デビッド・アーズマ

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デビッド・アーズマ
David Aardsma
シアトル・マリナーズ #53
001U2268 David Aardsma.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 コロラド州デンバー
生年月日 1981年12月27日(30歳)
身長
体重
6' 4" =約193cm
205 lb =約93kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2003年 ドラフト1巡目
初出場 2004年4月6日
年俸 $2,750,000(2010年)[1]
経歴(括弧内は在籍年)

デビッド・アラン・アーズマ(David Allan Aardsma, 1981年12月27日 - )は、メジャーリーグベースボールの右投右打の投手。アメリカ合衆国コロラド州デンバー出身。2011年現在、シアトル・マリナーズに所属している。

目次

[編集] 経歴

2000年チェリー・クリーク高校卒業。その後一度はペンシルベニア州立大学に入学したが、2001年テキサス州ヒューストンにあるライス大学へ転校した。同大ではクローザーとして活躍し、2002-03シーズンには同大学のセーブ数のシーズン記録と通算記録を塗り替えた。また、2003年カレッジ・ワールドシリーズでは打者16人中15人を抑えるなど、2勝1セーブを挙げ、チームの初の全国優勝に貢献した。

そして2003年、サンフランシスコ・ジャイアンツからドラフト1巡目(全体22番目)で指名され、契約する。この年はマイナーリーグで18試合に登板し、防御率1.96という成績だった。

2004年4月6日ミニッツ・メイド・パークで行われた開幕2戦目のヒューストン・アストロズ戦で、ダブルA、トリプルAを経験することなくメジャーデビューを果たした。6回裏から3番手として登板し、2回を3安打1四球ながらも無失点に抑え、家族や友人の前でメジャー初登板初勝利を挙げた。だが、シーズン最初の6登板こそ自責点1、防御率1.80で乗り越えたものの、その後の5試合中4試合で失点するなど打ち込まれ、トータルでは11試合で防御率6.75と、結果を残すことは出来なかった。

2005年はダブルAで開幕を迎え、シーズン途中の5月28日にトレードでシカゴ・カブスへと移籍。マイナーでは11試合の先発を含む42試合に登板したが、メジャーに昇格することは出来なかった。

引き続きカブスに在籍していた2006年は、メジャーで45試合に登板した。このうち負けている場面での登板が32試合と、重要な場面はそれほど任されなかったが、9月に12回連続無失点の好投を見せるなど、8月以降は25試合で防御率3.21の数字を残した。また、左打者を被打率.190(63打数12安打)に封じ込めた。

シーズン後の10月16日、トレードでシカゴ・ホワイトソックスに移籍。前年終盤の好投もあって、2007年は開幕ロースター入りを果たした。その期待に応え、開幕戦でこそいきなり1点を失うものの、最初の15登板では22回を投げ、防御率1.64という好投を見せた。ところが5月19日のカブス戦でアウトを一つしか獲れずに5点を失うと、翌日のカブス戦でも1回で4点を失い、更に6月2日トロント・ブルージェイズ戦でも1回5失点と、急に精彩を欠くようになった。この後一旦マイナーへ降格し、6月19日にメジャー復帰を果たすも、7月4日ボルティモア・オリオールズ戦で3失点(自責点2)したのを最後に再び降格し、マイナーでシーズンを終えることとなった。この年はマイナーでも自己最悪の防御率4.33に終わるなど、終わってみれば飛躍のシーズンとはならなかった。

レッドソックス時代(2008年)

年が明けて2008年1月28日、トレードでホワイトソックスからボストン・レッドソックスへと移籍。この年は7月終了時点で38試合に投げ、防御率2.75、被打率.207、39.1回で41奪三振など軒並み優秀な数字を残していたが、それ以降は前年同様息切れし、8月以降は9試合で防御率17.36、被打率.465という別人のような不振に陥った。結局シーズンでは防御率5.55に終わる。

2009年1月15日、レッドソックスがマーク・コッツェイと再契約したのを受け、1月20日にトレードでシアトル・マリナーズへと移る。マリナーズではブランドン・モローと交互にクローザーとして起用され、4月10日にキャリア初セーブをマークした。その後モローの不調と先発転向により正クローザーとなり、自己最多の73試合に登板。制球難に悩まされることもなく、シーズン通して防御率2点台以下をキープ。リーグ4位となる38セーブをマークし、WHIPも1.16を記録した。

この好投を受けて、翌2010年も開幕からクローザーを務めた。最初の6登板は無失点で抑え、6セーブを稼いだものの、武器である速球のキレがあまり良くなく、前半戦終了時点で2点以上失った試合が6試合に上り、防御率も5.40にとどまる。しかし後半戦は復調し、22試合を防御率0.84に抑え、被打率も.121と、ほぼ非の打ちどころのないピッチングを披露。シーズンでは31セーブをマークし、アメリカンリーグの7位にランクインした。

シーズン終了後の2011年1月に左足の手術を受けたため、2011年は開幕には間に合わないと見られている[2]

[編集] その他

  • ニックネームは"THE D.A."[要出典]
  • 150km/hを超える速球が主な武器。2010年は、全投球のうち75.8%が速球だった[3]
  • 妹のアマンダ・アーズマ(Amanda Aardsma)は女優で、ドラマ『CSI:科学捜査班』などへの出演経験がある[4]
  • 2010年6月に第1子が誕生した[5]
  • 祖父母がオランダ出身であるため、ワールド・ベースボール・クラシックの際にはオランダ代表の候補に名前が挙がった(選出はされていない)。
  • メジャーリーグでプレイした経験のある全選手をアルファベット順に並べると、このアーズマが先頭に来る(2010年度シーズン終了時点)。アーズマが2004年にメジャーデビューするまでは、ハンク・アーロンが先頭だった。

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
2004 SF 11 0 0 0 0 1 0 0 1 1.000 61 10.2 20 1 10 0 2 5 0 0 8 8 6.75 2.81
2006 CHC 45 0 0 0 0 3 0 0 5 1.000 225 53.0 41 9 28 0 1 49 1 0 25 24 4.08 1.30
2007 CWS 25 0 0 0 0 2 1 0 3 .667 151 32.1 39 4 17 3 1 36 2 0 24 23 6.40 1.73
2008 BOS 47 0 0 0 0 4 2 0 4 .667 228 48.2 49 4 35 2 5 49 3 0 32 30 5.55 1.73
2009 SEA 73 0 0 0 0 3 6 38 6 .333 296 71.1 49 4 34 3 0 80 2 0 23 20 2.52 1.16
2010 53 0 0 0 0 0 6 31 0 .000 202 49.2 33 5 25 5 2 49 2 0 19 19 3.44 1.17
通算:6年 254 0 0 0 0 13 15 69 19 .464 1163 265.2 231 27 149 13 11 268 10 0 131 124 4.20 1.43
  • 2010年度シーズン終了時

[編集] 脚注

  1. ^ Seattle Mariners 2010 Player Salaries and Team Payroll” (英語). ESPN.com. 2010年11月20日閲覧。
  2. ^ 村上雅則監修 友成那智編著 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011』 廣済堂出版、2011年、235頁。
  3. ^月刊スラッガー』2011年2月号、日本スポーツ企画出版社、2011年、36頁。
  4. ^月刊スラッガー』2010年4月号、日本スポーツ企画出版社、2010年、35頁。
  5. ^月刊スラッガー』2011年4月号、日本スポーツ企画出版社、2011年、33頁。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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