1991年全仏オープン

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1991年 全仏オープン(Internationaux de France de Roland-Garros 1991)は、フランスパリにある「スタッド・ローラン・ギャロス」にて、1991年5月27日から6月9日にかけて開催された。

シード選手[編集]

男子シングルス[編集]

  1. スウェーデンの旗 ステファン・エドベリ (4回戦)
  2. ドイツの旗 ボリス・ベッカー (ベスト4)
  3.  (大会開始前に棄権)
  4. アメリカ合衆国の旗 アンドレ・アガシ (準優勝)
  5. スペインの旗 セルジ・ブルゲラ (2回戦)
  6. アメリカ合衆国の旗 ピート・サンプラス (2回戦)
  7. フランスの旗 ギー・フォルジェ (4回戦、途中棄権)
  8. ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ゴラン・イワニセビッチ (2回戦)
  9. アメリカ合衆国の旗 ジム・クーリエ (初優勝)
  10. アメリカ合衆国の旗 マイケル・チャン (ベスト8)
  11. スペインの旗 エミリオ・サンチェス (2回戦)
  12. ドイツの旗 ミヒャエル・シュティヒ (ベスト4)
  13.  (大会開始前に棄権)
  14. チェコスロバキアの旗 カレル・ノバチェク (1回戦)
  15. アメリカ合衆国の旗 ジョン・マッケンロー (1回戦)
  16. アメリカ合衆国の旗 ブラッド・ギルバート (1回戦)

女子シングルス[編集]

  1. ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 モニカ・セレシュ (優勝、大会2連覇)
  2. ドイツの旗 シュテフィ・グラフ (ベスト4)
  3. アルゼンチンの旗 ガブリエラ・サバティーニ (ベスト4)
  4. アメリカ合衆国の旗 メアリー・ジョー・フェルナンデス (ベスト8)
  5. スペインの旗 アランチャ・サンチェス・ビカリオ (準優勝)
  6. チェコスロバキアの旗 ヤナ・ノボトナ (ベスト8)
  7. スペインの旗 コンチタ・マルチネス (ベスト8)
  8. アメリカ合衆国の旗 ジーナ・ガリソン (1回戦)
  9. スイスの旗 マニュエラ・マレーバ・フラニエール (2回戦)
  10. アメリカ合衆国の旗 ジェニファー・カプリアティ (4回戦)
  11. ブルガリアの旗 カテリナ・マレーバ (3回戦)
  12. チェコスロバキアの旗 ヘレナ・スコバ (2回戦)
  13. フランスの旗 ナタリー・トージア (ベスト8)
  14. ソビエト連邦の旗 レイラ・メスヒ (4回戦)
  15. ソビエト連邦の旗 ナターシャ・ズベレワ (2回戦)
  16. ドイツの旗 アンケ・フーバー (3回戦)

大会経過[編集]

男子シングルス[編集]

準々決勝

準決勝

女子シングルス[編集]

準々決勝

準決勝

決勝戦の結果[編集]

みどころ[編集]

  • 3月11日に「17歳3ヶ月」で(当時の)史上最年少世界ランキング1位になったモニカ・セレシュが、全豪オープンに続く4大大会2連勝と、全仏オープンで前年に続く大会2連覇を達成した。男子シングルスではジム・クーリエが4大大会初優勝を果たし、準優勝者のアンドレ・アガシは2年連続の全仏準優勝に終わった。
  • 女子シングルス1回戦で、日本沢松奈生子が第8シードのジーナ・ガリソンを 6-4, 6-0 で破る金星を挙げた。沢松はその勢いに乗って4回戦まで勝ち進んだが、第13シードのナタリー・トージアに 5-7, 6-2, 10-12 の激戦で惜敗した。沢松の全仏オープンは、この大会のベスト16進出が自己最高成績であるが、彼女の世界的な活躍はここから始まった。
  • 注意点:1991年ソ連崩壊の年であり、ユーゴスラビアでも紛争のためクロアチアなどの独立国家が誕生した。「シード選手」の一覧において、旧ソ連出身選手や旧ユーゴスラビア出身選手の国籍表示は注意を要する。

外部リンク[編集]

先代:
1991年全豪オープン
テニス4大大会
1991年
次代:
1991年ウィンブルドン選手権
先代:
1990年全仏オープン
全仏オープン
1991年
次代:
1992年全仏オープン