第302飛行隊 (航空自衛隊)
第302飛行隊 | |
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第302飛行隊のF-35A | |
創設 | 1974年10月1日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 航空自衛隊 |
部隊編制単位 | 隊 |
所在地 | 青森県三沢基地 |
編成地 | 北海道千歳基地 |
通称号/略称 | 302SQ |
上級単位 | 第3航空団 |
最終上級単位 | 北部航空方面隊 |
担当地域 | 北部防衛区域 |
第302飛行隊(だい302ひこうたい、JASDF 302nd Tactical Fighter Squadron)は、航空自衛隊北部航空方面隊第3航空団隷下の戦闘機部隊である。三沢基地に所属し、航空自衛隊では初となるF-35Aの運用部隊である。連絡機にT-4を運用している。
概要
[編集]1974年(昭和49年)7月19日に千歳基地で臨時F-4EJ飛行隊が編成され、同年10月1日に「第302飛行隊」へと改編し航空自衛隊2番目のF-4EJ飛行隊として第2航空団隷下に配属された[1]。
千歳基地における第201飛行隊(F-15)の新編と、那覇基地の第207飛行隊(F-104)の解隊に伴い、1985年(昭和60年)11月26日に沖縄県那覇基地へ移駐し、第2航空団から第83航空隊隷下へ編入。1992年(平成 4年)には能力向上改修機(F-4EJ改)の受領が開始され、1995年(平成 7年)には機種更新を完了した。
日本の最北・最南端で長らく防空任務に就いた第302飛行隊は、2009年(平成21年)にF-15を運用する第204飛行隊と入れ換わる形で茨城県百里基地へ移駐し、首都圏の防空任務に従事した。
防衛省は2017年(平成29年)8月31日に公表した「平成30年度概算要求の概要」の中で、第302飛行隊のF-35Aへの機種改編と三沢基地への移駐計画を明らかにした[2]。同年12月1日には三沢基地において臨時F-35A飛行隊が編成されてF-35Aの受け入れ態勢が整えられ[3]、2018年(平成30年)1月26日に1機目のF-35A(89-8706号機)が臨時F-35A飛行隊に配備された[4]。臨時F-35A飛行隊へのF-35A配備は2018年度に12機体制となり、2019年(平成31年)3月19日に百里基地でF-4EJ改がラストフライトし[5]、同年3月26日に三沢基地において部隊新編が完了した[6]。
部隊マークは尾白鷲をモデルにしており、同隊が北海道で発足したことを意味している。羽・尾・脚で「三〇二」を表すようデザインされている。 このマークは航空自衛隊戦闘機部隊の中で一番サイズが大きいことでも有名で、これは「部隊マークは国籍標識(日の丸)より小さいサイズにしなければならない」という現行規定が、制作当時は存在しなかったためといわれている。部隊章はスズランの花をかたどったものに日の丸と運用機種であるF-4のシルエット、「ファントムII」の文字を重ねたデザインである。
臨時F-35A飛行隊では、風神雷神図屏風の雷神をモチーフとしたものになっており、新生第302飛行隊へ引き継がれるものとみられていたが[7]、2020年3月2日に航空自衛隊三沢基地公式ホームページにてオジロワシの描かれたF-35Aの姿が公開された[8]。
沿革
[編集]- 1974年(昭和49年)7月18日 - 千歳基地において臨時F-4EJ飛行隊編成[1]。
- 1975年(昭和50年)9月25日 - 部隊マークを制定。
- 1976年(昭和51年)
- 1985年(昭和60年)11月5日 - 航空総隊射爆撃戦技競技会F-4部門優勝[10]。
- 1987年(昭和62年)12月9日 - 対ソ連軍領空侵犯機警告射撃事件で緊急発進対応。
- 1988年(昭和63年)12月5日 - 航空総隊射爆撃戦技競技会F-4部門優勝[11]。
- 1994年(平成 6年)5月31日 - 航空総隊戦技競技会対戦闘機戦闘(ACM)部門F-4の部優勝[12]。
- 1995年(平成 7年)- F-4EJ改への機種更新を完了。
- 1997年(平成 9年)5月26日 - 航空総隊戦技競技会F-4部門優勝[13]。
- 1998年(平成10年)5月25日 - 航空総隊戦技競技会F-4部門優勝[13]。
- 2001年(平成13年)5月29日 - 航空総隊戦技競技会F-4部門優勝[13]。
- 2004年(平成16年) - 航空総隊戦技競技会F-4部門優勝[13]。
- 2006年(平成18年)10月16日 - 航空総隊戦技競技会F-4部門優勝[13]。
- 2007年(平成19年)10月9日 - 航空総隊戦技競技会F-4部門優勝[13]。
- 2009年(平成21年)3月13日 - 那覇基地から百里基地への移駐を完了[1]。
- 2010年(平成22年)9月10日 - 航空総隊戦技競技会F-4部門優勝[13]。
- 2013年(平成25年)9月25日 - 航空総隊戦技競技会F-4部門優勝[16]。
- 2015年(平成27年)3月7日 - 部隊創隊40周年記念式典を実施[17]。
- 2017年(平成29年)8月31日 - 防衛省が平成30年度概算要求の概要の中で、2018年度に三沢基地への移動とF-35Aへの機種更新を予定していることを発表した[2]。
- 2018年(平成30年)1月26日 - 臨時F-35A飛行隊にF-35A初配備[19]。
- 2019年(平成31年)3月2日 - 百里基地において三沢基地への部隊移動記念式典を実施[20]。
歴代運用機
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g イカロス出版 Jwing No.214 2016年6月号 41頁 「日本の戦闘機部隊2016 保存版!空自の全15個戦闘機部隊ヒストリー」松崎豊一
- ^ a b 三沢基地F-35A飛行隊は「第302飛行隊」に 百里F-4EJ改を整理FlyTeamニュース 2017年8月31日
- ^ 航空自衛隊航空総隊平成29年12月 臨時F-35A飛行隊編成完結式 2018年2月23日閲覧
- ^ イカロス出版 Jwing No.236 2018年4月号 4頁-7頁 「航空自衛隊F-35A 日本初配備!」
- ^ a b c 航空自衛隊百里基地 第302飛行隊ラストフライト 2019年3月27日閲覧
- ^ 時事通信 2019.3.26三沢にF35飛行隊正式発足=最新鋭E2Dも近く配備-防衛省 2019年3月27日閲覧
- ^ イカロス出版 Jwing No.235 2018年3月号 4頁-7頁 「始動!臨時F-35A飛行隊」
- ^ “「オジロワシ」初披露!(令和2年3月2日)”. 防衛省 航空自衛隊 三沢基地 活動状況 令和元年度活動一覧 (2020年3月2日). 2020年12月31日閲覧。
- ^ 訓練中に墜落 自衛隊ファントム機 1人死ぬ襟裳岬沖『朝日新聞』1976年(昭和51年)11月17日夕刊、3版、11面
- ^ 文林堂 航空ファン イラストレイテッド 94-10 No.78 76頁-81頁 「戦競 航空自衛隊戦技競技会の迷彩機(F-104,F-1,F-4EJ,F-15) '85戦競」
- ^ 文林堂 航空ファン イラストレイテッド 94-10 No.78 92頁-99頁 「戦競 航空自衛隊戦技競技会の迷彩機(F-104,F-1,F-4EJ,F-15) '88戦競」
- ^ 文林堂 航空ファン イラストレイテッド 94-10 No.78 2頁-25頁 「戦競 航空自衛隊戦技競技会の迷彩機(F-104,F-1,F-4EJ,F-15) '94戦競」
- ^ a b c d e f g h イカロス出版 JWing No.184 2013年12月号 21頁 「戦競2013 戦競、偉大なるその軌跡」松崎豊一
- ^ イカロス出版 JWing No.5 1999年1月号 120頁 「行くぞ!NEWSマン 自衛隊NEWS」
- ^ イカロス出版 Jwing No.133 2009年9月号 131頁 「行くぞ!NEWSマン 自衛隊NEWS」
- ^ イカロス出版 JWing No.184 2013年12月号 16頁-17頁 「戦競2013 F-4部門」
- ^ イカロス出版 Jwing No.201 2015年5月号 10頁-13頁 「第302飛行隊創隊40周年記念行事」鈴木利治
- ^ イカロス出版 Jwing No.235 2018年3月号 4頁-7頁 「始動! 臨時F-35A飛行隊」
- ^ 航空自衛隊ニュースリリース 2018.1.26 F-35A三沢基地配備について 2018年1月31日閲覧
- ^ イカロス出版 Jwing No.249 2019年5月号 4頁-5頁 「第302飛行隊部隊移動記念式典」小久保陽一
- ^ 航空自衛隊三沢基地 第302飛行隊新編行事 2019年3月27日閲覧
- ^ 自衛隊F35A戦闘機 レーダーから機影消え連絡途絶 青森沖NHK、2019年4月9日
- ^ “パイロットの遺体の一部を発見 F35A墜落周辺海域で:朝日新聞デジタ**ル”. www.asahi.com. 2019年9月8日閲覧。
- ^ イカロス出版 Jwing No.254 2019年10月号 12頁-13頁 「空自F-35A飛行再開!」坪田敦史