誘拐婚

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誘拐婚(ゆうかいこん、英語: Bride kidnapping)は男性が求婚する女性に対して誘拐する風習。21世紀においては女性の人権侵害として非難されることが多い。その性質及び実態は地域によって異なる。略奪婚掠奪婚(りゃくだつこん)とも言う。

歴史[編集]

古くはローマで起こったとされるサビニの女たちの略奪があげられる。

ヨーロッパ[編集]

フランス[編集]

フランスでは15世紀から17世紀のアンシャン・レジームを通して、女子代理人[注釈 1]との結婚のために誘拐が行われていた[1]

アフリカ[編集]

エチオピア[編集]

エチオピアではオロミア州で80パーセント、南部諸民族州で92パーセント、国全体の平均で69パーセントが誘拐による結婚だという[2]

東欧[編集]

グルジア[編集]

グルジア北西部では承諾なしの誘拐婚が三割に当たると指摘されている[3]

中央アジア[編集]

南アジア[編集]

ネパール[編集]

ネパールには児童婚の風習があり少女が誘拐されることがある[4]。人口の81.5%がヒンドゥー教であるネパールでは[5]カースト制度の影響もあり、最下層であるダリットの児童婚で頻繁にみられる[4]

東アジア[編集]

中国[編集]

英国放送協会は2019年に人権団体のコリア・フューチャー・イニシアティヴで集めた証言として、北朝鮮の女性が違法な手段で中国に移動させられ、売春や現地男性との結婚の強要の被害に遭っていることを報じた[6]

日本[編集]

文化人類学的観点[編集]

柳田國男は著書にて、誘拐婚には以下の3つのケースがあるとしている[7]

  • 親が感知しない内に男性が友人の助けを得て、女性を連れて行ってしまう場合
  • 何らかの理由で親が公に了承することができない場合
  • 経済的な理由で正式な結婚ができない場合

文学的観点[編集]

法的観点[編集]

2019年現在婚姻を目的とした誘拐は結婚目的略取として逮捕される恐れがある[8]

事例[編集]

平安時代においては源俊房娟子内親王小野宮実資常陸掾平維幹蜻蛉日記における藤原遠度などが具体例として挙げられている[9]

戦国時代においては、徳川秀忠の娘である千姫大阪城を救った坂崎出羽守と結婚するはずが、それを良しとしなかったために、本多忠刻に誘拐したことにして嫁がせた千姫事件が挙げられる[10]

柳田は著書にて、折口信夫との会話にて登場したボオタ(奪ったの意)について触れている[11]。ボオタは明治時代の初期まで大阪木津難波今宮にて行われていた[12]。経済的事情によって結婚が難しい場合、女性が夕方着飾って男性を待ち、男性は黙って女性を連れていく[13]。この際ボオタ、ボオタと大声で言いながら男性の家に向かい、後日仲介を挟んで親子の対面をする[13]。柳田はこれ以外に九州長崎博多の報告があることについても触れている[13]

高知県大豊町ではかたぐという言葉で誘拐婚が存在した[14]。当時家の繋がりとしての意味合いが強かったが故に両親の承諾が得られない結婚に対する対抗手段として用いられた[14]明治時代以降には当人同士の同意に依るものが多かったとされる[14]。この時直接夫側の家に妻となる女性を入れるのではなく、仲介者の家に預けることで家名に瑕がつかず、その後の両親との交渉が上手く行く場合が多かった[14]

京都府京都市左京区の田中部落では、1928年1月1日朝田善之助が「あの娘すきや、ぜひ嫁にもらいたい」という知人男性の希望で拉致行為に手を貸し、警察に逮捕された[15]。このとき朝田らは娘が母親と連れ立って風呂に行くところを集団で待ち伏せ、やってきたところを羽織を脱がせて頭からかぶせ、集団で担いで行ったが、当の娘が暴れて逃げたため未遂に終わったという[15]

長野県の同和地区でも「寝連れ」(ねつれ)という誘拐婚の習慣があった[16]

1959年鹿児島県大隅半島串良町で発生した強姦致傷罪の裁判で、弁護士は被告がおっとい嫁じょもしくはオツトリ嫁という、姦淫によって強制的に婚姻に同意させる慣習の存在により法を侵していないと認識していたとして無罪を主張した[17]。しかし鹿児島地方裁判所は違法性への認識だけが故意か否かを判別する要素ではなく、また被告の供述と検察官に対する供述調書から、被告はその慣習の内容が反社会的性質を持つと認識しているとして、弁護士の主張を退けた[17][18]。本件は鹿児島県内のメディアで報じられ、『南日本新聞』では日曜特集のシリーズ「希望する話題」の中で風習そのものについて調査、掲載された[19]。それによるとおっとい嫁じょは第二次世界大戦前までは鹿児島県の一部地域で残っていたものの、事件発生当時はほぼ失われていたとされる[19]。また風習自体は本来略奪婚ではなく、家庭の事情や経済的な問題からくる合意の上での駆け落ちであったことなどが記されている[19]。また、本件はこの駆け落ちであった風習を歪曲したものだとする考えも紹介される[19]。この件を通じて当時の教育委員会の主事、現地の青年団長、青年団連絡協議会副会長は改めて対話を通じて違法性を認識し、この因習をなくすことに注力することを語っている[19]。また『鹿児島毎日新聞』では「実刑三年でも軽い これを許す社会にも罪」と題した人々の事件や判決に対する意見をまとめた記事を掲載した他[20]、結婚観に関するコラムを掲載している[21]。本件は被告人の計画的な姦淫に関する事実誤認や被害者の負傷の回復に必要とされた日数とその根拠が不適切であること[22]、風習の認知度や周囲の勧めもあったことによる違法性の認識の欠如[23]、被告の背景や周囲の様子から量刑が重すぎることなどを挙げて控訴され、最高裁判所まで争われる[24]。しかし昭和35年5月26日に棄却され、三年の実刑となる[25]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 貴族の財産相続で、相続に有利である跡継ぎの男子に恵まれなかった場合の代理として家名と財産を預かることとなった[1]

出典[編集]

  1. ^ a b 滝澤 2005, pp. 293-294.
  2. ^ 誘拐結婚をやめさせよう!エチオピアにおけるユニセフの支援 <エチオピア>UNICEF、2016年8月29日閲覧。
  3. ^ Remael, Stephane (2010年8月4日). “誘拐犯と結婚 それが私の生きる道”. Newsweek. 2015年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月30日閲覧。
  4. ^ a b 13歳で誘拐され結婚、「ダリット」の少女たち ネパールAFPBB、2016年8月29日閲覧。
  5. ^ ネパール連邦民主共和国”. 外務省 (2016年10月5日). 2016年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月24日閲覧。
  6. ^ 「9歳少女まで……北朝鮮の女性数千人が中国で性奴隷に=英団体報告」 『BBC News Japan』 BBC。 オリジナルの019-05-24時点によるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20190524060831/https://www.bbc.com/japanese/483460712019年5月24日閲覧 
  7. ^ 柳田 2014, pp. 70-71.
  8. ^ 「結婚目的略取容疑の男性不起訴 水戸地検土浦支部」 『産経新聞』 産経新聞社、2019年7月27日。 オリジナルの2019年7月28日時点によるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20190727155527/https://www.sankei.com/region/news/190727/rgn1907270003-n1.html 
  9. ^ 立石 2008, p. ⅱ.
  10. ^ 柳田 2014, p. 71.
  11. ^ 柳田 2014, pp. 69-71.
  12. ^ 柳田 2014, p. 69.
  13. ^ a b c 柳田 2014, p. 70
  14. ^ a b c d 渡辺盛男 (1987年3月). “第十三章 (pdf)”. 大豊町史 近代現代編. 大豊町. p. 1110. 2016年7月16日閲覧。
  15. ^ a b 朝田善之助 『新版 差別と闘いつづけて』 朝日新聞社〈朝日選書145〉、1979年、46-47頁
  16. ^ 高野則夫『五郎兵衛新田のむらに生きて』<基礎研究シリーズ 3> 信州農村開発史研究所、1989年7月、31頁。
  17. ^ a b 中川善之助 「『おっとい嫁じょ』の違法性」 『判例時報』 192巻、 東京: 判例時報社、2頁、1959年7月。 NAID 40003195776 
  18. ^ 「判例特報③ いわゆる略奪婚の慣習と強姦致傷罪の成立」 『判例時報』 190巻、 東京: 判例時報社、22頁、1959年7月21日。 NAID 40003195776 
  19. ^ a b c d e 鹿屋 「あきらめきれず暴力 三回も断られたA 人権無視もはなはだしい因習」 『南日本新聞』 、日曜特集 希望する話題:おっとい嫁じょ 南日本新聞社、2頁、1959年6月28日。 
  20. ^ 「実刑三年でも軽い これを許す社会にも罪」 『鹿児島毎日新聞』 毎日新聞社、7頁、1959年6月20日。 
  21. ^ 「正しい結婚観をもとう」 『鹿児島毎日新聞』 、潮流 毎日新聞社、1頁、1959年6月20日。 
  22. ^ 最高裁判所 1960, pp. 591-593.
  23. ^ 最高裁判所 1960, pp. 593-594.
  24. ^ 最高裁判所 1960, p. 595.
  25. ^ 最高裁判所 1960, p. 589, 595.

参考文献[編集]

  • 滝澤聡子 「15世紀から17世紀におけるフランス貴族の結婚戦略 : 誘拐婚」 『人文論究』 55(1)巻 関西学院大学、2005年5月25日。 
  • 立石和弘 『男が女を盗む話―紫の上は「幸せ」だったのか』 1965巻 中央公論新社〈中公新書〉、2008年9月25日。ISBN 978-4121019653 
  • 柳田國男、石井正己編 『柳田国男の故郷七十年』 PHP研究所、2014年9月5日。ISBN 978-4-569-82106-1 
  • 最高裁判所 『最高裁判所裁判集 刑事 (昭和35年4月-昭和35年5月)』 133巻 最高裁判所、1960年。 

関連項目[編集]