ケイ・セージ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケイ・セージ
Kay Sage
本名 キャサリン・リン・セージ(Katherine Linn Sage)
誕生日 (1898-06-25) 1898年6月25日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州オールバニ郡ウォーターヴリート英語版
死没年 1963年1月8日(1963-01-08)(64歳)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国コネチカット州リッチフィールド郡ウッドベリー英語版
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
運動・動向 シュルレアリスム
芸術分野 画家詩人
影響を受けた
芸術家
ジョルジョ・デ・キリコイヴ・タンギー
テンプレートを表示

ケイ・セージ(Kay Sage、1898年6月25日 - 1963年1月8日)はアメリカ画家詩人。詩的・哲学的なテーマを扱い、幾何学的・建築オブジェや無人の空間を特徴とする作品を制作したシュルレアリスムの画家として知られる。夫は同じくシュルレアリスムの画家イヴ・タンギー

生涯[編集]

ケイ・セージは1898年6月25日、キャサリン・リン・セージ(Katherine Linn Sage)としてニューヨーク州オールバニ郡ウォーターヴリート英語版の裕福な家庭に生まれた。父は木材産業で財を成した上院議員であったが[1]、早くに両親が離婚し(1900年に別居、1907年か1908年頃に離婚)[2]アルコール依存症などの問題を抱える母との複雑な関係のなかで成長した[3]。また、転校を繰り返し、母と頻繁に旅行するなど、家庭生活、学業とも不安定であったが、この間にフランス語イタリア語スペイン語ポルトガル語を学ぶ機会を得、特にフランス語とイタリア語が流暢であった[1][2]

ワシントンD.C.のコーコラン美術学校(現コーコラン美術デザイン学校英語版に学んだが、第一次世界大戦が勃発すると、語学力を活かして翻訳の仕事を始めた[1]

戦後、イタリアに留学し、ローマ素描絵画を学んだ[4]。イタリアの貴族ラニエリ・ディ・サン・ファウスティーノ(Ranieri di San Faustino)と出会って1925年に結婚。ローマとラパッロ(リグーリア州ジェノヴァ県)を行き来しながら、夫に同伴して社交界に出入りするなど、貴族としての生活が始まった[2]。1935年に離婚するまでの10年間は、絵を描く時間はほとんどなく、画家としての「自らの可能性を閉ざしてしまう」ことになった[3]

転機となったのは画家オノラート・カルランディイタリア語版との出会いであった。セージはカルランディから古典絵画における遠近法を学び、油彩水彩木炭画などの技術に磨きをかけた[1]。さらにイギリスの若手彫刻家ハインツ・ヘンゲス英語版と、当時彼を支持していたアメリカの詩人エズラ・パウンドに出会い、二人の支持を得てミラノ画廊に初めて作品を展示することになった[5][6]。また、この頃からジョルジョ・デ・キリコやイヴ・タンギーの影響を強く受けた抽象画を制作し始めた[4]

1935年にラニエリと離婚し、1937年に渡仏。1938年のシュランデパンダン展フランス語版に油彩を出展し、シュルレアリスムの作家アンドレ・ブルトンと画家イヴ・タンギーに絶賛された[2]。これを機に、ブルトンが率いるシュルレアリスムの運動に参加し、同じ1938年にパリで開催された国際シュルレアリスム展に出展した[6]

タンギーと恋愛関係になったものの、第二次世界大戦が勃発すると、アメリカ人のセージは帰国を余儀なくされ、ニューヨーク市に居を定めた。ニューヨークでは、シュルレアリストらフランスの芸術家の亡命を助けるためにビザ申請や渡米後の一時滞在施設の確保に追われた[6]

アンリ・マティスの息子で画商ピエール・マティスフランス語版は当時ニューヨークで画廊を経営しており、セージは1940年にこの画廊で初の個展を開いた。同年、米国に亡命したタンギーと再会して結婚。翌年、コネチカット州リッチフィールド郡ウッドベリー英語版に越した。彫刻家アレクサンダー・カルダーや画家アンドレ・マッソンが同じコネチカット州に住んでいた[6]

1941年からタンギーが亡くなる1955年までは、セージにとって最も実り多い時期であった。1943年にペギー・グッゲンハイム英語版の「今世紀のアート・ギャラリー」で開催された女性31人展(Exhibition by 31 Women)は、当時、米国に亡命していたブルトン、マルセル・デュシャンマックス・エルンストが特別に審査員に加わり、セージのほか、レオノーラ・キャリントンマリア・エレナ・ヴィエイラ・ダ・シルヴァレオノール・フィニエルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェンメレット・オッペンハイムフリーダ・カーロドロテア・タニングらが参加した大規模な展覧会であった[7]。また、通常は夫タンギーと共同で仕事をすることはなかったが、1952年にはハートフォードワズワース・アセニアム英語版美術館で二人展が行われた[2]

1955年に夫タンギーが脳出血で急死し、セージは深い精神的痛手を受けた[1]。さらに白内障を患った彼女は、次第に人付き合いを避け、鬱状態に陥った[2]。画風も変化し、1956年制作の『通過』には、茫漠とした無機質な空間でたった一人彼方を見つめる女性の背中が描かれている。1959年に自殺を図ったが未遂に終わり、詩作やアサンブラージュの制作をしながら、タンギーの作品を整理し、目録を作って過ごした。これは1963年にカタログ・レゾネ(総作品目録)として刊行されることになるが、セージは刊行の数日前に再び自殺を図り、64歳で死去した[1]

セージは芸術作品のほか、詩集4冊(3冊はフランス語、1冊は英語)と自伝的テクスト『陶器の卵』を遺した。没後、タンギー、ブルトン、カルダー、マッソン、ルネ・マグリットポール・デルヴォーの作品を含むセージの個人コレクション約100点がニューヨーク近代美術館に所蔵された[2]

作品[編集]

芸術作品[編集]

  • 《これに対して》On the Contrary, 1952(油彩、90.2 cm x 70.5 cm)ウォーカー・アート・センター
  • 《第三段落》Third Paragraph, 1953(油彩、96.5 x 78.7 cm)
  • 《ハイフン》Hyphen, 1954(油彩、76.2 x 50.9 cm)ニューヨーク近代美術館
  • 《通り抜け禁止》No Passing, 1954(油彩、130.2 x 96.5 cm)ホイットニー美術館
  • 《明日は決して》Tomorrow is never, 1955(油彩、96.2 x 136.8 cm)メトロポリタン美術館
  • 《通過》Le Passage, 1956(油彩、91 x 71 cm)
  • 《明日、南から南西に吹く風》South to South-Westerly Winds Tomorrow, 1957(油彩、33 x 40.6 cm)
  • 《時計を見ながら》Watching the Clock, 1958(油彩、35.6 x 35.6 cm)ニューヨーク近代美術館蔵
  • 《絶えざる変化》Constant Variation, 1958(素描、水彩、48.42 x 68.26 cm)個人蔵
  • 《答えはNo》The Answer is No, 1958(油彩、99.1 × 81.3 cm)イェール大学美術館蔵
  • 《大きな不可能》The Great Impossible, 1961(水彩、木炭、ガラスレンズ、張り合わせた紙、32.3 x 23.5 cm)ニューヨーク近代美術館蔵

文学作品[編集]

  • 自伝的テクスト『陶器の卵』China Eggs/Les Œufs de porcelain - 1955年執筆、1966年刊行
  • 詩集『明日、シルベール氏』Demain Monsieur Silber, 1957年
  • 詩集『驚くほど』The More I wonder, 1957年
  • 詩集『言わなければ…』Faut dire c'qui est, 1959年
  • 詩集『粘り強く』Mordicus, 1962年

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f Emmanuelle Lequeux (2019年8月16日). “La peintre Kay Sage, une surréaliste solitaire et singulière” (フランス語). Le Monde.fr. https://www.lemonde.fr/festival/article/2019/08/16/la-peintre-kay-sage-une-surrealiste-solitaire-et-singuliere_5500093_4415198.html 2020年3月19日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g Naomi Blumberg; Sonia Chakrabarty. “Kay Sage | American painter and poet” (英語). Encyclopedia Britannica. 2020年3月19日閲覧。
  3. ^ a b 長尾天「ケイ・セージの卵について ―母親との関係から―早稲田大学美術史学会 口頭発表趣旨、2016年。
  4. ^ a b Nina Lübbren (2011). Joan Marter. ed (英語). The Grove Encyclopedia of American Art. Oxford University Press 
  5. ^ Kay Sage” (英語). www.weinstein.com. Weinstein Gallery. 2020年3月19日閲覧。
  6. ^ a b c d Jacqueline Chénieux-Gendron. “Kay Sage” (フランス語). AWARE Women artists / Femmes artistes. 2020年3月19日閲覧。
  7. ^ Kat Buckley (2010年). “Peggy Guggenheim and the Exhibition by 31 Women” (英語). Academia. 2020年3月19日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]