村井正誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

村井 正誠(むらい まさなり、1905年3月29日 - 1999年2月5日)は、昭和 - 平成時代の洋画家岐阜県大垣市出身。

人物[編集]

岐阜県に生まれ、幼少期を和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)で過ごす[1]。旧制新宮中学校(現・和歌山県立新宮高等学校)卒業後[1]文化学院の美術科に一期生として入学。昭和9年(1934年)に長谷川三郎らと新時代美術展を結成。自由美術家協会やモダンアート協会などの創立に加わる。

昭和29年(1954年)、武蔵野美術大学教授に就任。昭和37年(1962年)現代日本美術展で「黒い線」などが最優秀賞を受賞。

抽象絵画の草分けの一人として活躍した。作品にシリーズ「URBAIN」などがある。

脚注[編集]

  1. ^ a b 村井 正誠”. 和歌山県文化情報アーカイブ. 和歌山県企画部企画政策局文化国際課. 2017年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月14日閲覧。