アゼルバイジャンのユーロビジョン・ソング・コンテスト

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アゼルバイジャン
Flag
加盟放送局 İctimai Televiziya (İTV)
出場
出場回数 6
初出場 2008
最高順位 優勝: 2011
最低順位 8位: 2008
外部リンク
Eurovision.az
Eurovision.tvのアゼルバイジャンのページ

アゼルバイジャンのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、アゼルバイジャンにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。アゼルバイジャンではİctimai Televiziya欧州放送連合に加盟した後、2008年大会で初めてユーロビジョン・ソング・コンテストに参加した。İTVは同大会のアゼルバイジャンでの放送を担当する。

アゼルバイジャンでは別の放送局AzTV2007年大会への参加を希望したが、欧州放送連合はAzTVが同連合のメンバーではないことを理由にこれを認めなかった。AzTVはアゼルバイジャン政府と近すぎることを理由に2007年6月18日に欧州放送連合への加盟を拒絶された[1]7月5日İTVが欧州放送連合の正式会員となり[2]10月15日には欧州放送連合での活動が認められた[3]

アゼルバイジャンはザカフカースの国としては最も遅れて大会への初参加を果たした。アルメニア2006年大会から、グルジア2007年大会から参加している。アゼルバイジャンは2008年大会では準決勝を突破して決勝に進み、132ポイントを集めて8位となった。次ぐ2009年大会では、アイセル・テイムルザデアーラシュが楽曲「Always」で参加した。彼らは準決勝を2位で通過し、決勝ではアイスランドに僅差で敗れて3位の好成績を残した。

2011年5月14日、ユーロビジョン・ソング・コンテスト2011のアゼルバイジャン代表、エルダル・ガスモフニガル・ジャマルの楽曲「Running Scared」が優勝し[4][5]ユーロビジョン・ソング・コンテスト2012の主催国となることが決まった。

参加者[編集]

アーティスト 決勝 得点 準決勝 得点
2008 エルヌル・フュセイノフ & サミル・ジャヴァドザデ "Day After Day" 8 132 6 96
2009 アイセル・テイムルザデ & アーラシュ[6][7] "Always" 3 207 2 180
2010 サフラ・アリザデ "Drip Drop" 5 145 2 113
2011 エルダル・ガスモフ & ニガル・ジャマル "Running Scared"[8] 1 221 2 122
2012 サビナ・ババイェヴァ "When the Music Dies" 4 150 X X
2013 ファリド・マンマドフ "Hold Me" 2 234 1 139
2014 ディララ・カズモヴァ "Start a Fire"

投票履歴(2008年 - 2013年)[編集]

アゼルバイジャンから高得点が送られた国々:

順位 得点
1 ウクライナの旗 ウクライナ 57
2 トルコの旗 トルコ 48
3 グルジアの旗 グルジア 32
4 ロシアの旗 ロシア 31
5 ルーマニアの旗 ルーマニア 28

アゼルバイジャンに高得点を送った国々:

順位 得点
1 ウクライナの旗 ウクライナ 64
2 トルコの旗 トルコ 60
3 ロシアの旗 ロシア 59
4 マルタの旗 マルタ 49
5 ベラルーシの旗 ベラルーシ 47

出典:[9]

注: 得点の合計は決勝のときのもののみであり、準決勝のものは含まない。

主催[編集]

場所 会場 司会
2012 アゼルバイジャンの旗 バクー バクー・クリスタル・ホール Leyla Aliyevaエルダル・ガスモフNargiz Birk-Petersen

論争[編集]

2006年、アゼルバイジャンのマスメディアは、ユーロビジョン公式サイトでアルメニア代表のアンドレAndré)の出身地がナゴルノ・カラバフとなっていることを非難した。ナゴルノ・カラバフは法的にはアゼルバイジャンの領土でありながら、アルメニアが実効支配し、アルメニア人による傀儡国家が作られている。また、Andréが生まれた1979年当時は、名実ともにアゼルバイジャン領であった。結果として、ウェブサイトからはアンドレの出身地の情報は削除された[10]

2009年5月12日、2009年大会の準決勝で、アルメニア代表であるInga and Anush Arshakyansの演技の導入部に流されたビデオ・クリップの中で、アルメニア国内の物とともに、ナゴルノ・カラバフにある「我らの山」記念碑が映っていた。アゼルバイジャンのマスメディアの代表者たちは、大会主催者に対してこれを修正するよう求めた。その結果、5月16日の決勝では「我らの山」記念碑が映像から取り除かれた[11]アルメニア公共放送はこれに対する応報として、決勝大会でのアルメニアからの得点をモスクワに伝える際、背景に大きく「我らの山」記念碑を映し出した。また、アルメニアからの得点を発表するシルショが手に持っていたボードにも記念碑の写真がついており、これを何度か見せていた。

2009年大会が終わったあと、ベラルーシのメディアが、ユーロビジョン大会での不正行為の疑いに関する報道をした。その中では、何者かがベラルーシの学生らにカネを払い、アゼルバイジャンへの投票を求めたこと、さらに、10台のバスを使って彼らをベラルーシとリトアニアの国境へと移送したこと、そのコストは合計で55百万ルーブルに上るであろうことが報じられている[12]。彼らは、ベラルーシのSIMカードを使ってベラルーシからアゼルバイジャンに投票し、その後リトアニアのSIMカードを受け取ってリトアニアからアゼルバイジャンに投票した。アゼルバイジャンの楽曲「Always」は、ベラルーシから10点、リトアニアから5点の高得点を受けている。しかし、ベラルーシのアゼルバイジャン人ディアスポラの代表者、ナティク・バギロフ(Natik Baghirov)は、このような動きについて何も知らず、またベラルーシのユーロビジョン審査員であるSyarhei Malinouskiは、ベラルーシからの大挙しての国境越えの事実性について疑問を呈し、「愚かな噂に過ぎない」とした[13][14]

参考文献[編集]

  1. ^ Kuipers, Michael (2007年6月18日). “Azerbaijan not joining after all”. ESCToday. http://esctoday.com/news/read/8853 2007年6月18日閲覧。 
  2. ^ News Eurovision Finland 2007 Новости Евровидения 2007 Финляндия
  3. ^ Eurovision Song Contest | Belgrade (Serbia) 2008 - Articles
  4. ^ “Azerbaijan's Eurovision rebirth”. AFP. (2011年5月16日). http://www.news.com.au/azerbaijans-eurovision-rebirth/story-fn7mjoe2-1226056434332 2011年5月16日閲覧。 
  5. ^ Sperling, Daniel. “Azerbaijan win Eurovision Song Contest 2011”. 2011年5月16日閲覧。
  6. ^ Siim, Jarmo (2009年2月12日). “Azerbaijan to send a duet to Eurovision”. EBU. 2009年2月12日閲覧。
  7. ^ Azerbaijan: Aysel Teymoruzadeh to Moscow”. Oikotimes (2009年1月17日). 2009年1月17日閲覧。
  8. ^ http://www.diggiloo.net/?2011
  9. ^ Points to and from Azerbaijan (2008)”. EurovisionRecords. 2008年2月5日閲覧。
  10. ^ (ロシア語)Abulfaz Garayev: Eurovision Governing Body Fixed Error on Website
  11. ^ (ロシア語) Eurovision 2009 Organisers Prevented Armenian Provocation. Day.az. 17 May 2009
  12. ^ Did Azerbaijan “bribe” Belarus and Lithuania to vote at “Eurovision”? // European Radio for Belarus, by Zmіtser Panyamonau, Hanna Balahovіch. 2009-05-19
  13. ^ Did Azerbaijan “bribe” Belarus and Lithuania to vote at “Eurovision”? // European Radio for Belarus, by Zmіtser Panyamonau, Hanna Balahovіch. 2009-05-19
  14. ^ Азербайджан "подкупал" голосование на "Евровидении" в Беларуси и Литве? Belarussian Partisan, 19.05.2009

外部リンク[編集]