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* [http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/Oasis/ 公式サイト(日本語)] |
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* [http://www.myspace.com/oasis オアシスの公式Myspaceプロファイル] |
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* [http://www.rockpoplyrics.com/oasis.php 歌詞] |
* [http://www.rockpoplyrics.com/oasis.php オアシス歌詞] |
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* [http://chimeraweb.neonet.jp/oasis/ WHO FEELS OASIS?] |
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* [http://www.stopcryingyourheartout.com/ Stop Crying Your Heart Out] |
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2007年8月14日 (火) 04:43時点における版
オアシス (OASIS) | |
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オアシス(右が兄のノエル、左が弟のリアム 2005年撮影) | |
基本情報 | |
出身地 | イングランド マンチェスター |
活動期間 | 1992年~現在 |
ジャンル |
ロック ポップス |
レーベル |
クリエイション SME |
メンバー | |
リアム・ギャラガー ノエル・ギャラガー ゲム・アーチャー アンディ・ベル ザック・スターキー(サポート) | |
旧メンバー | |
ポール”ボーンヘッド”アーサーズ ポール”ギグジー”マクギーガン トニー・マッキャロル アラン・ホワイト | |
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オアシス (OASIS) はイングランド・マンチェスター出身のロックバンド。1992年に結成。英語での正しい読み方は「オウェイスィス」である。
ブリットポップ・ムーヴメントの代表格であり、数々の楽曲をチャートの1位に送り込む、英国を代表するロックバンド。美しく壮大なメロディーはムーブメント終焉後も人気が高い。 バンドの核となるギャラガー兄弟は、ビートルズを溺愛しており、ビートルズの『アイ・アム・ザ・ウォルラス』や『ヘルター・スケルター』などを時折演奏したり、歌詞の中にビートルズのソングタイトル(トゥモロー・ネバー・ノウズなど)があったり自身の曲にもその影響が色濃く表れている。
また、ドラッグや暴力沙汰などのロックではおなじみのスキャンダルとともに、彼らの発言もまたスキャンダラスなものが多く非難の声が上がることも多い。 代表的なところでは同じ英国のロックバンド、ブラーとのいさかいがあり、これは当時のイギリスの音楽ファンを二分するほどの騒動となった。
メンバーと主な担当楽器
現メンバー
- デビュー当時はジョニー・ロットンとジョン・レノン(ビートルズの元メンバー)を足して割った声と評される。オアシスの最初期メンバーの一人。自身もジョン・レノンを溺愛している。
- 本名ウィリアム・ジョン・ポール・ギャラガー (William John Paul Gallagher) 。
- バンドの主要な作曲家・作詞家。6歳の頃にギターに触れ始め、16歳で本格的にギターを弾き始める。アルバム・ライブ共にメインボーカルを務める事も多い。リアムの実兄。
- 本名ノエル・トーマス・デイビッド・ギャラガー (Noel Thomas David Gallagher) 。
- 元「ヘヴィ・ステレオ」のフロントマン兼ギタリスト。「ゲム」の名称はもともとスコットランドのサッカー選手の名前からきていて、本名はコリン・マーレイ・アーチャー(Colin Murray Archer)。
- 元々、「ライド」、「ハリケーン#1」などのバンドでフロントマンやギタリストとして活動。オアシス加入以前までは、ベースを触ったことも無かったらしいが、何故かオアシスではベースを担当している。
- 本名アンドリュー・ピラン・ベル(Andrew Piran Bell)。
サポートメンバー
- ザック・スターキー (drums) (Zak Starkey, 1965年9月13日 - ) - 元ビートルズのメンバーであるリンゴ・スターの息子で、ザ・フーなどで活動。6thアルバムのレコーティングとツアーに参加するも、ザ・フーの兼ね合いから未だ正式メンバーではない。なおザックにドラムを教えたのは、父であるリンゴではなくフーのオリジナルドラマーキース・ムーンである。オアシスのライブのラストはフーの代表曲『マイ・ジェネレーション』のカバーで締められる事がほとんどで、実際にフーのサポートメンバーであるザックが叩くキースばりのパワフルなドラミングは圧巻である。メンバーとの関係も良好で、ノエルは「親父(リンゴ・スター)のサインを持ってきてくれたらいつでも正式メンバーにする」と冗談めかして語る。
- ジェイ・ダーリントン (piano) (Jay Darlington, 1968年3月3日 - ) - 1994年にクーラ・シェイカーに加入。1999年にバンド解散。2002年からオアシスのキーボーディストとしてツアーに参加。最近ではルースターのサポートも務めている。再結成したクーラ・シェイカーには不参加。
- テリー・カークブライド (drums) (Terry Kirkbride, 19xx年x月x日 - ) - ノエルのレーベル Sour Mash の所属バンド Proud Mary の元ドラム。アラン脱退後に、Don't Believe The Truth のデモセッションに参加、Mucky Fingers でドラムをプレイしている。2006年11月2日 ロンドンの KOKO からスタートした Stop The Clocks のプロモーションツアーで、ノエル、ゲムと共にアコースティックライヴを披露。来日も果たす。最近では、ビートルズの Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 40周年記念アルバムに収録される Within You Without You のカバー曲でも、ドラムを担当している。
元メンバー
- ポール・"ボーンヘッド"・アーサーズ (guitar) (Paul "Bonehead" Arthurs, 1965年6月23日 - )- 頭髪が薄いという理由でボーンヘッドと呼ばれ、リズム・ギターを担当していた。一部の曲でピアノを演奏したり、ギグジー離脱時(後述)には代役でベースを担当したこともある。1999年に「家族との時間が欲しい」との理由で脱退。グループ脱退後、リチャード・アシュクロフトのステージをリアムとともに観覧する姿を目撃されている。アルバム『モーニンググローリー』のアナログ盤にのみ自身をモチーフにされた『Bonehead's Bank Holiday』いう曲が収録されている。ノエル加入以前は作曲を担当していた(ちなみに作詞はリアムが担当であった)。
- ポール・"ギグジー"・マクギーガン (bass) (Paul "Guigsy" McGuigan, 1971年5月9日 - ) - ギグジーやグイッグスと呼ばれ、ベースの腕前は人並みだったがサッカーなどのスポーツが得意だった。1995年9月に体調不良のためバンドを一時離脱しており、スコット・マクリードというベーシストが代役を務める(彼の姿は『Wonderwall』のPVで見ることができる)。1999年「楽しくなくなったから辞める」と言い残しボーンヘッドの後を追うように脱退。
- トニー・マッキャロル (drums) (Tony McCaroll) - ドラム演奏があまりに下手だったこととやる気のない性格ゆえに、メンバーから常に嫌われていた。シングル『Live Forever』のプロモーション・ビデオでは彼がお墓に埋められている。前身バンドの「レイン」時代からシングル『Some Might Say』まで所属。1995年4月に解雇。その後、「損害賠償」や「不当解雇」等を理由に裁判を起こしたが、示談が成立。1億円あまりを手にした。(しかしその半分以上を弁護士費用と税金に取られた。)
- アラン・ホワイト (drums) (Alan White,1972年5月26日 - ) - トニーの代わりに加入し、『モーニング・グローリー』以降のオアシスで活躍。2004年1月脱退。脱退の理由に「腱鞘炎の悪化」や「音信不通説」など諸説があるが、未だに真相は謎のままである。また2005年にはオアシスから8000万円近い金が支払われたことが明らかになっている。なお「イエス」のメンバーとして有名なドラマーのアラン・ホワイトとは同姓同名の別人。
- 現在はリアム、ゲム、アンディらの作品もアルバムに収められることが多い。
- 3rdアルバム以降、メンバーの入れ替わりを何度か繰り返し、現在ではオリジナルメンバーはギャラガー兄弟のみである。(前身バンド「レイン」のメンバーではリアムのみ)
歴史
- ボーンヘッド、ギグジー、クリス・ハットン(ボーカル)が前身バンド「The Rain」を結成。The Rain の初演は、地元 Manchester の Burnage にあるカードゲームクラブで、ドラムマシーンを使って行われた。後に、ドラマーとしてトニーが加わる。1991年、音楽関係の仕事をしていたノエルのコネを狙って、ボーンヘッドがクリスをクビし代わりにリアムを加入させ「Oasis」と改名。その後、リアムの実兄であるノエルがライブを見に行き、メンバーに対して「お前たちはどうしようもないクズバンドだ。だがリアムのパフォーマンスには少しだけ光るものがある。俺の曲を演じてビッグになるか、このままマンチェのクズバンドで終わるか、どっちだ?」と言い放ち、すべてのリーダーシップを自分に委ねることを条件にバンドに加入。
- 1994年、クリエイション・レコーズからシングル『Supersonic』でデビュー。アルバム『Definitely Maybe』発売。デビューまでの騒動がマスコミで取り上げられていたこともあり、英国で初登場1位のヒットとなり、アルバム最速売り上げ記録を更新。当時のメンバーはノエル、リアム、ボーンヘッド、ギグジー、トニー・マッキャロルの5人。12月にシングル『Whatever』を発売。現在までアルバム未収録。
- 1995年4月、メンバーとの関係が希薄で、技術的に問題のあったドラマーのトニー・マッキャロルが解雇され、代わりにアラン・ホワイトが加入する(アラン・ホワイトは、ポール・ウェラーのバンドで活躍中のスティーブ・ホワイトの実弟)。同月、シングル『Some Might Say』が発表され、初めて全英1位を獲得。6月、加入したばかりのアランとともにグラストンベリー・フェスティバルに出演。当時としては新記録となる10万人以上の観客を動員するが、ステージで未発表の新曲を多数演奏したために暴動騒ぎが起こった。
- 1995年8月、メディアに煽られる形で始まったオアシスvsブラーの争いは、オアシスのシングル『Roll With It』とブラーのシングル『Country House』の同日発売で頂点を迎える。結局ブラーが1位、オアシスは2位に終わるが、これにはオアシスの方に集計ミスなどが多数あったとされ本当の意味でのブラーの勝利かどうかは不明である。10月に2ndアルバム『(What's The Story)Morning Glory?』発売。UKチャート1位。アルバム売上枚数は全世界で1500万枚とも1800万枚とも言われ、ビートルズの持っていた英国アルバム売り上げ記録を約30年ぶりに更新(現在はクイーンとビートルズに抜き返されている)。その完成度の高さから、当初全曲シングルカットの企画もあったが断念された。11月にはロンドンのアールズ・コートで2日間4万人を動員するライブを開催。ヨーロッパの屋内ライブとしてはこれがギネス記録。また、このときオーディエンスの鳴らす振動が地震として計測されるほどの盛り上がりだった。
- 1996年、この年は95年に発売された『(What's The Story)Morning Glory?』からの3枚目のシングル『Wonderwall』がアメリカでもじわじわとチャートを上昇。オアシスはMTVアウォード(EURO)でベストグループを受賞するが、酔ったリアムがステージでゲロを吐く。MTV絡みでは、オアシスがMTVアンプラグドに出演した際、収録直前にリアムが喉の不調を訴えキャンセル。代わりにノエルが全曲で歌を披露した。MTVアンプラグドの映像内でバルコニー席に座り酒を飲むリアムの姿が見られることから、ただのさぼりではないかという意見もある。この年は4月のマンチェスターメインロード2daysに続き、8月、ロンドン郊外のKnebworthにて2日間で25万人を集める。名実ともにオアシスがスタジアムバンドとなった年である。
- 1997年8月、3rdアルバム『Be Here Now』発売。UKチャート1位、USチャート2位を獲得した。しかし内容には賛否が分かれる。
- 1998年2月に日本武道館で3日連続公演を行う。滞在したホテルはビートルズと同じキャピトル東急ホテル。11月、クリスマス商戦に向けBサイドアルバム『The Masterplan』を発売。UKチャートで最高2位。ファン投票で選ばれた曲が収録されている。当初は『Whatever』の収録も噂されたが結局なかったことに。『I Am The Warlus』と『Listen Up』が一部編集されている。
- 1999年、ボーンヘッドが脱退。元「ヘヴィ・ステレオ」のゲム・アーチャーが加入。後を追うようにして脱退したギグジーの後任は紆余曲折があった末、元「ライド」「ハリケーン#1」のギタリスト、アンディ・ベルが加入する。デビュー以来所属していたクリエイション・レコーズが倒産。
- 2000年2月、4thアルバム『Standing On The Shoulder Of Giants』を発売。UKチャート初登場1位。前年のクリエイション・レコーズ倒産に伴い、この年から自ら立ち上げた「Big Brother」レーベルからのリリースとなる。プロデューサには過去3作を担当したオーウェン・モリスの手を離れ、ポール・スパイク・ステイシーを起用。リアムが書いた曲『Little James』が初めて収録される。先行シングル『Go Let It Out』のPVではアンディの加入が間に合わなかったため、リアム(形式的だがギターをプレイ)、ノエル、ゲム、アランの4人で演奏を行っている。CDリリースと同時にワールドツアーを横浜アリーナよりスタートさせる。マリンメッセ福岡公演ではリアムが、体調不良を訴えて途中で退場している。5月、ツアー中にノエルが一時離脱、過去最大の解散危機を迎える。急遽、代役のギタリストとしてマット・デイトンが起用。バンド史上初めてノエル抜きでライブが行われる。このときの『Aquiesce』はノエルパートを丸々観客に歌わせていた。ノエル復帰後、11月、ロンドンWembley Stadiumでの公演を収録したライブアルバムとライブDVD、『Familiar To Millions』を発売。CD2枚組と1枚組が存在する。Wembleyでは7月に2日間コンサートが行われ、リアムの調子が良かった1日目がライブアルバム、DVDとしてリリースされた。2日目は二日酔いのリアムがフラフラでステージに立つシーンが見られる。このときの模様は有料放送でヨーロッパ中に放映され、日本でもWOWOWが放映した。リアム曰く「2日公演なのを知らなかった」。
- 2001年年の頭より、南米ツアーをスタート。5月にブラック・クロウズと北米ジョイントツアー"Brotherly Loveツアー"を敢行。夏は野外ロックイベントフジ・ロック・フェスティバルで初日のトリを務める。またこの年の秋から冬にかけてバンド結成10周年小規模クラスのツアー"10 Years Of Noise And Confusion Tour"が行われた。
- 2002年、5thアルバム『Heathen Chemistry』発売。UKチャートで1位を獲得。また、このアルバムではリアムがソングライターとしての腕を上げ、3曲を提供。ゲムとアンディもそれぞれ1曲ずつ手がけた。このツアーよりライブの最後の曲がザ・フーのカバー『My Generation』になる。5月、MTV The Super Dry Live、MTV Video Music Awards Japan 2002 出演を含めた来日プロモーションを果たし、数々のメディアへ出演を果たす。9月から10月にかけては東京(代々木第一体育館)、福岡、大阪、仙台、広島で来日ツアーも敢行。福岡公演(会場は福岡国際センター)では前回のライブに続いて(そのときとは事情が違うものの)、リアムが途中退場するハプニングもあった。
- 2005年、6thアルバム『Don't Believe The Truth』発売。UKチャート1位を獲得。イギリスでシングル 『Lyla』も初登場1位を獲得。これでOasisのNo.1シングルは7枚目、またシングル・アルバム総チャートイン週は766週に。 日本ではアルバムがオリコン初登場1位を記録。これは英国のバンドのオリジナル・アルバムとしてはベイ・シティ・ローラーズ以来、30年ぶりである。6月30日~7月3日にかけては、9年ぶりに地元チームマンチェスター・シティのホームグラウンド(シティ・オブ・マンチェスター・スタジアム)で3日間のライブを開催。8月にはサマーソニック05のトリを務める。11月に再び来日し大阪城ホール、東京の代々木第一体育館でライブを行なった。
- 2006年、3月、映画『GOAL!』のサントラに3曲を提供。そのうち1曲はノエルがボーカルを取る新曲。また11月15日(本国イギリスでは11月20日)にノエルの選曲による初のベストアルバム『Stop The Clocks』を発売。6thアルバム『Don't Believe The Truth』に続いてオリコン初登場1位を獲得。ほぼ同時に、ツアーの模様を収めたロードムービー『Lord Don't Slow Me Down』が公開される(ただし試写会のみ。現在のところ一般公開の予定はないものの、2007年後半のDVD化が予定されている)。また、世界各地でノエルがゲム、サポートドラマーのテリーとともにアコースティック・ライブを披露する。日本でも11月15日に笑っていいともへ生出演し、MySpace主催によるシークレットライブが恵比寿 Liquid Room にて行われた。翌16日には Lord Don't Slow Me Down の特別試写会後に、ノエルが登場し、ノエルへのインタヴューやQ&A、ノエル単独でのアコースティック演奏が渋谷 AX にて行われた。また2006年10月からは、ソニー『ウォークマン』のイメージキャラクターを務め、テレビCMやカタログに登場している。『Sシリーズ(NW-S700F)』のCMには『Lyla』が、『Aシリーズ(NW-A800)』のCMには『Morning Glory』が使用されている。日本映画『シュガー&スパイス 風味絶佳』にも、主題歌の『Lyla』を筆頭に、多くの既発曲を提供。
- 2007年ビートルズの Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 40周年記念アルバムへ Within You Without You のカバー曲を提供。現在、バンドは、前作同様 Dave Sardy のプロデュースを予定した7thアルバムを製作中である。しかしながらノエルはリアムの声の不調が改善しなければニューアルバムをリリースすることはできないとも語っている。
ディスコグラフィー
アルバム
- Definitely Maybe(オアシス) (1994年)
- (What's The Story) Morning Glory?(モーニング・グローリー) (1995年)
- Be Here Now (ビィ・ヒア・ナウ) (1997年)
- The Masterplan (ザ・マスタープラン)(1998年)【シングルB面集】
- Standing On The Shoulder Of Giants (スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ)(2000年)
- Familiar To Millions (ファミリアー・トゥ・ミリオンズ)(2000年)【ライブ】
- Heathen Chemistry (ヒーザン・ケミストリー)(2002年)
- Don't Believe The Truth (ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース)(2005年)
- Stop The Clocks (ストップ・ザ・クロックス)(2006年)【ベスト】
シングル
- Supersonic(スーパーソニック)(1994年)
- Shakermaker(シェイカーメイカー)(1994年)
- Live Forever(リヴ・フォーエヴァー)(1994年)
- Cigarettes & Alcohol(シガレッツ・アンド・アルコール)(1994年)
- Whatever(ホワットエヴァー)(1994年)
- Some Might Say(サム・マイト・セイ)(1995年)
- Roll With It(ロール・ウィズ・イット)(1995年)
- Morning Glory(モーニング・グローリー)(1995年 オーストラリアなどの一部のみの発売)
- ソニー『ウォークマンAシリーズ』CMソング(2007年)
- Wonderwall(ワンダーウォール)(1995年)
- Don't Look Back In Anger(ドント・ルック・バック・イン・アンガー)(1996年)
- Champagne Supernova(シャンペン・スーパーノヴァ)(1996年 オーストラリアなど一部のみの発売)
- D'You Know What I Mean?(ドゥ・ユー・ノウ・ワット・アイ・ミーン)(1997年)
- Stand By Me(スタンド・バイ・ミー)(1997年)
- All Around The World(オール・アラウンド・ザ・ワールド)(1998年)
- Don't Go Away(ドント・ゴー・アウェイ)(1998年 日本のみの発売)
- Go Let It Out!(ゴー・レット・イット・アウト!)(2000年)
- Who Feels Love?(フー・フィールズ・ラヴ?)(2000年)
- Sunday Morning Call(サンデー・モーニング・コール)(2000年)
- The Hindu Times(ヒンドゥ・タイムズ)(2002年)
- Stop Crying Your Heart Out(ストップ・クライング・ユア・ハート・アウト)(2002年)
- Little By Little/She Is Love(リトル・バイ・リトル/シー・イズ・ラヴ)(2002年)
- Songbird(ソングバード)(2003年)
- Lyla(ライラ)(2005年)
- ソニー『ウォークマンSシリーズ』『NETJUKE』CMソング(2006年)
- The Importance Of Being Idle (インポータンス・オヴ・ビーイング・アイドル)(2005年)
- Let There Be Love(レット・ゼア・ビー・ラヴ)(2005年)
- Acquiesce/The Masterplan (Stop The Clocks EP) (ストップ・ザ・クロックスEP)(2006年)ベスト盤『Stop The Clocks』の先行シングル
映像
- Live By The Sea(ライブ・バイ・ザ・シー)(1995年)(ライブビデオ・DVD)
- There And Then(ゼア・アンド・ゼン)(1996年)(ライブビデオ・DVD)
- Familiar To Milions(ファミリアー・トゥ・ミリオンズ)(2000年)(ライブDVD)
- Live Forever(リヴ・フォーエヴァー)(2004年)(ドキュメントDVD)
- Definitely Maybe (デフィニトリー・メイビー)(2004年)(ドキュメントDVD)
その他
- デビュー後オアシスのロゴは3度にわたり変更されており、現在のロゴは4代目。
- ノエルが使用するギターはエピフォン、又はギブソンが多い。特にエピフォンのギターはデビュー初期より愛用しており、自身のシグネチャーモデル、その名も「supernova」というギターも発売されている。但し生産数も僅かな為入手は年々困難になりつつある。
- ギャラガー兄弟は熱狂的なマンチェスター・シティのファンで、普通のファンに混じってスタジアムで応援している所を目撃されたりしている。ライバルのマンチェスター・ユナイテッドに対して暴言を吐くこともしばしば。
- W杯やヨーロッパ選手権の際はイングランド代表についてコメントする事がある。だが、その内容は「クラウチはクソだな。フットボーラーとしては背が高すぎる。今まで背が高すぎる選手にロクな奴がいた例がないだろ」など、毒を含んだものが多い。
オアシス(ギャラガー兄弟)が影響を受けた主なバンド
- ビートルズ
- セックス・ピストルズ
- ストーン・ローゼズ - リアムはローゼズのライブを何度も見に行くうちに、バンド結成を決意した。(偶然にも同日ノエルも同じステージを見ていた)初期のオアシスのデモ音源はローゼズの影響を色濃く感じさせる楽曲が多い。
- ラーズ
- ローリング・ストーンズ
- ヴェルヴェット・アンダーグラウンド - 『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』収録曲のMucky Fingersは、『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』のI'm Waiting for the Man(邦題:僕は待ち人)に影響を受けた、とノエル自身が語っている。
- ザ・フー - ライブのラストはフーの代表曲『マイ・ジェネレーション』のカバーで締められる事が多い。ノエルはザ・フーのライブでゲストに参加した事がある。
- スモール・フェイセズ - ノエルは2001年、故スティーヴ・マリオットのトリビュート・コンサートで、元メンバーのイアン・マクレガンやケニー・ジョーンズと共演し、彼らのヒット曲Here Come The Niceを歌う。このコンサートには、ザック・スターキーも出演していた。
- ザ・スミス - ジョニー・マーは『ヒーザン・ケミストリー』に参加している。
- ザ・ジャム - メンバーのひとりで、現在はソロとして活動しているポール・ウェラーとは旧知の仲。2ndアルバム『モーニング・グローリー』のChampagne Supernovaではウェラーがギターを担当し、『ザ・マスタープラン』収録のThe Swamp Songではブルースハープとギターを担当。ノエルの方も、ウェラーのソロ3作目『スタンリー・ロード』収録のI Walk On Gilded Splintersにゲスト参加。
- アバ-ノエルは「ソング・ライティングの立場から言うと、彼らほど素晴らしいアーティストはいない。」とコメント。
- ニルヴァーナ-ノエルはカート・コバーンを「奴とは誕生日が同じで、オレたちの時代のジョン・レノンに成り得たのに」と発言しているが、リアムは「子供を残して自殺するような奴はクソ」と語っている。ノエルは、Nirvana の I Hate Myself And I Want To Die への反発から Live Forever を書き上げた。カートの遺書にはニール・ヤングの「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」の歌詞の一部が引用されていた事から、シアトルに公演で訪れたのをきっかけに、ライブで「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」を演奏するようになった。
オアシス(ギャラガー兄弟)と友好関係にある主なアーティスト
- アークティック・モンキーズ - モリッシーの発言について彼らを擁護し、モリッシーは彼らに謝罪した。
- イアン・ブラウン
- カサビアン - ギャラガー兄弟はカサビアンを絶賛している。サマーソニック05では名古屋で開催されたサマーソニックイヴも含め都合3回同じステージに出演。
- ケミカル・ブラザーズ - ノエルは何度か彼らのアルバムに参加したことがある。とくにノエルは、「ケミカル・ブラザーズとはまたコラボしたい。“セッティング・サン”は俺が製作した曲の中でも最高傑作だと思ってる。リアムが聞いたら怒るだろうがな。」と語っている。
- プロディジー - 2004年のプロディジーのアルバムに、ゲストとして兄弟で参加した。
- トラヴィス - ノエルは彼らのファンであると公言している。
- U2- U2のアルバムハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボムの収録曲「ワン・ステップ・クローサー」は、U2のボーカル・ボノに対し、ノエルがかけた言葉をもとに歌詞が作られた。
- ガンズ・アンド・ローゼズ - 2001年のロックインリオフェスティバルに出演した際、オアシスの後にトリで出演したガンズ・アンド・ローゼズのヴォーカル・アクセル・ローズに『ロックンロール・スター』を捧げたことがある。
- ザ・ビュー-ノエルは彼らが「オアシスと同じくらいビッグになるかも」という旨の発言をした。
- マクフライ-意外だがリアムが彼らにアドバイスをした(もちろんバンドについてである)。
- フー・ファイターズ-上記にもあるが、ギャラガー兄弟はフー・ファイタースのフロントマンであるデイヴ・グロールが以前在籍していたニルヴァーナを尊敬している。フー・ファイターズもオアシスのLylaをカバーしている。
- ブラック・クロウズ - デビュー当時のステージで共演した時、リアムとクリス・ロビンソン(ブラック・クロウズのヴォーカル)が一触即発となるが、ノエルが謝罪して親交が始まる。『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』以降、オアシスのレコーディングをサポートしてきたポール・ステイシー(キーボード、ギター)は、2006年ブラック・クロウズに加入。
オアシス(ギャラガー兄弟)が嫌っている主なアーティスト
- グリーンデイ- リアム曰く「あいつらはイキがってるだけで、やってる音楽は大したことないクソバンド。」とのこと。ノエルは「アメリカのパンクロックが好きな奴ら、特にグリーンデイのファンは大っ嫌いだ。」とコメント。
- ブリンク182- リアム曰く「ブリンクなんちゃら・・・いくつだっけ?3ケタの数字(笑)。」
- コールドプレイ- リアム曰く「コールドプレイの曲を聴くと自殺したくなる」とのこと。また、ヴォーカルのクリス・マーティンの(ルックスの)ことを「ロンドンのキツネ」と呼んだ。(クリスは切れ長でややつり上がった目尻をしている)。アワード授賞式にて一悶着あったと伝えられている。一方、ノエルは彼らの Yellow がフェイバリットソングで、チャリティライヴのステージでクリス・マーティンと『リヴ・フォーエヴァー』他を競演したこともある。
- バックストリート・ボーイズ- ノエルは「歌も演技も踊りもだめ」と批判し、彼らの歌を「クズ」と酷評。さらにバックストリートボーイズは「撃ち殺されるべき」と語った。
- イン・シンク- リアム曰く「見栄えのいい鼻くそ」
- レディオヘッド - ノエルはレディオヘッドの前衛性を評価している一方、嫌ってもいる。近年では、「新作がリリースされたら聴きたいミュージシャンは?」と言う質問に、「彼らが何をやっているか気になる」と言う理由でコールドプレイと共にレディオヘッドの名を挙げている。ノエルはトム・ヨークに対し「アンタがどれだけ"オレたちは不運だ"って嘆くことに時間を空費したところで、最終的にはみんな、アンタには「Creep」を歌ってほしいだけなのさ」とコメント。(近年のレディオヘッドは「Creep」をライブであまり頻繁には演奏しない)。その後ノエルが「俺は大学なんか行ってねえ。絵筆が何なのかも知らねえよ。アート・スクールなんか行ったことないからな」と発言したことを受けて、トム・ヨークは「僕は行ったよ。ほかのアーティストをリスペクトするよう教わった」とコメントしている。リアムは、「レディオヘッドのどこが良いか分からない。眠くなるだけじゃねえか。」とのこと。
- フランツ・フェルディナンド-リアムは、UKシーンを盛り上げている新世代バンドの筆頭であるフランツに対して、「インディーとかなんとか言って、キツキツの服を着て、つま先が尖った靴を履いて歩き回っているだけケチ野郎だ。」と語り、フランツの代表曲のひとつ『マイケル』の演奏を見て、「演奏中、フロントの2人(アレックスとニック)が互いに見つめ合う時間が長すぎる!奴らはゲイに違いない。奴らはライト・セッド・フレッドみたいだ。」と切りすてた。それについて、アレックスは「リアムはノイローゼ気味の女子高生だ。」とコメント。
- カイザー・チーフス-リアム曰く、「劣化したブラーだろ?」
- ロビー・ウィリアムス-90年代後半まではギャラガー兄弟とは親しいの仲であったが、2000年の雑誌のインタヴューでノエルが「テイク・ザットのデブダンサー」と発言したあたりから険悪な仲となる。ノエルは売れ行きが思わしくなかったロビーのアルバムに対して「当然だあれは犬の糞だからな」と酷評。また、ロビーの悪口なら3時間は言えるとコメント。リアムは「鼻をへし折ってやる」と脅迫したり、音楽誌『Q Magazine』が主催するQアワーズの授賞式時に、壇上からロビーをからかう発言をしたこともある。
- エルトン・ジョン-ノエルの「牛乳1本さえ自分で買いに行かない重要人物。」という悪口に対し、エルトンは「オアシスには我慢ならない。オアシスのベストアルバムがチャート1位を取れなくて本当に嬉しい。最大のヒット曲が抜けてて何がベストだ。奴らには1位の資格は無い。」と猛反発。
- フィル・コリンズ-ノエルは、かつて、「銃に1発だけ弾丸が込められているとしたら、誰を打つか?」という質問に、フィル・コリンズかロビー・ウィリアムスと答えていた。
- エミネム、50セント ノエルは「俺はヒップホップを軽蔑してる。大っ嫌いだ。エミネムはアホ。50セントは、俺がいままでの人生で会った最低の人間。あいつらに直接責任があるとは言わねぇけど、結局、若いガキが人を刺すってことが起きてるだろ。」とコメント。
オアシス(ギャラガー兄弟)の、他アーティストに対する評価が変わった例
このように、頻繁に特定のアーティストたちを扱き下ろす彼等だが、その態度を一転させることも多い(特にリアムにはその傾向が顕著であり、恒例化している面もある)。また酷評されたことをオアシスから認められたと受け取り、酷評に感謝するバンドも少なからず存在する(シザー・シスターズ、マルーン5など)。
- ブラー - マンチェスターの労働者階級出身のオアシスとは対照的に、ロンドンの中流階級出身である彼らとの仲の悪さはあまりに有名。シングル対決で敗れた後、ブチ切れたノエルが「ブラーのデーモンとアレックスはエイズにかかって死ねばいい」とコメントしたことがある(社会問題まで発展しのちに謝罪)。しかしグレアム・コクソンとデイヴ・ロウントゥリーには「良い奴らだ」と発言している。現在では、ノエルは「現在のあいつらの音楽は最高だ」と認めていたり、リアムもデーモンに対して「息子がゴリラズのファンなんだぜ」と直接語っている所から、評価が一変したと言える。
- ブロック・パーティ - 彼らのメディアの露出が著しくなった際、リアムは、「お行儀のいい学生による芸術ごっこ」や「騒音」とか「演奏が学園祭のバンドと同じ」といったような発言をしていたが、彼らのアルバム『ア・ウィークエンド・イン・ザ・シティ』を聴き、リアムは過去の否定的な考えを撤回した。そして彼は、彼がそのアルバムの最後の曲『SRXT』を聴いた後、クッションに向かって15分間泣いた、とも告白している。
- スターセイラー - デビュー・アルバムを聴いたノエルとリアムは揃って彼等に対し嫌悪感を示す。しかし彼らのセカンド・アルバムに収録されている『Four to the Floor』を聴いたリアムは、その曲の質の高さを評価した。
関連項目
- TBS「いのちの響」