永田利則

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永田 利則
広島東洋カープ コーチ #85
Nagatac.jpg
2017/11/10 秋季キャンプ(天福球場)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県広島市東区
生年月日 (1961-10-09) 1961年10月9日(57歳)
身長
体重
172 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 内野手
プロ入り 1979年 ドラフト2位
初出場 1981年6月3日
最終出場 1990年10月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 広島東洋カープ (1994 - )

永田 利則(ながた としのり、1961年10月9日[1] - )は、広島県広島市東区尾長出身の元プロ野球選手、プロ野球指導者である。

父は1954年 - 1956年広島東洋カープに在籍した永田徹登

来歴・人物[編集]

広島商では1年生の時、エース住吉慶一(法大)を擁し、右翼手として1977年夏の甲子園に出場。3回戦に進むが豊見城高の下地勝治(広島)、石嶺和彦のバッテリーに抑えられ、延長10回の末に0-1で惜敗。3年生時の1979年三塁手に回り、夏の甲子園に再度出場。2回戦(初戦)は同期の中島信男(広島銀行)が好投、秋田商高山郁夫を打ち崩し3回戦に進むが、浪商牛島和彦に抑えられ大敗を喫する[1]

1980年、ドラフト2位で広島に入団[1]。広島入団当初は「三村(敏之)二世」と呼ばれ、かなりの期待を持たれていた。しかし当時の野手陣は層が厚く、二軍生活が長く続いた。

1987年オフ、西山秀二(+金銭)との2対1の交換トレードで、森脇浩司と共に南海ホークスに移籍。1988年にはウエスタン・リーグで打率.325を記録し首位打者を獲得。一軍でもシーズン終盤に二塁手、三塁手として9試合に先発出場を果たす。しかし同年12月にポーカー賭博により逮捕されて謹慎処分となる。翌1989年、30盗塁でウエスタン・リーグの盗塁王を獲得。一軍では7月に指名打者、三塁手として6試合に先発、1試合ながら一番打者としても起用される。しかし1990年には出場機会が減少、同年限りで現役引退。広島時代からスイッチヒッターに挑戦したり[1]、持ち味の足を生かす努力もしたが結果を残せなかった。

1991年、広島のスコアラーに就任し、古巣復帰。1994年、二軍守備走塁コーチに就任。2007年から一軍外野守備走塁コーチを務めた後、2010年は二軍野手総合コーチ、2011年からは一軍守備走塁コーチ、2014年は一軍打撃コーチ補佐、2015年は一軍総合コーチ、2016年からは二軍外野守備走塁コーチを務める。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1981 広島 7 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1983 1 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1988 南海
ダイエー
18 30 28 5 7 1 1 0 10 0 1 0 0 0 2 0 0 7 1 .250 .300 .357 .657
1989 15 31 28 3 6 0 1 0 8 5 1 4 1 0 2 0 0 5 0 .214 .267 .286 .553
1990 5 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
NPB:5年 46 71 66 8 13 1 2 0 18 5 2 5 1 0 4 0 0 17 1 .197 .243 .273 .516
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

記録[編集]

背番号[編集]

  • 32 (1980年 - 1987年途中)
  • 51 (1987年途中 - 1990年)
  • 85 (1994年 - )

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d 『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P20。

関連項目[編集]