誘拐婚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

誘拐婚(ゆうかいこん、英語: Bride kidnapping)は男性が求婚する女性に対して誘拐する風習。21世紀においては女性の人権侵害として非難されることが多い。その性質及び実態は地域によって異なる。掠奪婚(りゃくだつこん)とも言う。

歴史[編集]

古くはローマで起こったとされるサビニの女たちの略奪があげられる。

ヨーロッパ[編集]

フランス[編集]

フランスでは15世紀から17世紀のアンシャン・レジームを通して、女子代理人[注釈 1]との結婚のために誘拐が行われていた[1]

アフリカ[編集]

エチオピア[編集]

エチオピアではオロミア州で80パーセント、南部諸民族州で92パーセント、国全体の平均で69パーセントが誘拐による結婚だという[2]

東欧[編集]

グルジア[編集]

グルジア北西部では承諾なしの誘拐婚が三割に当たると指摘されている[3]

中央アジア[編集]

キルギス[編集]

南アジア[編集]

ネパール[編集]

ネパールには児童婚の風習があり少女が誘拐されることがある[4]。人口の81.5%がヒンドゥー教であるネパールでは[5]カースト制度の影響もあり、最下層であるダリットの児童婚で頻繁にみられる[4]

東アジア[編集]

中国[編集]

違法な人身売買ブローカーによる国内外の女性や子供を誘拐し妻とする慣習が21世紀現在未だに四川省成都など地方都市近郊では行われている。

日本[編集]

文化人類学的観点[編集]

柳田國男は著書にて、誘拐婚には以下の3つのケースがあるとしている[6]

  • 親が感知しない内に男性が友人の助けを得て、女性を連れて行ってしまう場合
  • 何らかの理由で親が公に了承することができない場合
  • 経済的な理由で正式な結婚ができない場合

文学的観点[編集]

事例[編集]

平安時代においては源俊房娟子内親王小野宮実資常陸掾平維幹蜻蛉日記における藤原遠度などが具体例として挙げられている[7]

戦国時代においては、徳川秀忠の娘である千姫大阪城を救った坂崎出羽守と結婚するはずが、それを良しとしなかったために、本多忠刻に誘拐したことにして嫁がせた千姫事件が挙げられる[8]

柳田は著書にて、折口信夫との会話にて登場したボオタ(奪ったの意)について触れている[9]。ボオタは明治時代の初期まで大阪木津難波今宮にて行われていた[10]。経済的事情によって結婚が難しい場合、女性が夕方着飾って男性を待ち、男性は黙って女性を連れていく[11]。この際ボオタ、ボオタと大声で言いながら男性の家に向かい、後日仲介を挟んで親子の対面をする[11]。柳田はこれ以外に九州長崎博多の報告があることについても触れている[11]

高知県大豊町ではかたぐという言葉で誘拐婚が存在した[12]。当時家の繋がりとしての意味合いが強かったが故に両親の承諾が得られない結婚に対する対抗手段として用いられた[12]明治時代以降には当人同士の同意に依るものが多かったとされる[12]。この時直接夫側の家に妻となる女性を入れるのではなく、仲介者の家に預けることで家名に瑕がつかず、その後の両親との交渉が上手く行く場合が多かった[12]

京都府京都市左京区の田中部落では、1928年1月1日朝田善之助が「あの娘すきや、ぜひ嫁にもらいたい」という知人男性の希望で拉致行為に手を貸し、警察に逮捕された[13]。このとき朝田らは娘が母親と連れ立って風呂に行くところを集団で待ち伏せ、やってきたところを羽織を脱がせて頭からかぶせ、集団で担いで行ったが、当の娘が暴れて逃げたため未遂に終わったという[13]

長野県の同和地区でも「寝連れ」(ねつれ)という誘拐婚の習慣があった[14]

1959年鹿児島県大隅半島串良町で発生した強姦致傷罪の裁判で、弁護士は被告がおっとい嫁じょという、姦淫によって強制的に婚姻に同意させる慣習の存在により法を侵していないと認識していたとして無罪を主張した[15]。しかし鹿児島地方裁判所は違法性への認識だけが故意か否かを判別する要素ではなく、また被告の供述と検察官に対する供述調書から、被告はこの犯行が反社会的と認識しているとして、弁護士の主張を退けた[15]

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 貴族の財産相続で、相続に有利である跡継ぎの男子に恵まれなかった場合の代理として家名と財産を預かることとなった[1]

出典[編集]

  1. ^ a b 滝澤 2005, pp. 293-294.
  2. ^ 誘拐結婚をやめさせよう!エチオピアにおけるユニセフの支援 <エチオピア>UNICEF、2016年8月29日閲覧。
  3. ^ Remael, Stephane (2010年8月4日). “誘拐犯と結婚 それが私の生きる道”. Newsweek. 2015年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月30日閲覧。
  4. ^ a b 13歳で誘拐され結婚、「ダリット」の少女たち ネパールAFPBB、2016年8月29日閲覧。
  5. ^ ネパール連邦民主共和国”. 外務省 (2016年10月5日). 2016年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月24日閲覧。
  6. ^ 柳田 2014, pp. 70-71.
  7. ^ 立石 2008, p. ⅱ.
  8. ^ 柳田 2014, p. 71.
  9. ^ 柳田 2014, pp. 69-71.
  10. ^ 柳田 2014, p. 69.
  11. ^ a b c 柳田 2014, p. 70
  12. ^ a b c d 渡辺盛男 (1987年3月). “第十三章 (pdf)”. 大豊町史 近代現代編. 大豊町. p. 1110. 2016年7月16日閲覧。
  13. ^ a b 朝田善之助 『新版 差別と闘いつづけて』 朝日新聞社〈朝日選書145〉、1979年、46-47頁
  14. ^ 高野則夫『五郎兵衛新田のむらに生きて』31頁
  15. ^ a b 中川善之助 「『おっとい嫁じょ』の違法性」、『判例時報』 (東京: 判例時報社) 第192巻2頁、1959年7月。 NAID 40003195776 

参考文献[編集]

  • 滝澤聡子 「15世紀から17世紀におけるフランス貴族の結婚戦略 : 誘拐婚」、『人文論究』 (関西学院大学) 第55(1)巻、2005年5月25日。 
  • 立石和弘 『男が女を盗む話―紫の上は「幸せ」だったのか』1965巻 中央公論新社〈中公新書〉、2008年9月25日。ISBN 978-4121019653 
  • 柳田國男、石井正己編、 『柳田国男の故郷七十年』 PHP研究所、2014年9月5日。ISBN 978-4-569-82106-1 

関連項目[編集]