湯西川温泉

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湯西川温泉
平家集落(2011年10月23日撮影)
温泉情報
所在地 栃木県日光市湯西川
北緯36度57分49.9秒 東経139度35分32.4秒 / 北緯36.963861度 東経139.592333度 / 36.963861; 139.592333 (湯西川温泉)
交通 鉄道:野岩鉄道会津鬼怒川線湯西川温泉駅から日光交通ダイヤルバスで約30分
自動車:日光宇都宮道路今市インターチェンジから国道121号(会津西街道)を鬼怒川温泉方面へ。五十里湖の湯の郷トンネル左折、一般県道249号(黒部西川線)へ。鬼怒川温泉から約45分
泉質 単純温泉
液性の分類 アルカリ性
外部リンク 日光市観光協会
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湯西川温泉の位置(日本内)
湯西川温泉
湯西川温泉

湯西川温泉(ゆにしがわおんせん)は、栃木県日光市(旧下野国)の日光国立公園内にある温泉である。温泉地名の由来ともなった湯西川(一級河川利根川水系)の渓谷沿いに旅館や民家が立ち並ぶ温泉地

泉質・効能[編集]

泉質[編集]

アルカリ性単純温泉。無色透明、無味無臭で含まれる成分が少なく、刺激が弱いため、利用範囲が広い温泉。肌にもやさしいので高齢者に向く。泉温25度以上なので、病後回復期の療養や外傷後の療養にも適す。

効能[編集]

動脈硬化火傷筋肉痛高血圧症切り傷神経痛、慢性皮膚疾患、打ち身捻挫腰痛糖尿病、疲労回復、月経障害、四十肩五十肩、関節痛、冷え性、慢性婦人疾患に効果がある。飲用では胃腸虚弱に良い。

  • 効能はその効果を万人に保障するものではない
入浴を控えるべき症状
急性疾患(特に熱がある場合)、悪性腫瘍、活動性の結核、重い心臓病呼吸不全、腎不全出血性疾患、高度の貧血、その他一般に病勢進行中の疾患、妊娠中(特に初期と末期)

温泉街[編集]

温泉街[編集]

湯西川温泉の旅館のほとんどは渓谷に面した露天風呂を設置している。

郷土料理は季節により、湯西川で捕れるイワナヤマメニジマス等の川魚、山菜舞茸・チタケ(チチタケ)等のキノコ類などの山の幸が味わえる。また、旅館によっては、野鳥鹿・山椒魚(サンショウウオ)など珍しい郷土料理が堪能できる。「ばんだいもち」といううるち米でついたを「ばんだい汁」や「じんごろう味噌」などで食べる郷土料理がある。温泉街の飲食店では手打ちの「日光そば」が味わえる。 昔は茅葺き屋根の民家を利用した土産物屋や食事処が河畔の遊歩道沿いに並び、温泉街の一部を形成していた。

共同浴場[編集]

無料露天風呂「薬研の湯」

橋の上からよく見える場所に無料で混浴共同浴場「薬研の湯」と足湯がある。

日光市湯西川水の郷観光センターでは露天風呂などを設営した温泉施設がある。

また、温泉地からは離れているが、湯西川温泉駅道の駅湯西川)にも併設された温泉施設がある。

歴史[編集]

温泉と平家の落人伝説[編集]

湯西川の先祖は平忠実(平忠房が改名したと言われている)が落ち延びたとされ、平家の落人伝説の残る集落で知られている。湯西川に伝わる伝説は、次の通りである[1]

平忠房は紀州で捕らえられ、源氏に討たれたとされているが、実は捕らえられたのは忠房の身代わりであった。忠房は忠実に名を変え、紀州から中山道を抜けて下野国宇都宮朝綱を頼り、朝綱は領地警護の名目で、日光の奥地に住まわせた。この噂を聞いた源氏は奥州合戦に向かう途上で、鶏頂山に隠れ住んでいた平家の残党約200人を奇襲した。奇襲を受けたうちの約40人は鬼怒川に沿ってさらに山深くへ逃げ、湯西川と川俣に分かれて隠れ住み、武具を隠し、山の民を装うことで、生き延びた。

平家の落人伝説を裏付けるものとして、平家塚(大夫塚)が残る[2]。大夫塚は平家の里のそばにあり、平家一門を埋葬する土墓とされている[2]。温泉の発祥は天正元年(1573年)で、平家の落人の子孫が発見したと伝わっている[3]。追討から逃れ、身を潜める山村生活を営み生きるため、この地では今もなお端午の節句鯉のぼりを揚げない[4]たき火をしない(煙を立てない)、を飼わない[4]など独自の風習が残っている。ゴマの代わりにジュウネ(エゴマ)で代用する(=ゴマの穂で忠実の嫡子が目を突き失明したため)、米をとがない(=とぎ汁を流して居場所を知られないようにするため)というものもある[4]。また、旧家では、もはや源氏とは争わないという意志を山の神に誓う証として、注連縄飾りをする[4]

湯治場から温泉街へ[編集]

湯西川温泉は元来、近在の農民湯治場であり、第二次世界大戦前までは、自炊しながら逗留する湯治客のための木造長屋が建ち並んでいた[5]。住民の多くは観光業ではなく、狩猟や木彫り工芸で生計を立てていた[6]

1956年(昭和31年)に五十里ダムが完成すると、湯西川温泉は「鬼怒川温泉の奥座敷」として注目を浴び、以来10年ほど男性客が芸者遊びに訪れた[7]。その後、道路整備が進んで大型観光バスが温泉街まで入れるようになり[7]、近代的なホテルが建ち並ぶ温泉街が形成された[8]

年表[編集]

交通アクセス[編集]

鉄道
東武鬼怒川線経由野岩鉄道会津鬼怒川線湯西川温泉駅から日光交通のダイヤルバスで約30分。
自動車
東北自動車道宇都宮IC経由日光宇都宮道路今市ICから国道121号(会津西街道)を鬼怒川温泉方面へ。五十里湖の湯の郷トンネル左折、栃木県道249号黒部西川線へ。

湯西川温泉駅から温泉郷へ続く道路は長らく狭隘な山岳道路となっていたが、湯西川ダム建設に伴う付け替え道路として2011年(平成23年)7月までに新道が開通し、線形が大幅に改善された。

脚注[編集]

  1. ^ 芦原 1999, pp. 86–87.
  2. ^ a b 芦原 1999, p. 88.
  3. ^ 下野新聞社 編 2006, p. 114.
  4. ^ a b c d 芦原 1999, p. 95.
  5. ^ 芦原 1999, p. 125.
  6. ^ 芦原 1999, p. 98.
  7. ^ a b 芦原 1999, p. 126.
  8. ^ 日地出版編集部 編 1995, p. 117.
  9. ^ 六地蔵供養塔は、湯西川温泉で最も古い建立物として、日光市の重要文化財に指定されている。
  10. ^ a b 旧栗山村歴史年表 日光市ホームページ 更新日:2010年9月1日
  11. ^ 浅見茂晴「日光市湯西川水の郷 地域活性化へ開館」毎日新聞2011年7月19日付朝刊、栃木版21ページ

参考文献[編集]

  • 芦原伸『栗山村物語』駿台曜曜社、1999年10月23日、205頁。ISBN 4-89692-188-7 
  • 下野新聞社 編『とちぎのまるわかり観光ガイド!! [平成の大合併版] とちぎデータブック Tochigi databook 06-07』下野新聞社、2006年4月24日、244頁。ISBN 4-88286-300-6 
  • 日地出版編集部 編『ふるさと再発見 栃木県』日地出版、1995年2月、208頁。ISBN 4-527-00657-6 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]