茂野吾郎

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茂野 吾郎(しげの ごろう)は、満田拓也の漫画作品『MAJOR』およびそれを原作とするアニメ『メジャー』に登場する架空の人物である。旧姓:本田。

アニメでの声優はくまいもとこ(~小学生)、森久保祥太郎(中学生~)。サンデーCM劇場での声優は大谷育江

プロフィール[編集]

  • 誕生日11月5日
  • 血液型:B型
  • 身長/体重:180cm / 75kg[1]
  • 握力:右70kg / 左90kg
  • 投打:右投右打(幼稚園~小学生)→左投右打(中学生~メジャー)→右投右打(日本プロ野球~)
  • ポジション:投手外野手左翼手
    • 捕手(商店街チーム対戦時、戸塚西リトル対戦時)・一塁手(博多リトル時、三船高校対戦時)・外野手(夢島時)・左翼手(横浜マリンスターズ)
  • 背番号
    • 1(三船リトル、三船東中学、聖秀高校)
    • 3(博多リトル)※当時は右投げだったが、療養中のために一塁手である[2]
    • 10(聖秀高校)※キャプテンの10
    • 56(アナハイム・サーモンズ、クーガーズ、メンフィス・バッツ、インディアナ・ホーネッツ、横浜マリンスターズ)
    • 25(W杯日本代表)
  • 家族
    • 本田家
      • 実父 : 本田茂治
      • 実母 : 本田千秋
      • 伯父 : 本田義治
      • 伯母 : 本田良枝
    • 茂野家
      • 義父 : 茂野英毅
      • 義母 : 星野桃子
      • 義弟 : 茂野真吾
      • 義妹 : 茂野ちはる
      •  妻 : 茂野薫 (旧姓 清水薫)
      • 長女 : 茂野泉
      • 長男 : 茂野大吾

人物[編集]

本作の主人公一人称幼稚園編では「僕」、リトルリーグ編以降は「俺」。

知性・学業
学業全般が不得意で、高校受験の際もまったくと言っていいほど、集中力が見られなかった。一方で、勝負事での駆け引きや閃きに長ける一面がある。
記憶力も非常に悪く、過去に対戦した相手の顔も忘れることが多々ある[3]
新聞などもあまり読まないため、一般常識に欠けている部分も見られる[4]
マイナー時代、通訳なしでアメリカに1年いたため、英語で会話することが出来るようになったが、書かれた英語を読むことは出来ない。
機械類に疎く、インターネットの使い方も知らないため、幼い真吾に教えてもらったほどである。
性格
目標に向かって情熱的に突き進んでいく努力家。情熱や熱意で周囲の人間に良くも悪くも影響を与える[5]
チームメイトに対する思いやりや責任感は強く根は優しいが、口の悪さが災いすることが多い[6]。カッとなりやすい性格のため、小学生の頃からマイナーリーグ編まで暴力などで問題になることもあったが、周囲からの諫言や自らの失敗[7]を受けて次第に制御できるようになった。
自信過剰な一面を持っていてそれ相応の実力もあるが、それ故に自分の実力を過信している描写が散見され、その度に手痛い洗礼を受けている[8]
自分にも他人にも厳しく、根性がないものに対してはそっけない態度を取ったり、発破をかけることもあるが、自ら立ち上がろうとする者や改心した者は認め、親身になって協力するなど敬意を持って接する。
「理解していても、自分には後先のことを考えられるだけの思考はない」「目の前のことに全力になれないようでは、先があっても同じことに過ぎない」と述べ、目の前にある目標へ向かい、今後のことを犠牲にしてでも全力を注ぐ。その思考ゆえに、避けられた可能性もあった故障や不運もあったが、薫曰く「いつも後悔しない生き方を選んでいる」「後先考えて戦っているのを見たことがない」とのこと。
年長者による高圧的な態度を嫌い、当初は横浜リトルの樫本や海堂三軍の乾に対しても、不快な第一印象を抱いていた。自己主張も非常に強く、納得のいかないことがあると上の立場の人間でも遠慮なく食ってかかる面もあり、それが上層部に目をつけられることが多い[9]
父親から肉体づくりの大切さを諭されたが、実際の食生活はレトルトばかりで、カルシウムや煮干しを食べれば大丈夫と高をくくっていた。
恋愛面
異性として初めて意識した川瀬涼子に対しては、当初こそ経験したことのない感情ゆえに奥手な態度を取っていたが、彼女が不意に発した一言で気持ちが冷めてしまった。
その後は、薫と恋愛関係になるまで年相応に異性へ興味を示すことはあっても、野球一筋の硬派な態度を取り続けた。
のちに妻となる清水薫を不器用ながらも大切にしており、ソフィアが「プロ野球選手の妻になる覚悟はあるか?」と彼女に問いかけた際には、ソフィアに対して薫の立場に対する配慮が皆無だったことを叱っていた。
学生時代の戦績
野球漫画の主人公としては非常に珍しく、春夏を通じて一度も甲子園に出場していない。
高校での公式戦出場は3年夏の県予選の5試合のみで、県大会ベスト8止まりである。理由としては、名門・横浜リトルの誘いを断って、解散寸前だった三船ドルフィンズに残留したことに始まり、甲子園優勝常連の海堂高校を退学して野球部のない聖秀学院高校に編入するなど、「弱小」に身を置くことが多いためといえる[10]
アマチュア時代に名門チームに所属していた経験は、博多南リトルと海堂高校の2チームのみである。
その他、名門チームに勝利した経験は、横浜リトル戦と北九州リトル戦のみである。その後、名門チームに勝てなかった原因としては、右肩の故障による左腕転向と、復活した矢先に立ち現れた海堂高校の存在が大きい。
物語最終盤まで「(マイナーなどを除いた)ハイレベルな大会での優勝」の経験がなかったことで、投打両面において高い実力を持つ選手である割には球歴が乏しい。中学・高校時代の公式戦出場回数がそれぞれ一桁にとどまり、渡米前の球歴は皆無にもかかわらず、名門・海堂高校のセレクションに合格しており、プロ野球ドラフト会議においては直前まで複数球団が指名候補に名を挙げていた。
自ら望んで逆境に身を置こうとすることが多く、試合でも対戦相手が強ければ強いほど[11]、ピンチになればなるほど本領を発揮する。

プレイスタイル[編集]

生まれながらにして天賦の才を持ち、才能だけに頼らずに努力も怠らない「エースで4番」タイプの選手。

投手[編集]

作中を代表する速球派であり、闘志を前面に押し出す典型的なパワーピッチャー。

投球スタイルは大胆不敵。場面ごとのモチベーションがプレーに影響しやすい体質ゆえ、実力に大きな波があるタイプ。そのため、相手の巧みな策略にはまった際は一気に冷静さを失い、ワンマンプレーや暴走に陥りやすい傾向にある[12]。本人曰く「牽制やクイックは苦手」とのことで、打者との勝負に集中しやすい気質を利用され、盗塁を許してしまうことも少なくない。

『リトルリーグ編』から『聖秀編』までは一貫して先発を務めていたが、『マイナー編』以降はクローザーを務めることが多くなった。長年先発を務めた経験と本人も先発完投主義なこともあり、始めは難色を示したが、陣内アリスに挑発される形でクローザーを引き受けた。『W杯編』でも日本代表のクローザーを務めた。以降クローザーにも誇りを持つようになる。

スタミナ
『リトルリーグ編』の頃から常人離れした体力の持ち主で、延長戦による多投を幾度も切り抜けてきた。
『聖秀編』では、右足に故障を抱えていながらも200球近くを投じ、海堂高校の打線を12回裏まで抑え続けるという、離れ業をやってのけた。
『W杯編』では、緊張のかかる大舞台で1打サヨナラの場面、150球近くを投じながらもギブソンjr.相手に、自己最速となる102(アニメ版では103)mphを計測している。
制球力
右腕時代は非常に高い制球力を誇っていたが、左腕転向後は生来の利き腕でないこともあって、以前ほどの緻密な制球力はなく与四死球の描写も散見されたが、次第に右腕時代と遜色のないレベルにまで達していった。
球種

※下記は使用した順に並べてある。

ストレート/ファストボール
吾郎にとって、唯一無二の代名詞ともいえるウィニングショット。
ジャイロ回転[13]のするボールの球威は凄まじく、真芯でとらえたバットを何本も粉砕している。
上記の通り、ボールにモチベーションが乗りやすい体質ゆえに、打たれても本塁打になることは少なく、本人も「自分から本塁打を打った打者は、数えるほどしかいない」と豪語している[14]
抜け球
『聖秀編』にて、右足の故障で一時的に生じていた失投。
些細な疲労や身体のバランスの崩れが原因となり、シュート回転の棒球となってストライクゾーンの外側に抜けていく性質を持つ[15]
海堂戦では、自チームの打線でも真っ向勝負は厳しいと判断した寿也の指示で、事前に自分と同じく上位打線である草野と薬師寺にこのことを知らせた。なお、全員に狙わないようにしたのは、聖秀戦があくまで甲子園に出行くための通過点にすぎす、さらに悪球打ちはフォームを崩す要因にあるとのこと。
カーブ
『幼稚園編』にて、安藤から教わった球種。
吾郎が初めて覚えた変化球。初投球時もわずかながら変化していた。しかし、その後は高校時代まで一度も使用することはなく、『マイナー編』のクーガーズ時代にようやく使用したものの、実戦で使うにはほど遠いレベルにあった。その後はサンチェスの助言もあり、バッツに移籍してからは使用しなくなった。
チェンジアップ
『リトルリーグ編』にて、一時的なイップスに陥った際、偶発的に生まれた球種。
横浜リトルとの初戦後、安藤の勧めで夏の合宿から練習を繰り返し、後に本格的に会得した。通常のチェンジアップと違い、打者のタイミングを外すだけにとどまらず、空振りすら狙えるほど精度が高く(樫本曰く「パームボールに近い軌道を描く」)、横浜リトル打線を終盤まで抑え続けた。
なお、右腕時代に使用したのは横浜リトル戦のみで、『映画版』の博多南リトルでは使用する描写がなく、その後左投げに転向してからは『聖秀編』まで使用することはなかった。
『マイナーリーグ編』のクーガーズ時代にようやく使用したものの、実戦で使うにはほど遠いレベルにあった。その後、『W杯編』でも一時練習をしていたが、やはり会得には至らなかった。
スライダー
『聖秀編』にて、練習の一環としてエメリーボールを用いて使用した球種。
『マイナー編』のクーガーズ時代にも使用したが、ギブソンJr.曰く「まがいものの変化球」で、実戦で使用するにはほど遠いレベルにあった。その後はサンチェスの助言もあり、バッツに移籍してからは使用しなくなった。
フォークボール / ジャイロフォーク
『W杯編』にて、野呂(アニメ版では勝呂)から伝授された球種。
当初は制球力や落ち始めるポイントに難があり、実戦では使いものにならなかった。しかし、その後も修正や改良を加え続けたことで、後にシルヴァクラスの強打者ですら空振りする一級品の変化球と化した。これにより、積年の問題だったは変化球は解消し、投球の幅も広がった。
通常のフォークと違い球速がほとんど落ちない[16]上に、落ち始めるポイントが相当ベース寄りで落差もかなり大きいため、相手打者のほとんどはこのボールの前に空振りを喫する[17]
その反面、身体にかかる負担も大きく、実際に投球し始めてから1年もしないうちに、血行障害を患うという憂き目に遭っている[18]
実は『聖秀編』の海堂戦で投じたのが初であり、実戦で使用するには大したキレや落差もなかったが、海堂打線の抜け球狙いの逆手に取り、薬師寺から三振を奪うことに成功する。しかし、続く寿也にはまるで通用せず、田代の叱責もあって同試合では使用しなくなった。
カットボール
『メジャー編』にて、イップスの後遺症に悩まされていた時期に、新たに練習していた球種。
キーン曰く「ただのホームランボール」とのことで、変化のキレや精度は低く、実戦で使えるレベルになかった。結局、その後は一度も使用する描写がなく、前述のカーブやスライダー、チェンジアップと同様に封印した模様。
その他の球種
マイナー時代、ツーシームのような速球系の変化球もいくつか試みたが、いずれも会得できなかったと作中で言及している。
結果的に、吾郎が投手人生において会得した球種は、ファストボール、ジャイロフォーク、チェンジアップのみである。

野手[編集]

チャンスに強い長距離打者で、走攻守の三拍子揃った5ツールプレイヤー

打撃
打者としても非常に優秀であり、父親譲りの打撃センスと持ち前の勝負強さで、作中で描写のある多くの試合で長打を放っている。
速球に滅法強く、速球派の投手からアーチを量産している。一方、変化球を少々苦手としており、変化球派の投手の前に打ち取られる描写が多い。
リトルリーグ編では、描写のあるほぼ全試合で本塁打を放ち、久喜リトル戦で片手打ちによる柵越えを決めるなど、圧倒的な打撃力を見せていた。しかし、中学編以降は左腕転向に専念したためか、打ち損じや空振りする描写が増え、以前ほど突出した活躍はあまり見られなくなった。
渡米中、打者として10年以上もの実戦経験のブランクがあった[19]にもかかわらず、日本球界復帰時の公式戦でスタメン出場している。本人は理想のプレーヤー像として「打って守って走れ、三振も取れるプロ野球選手」と語っている。その反面、バントは大の苦手である。
走塁
作中で足の速さについて直接言及された描写はないが、意表を突いて三盗を決めたり、内野フライでタッチアップでホームインするなど、走塁技術も高い。
守備
優れた反射神経と強肩で、本職の野手顔負けの守備範囲を誇る。

記録[編集]

投手[編集]

  • ノーヒットノーラン、2回
    1. 中学3年生時、県大会2回戦(対青武館)※1四球のみ。
    2. 高校3年生時、県大会3回戦(対川上実業)
  • 完封、2回
    1. 中学3年生時、県大会決勝(対三船西中学)※2安打のみ
    2. MLB1年目、オールスター明け第1戦(対ミネソタ・コヨーテス)※3安打のみ
  • 連続記録
    1. リトルリーグ秋季大会、9連続奪三振(対本牧リトル)
    2. 高校野球夏季大会、20イニング連続無失点(陽花学園〜久里山高校)※三船戦までは救援登板
    3. 第1回W杯、8者連続奪三振(対アメリカ合衆国)
    4. MLB初登板後、11イニング連続無安打
    5. MLB1試合、9者連続奪三振(対ミネソタ・コヨーテス)※MLB史上、歴代第2位の記録

打者[編集]

  • 満塁本塁打、4回
    1. 小学4年生時、県大会1回戦(対本牧リトル)
    2. 小学5年生時、県大会1回戦(相手チーム不明)
    3. 中学3年生時、県大会3回戦(対友ノ浦中学)
    4. MLB1年目、交流戦(対シカゴ・バイソンズ)
  • ランニング本塁打、2回
    1. 小学4年生時、県大会3回戦(対横浜リトル)※実際はエンタイトルツーベース扱い。
    2. 高校2年生時、練習試合(対帝仁高校)※アニメ版では、普通の柵越えに変更されている。
  • 1試合2本塁打、2回
    1. 中学3年生時、県大会3回戦(対友ノ浦中学)
    2. 高校2年生時、練習試合(対帝仁高校)

実績[編集]

  • リトルリーグ
    1. 小学4年生時、県大会ベスト4
    2. 小学5年生時、県大会優勝
  • 中学軟式野球
    1. 中学3年生時、地区大会優勝
  • 高校野球
    1. 高校3年生時、県大会ベスト8
  • AAA
    1. 渡米1年目、チャンピオンシップ制覇
  • MLB
    1. 渡米2年目、ア・リーグ(アニメ版ではノーザン・リーグ)中地区優勝
    2. 渡米9年目、ワールドシリーズ制覇

タイトル[編集]

MLB

表彰[編集]

MLB

故障[編集]

野球漫画の宿命ともいえる故障であるが、吾郎の場合は選手生命を顧みない無茶なプレーにより、常に隣り合わせの状況にあったといえる。

下記は作中において、吾郎が経験した故障の一部である。

時期:リトルリーグ編、メジャーリーグ編
前者はバント処理時に誤って、送球が打者の頭部に命中したことにより発症。一方後者はギブソンから「ギブソンjr.による被弾を浴びたことが原因か」と推測され、少年時代の頃からの夢であった「ギブソンとの投げ合い」が達成されてしまったことによる、「燃え尽き症候群」だとオリバーからは指摘されている。
なお、リトルリーグ編では克服するまでわずか2日間だけだったが、メジャーリーグ編ではシーズンの半分を費やした。
  • 右肩の故障
時期:リトルリーグ編
多投による故障。横浜リトル戦において、疲労困憊の状態にありながら延長を投げ続けたことで発症。福岡転校後、故障を押して登板したことにより、ついに投球不可能となる。
原作・アニメ版では小学校6年生時だったが、映画版では小学校5年生時に変更されている。
時期:聖秀学園編
他人から故意に負わせられた故障。痛み止めを使ってまで試合に出るという無理が祟ったため、完治するまで約半年近くかかった。
時期:マイナーリーグ編
危険球を受けたことによる故障。完治するまで数日間、故障者リスト入りをすることとなった。
時期:メジャーリーグ編
ジャイロフォークの会得による故障。2度の発症を起こし、2度目の発症の際には投球数が少ないクローザーへの転向を余儀なくされる。
  • 左肩の故障
時期:メジャーリーグ編
詳しい内容は割愛されているが、この故障により投手として再起不能となり、父・茂治と同じように野手転向を決意することとなる。
  • 脳挫傷
時期:メジャーリーグ編
投手強襲による故障。

経歴[編集]

幼稚園編(アニメでは保育園編)
プロ野球選手の父に憧れ、幼少時からボールを握って育ち、5歳にして球速は90km/h、三船リトルの安藤監督を驚嘆させる。父がジョー・ギブソンの死球によって死亡すると、茂治の婚約者だった吾郎の幼稚園の先生(アニメでは保育園の保育士)・星野桃子に引き取られて育つ。
父が故障で引退を考えたことを受け、彼の所属する横浜マリンスターズ(アニメでは横浜ブルーオーシャンズ)の球団事務所に押し掛けて彼の解雇を撤回するよう懇願したり、茂治を死球で死亡させたギブソンに体当たりをして「おとさんを返して」と泣きじゃくるなど、茂治に対して一途であった。
リトルリーグ編
小学4年生になり三船リトルに入団。この時点で球速は110km/h前後を記録。野球の不人気で人数ギリギリの士気がないチームに清水薫、小森大介、沢村涼太を誘い、9人揃える。その後、サッカーのクラブチームとグラウンドの使用権を賭けて商店街草野球チームと戦うが敗北。だが、志を大人たちに認められてチームは存続する。その試合を見て吾郎に才能を感じた三船リトルの安藤監督から名門の横浜リトルへの入団を勧められる。乗り気でないものの横浜リトルへ見学に行き、そこで幼稚園の時に野球友達だった佐藤寿也と再会、かつて父・茂治が在籍したチームであることも知り揺れ動く。当初は移籍に前向きな考えを示すが、仲間を見捨てることを理由に桃子に猛反対され、迷いを抱く。その後桃子が急病で倒れたことや英毅の説得もあり、三船リトルで横浜リトルを倒すことを決意する。
そしてトーナメントを勝ち進み[20]、肩を痛めながらも日本一の横浜リトルを破る。
その後、継母である桃子と茂野英毅の結婚、さらに英毅の福岡イーグルス(アニメでは福岡ファルコンズ、劇場版では実在する福岡ソフトバンクホークス)移籍に伴い福岡へ転校[21]。この際、名字が本田から茂野になった。
博多リトル(外伝・劇場版では博多南リトル、アニメ版では福岡リトル)での試合中のアクシデントで(劇場版では、九州大会優勝に貢献するため決勝で完投し優勝した直後に)肩を壊してしまう。途方に暮れ落ち込んでいたが、英毅の勧めで右投げから左投げに転向する。
三船東中学校編
中3のときに英毅が横浜に移籍したことに伴い、4年ぶりに横浜へ帰る。三船東中学に転入し、小森・沢村・薫と再会。初めはサッカー部に所属していた[22]が、かつてのチームメイトである小森のいる野球部の荒んだ現状を見て(アニメでは三船西中学との練習試合で相手監督に罵倒される東中ナインを見かねて急遽登板し、逆転勝ちした後)入部することを決意する[23]。しかし本来右利きの吾郎は左投げではまったくキレがない棒球であると、幼なじみである寿也に指摘される。英毅の指導もあって短期のうちに克服。この頃、吾郎の左腕はいつの間にかジャイロリリースを習得していた。
地区大会1回戦の宝仙戦ではストレートのキレの習得練習のため遅刻をして、試合途中から登板。速さはないがキレ意識の投球で打たせて取り、相手の流れを止めた。2回戦の青武館戦では速さも伴い、海堂のスカウト候補のいる打線を圧倒し、四球一つのみのノーヒットノーランを達成する。この試合で海堂スカウトの大貫に注目される。そして3回戦で寿也のいる友ノ浦と対決する。海堂高校の特待生になることに執念を燃やす寿也の心理作戦にはまり苦戦するが、小森に喝を入れられ冷静さを取り戻す。最終的にはマウンドに上がった寿也と対決するが、その球は以前の吾郎と同じくキレのない棒球であったため、サヨナラ本塁打を放ち勝利。その後、地区大会の決勝で三船西に完勝し、県大会出場を決める。
しかしその県大会の1回戦で海堂学園中等部(アニメでは海堂学園付属中)の眉村健に打ち込まれ、19-0の4回コールド負けで敗北する。これにより自分自身が海堂野球部で這い上がらねばと思うようになり、寿也たちと海堂学園高校野球部のセレクションを受けて合格し、学科試験と面接も突破して海堂学園へ入学する。
海堂学園高校編
海堂入学後、三軍「夢島組」に入所。脱落者が多く出る中、途中で教官・乾に「1~2か月先のメニューをやらせてやる」と嫌がらせ紛いのことを受けながらも基礎体力トレーニングを軽々とこなす。その後、乾を相手打者とした投手適性試験で、ただ一人乾を三振に打ち取るも、責任者・周防に「海堂のマニュアルに反する」と自身の投球スタイルを否定され不合格にされてしまう。吾郎のピッチングに感銘を受けた乾に、自身がメジャーリーグでも活躍できるほどの「怪物」になれる逸材であることを聞かされると同時に、海堂を辞めて他校でプレーするように勧められるも思いとどまり、しばらく外野手としてプレーすることを決め、「打って走って守れ、三振の取れる選手になる」ことを宣言する。またその後の、二軍昇格を賭けた修了検定は3番ライトで出場。最初はマニュアル通りの守備、打撃をしていないことから周防に評価されていなかったが、総監督への指令[24]により特別に再度投手としての試験を受け、打者9人全員を三振に打ち取る完璧な投球を見せ合格し、二軍昇格を決める。特待生との歓迎試合では一方的に点差を広げられる展開にしびれを切らし、寿也や寺門からの要請もあって二軍監督の早乙女静香に許可されて途中登板する。海堂の掲げるマニュアル野球に反発し「1点でも取られたら海堂を辞める」と宣言、その言葉通りジャイロボールによる圧倒的な投球[25]を披露する。走者としては5回、二死ながら二盗、三盗を決め、草野にセーフティスクイズを指示して成功し、確率や予測だけのマニュアル野球の限界を示した。結果、この試合は寿也の眉村からのサヨナラ本塁打で夢島組が勝利する。しかし、吾郎のスタイルを認めようとしない静香によって一時は退部の危機に陥るが、チーフマネージャー・江頭の計らいによって退部を免れる。
その後、一軍の4番である千石に一打席勝負を挑むも完敗し、吾郎に理解を示す二軍トレーナー・早乙女泰造の休養を織り交ぜた指導によるウエイトトレーニングなど科学的なトレーニングにより球速150km/hを超えるジャイロボールを投げるようになる。最高は156km/hである。マニュアル野球への反発と最強海堂を倒したいとの強い思いから、2年の夏の一軍対二軍の壮行試合で一軍に完投勝利し自主退学する[26]
聖秀学院高校編
江頭の妨害工作で野球部のない高校への編入を余儀なくされ聖秀学院高校に編入するが、数少ない男子生徒を集めて自らの手で野球部を創設。2年秋に2年5名・1年3名の計8名で横浜帝仁高校との練習試合に勝利後、屋上にグラウンドを作る。その後コーチを買って出た父・英毅と樫本の厳しい練習についていけず入部を取り消そうとした部員たち(藤井と田代は除く)の心を自らが手取り足取り一から教えることで開かせ「全員合格だ」と言われている(第3シリーズ7話冒頭。創部時の1年生が3年次、第4シリーズ16話半ばで、「2年から始めた野球だけど」とコメントしているが実際は1年の秋である)。3年の春、再び江頭の妨害(一軍当落線上の選手である蒲田に対して吾郎の足を故意負傷をさせる)に遭い、海堂二軍との練習試合で右足首に靭帯断裂と骨折を負う。退院後に英樹からは「将来を見据えた行動を取れ」と苦言を呈されるも、「今の自分には海堂と戦う事の方がプロ入りや将来の事よりも大切な事」と出場が絶望的な状態でも諦めず、夏の大会では毎試合痛み止めを打ち全登板する[27]
県大会初戦の陽花学園戦は怪我を押して途中出場し、逆転勝利に導く。2回戦では小森率いるシードの三船高校を破り、3回戦の横浜商蔭戦(アニメでは川上実業)ではノーヒットノーランを達成し注目を浴びる。その後4回戦で香取、唐沢のいる久里山高校を破り、 準々決勝で寿也率いる海堂高校との対戦が実現する。序盤はマニュアル野球に対して咄嗟のバウンド投球でのスクイズ阻止や、吾郎自身認識していた弱点の抜け球狙いに対してのフォークボールでその場をしのいできた。しかし田代の弱気なリードをハッタリで翻弄したりする寿也の策に対して、チームメイトからの鼓舞もあり、真っ向勝負に目覚める。終盤、吾郎の完治していなかった足を苦しめる江頭のバント作戦に苦戦するも、田代の身体を張った好守や偶然が重なり、接戦となる。同点の9回表に大河がナックルボールの変化量が落ちて来た阿久津から適時打を放って一度は勝ち越したが、9回裏二死満塁で寿也に同点適時打を打たれて追いつかれる。その後は足を痛めながらも、走者を出しながら無失点に抑えていたが、延長12回裏に無死満塁のピンチを招き、眉村は渾身の投球で三振に打ち取ったが、直後の草野への1球目で力尽き、ボークでサヨナラ負けとなる。
その後、父を死に追いやったギブソンが今もメジャーで活躍し、吾郎との対戦を心待ちにしていることを知り、メジャーリーグを目指すために巨仁と横浜からのドラフト指名の打診を断ったが、英毅が横浜に入団していたら、吾郎の為自身が着けて永久欠番になっている17番を譲る決断をしていた事を横浜のスカウト桂木が聞かされ、一時は渡米を断念しようとするが英毅から「家族に気を使うな」「最高の舞台で、最高の男たちと戦ってこい」の言葉で決断し単身渡米する。
マイナーリーグ編
アメリカ到着早々置き引きにあい、路頭に迷っていたところを八木沼隼人に助けられる。八木沼と共にアナハイム・サーモンズのトライアウトを受け合格。実力と精神の強さを認められ特例でメジャーキャンプに合流するが、チームのエース・サンチェスとのコントロール勝負に敗北し、エキシビジョン(オープン戦)で打ち込まれ[28]、3Aクーガーズに降格。さらに、オクラホマ・ファルコンズとの試合中に茂治に対して暴言を吐いたジョー・ギブソンJr. と乱闘を起こして解雇される。チームを離れる際、サンチェスから小手先の変化球に頼らずにもっと直球にこだわること、直球の制球力をつけることを提言される。
その後、3Aメンフィス・バッツに入団するが、チーム内は3Aは調整地と考える者と落ちていく者の混成で、勝利への執着心を失っていた。クローザーとして加入した吾郎はチームメイトのサンダースと共にチーム内の意識改革を進め、3Aのリーグ優勝を果たす。9月のロースター枠拡大でメジャー昇格を言い渡されるが、プレーオフにギブソンJr.のいるファルコンズが出場することを知って故障と偽り3Aに残留。磨き上げた制球力はストライクゾーンからボール一個分の出し入れができるようになる。プレーオフ決勝の第1戦で、ギブソンJr. に投じた直球が102mph(164km/h)を記録。最終戦で3A優勝を決めたが、前述した独断行動がきっかけでメジャー昇格は見送りとなった。
W杯編
日本に帰国後、薫と聖秀時代に交わした約束のサインボールを渡し、大河からの後押しや薫自身の気持ちを聞いて自身も知らない間に薫を恋愛対象として見ていた事に気づき、薫との初デートで告白し恋愛関係になる。その後、W杯の開催を知り、日本代表入りを目指して打撃投手を志願し父親のコネで日本代表のキャンプに参加。メジャーリーガーの鈴木コジロー(アニメでは京四郎)に単調な投球を指摘され、野呂の指導もありジャイロフォークを習得する。そこで大木(アニメでは佐々木)監督や吾郎との勝負で使っていたバットを折られていたコジローからの推薦もあって認められ、練習試合相手のヤングジャパンに抜擢され日本代表と戦う。コジローと松尾(アニメでは板尾)[29]に格の違いを見せつけられた事から自分の力不足を痛感してアメリカに戻り、ホーネッツのキャンプに参加する。
しかしW杯アジア予選後、野呂(勝呂)の故障に加え吾郎の3Aでのクローザーの実績、コジロー・松尾らの推薦もあって日本代表入り。クローザーを任され、期待通りの活躍をし続けていたが、アメリカとの決勝戦でギブソンJr. から逆転ツーランを浴びる。その後寿也が同点タイムリーを打ち、延長戦に突入、念願のギブソンとの対決が実現する。しかし16回裏にノーアウト満塁のピンチを招き、ギブソンJr. に102mph(164km/h)の球をサヨナラ満塁本塁打にされ、敗戦投手になる。その後、空港で薫にギブソンJr.へのリベンジを誓う。アニメでは「野球やめるかも」と思っていたが、旧友たちと野球をして野球への情熱を取り戻し再び渡米した。
メジャーリーグ編
チームキャンプに戻った吾郎は、W杯での活躍を評価され、オープン戦を経て正式にメジャーリーグへと昇格する。メジャー初登板の試合では、序盤から100mph(161km/h)を連発し、メジャー史上初の初登板・初先発でノーヒットノーラン達成(現実世界ではメジャーリーグデビュー戦での達成は既にあるが(ノーヒッター1例、ノーヒットノーラン1例)連載当時は記録が判明していなかった)の期待がかかったが、終盤で調子を崩し、背筋痛を訴え自らマウンドを降りる。その後の試合でも乱調が起こり、登板2試合目では相手バッターの頭部にボールをぶつけ、危険球退場。3試合目では1回持たずしてKOされ、マイナーに降格した。オリバーから吾郎はイップス(投球恐怖症)であると診断され、催眠療法を受ける。受診後は安定した投球ができるようになり、メジャーに再昇格したが、本来の威圧感は失せ、球速も95mph(153km/h)前後で、剛速球はすっかり影を潜めた[30]。その後のシーズン前半戦では相手が打撃の粗いチームや、よほど調子のいい時には勝てるものの打撃のいいチームには打ち込まれるという、勝ったり負けたりの投球が続き本来の力が出せずに苦しんでいたが、現役復帰したギブソンから、新たなるモチベーションを見つけ出し、その後の試合で100mph(161km/h)を連発。102mph(164km/h)も記録した[31]
シーズン終盤のミネソタ・コヨーテス戦で完封勝利を目前に鈍痛が手を襲う。辛くも完封したものの、その直後病院の診察を受け、そこで血行障害(胸郭出口症候群)と診断される。また、不振のワッツに代わって再びクローザーに指名される。最終戦までの成績は14勝10敗1セーブ、防御率3.46。
地区優勝決定戦のコヨーテス戦で終盤登板し、メジャー記録の10連続奪三振に届きそうだったが、9連続奪三振の後、痛みが走ったため記録が途絶えた。その後、限界を超えた腕で101mphで空振り三振にとり、マウンドを降りた。その後ホーネッツはマードックのサヨナラホームランで地区優勝[32]。手術も成功した。
帰国後薫にプロポーズし、その数年後に結婚。メジャー2年目からは先発として最多勝2回・サイヤング賞2回などを獲得する活躍をしていたが、メジャー5年目に血行障害を再発しクローザーに再転向、7年目と8年目に最多セーブ王のタイトルを獲得し、ホーネッツ不動の守護神となる。
27歳になる年、渡米9年目メジャー8年目で、身重の妻・薫ら家族が見守る中、ギブソン父子率いるレイダースとのワールドシリーズに臨む。しかしギブソンJr.の打球を頭に受けて失神し、病院に運ばれる。多くが父・茂治の悲劇を想像するも、夢の中での父との邂逅を経て、無事に意識を取り戻す。翌日の最終戦はベンチで見守っていたが、試合が佳境に入った頃、志願して投球練習に参加。レイダースの監督であるギブソンにプレッシャーをかけるために投球練習をしただけで登板するつもりは無かったが、チームがサヨナラ負けのピンチを迎えたところで自ら志願してマウンドに上がる。後遺症の眩暈の影響に負けず、全力投球で相手をねじ伏せ、念願のワールドシリーズを制覇。この夜に長女・いずみが誕生し父親となった。
日本プロ野球編
ワールドシリーズ制覇後もメジャーで活躍していた吾郎だったが、左肩を故障し、治療の甲斐なくホーネッツから解雇通告を受ける。しかし現役引退を受け入れないまま、かつての父・茂治のように野手として再起することを決意。家族を連れて帰国後、子供たちに真相を一切教えないままトレーニングを続け[33]、34歳になる年、トライアウトに合格し横浜(オーシャンズ)に入団。キャンプを経てオープン戦で日本プロ野球デビューを果たし、公式戦で本拠地・横浜(オーシャン)スタジアムの巨仁(アニメでは東京ウォーリアーズ)戦で、家族が見守る中、大物メジャーリーガー・コルボーンから3打席目で本塁打を放つ[34]。その後、七夕の短冊に「夢はメジャーで4番」と願う。
MAJOR 2nd
物語開始時から台湾に渡っており、日本にはほとんど帰っていない模様。42歳となったが、未だに現役で野球を続けている。劇中では直接登場はしていないものの[35]、長男・大吾の現状を夫人である薫を通じて、現役を引退して日本に戻って来ている寿也に大吾をコーチするよう依頼している。
後にシーズンオフで帰ってくることを泉にLINEで伝え、翌日に日本へ帰国する。
帰国してしばらくの間は、光に重傷を負わせてしまった責任から精神的に塞ぎ込んでしまっていた大吾を(寿也の根回しや光自身の希望もあったとはいえ)リハビリに励んでいる光と引き合わせることで立ち直らせている。その後、中南米のウィンターリーグに出場するため、家族に相談せず再び日本を離れる。その直前に大吾と一球だけのキャッチボールを交わした。

脚注[編集]

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  1. ^ アニメ版では、『メジャー編』で183lb(約83kg)と設定されていた。
  2. ^ ただし、県大会準決勝では最終回でリリーフし、決勝では先発・完投するが、壊した肩にライナーによるダメージを受け、それを押しての投球が災いし、ついに右腕での投球ができなくなる。
  3. ^ 樫本、多岐川、阿久津など
  4. ^ W杯や日本代表のエースである松若(アニメ版では原田)の存在を知らないなど。
  5. ^ 良い例としては、リトルリーグ・マイナーリーグ編で弱小に甘んじ向上心を失いかけていた、三船リトル・バッツ全体が発奮するきっかけになったり、中学編で「本当のチームワーク」について東中ナインが真剣に意識をするようになるなどが挙げられる。悪い例としては、海堂編にて日本一の海堂を自分の力で倒したいという強い想いを断ち切れず「打倒一軍」という己の目標を達成するため、共に甲子園に行きたいと願っていた寿也をはじめ、親身になって接してくれていた早乙女兄妹、広告塔として利用するために厚遇していた江頭、多額の学費を出してくれた両親に対し、多大な迷惑をかけてしまった。また、このことについて義母の桃子から後に「自分本位じゃなくて野球本位で選んだ道」と理解を示してもらえたとはいえ「身勝手すぎる」と厳しく咎められ、同期の選手たちからも強い不快感を示されてしまった。
  6. ^ 海堂退学後、聖秀への編入期間中まで合間とはいえ学費を稼ぐために始めた牛丼屋のアルバイトで理不尽なクレームをつけてきた客と揉めて蹴飛ばしたった半日で解雇されるなど。
  7. ^ マイナーリーグ編でサーモンズ時代にサンチェスやギブソンJr.に突っかかって解雇されたことなど。
  8. ^ デビュー戦となった商店街チームとの試合で、自慢の速球を味方の拙守もあったとはいえことごとく連打されたり、左腕転向に成功し有頂天となった直後、大貫の根回し等もあったとはいえ海堂付属中学校に19-0のコールド負けを喫するなど、これらの経験はすべて吾郎の後の野球人生に大きな影響を与えた。
  9. ^ ただし、W杯編で勝呂や京四郎など、世界的に名の知れている選手には生意気な態度を取ってしまうことはあっても敬語を使うなど、必要最低限の礼儀を心得ている描写もある
  10. ^ 横浜リトルからの誘いは当初は前向きだったものの、周囲の人間からの反対や説得で思い直したことで取り止めたり、バッツのテスト登板を受けてアリスに合格の返事をもらった際、「もう少し骨のあるチームで自分を磨きたい」と述べたり、映画版で博多南リトルの入団の座を木下に明け渡した際も、少なからず未練がましい態度を取るなど、名門チームに対する憧れも少なからず見受けられる。
  11. ^ 「強いチームへ行くと、その強い奴らと戦えない」という考え方から、強いチームでプレーすることには否定的である。
  12. ^ 幸いにも、いずれの時期も的確なストッパー役がおり、試合中に立ち直ることができた。
  13. ^ 『海堂編』による特待生組との歓迎試合で、草野に指摘されるまで自覚は皆無であった。本人曰く「過去に英毅に手投げを指摘されて以来、速球のキレを意識して練習してきた影響」とのこと。
  14. ^ 作中で確認できる範囲では、球太、真島、アーサー(映画版)、寿也、眉村、千石、唐沢、ボルトン、ゲレーラ(アニメ版)、ギブソンJr.などといった、作中を代表する強打者ばかりで、本人の言うように数えた方が早い。
  15. ^ 右足の限界が近づいた試合終盤では、抜け玉がストライクゾーンに入る描写も見られた。
  16. ^ この球質はフォークというより、むしろスプリット・フィンガー・ファストボールに近い。
  17. ^ なお、作中でこのボールを打ったのは、ギブソンjr.とボルトン(アニメ版)のみである。
  18. ^ 吾郎は左投げに転向して以降、この変化球を覚えるまで一度も肩や肘を故障したことがない。
  19. ^ 渡米中はDH制があるア・リーグ(アニメではノーザンリーグ)のチームに在籍していたため、投手登板しても打席に立つことは少なかった。例外はマイナー時代や交流戦やワールドシリーズなど。
  20. ^ この頃は、宇沙美球太から「才能だけで野球をしている」と評されており、実際に彼との対戦ではいきなりの被本塁打など、かなりの苦戦を強いられていた。
  21. ^ この際、吾郎は転校することを小森たちに伝えなかった。
  22. ^ 高校進学後に硬式野球をやるための体作りで、中学で軟式野球をやるつもりはなかった
  23. ^ この際に薫とも和解する。
  24. ^ 実際はチーフマネージャー・江頭が総監督の許可を得て、総監督の名前で出した指令
  25. ^ 6回2/3を投げノーヒット
  26. ^ 原作では千石からの犠牲フライによる1点で海堂打線を抑え込み寿也の2ランで勝ち越してそのまま完投したがアニメ版では眉村からの寿也頼みの警鐘もあった事で一度は守備の乱れから勝ち越しを許すも眉村からの挑戦と吾郎自らの2ランで再び勝ち越して投打に置いて海堂の1軍を攻略した。
  27. ^ 痛み止めを使い始めたのは二回戦の三船高校戦から。処方した医師からは球数制限や習慣性のあるものだから連続使用は極力避けるようにと念を押されていた。自分の身体を犠牲にしてまで闘おうとしたのは自分の夢の為だけではなく、「自分のわがままに付き合わせた」という仲間達への負い目もあったが、海堂戦でその事を打ち明けた際に、吾郎のわがままに付き合ったのではなく自分達の意思で野球をしていること、むしろ自分達を変えてくれた事に感謝していると言われた。
  28. ^ 原作では、6回12安打9失点という散々たる結果だった。だが、アニメ版では、6回6安打3失点という力投に変更されている。
  29. ^ コジローからは適時打を浴びたが、板尾とはバットを3本を折ってのあわやホームランのセンターフライ
  30. ^ 後にオリバーからはイップスの原因は小さい頃から目標としていた「ギブソンとの投げ合い」を達成してしまったことによる野球に対してのモチベーションが失われてしまい、自ら新たなるモチベーションを見つけようとして上手くいかなかった事が原因ではないかと推測された。
  31. ^ 原作では野球が好きだから走り続けるというモチベーションを見つけたという内容だったが、これはアニメ第5シリーズ最終話でのアニメオリジナルストーリーのエピソードで使われた為、アニメでは原作と異なり、野球という夢をファンに伝え続けるという内容になった。
  32. ^ 原作ではその後プレーオフを勝ち進みワールドシリーズに進出しているが、アニメではサーモンズに敗れ、Wシリーズ進出はならなかった。
  33. ^ 就活もせず家でだらけたり、パチンコへ出かけると嘘をついて練習に行くなど、怠け者でいい加減な父親を演じていた。いずみからは幻滅されていたが、これは父茂治が自分に対して取った行動と同じく「子供たちに中途半端な期待をさせて、ぬか喜びさせたくない」という彼なりに気遣ってのことだった。
  34. ^ この活躍でいずみはプロ野球選手としての父親・吾郎の姿に感動し、認めるようになる。
  35. ^ 寿也との電話でコーチングを依頼した大吾の様子について確認するといった描写は存在する他、眉村の娘道塁にとっては憧れの人とポスターによる登場のみとはいえ姿を見せている。