1981年全仏オープン

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1981年 全仏オープン(1981ねんぜんふつオープン、Internationaux de France de Roland-Garros 1981)は、フランスパリにある「ローランギャロス・スタジアム」にて、1981年5月25日から6月7日にかけて開催された。

大会の流れ[編集]

  • 男子シングルスは「128名」の選手による通常の7回戦制で行われた。
  • 女子シングルスは「96名」の選手による7回戦制で行われ、32名の選手は「1回戦不戦勝」(抽選表では“Bye”と表示)があった。シード選手でも、1回戦から出場した人と、2回戦から登場した人がいる。2回戦から登場した選手が初戦敗退の場合は「2回戦=初戦」と表記する。

シード選手[編集]

男子シングルス[編集]

  1. スウェーデンの旗 ビョルン・ボルグ (優勝、4年連続6度目)
  2. アメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズ (ベスト8)
  3. アメリカ合衆国の旗 ジョン・マッケンロー (ベスト8)
  4. アメリカ合衆国の旗 ジーン・マイヤー (4回戦、途中棄権)
  5. チェコスロバキアの旗 イワン・レンドル (準優勝)
  6. アルゼンチンの旗 ギレルモ・ビラス (4回戦)
  7. アルゼンチンの旗 ホセ・ルイス・クラーク (ベスト4)
  8. アメリカ合衆国の旗 ハロルド・ソロモン (1回戦)
  9. アメリカ合衆国の旗 ビタス・ゲルレイティス (1回戦)
  10. アメリカ合衆国の旗 エリオット・テルチャー (1回戦)
  11. フランスの旗 ヤニック・ノア (ベスト8)
  12. アメリカ合衆国の旗 ブライアン・ゴットフリート (3回戦)
  13. オーストラリアの旗 ピーター・マクナマラ (4回戦)
  14. ポーランドの旗 ヴォイチェフ・フィバク (4回戦)
  15. ハンガリーの旗 バラージュ・タロツィ (ベスト8)
  16. アメリカ合衆国の旗 エディ・ディッブス (3回戦)

女子シングルス[編集]

  1. アメリカ合衆国の旗 クリス・エバート・ロイド (ベスト4)
  2. チェコスロバキアの旗 マルチナ・ナブラチロワ (ベスト8) [注:7月20日にアメリカ市民権を取得]
  3. アメリカ合衆国の旗 アンドレア・イエガー (ベスト4)
  4. チェコスロバキアの旗 ハナ・マンドリコワ (初優勝)
  5. ルーマニアの旗 バージニア・ルジッチ (ベスト8)
  6. 西ドイツの旗 シルビア・ハニカ (準優勝)
  7. ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ミマ・ヤウソベッツ (ベスト8)
  8. オーストラリアの旗 ダイアン・フロムホルツ (3回戦)
  9. アメリカ合衆国の旗 キャシー・ジョーダン (3回戦)
  10. 西ドイツの旗 ベッティーナ・バンジ (4回戦)
  11. アメリカ合衆国の旗 アン・スミス (4回戦)
  12. チェコスロバキアの旗 レジナ・マルシコワ (4回戦)
  13. アメリカ合衆国の旗 ウェンディ・ホワイト (2回戦)
  14. アルゼンチンの旗 イバンナ・マドルガ (3回戦)
  15. アメリカ合衆国の旗 レスリー・アレン (4回戦)
  16. イギリスの旗 バージニア・ウェード (4回戦)

大会経過[編集]

男子シングルス[編集]

準々決勝

準決勝

女子シングルス[編集]

準々決勝

準決勝

決勝戦の結果[編集]

みどころ[編集]

  • 男子シングルス優勝者のビョルン・ボルグが、全仏オープンで前人未到の「大会4連覇」と「通算6勝」をマークした。ボルグはこの優勝により、ロッド・レーバーオーストラリア)と並ぶ4大大会通算「11勝」(当時の男子歴代2位タイ記録)に到達したが、これがボルグの最後の4大大会優勝になった。
  • 混合ダブルス優勝ペアのジミー・アリアスアンドレア・イエガー組(ともにアメリカ)は、テニスのギネスブックにも「史上最年少のグランドスラム優勝ペア」として記載されている。当時アリアスは16歳296日、イエガーは15歳339日で、2人の年齢を合わせると「32歳270日」となる。(参照:ランス・ティンゲイ著『テニス・ギネスブック』/英語、1983年刊、ISBN 0-85112-268-X より242ページ)

外部リンク[編集]

先代
1980年全豪オープン
テニス4大大会
1980年 - 1981年
次代
1981年ウィンブルドン選手権
先代
1980年全仏オープン
全仏オープン
1981年
次代
1982年全仏オープン