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2011年8月23日 (火) 20:34時点における版

国際連合本部ビル
情報
用途 国際連合の本部(事務及び総会に使用)
設計者 オスカー・ニーマイヤー
階数 39階[1]
高さ 153.9メートル[1]
着工 1947年[1]
竣工 1952年[1]
所在地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン
座標 北緯40度44分58秒 西経73度58分5秒 / 北緯40.74944度 西経73.96806度 / 40.74944; -73.96806
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ニューヨークイースト川から眺める国際連合本部ビル。左の高い建物が事務局ビル、右の低い建物が総会ビル。

国際連合本部ビル(こくさいれんごうほんぶビル、英語: United Nations Headquarters)は、アメリカ合衆国ニューヨークにある国際連合の本部が入っているビルである。

マンハッタンの東辺にあり、西は1番街、東はイースト川、北は東48番ストリート、南は東42番ストリートに囲まれている。

主に、地上39階・地下3階建ての事務局ビルのほか、総会会議場、理事会会議場、図書館から成る。

立地

国際連合は1945年10月24日に発足したが、アメリカ合衆国議会は、同年12月10日、国連本部を同国に誘致することを全会一致で決めた。その他の加盟国も誘致活動を行ったが、1946年2月10日から同月14日にかけてロンドンで行われた第1回国連総会(第1部)は、2月14日の決議 (A/RES/25 (I)) で、国連本部はニューヨーク近郊の「ニューヨーク州ウエストチェスター郡 (ニューヨーク州) 及び/又はコネチカット州フェアフィールド郡に置かれるものとする」とした[2]。もっとも、フランスイギリスオランダは、国連本部をアメリカに置くことに反対していた[3]

1946年後半、国連の立地選定のための特別委員会がフィラデルフィアボストンサンフランシスコなどの候補地を視察したが、第1候補地はニューヨークの北方とされた。もっとも、当初は人口密度の高いマンハッタンは考慮されていなかった[4]。ところが、ジョン・ロックフェラー2世が同年12月になって現在の場所の購入費用850万ドルの提供を申し出たことにより、同月14日、ニューヨーククイーンズ区フラッシングで開かれていた第1回国連総会(第2部)で、前の決議を変更して、同土地を国連本部の場所とすることが決議された (A/RES/100 (I))[5]

建設

国際連合は、本部ビルの建設に当たって、コンペを実施するのではなく、各国の一流の建築家を集めて共同チームを結成することとした。アメリカの建築家ウォーレス・ハリソン英語版が計画責任者に指名され、加盟国の推薦により設計委員会が選定された。設計委員会のメンバーは、N.D. Bassov(ソビエト連邦)、Gaston Brunfaut(ベルギー)、Ernest Cormier(カナダ)、ル・コルビュジエフランス)、梁思成中華民国)、スヴェン・マルケリウススウェーデン)、オスカー・ニーマイヤーブラジル)、ハワード・ロバートソン(イギリス)、G. A. Soilleux(オーストラリア)、Julio Villamajo(ウルグアイ)であった[4]

ファイル:OscarSketch.jpg
ニーマイヤーが提案したデザイン。

ハリソンと設計委員会のメンバーは、1947年からロックフェラー・センターのオフィスで設計作業を開始し、約50の基本デザインを作成、検討した。敷地は比較的手狭であったので、事務局ビルを高層化する必要があったが、これを42番ストリート沿いの公共交通機関からのアクセスを考慮して敷地南側に配置した。なお、南北に長い向きとなったのは、見栄えの配慮もあるが、東西に長くすると敷地全体への日照を妨げるためでもあった。ニューヨークの建築法規に法的に拘束されてはいなかったが、消防基準など、基本的にはニューヨークの条例に従った設計となっている。当初の建築予算は約8500万ドルであったが、トリグブ・リー事務総長の指示により、2000万ドル予算をカットすることとなり、事務局ビルは45階建てから39階建てとし、会議室スペースも減らし、図書館には既存の建物を利用することとした[4]。こうして、1947年11月20日、総会で、予算6500万ドルの国連本部建設計画が承認され、その資金全額につきアメリカ合衆国政府から無利息で貸付けを受けることとなった[6]

それから、予定地の居住者の立退き、建物の取壊しなどが始まった。1949年1月、ニューヨークの4大建設業者の合弁事業との間で建設請負契約が交わされ、同年10月24日国連デー)、アメリカ合衆国大統領立会いのもと、トリグブ・リー事務総長による定礎式が行われた。礎石には、「国際連合」の名称が当時の5公用語(中国語英語フランス語スペイン語ロシア語)で、また日付がローマ数字で刻まれ、金属製の定礎箱には国際連合憲章世界人権宣言等の文書が入れられて事務総長と計画責任者ハリソンによって封印がされ、国連本部の敷地の南端、図書館ビルの東側の地下に据えられた。1950年8月21日、事務局職員がオフィスに入居した[4]。全ての建物が完成したのは、1952年であった[7]

その後、1961年ダグ・ハマーショルド図書館が完成した。また、加盟国の増加により、内装も変更が必要となった。発足当初は70か国までの増加を想定していたところ、1955年にはこれを超えてしまい、1964年、300万ドルをかけた改装で、会議場スペースを拡張するとともに126か国まで対応可能なスペースを作った。1976年には、1500万ドルをかけて、総会議場その他の会議場を拡張する改装が総会で承認され、1980年9月に完成した。1981年6月には、総会議場の北側に広がる芝地の地下に文書複写センターが工費2560万ドルをかけて建設され、翌年には、事務局ビルの南東側、イースト川を見下ろす場所に、カフェテリア、会議室等を設けた2階建ての建物が870万ドルをかけて建設された[4]

構成

総会議場ビル

総会議場。ホール両脇の抽象壁画は、フランスの芸術家フェルナン・レゲールによってデザインされ、国連協会を通じて寄贈されたものである[8]

総会議場の建物は、敷地のほぼ中央に位置し、縦380フィート(約116メートル)、横160フィート(約49メートル)で、側面が凹面状になっている。屋根には内部に明かりを取り入れる浅い円形ドームがある。議場ホールは奥行き165フィート(約50メートル)、幅115フィート(約35メートル)、天井までの高さ75フィート(約23メートル)で、2階から4階にかけてを占めている。議場にには1321席が設けられ、各加盟国に6席ずつ(代表者3名及びその後ろに補助者3名)与えて、192の全加盟国の代表団を収容できる。3階には、代表団補助者、専門機関の代表者、その他の上級職員のために244席が用意され、その上のバルコニーには記者席53席と一般傍聴席280席が設けられている。以上の1898席全てにイヤフォンがあり、議場での発言またはその同時通訳(アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語の6公用語)を聞くことができる。通訳人はホールを見下ろすガラスのブースに座っている。演壇の後方には、各国の投票結果を示す巨大なパネルが置かれており、各国代表団は座席の緑、赤、黄色のボタンを押すことによって賛成、反対、棄権の投票をすることができる。ここで初めて国連総会が開かれたのは、1952年10月14日からの第7回通常会期であった。下の二つの階には、代表団用623席、プレス用44席、一般傍聴者用166席を有する会議場がある。また、一般来客が利用できる公共スペースには、国連ブックショップ、国連切手の販売カウンター、ギフトセンター、土産物店、コーヒーショップなどが入っている[4]

理事会議場ビル

理事会議場の建物は、総会議場および事務局ビルの東側に位置し、イースト川沿いを走る高速道路(フランクリン・D・ルーズベルト・イースト・リバー・ドライブ)の上にカンチレバー構造で張り出している。理事会議場ビルを介して、総会議場ビルと事務局ビルがつながっている。

2階と3階に、安全保障理事会信託統治理事会経済社会理事会の三つの議場が設けられ、それぞれ幅72フィート(約22メートル)、奥行き135フィート(約41メートル)、高さ24フィート(約7.3メートル)である。最上階(4階)にはダイニングルーム、スタッフ用のカフェなどがある。

安全保障理事会の議場はノルウェーのアーンシュタイン・アーネベルグ英語版が設計したもので、一般傍聴席164席とプレス用118席が設けられている。その隣にある信託統治理事会の議場はデンマークのフィン・ユールが設計したもので、一般傍聴席164席とプレス用30席を備える。この部屋は総会の主要委員会によっても使われている。経済社会理事会は、信託統治理事会議場と代表団北ラウンジとの間にあり、スウェーデンのスヴェン・マルケリウスの設計によるもので、1973年の理事国倍増に伴い1974年改装された。一般傍聴席336席とプレス用40席を備える。2階には、経済社会理事会議場の北隣に代表団用ラウンジがあり、安全保障理事会議場の南隣にも小さいラウンジがある。下の階には、三つの大会議室(それぞれ幅72フィート、奥行き135フィート、高さ18フィート)があり、第1・第2会議室は代表団用498席、プレス用36席、一般傍聴席144席が、また第3会議室は代表団用548席、プレス用48席、一般傍聴席180席がある[4]

図書館

図書館ビル。

ダグ・ハマーショルド図書館は、敷地の南西隅にあり、事務局ビルとつながっている。1961年9月17日に職務遂行中に飛行機事故で死亡したダグ・ハマーショルド事務総長を記念して、同年11月16日に彼の名前を冠して完成した。建設資金については、フォード財団から660万ドルの贈与を受けた。ウォーレス・ハリソンの会社Abramovitz and Harrisが設計を担当し、219フィート(約67メートル)×84フィート(約26メートル)、地上3階・地下3階建てである。

図書館にはおよそ40万巻の書籍のほか、数百万点の国連文書が収蔵されている。地図部門には、8万点以上の地図と1500冊の地図帳がある。定期刊行物書庫には1万点以上の政府公式刊行物と4000点以上の非公式定期刊行物を置いている。そのほか、330紙以上の日刊紙と225点以上の加盟国の官報が置かれている。

屋外

日本から寄贈された平和の鐘。

国連本部の西側正面には、500フィート(約152メートル)以上にわたって192加盟国の国旗が並んでいる。英語表記のアルファベット順に並んでおり、48番ストリートのアフガニスタンに始まり、42番ストリートのジンバブエまで続いている[9]。事務局ビルの西側、総会議場ビルと図書館に囲まれた広場には、アメリカの子供たちからの寄付5万ドルで造られた噴水池がある。1964年、ハマーショルド事務総長を記念したブロンズ彫刻が噴水池の端に建てられた。この抽象彫刻はイギリスの芸術家バーバラ・ヘップワースによる「シングル・フォーム」という題名の作品である。また、事務局ビルの北側広場には、ヘンリー・ムーア作の「リクライニング・フィギュア:ハンド」というタイトルのブロンズ彫刻が置かれている[4]

理事会議場ビルの西側、事務局ビルと総会議場ビルに挟まれたスペースには、日本国際連合協会から寄贈された平和の鐘が置かれている。これは、60か国の子供たちが集めた硬貨から鋳造されたもので、神社を模した糸杉製の日本風建築物に納められている。年に2回、春分の日と9月の総会開幕日にこの鐘を鳴らすのが慣例である[10]

敷地内の庭園にはバラ、サクラ、ピンオーク英語版アメリカサイカチ英語版カエデバスズカケノキスイセンサンザシモミジバフウプラタナスなど、数々の樹木や花々が植えられており、緑が広がっている[4]

法的地位

敷地は国際連合が所有しており、国際連合の特権及び免除に関する条約(国連特権免除条約)により、国連の構内は不可侵とされており(2条3項)、アメリカ合衆国の官吏は、国際連合事務総長の同意がなければ立ち入ることができない。ただし、同国との合意により、同国の法による逮捕を免れようとしている者、同国政府により他国への送還が要請されている者、また法的手続の執行を免れようとしている者の避難場所として使用されないようすることとなっている。構内には、独自の消防隊、治安部隊、郵便局国連切手を発行)が備えられている[4]

利用者

国際連合ビルの利用者は、大きく四つに分けられる。一つは、加盟国(現192か国)からの代表団であり、国連総会には毎年5000人以上の外交官等が送られる。次に事務局職員であり、世界の約7500人のうち約4900人がニューヨークで働いている。第3に訪問客は年平均70万人、そして最後にジャーナリストであり、常駐しているのは3600強、主要な会議の際には1万人以上が訪れる[4]

脚注

  1. ^ a b c d United Nations Secretariat Building”. Skyscraper Source Media. 2011年4月15日閲覧。
  2. ^ 25 (I) Question of the Headquarters of the United Nations” (PDF). United Nations. 2011年4月24日閲覧。
  3. ^ BBC On This Day - 1945: United Nations Organisation is born”. BBC (1945年10月24日). 2011年4月19日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k The Story of United Nations Headquarters”. United Nations (2006年). 2011年4月23日閲覧。
  5. ^ 100 (I) Headquarters of the United Nations” (PDF). United Nations. 2011年4月24日閲覧。
  6. ^ 182 (II) Headquarters of the United Nations” (PDF). United Nations (1947年11月20日). 2011年4月25日閲覧。
  7. ^ United Nations HQ”. A View on Cities. 2011年4月27日閲覧。
  8. ^ 国連総会”. 国際連合広報センター (2001年). 2011年4月29日閲覧。
  9. ^ 国々の旗”. 国際連合広報センター (2001年). 2011年4月29日閲覧。
  10. ^ http://www.unic.or.jp/untour/subjap.htm” (2001年). 2011年4月29日閲覧。

関連項目

座標: 北緯40度44分58秒 西経73度58分5秒 / 北緯40.74944度 西経73.96806度 / 40.74944; -73.96806 Template:Link GA