サムソンビッグ

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サムソンビッグ
Samson-big.jpg
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1991年4月14日
サクラショウリ
シュンイチオーカン
母の父 フロリバンダ
生国 日本の旗 日本北海道門別町(現在は日高町
生産 サムソン牧場
馬主 田中由子
調教師 鹿戸幸治栗東
競走成績
生涯成績 中央競馬
平地競走27戦2勝、障害競走8戦2勝
獲得賞金 1億934万6000円
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サムソンビッグ日本競走馬。1994年のきさらぎ賞優勝馬。

※戦績の馬齢は旧表記(数え年)とする。

戦績[編集]

中央競馬で競走生活を送る。3歳時の1993年7月10日札幌競馬場でのデビュー戦を勝利で飾る。その後2レースは15着、5着に終わるが、4戦目の函館3歳ステークスGIII函館競馬場)ではマリーゴッドの2着に入り、ナリタブライアン(6着)に先着を果たす。その後も福島3歳ステークス福島競馬場)の2着をのぞけば大敗を繰り返し、初のGI出走となった朝日杯3歳ステークス中山競馬場)は勝ったナリタブライアンから2秒8離された14着(ブービー)に終わる。

4歳となった1994年シンザン記念京都競馬場改装の関係で阪神競馬場で開催)ではブービーの11着。続いて阪神競馬場2000メートルでの開催となったきさらぎ賞に出走する。さすがに11頭立ての最低人気であったが、スローペースで逃げて後続馬を寄せ付けず、良馬場にもかかわらず2分7秒4という遅い走破タイムであったが勝利を収めた。このレースでの単勝オッズは172倍であった。

その後は大敗を続け、この年の皐月賞東京優駿(日本ダービー)・菊花賞三冠レースには三冠馬のナリタブライアンとともにただ2頭全レースの出走を果たしたが、皐月賞はブービーで、ダービー菊花賞は最下位と、もう少しで「逆三冠」[1]を達成するところであった。

古馬になってからも苦戦は変わらず、5歳時に3着となった秋野ステークス(新潟競馬場1800メートルのオープン特別)をのぞいてほとんどが二桁着順の大敗。暮れの愛知杯13着(最下位)を最後に障害競走に転向する。

すると明けて6歳となった1996年緒戦の障害未勝利戦ではいきなりレコードタイムで圧勝。しかし、そこから障害400万下で3連敗を喫する。400万下4戦目で勝ってオープンに昇級するが、故障で1年の休養を余儀なくされた。7歳での復帰後はオープンで3戦するが、3着が最高で小倉障害ステークス(7頭立て6着)を最後に現役を引退。

引退後は去勢されて乗用馬となった。

競走成績[編集]

通算 平地競走27戦2勝、障害競走8戦2勝

  • 3歳(平地):8戦1勝 函館3歳ステークス (GIII) 2着
  • 4歳(平地):8戦1勝 きさらぎ賞 (GIII)
  • 5歳(平地):11戦0勝
  • 6歳(障害):5戦2勝
  • 7歳(障害):3戦0勝

血統表[編集]

サムソンビッグ血統パーソロン系/Nasrullah4×5=9.38%)

サクラショウリ
1975 鹿毛
*パーソロン
Partholon
1960 鹿毛 アイルランド
Milesian My Babu
Oatflake
Paleo Pharis
Colonice
シリネラ
1968 芦毛
*フォルティノ
Fortino
Grey Sovereign
Ranavalo
Shirini Tehran
Confection

シュンイチオーカン
1978 栃栗毛
*フロリバンダ
Floribunda
1958 鹿毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Asterntia Denturius
Aherlow Valley
フジカワ
1966 黒鹿毛
*チャイナロック
China Rock
Rockfella
May Wong
ツキカゲ *ヒンドスタン
イチジヨウ F-No.7-c

4代母イチジヨウは1953年クモハタ記念の勝ち馬。5代母に名牝クリフジを持つ。

エピソード[編集]

いかつい名前とは逆の小柄なおとなしい馬で、洗い場から厩舎に戻るのに引き綱なしでも人間のあとをついていったという。このエピソードから本馬の大ファンになったというよしだみほ (いわく「お座敷馬として私が自分チで飼いたい」) の漫画『馬なり1ハロン劇場』ではナリタブライアンの唯一の親友という設定が与えられ、同漫画の定番ネタのひとつとなった。

脚注[編集]

  1. ^ 皐月賞はブービーとはいえ、最下位のトラストカンカンはサムソンビッグからさらに5馬身(0.8秒)離されていた。またトラストカンカンはレース中に心房細動を発症しており、無事完走した馬の中では最下位であった。

外部リンク[編集]