小諸駅
小諸駅 | |
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駅舎(2008年7月) | |
こもろ KOMORO | |
所在地 | 長野県小諸市相生町一丁目1-1 |
所属事業者 |
■しなの鉄道 ■東日本旅客鉄道(JR東日本)* |
電報略号 | コモ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 3面5線 |
乗車人員 -統計年度- |
(JR東日本)1,638人/日(降車客含まず) -2009年- |
乗降人員 -統計年度- |
(しなの鉄道)3,378人/日 -2009年- |
開業年月日 | 1888年(明治21年)12月1日** |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ■しなの鉄道線 |
キロ程 | 22.0 km(軽井沢起点) |
◄平原 (3.7 km) (5.9 km) 滋野► | |
所属路線 | ■小海線 |
キロ程 | 78.9 km(小淵沢起点) |
◄東小諸 (1.5km) | |
備考 |
共同使用駅(しなの鉄道の管轄駅) * みどりの窓口 有 標高:663.0m **JR東日本では開業日を1997年(平成9年)10月1日としている。 |
小諸駅(こもろえき)は、長野県小諸市相生町一丁目にある、しなの鉄道・東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。しなの鉄道とJR東日本の共同使用駅で、駅管轄はしなの鉄道が行っている。
乗り入れ路線
しなの鉄道のしなの鉄道線と、JR東日本の小海線が乗り入れており、小海線は当駅を終着駅としている。
1997年(平成9年)9月30日までは、しなの鉄道線はJR東日本の信越本線の一部をなしており、JR東日本の単独駅となっていたが、翌10月1日に北陸新幹線が長野駅まで開通したことにより、その並行在来線である信越本線の一部区間(軽井沢駅 - 篠ノ井駅間)がしなの鉄道線として経営分離され、同時に駅の管理もJR東日本からしなの鉄道に移管された。
駅構造
単式・島式ホーム3面5線を有する地上駅である。JRとしなの鉄道相互間の乗換えは改札を通らずに可能である。ただし、列車の接続間際に乗車券チェックを階段上にて実施することがある。互いのホームは跨線橋で連絡している。
現在の駅舎は老朽化のため、小諸市が運営するホールなどの施設を併設した橋上駅舎に改築する予定がある。
しなの鉄道社員配置駅。出札窓口、自動券売機のほか待合室がある。旧びゅうプラザ小諸支店跡地にみどりの窓口(営業時間10:00 - 12:30、13:40 - 18:00)があり、業務は長鉄開発に委託されている。
かつては小海線と信越本線のレールはつながっていたが、その後両線のレールは分断され、直通できない構造になっている。
のりば
1 | ■しなの鉄道線 | 上り | 軽井沢方面 | |
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2 | ■しなの鉄道線 | 下り | 上田・長野方面 | (折り返し列車) |
3 | ■しなの鉄道線 | 上り | 軽井沢方面 | (折り返し列車) |
下り | 上田・長野方面 | |||
4・5 | ■小海線 | 小海・小淵沢方面 |
- しなの鉄道のホームではJR信越本線時代に導入された発車メロディ「JR-SH2-1」が使用されている。なお、以前は、「Water crown」の短縮版を使用していた。
利用状況
- JR東日本の2010年度の1日平均乗車人員は1,589人である。
- しなの鉄道の2008年度の1日平均乗降人員は3,378人である。(出典:2008年版「統計小諸」)
駅周辺
- 小諸城跡(懐古園) - 信越本線は城跡を横断する形で建設された。下記二つの遺構の間に駅と線路が挟まっている。
- 小諸市立藤村記念館、懐古神社、小山敬三美術館、小諸市立郷土博物館、徴古館、小諸市立動物園、大手門公園
- 鹿嶋神社
- 小諸宿本陣主屋
- 旧小諸本陣
- 小諸義塾記念館
- 小諸寅さん記念館
- 大塚酒造酒蔵資料館
- シェイクスピア美術館
- 小諸市役所
- 小諸市民会館
- 小諸図書館
- 小諸郵便局
- 日本郵便小諸支店
- 小諸相生郵便局
- 小諸与良郵便局
- 佐久広域連合消防本部小諸消防署
- 長野県警察小諸警察署
- ジェイアールバス関東小諸支店
- お食事処揚羽屋 - 島崎藤村が足繁く通った。たくさんのおかずを集めた「一膳めし」やソースカツ丼を扱う店。
路線バス
- JRバス関東
- 高峰高原線 高峰温泉行 ※冬季はアサマ2000スキー場行
- 御牧ヶ原線 いちご平行
- 千曲バス
- 東信観光バス
- 川辺線 宮沢行
- 高速バス
- 小諸市コミュニティバス「小諸すみれ号」(JRバス関東、千曲バスに運行委託)
- 小諸市内各方面
歴史
- 1888年(明治21年)12月1日 - 官設鉄道の駅として開業。
- 1915年(大正4年)8月8日 - 佐久鉄道が開業。
- 1926年(大正15年)12月1日 - 布引電気鉄道が開業。
- 1934年(昭和9年)6月1日 - 布引電気鉄道が運行停止。
- 1934年(昭和9年)9月1日 - 佐久鉄道が国有化される。
- 1936年(昭和11年)10月28日 - 布引電気鉄道が正式に廃止。
- 1968年(昭和43年)10月1日 - みどりの窓口設置。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に継承。
- 1997年(平成9年)10月1日 - 長野新幹線開業に伴い、信越本線軽井沢 - 篠ノ井間がしなの鉄道に移管される。
- 2001年(平成13年) - びゅうプラザ小諸支店閉店。
- 2002年(平成14年)10月1日 - しなの鉄道小諸駅窓口でのJR乗車券・特急券類の取扱廃止(M2型マルス端末が使用停止となったため)。JR小諸駅みどりの窓口を再設置。
新幹線開業の影響
かつての信越本線時代は、特急「あさま」全列車が停車する長野県東部の拠点駅であった。しなの鉄道移行後は、当駅始発の「しなのサンライズ号」が設定されたものの、長野までの運行で、ホームライナーということで運行時間帯が限定されており、しかも東京に直通する列車が消滅したということもあって、利便性の低下が著しい。
小諸市の行政・商工関係者は北陸新幹線建設の際、当初ミニ新幹線規格で建設予定だったものをフル規格へと変更する案が持ち上がると、フル規格化に反対する運動を激しく繰り広げた。当初の計画通りのミニ新幹線での建設ならば在来線の路盤をそのまま改良して活用するため当駅が「新幹線停車駅」になり、そして東京駅と直通する新幹線により速達化がなされ、この利便性向上を地元小諸市の発展の新たな礎とする、というのが彼らの目論見であり悲願であった。ところがフル規格の計画案では小諸市はトンネル区間も含めて全く通過せず、ルート上に位置する南側の佐久市に新幹線駅が作られる一方で、信越本線は並行在来線として経営分離の上で第三セクター路線に転換される計画が提示されており、この場合、小諸駅は単なる第三セクター線の中間駅兼JR小海線の終着駅に転落し、小諸市もまた「新幹線」と「東京直通」の恩恵を直接受けることができなくなることが明白であったためである。
しかし、長野オリンピックの開催決定などの影響もあり、結果として北陸新幹線はフル規格で建設され、開業時に信越本線軽井沢 - 篠ノ井間はしなの鉄道に転換され、東京から乗り換えなしで小諸に至ることも不可能となり、地元経済・観光ともども大きな影響を受けている。
この一例は新幹線のルート選定・並行在来線の経営分離が、地元にとってはいかに重大な問題であるかを如実に表す例として知られている。このことについては阿久根駅(肥薩おれんじ鉄道線)も参照。
2010年(平成22年)8月、こうした状況を打開するため、しなの鉄道は沿線自治体の協力・援助のもと、沿線活性化のための実証運行として軽井沢 - 小諸間で列車の増発を行った。この増発により、軽井沢駅で長野新幹線と接続できるしなの鉄道線の列車が増加し、小諸駅へのアクセスも強化された。
隣の駅
- しなの鉄道
- ■しなの鉄道線
- 東日本旅客鉄道
- ■小海線
- 東小諸駅 - 小諸駅
かつての接続路線
- ■布引電気鉄道
- 小諸駅 - 花川駅