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|全豪オープン=4回戦(1990) |
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'''アンドレス・ゴメス'''('''Andrés Gómez''', [[1960年]][[2月27日]] - )は、[[エクアドル]]・[[グアヤキル]]出身の元男子プロ[[テニス]]選手。[[1990年]]の[[全仏オープン]]男子シングルス優勝者で、当地が生んだ最大のスポーツ選手として知られる。ダブルスでも[[1986年]]の[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]と[[1988年]]の[[全仏オープン]]で、[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]男子ダブルス2勝がある。左利き。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス1位。[[男子プロテニス協会|ATP]]ツアーでシングルス21勝、ダブルス33勝を挙げた。オールラウンド・プレーヤーで、重厚なサービスや鋭いボレー、きびきびしたスピン・ボールを駆使するスタイルのテニスを得意とした。 |
'''アンドレス・ゴメス'''('''Andrés Gómez''', [[1960年]][[2月27日]] - )は、[[エクアドル]]・[[グアヤキル]]出身の元男子プロ[[テニス]]選手。[[1990年]]の[[全仏オープン]]男子シングルス優勝者で、当地が生んだ最大のスポーツ選手として知られる。ダブルスでも[[1986年]]の[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]と[[1988年]]の[[全仏オープン]]で、[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]男子ダブルス2勝がある。左利き。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス1位。[[男子プロテニス協会|ATP]]ツアーでシングルス21勝、ダブルス33勝を挙げた。オールラウンド・プレーヤーで、重厚なサービスや鋭いボレー、きびきびしたスピン・ボールを駆使するスタイルのテニスを得意とした。 |
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== 来歴 == |
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ゴメスは[[1978年]]から男子テニス国別対抗戦・[[デビスカップ]]の[[エクアドル]]代表選手になり、翌[[1979年]]にプロ入りした。プロ入りの翌年から、ゴメスはダブルスで優れた力量を発揮し始め、[[1980年]]にダブルスで年間4勝を獲得する。[[1981年]]は9月の[[フランス]]・[[ボルドー]]大会でシングルス初優勝を果たし、ダブルスで年間7勝を記録したが、当時彼がよくパートナーを組んでいた選手は、[[チリ]]の[[ハンス・ギルデマイスター]]であった。[[1984年]]にゴメスはシングルスでも著しい躍進を見せ、男子ツアー大会のシングルスで年間5勝を挙げ、[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]でも[[1984年全仏オープン |
ゴメスは[[1978年]]から男子テニス国別対抗戦・[[デビスカップ]]の[[エクアドル]]代表選手になり、翌[[1979年]]にプロ入りした。プロ入りの翌年から、ゴメスはダブルスで優れた力量を発揮し始め、[[1980年]]にダブルスで年間4勝を獲得する。[[1981年]]は9月の[[フランス]]・[[ボルドー]]大会でシングルス初優勝を果たし、ダブルスで年間7勝を記録したが、当時彼がよくパートナーを組んでいた選手は、[[チリ]]の[[ハンス・ギルデマイスター]]であった。[[1984年]]にゴメスはシングルスでも著しい躍進を見せ、男子ツアー大会のシングルスで年間5勝を挙げ、[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]でも[[1984年全仏オープン|全仏オープン]]・[[1984年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]・[[1984年全米オープン (テニス)|全米オープン]]の3大会連続でベスト8に入り、世界ランキングを5位に上げた。[[1986年]]の[[1986年全米オープン (テニス)|全米オープン]]男子ダブルスで、ゴメスは[[スロボダン・ジボイノビッチ]](当時[[ユーゴスラビア]])とペアを組み、決勝で[[スウェーデン]]ペアの[[マッツ・ビランデル]]&[[ヨアキム・ニーストロム]]組を 4-6, 6-3, 6-3, 4-6, 6-3 のフルセットで破って初優勝を飾った。[[1986年]]はシングルスで年間4勝、ダブルスで全米オープンを含む7勝を挙げている。 |
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[[1988年]]、ゴメスは[[1988年全仏オープン |
[[1988年]]、ゴメスは[[1988年全仏オープン|全仏オープン]]ダブルスで[[エミリオ・サンチェス]]([[スペイン]]、[[アランチャ・サンチェス・ビカリオ]]の長兄)とペアを組み、2度目の4大大会男子ダブルス優勝を果たした。ゴメスとサンチェスは、決勝で[[ジョン・フィッツジェラルド (テニス選手)|ジョン・フィッツジェラルド]]([[オーストラリア]])&[[アンダース・ヤリード]]([[スウェーデン]])組を 6-3, 6-7, 6-4, 6-3 で破っている。この年は[[日本]]の「[[セイコー・スーパー・テニス]]」でのダブルス優勝もあり、パートナーは2年前の全米オープンと同じ[[スロボダン・ジボイノビッチ]]と組んだ。しかし、この頃のゴメスは単複とも好成績が少なかった。 |
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30歳を迎えた[[1990年]]の[[1990年全仏オープン |
30歳を迎えた[[1990年]]の[[1990年全仏オープン|全仏オープン]]で、アンドレス・ゴメスにテニス経歴最大のハイライトが訪れる。第4シードから勝ち進んだゴメスは、初進出の決勝戦で若き[[アンドレ・アガシ]]と顔を合わせた。南米のベテランと20歳のアメリカの若者の激突は、6-3, 2-6, 6-4, 6-4 でゴメスが制した。こうしてゴメスは、[[エクアドル]]出身のテニス選手として最初の4大大会シングルス優勝者になった。初優勝時の年齢「30歳3ヶ月」は、全仏オープンの男子シングルスでは4番目の年長記録となった。(アガシはここからしばらく準優勝が続き、苦しい時期を迎える。)しかし、その後[[1990年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]と[[1990年全米オープン (テニス)|全米オープン]]で2大会連続初戦敗退に終わる。[[1991年]]にはトーナメント出場が激減し、大会前年優勝者としての[[1991年全仏オープン|全仏オープン]]にも参加できなかった。 |
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ゴメスは[[1993年]]に現役を引退した後も、[[デビスカップ]]には長く参加を続け、親類関係にある[[ニコラス・ラペンティ]]とのダブルス戦に出場した。現在はコーチとして後進の育成に携わっている。 |
ゴメスは[[1993年]]に現役を引退した後も、[[デビスカップ]]には長く参加を続け、親類関係にある[[ニコラス・ラペンティ]]とのダブルス戦に出場した。現在はコーチとして後進の育成に携わっている。 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [http://www.daviscup.com/en/players/player/profile.aspx?playerid=10000531 デビスカップ成績表] |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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* [[バド・コリンズ|Bud Collins]], “''Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia''” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3 |
* [[バド・コリンズ|Bud Collins]], “''Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia''” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3 |
2011年12月5日 (月) 04:04時点における版
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基本情報 | ||||
愛称 | ゴゴ (Gogo) | |||
国籍 | エクアドル | |||
出身地 | 同・グアヤキル | |||
生年月日 | 1960年2月27日(64歳) | |||
身長 | 193cm | |||
体重 | 84kg | |||
利き手 | 左 | |||
バックハンド | 片手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1979年 | |||
引退年 | 1993年 | |||
ツアー通算 | 54勝 | |||
シングルス | 523勝267敗 | |||
ダブルス | 369勝194敗 | |||
生涯通算成績 | 892勝461敗 | |||
シングルス | 21勝 | |||
ダブルス | 33勝 | |||
生涯獲得賞金 | 4,385,130 アメリカ合衆国ドル | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 4回戦(1990) | |||
全仏 | 優勝(1990) | |||
全英 | ベスト8(1984) | |||
全米 | ベスト8(1984) | |||
優勝回数 | 1(仏1) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 2回戦(1992) | |||
全仏 | 優勝(1988) | |||
全英 | ベスト4(1987) | |||
全米 | 優勝(1986) | |||
優勝回数 | 2(仏1・米1) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 4位 | |||
ダブルス | 1位 | |||
アンドレス・ゴメス(Andrés Gómez, 1960年2月27日 - )は、エクアドル・グアヤキル出身の元男子プロテニス選手。1990年の全仏オープン男子シングルス優勝者で、当地が生んだ最大のスポーツ選手として知られる。ダブルスでも1986年の全米オープンと1988年の全仏オープンで、4大大会男子ダブルス2勝がある。左利き。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス1位。ATPツアーでシングルス21勝、ダブルス33勝を挙げた。オールラウンド・プレーヤーで、重厚なサービスや鋭いボレー、きびきびしたスピン・ボールを駆使するスタイルのテニスを得意とした。
来歴
ゴメスは1978年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのエクアドル代表選手になり、翌1979年にプロ入りした。プロ入りの翌年から、ゴメスはダブルスで優れた力量を発揮し始め、1980年にダブルスで年間4勝を獲得する。1981年は9月のフランス・ボルドー大会でシングルス初優勝を果たし、ダブルスで年間7勝を記録したが、当時彼がよくパートナーを組んでいた選手は、チリのハンス・ギルデマイスターであった。1984年にゴメスはシングルスでも著しい躍進を見せ、男子ツアー大会のシングルスで年間5勝を挙げ、4大大会でも全仏オープン・ウィンブルドン・全米オープンの3大会連続でベスト8に入り、世界ランキングを5位に上げた。1986年の全米オープン男子ダブルスで、ゴメスはスロボダン・ジボイノビッチ(当時ユーゴスラビア)とペアを組み、決勝でスウェーデンペアのマッツ・ビランデル&ヨアキム・ニーストロム組を 4-6, 6-3, 6-3, 4-6, 6-3 のフルセットで破って初優勝を飾った。1986年はシングルスで年間4勝、ダブルスで全米オープンを含む7勝を挙げている。
1988年、ゴメスは全仏オープンダブルスでエミリオ・サンチェス(スペイン、アランチャ・サンチェス・ビカリオの長兄)とペアを組み、2度目の4大大会男子ダブルス優勝を果たした。ゴメスとサンチェスは、決勝でジョン・フィッツジェラルド(オーストラリア)&アンダース・ヤリード(スウェーデン)組を 6-3, 6-7, 6-4, 6-3 で破っている。この年は日本の「セイコー・スーパー・テニス」でのダブルス優勝もあり、パートナーは2年前の全米オープンと同じスロボダン・ジボイノビッチと組んだ。しかし、この頃のゴメスは単複とも好成績が少なかった。
30歳を迎えた1990年の全仏オープンで、アンドレス・ゴメスにテニス経歴最大のハイライトが訪れる。第4シードから勝ち進んだゴメスは、初進出の決勝戦で若きアンドレ・アガシと顔を合わせた。南米のベテランと20歳のアメリカの若者の激突は、6-3, 2-6, 6-4, 6-4 でゴメスが制した。こうしてゴメスは、エクアドル出身のテニス選手として最初の4大大会シングルス優勝者になった。初優勝時の年齢「30歳3ヶ月」は、全仏オープンの男子シングルスでは4番目の年長記録となった。(アガシはここからしばらく準優勝が続き、苦しい時期を迎える。)しかし、その後ウィンブルドンと全米オープンで2大会連続初戦敗退に終わる。1991年にはトーナメント出場が激減し、大会前年優勝者としての全仏オープンにも参加できなかった。
ゴメスは1993年に現役を引退した後も、デビスカップには長く参加を続け、親類関係にあるニコラス・ラペンティとのダブルス戦に出場した。現在はコーチとして後進の育成に携わっている。
外部リンク
参考文献
- Bud Collins, “Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3