuržina noc) 、低ソルブ語でホードティパレニェ (chódotypalenje) 、高ソルブ語でホドィティパレニェ (chodojtypalenje) 、英語でヴァルプアギズ・ナイト (Walpurgis Night) と呼ばれる。日本においては「ワルプルギスの夜」と表記される事もある。本項ではドイツ語のヴァルプルギスを採用する。
  2. ^ 「来訪する神の伝承と民俗」 樋口淳(説話・伝承学71999-04)[1][2]
  3. ^ Patron Saints Index: Saint Walburga
  4. ^ CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: St. Walburga

関連項目[編集]

外部リンク[編集]