伊庭八郎

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伊庭八郎
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「競勢酔虎伝:伊場七郎[1]月岡芳年
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 天保15年(1844年
死没 明治2年5月15日1869年6月24日
別名 八郎治、秀穎
戒名 秀院清誉是一居士
墓所 貞源寺(東京都中野区
幕府 江戸幕府
大御番士
奥詰
遊撃隊第二番隊長
主君 徳川家茂徳川慶喜
直参旗本
氏族 伊庭氏
父母 伊庭秀業、マキ
兄弟 秀俊[2]、姉(榎下平八郎の妻)、八郎、金田武司(金田家へ養子)、加藤武司(惟安、加藤家へ養子)、想太郎(亥朔)

伊庭 八郎(いば はちろう)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての武士幕臣秀穎(ひでさと)。隻腕剣客として知られる。

生涯[編集]

天保15年(1844年)[3]、「幕末江戸四大道場」の一つに数えられる御徒町の剣術道場「練武館」を営む心形刀流宗家を、養子となって継いだ伊庭秀業の長男として江戸に生まれた。

伊庭家では実力のある門弟が宗家の養子となって流儀を継承することが多いが、秀業も実子ではなく養子とした秀俊[2]に継がせており、秀穎はこの義理の兄にあたる秀俊の養子となって後に宗家を継ぐことになる。

幼少の頃は剣術よりも漢学蘭学に興味があり、剣術の稽古を始めたのは遅くなってからだったが、次第に頭角を現し“伊庭の小天狗”“伊庭の麒麟児”と異名をとるようになる。元治元年(1864年)、江戸幕府に大御番士として登用されると直ぐに奥詰(将軍の親衛隊)となった。幕臣子弟の武術指導のための講武所がつくられると教授方を務めた。

慶応2年(1866年)に奥詰が改編され遊撃隊となると、八郎も秀俊と共に一員となった。慶応3年(1867年)10月、遊撃隊に上洛の命令が下り江戸を出立した。遊撃隊は将軍大阪まで護衛した後、伏見に布陣。翌4年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いが勃発するが、新政府軍に敗れて江戸に敗退した。

江戸帰還後、遊撃隊の一部と共に木更津に行き、請西藩主・林忠崇に協力を要請する。協力に応じた請西藩士を含んだ遊撃隊は、前橋藩が守備する富津陣屋を無血開城させて武器弾薬を接収した後、房総半島館山から出帆し、相模真鶴に上陸。その後、伊豆韮山 - 甲府 - 御殿場-甲州黒駒-沼津と転陣、途中で加盟する者も多数有ったので沼津滞陣中に遊撃隊を再編成し、八郎は第二軍隊長となった。

彰義隊上野戦争を始めるとこれに呼応。新政府軍の江戸入りを阻止するため、箱根の関所を占拠しようとして小田原藩兵と戦闘となった。一時は和睦が成立したものの、再び敵対した小田原藩と箱根山崎で戦いが起こり、三枚橋で小田原藩士・高橋藤五郎(鏡心一刀流)に左手首の皮一枚を残して斬られた。このため自ら前腕の途中から先を切断。以後、左手は不自由となった。

江戸退却の後、八郎などの離脱者を除いた遊撃隊士は林らに率いられ、榎本武揚率いる旧幕府脱走艦隊の長崎丸に乗って、奥州へ向かった。八郎は病院船で治療を受けていて、遅れて蝦夷地へ向かったが、銚子沖で乗船「美賀保丸」が座礁。この時、無念のあまり切腹しようとして止められ、その後、救出された八郎は友人らの協力を得て横浜からイギリス艦で箱館へ向かうこととなった。

箱館に到着後、旧幕軍役職選挙で、歩兵頭並、遊撃隊隊長となった。徹底抗戦を主張し、隻腕でありながらも遊撃隊を率いて奮戦したが、木古内の戦いで胸部に被弾した。箱館病院で治療を受けていたが、当時の医療では為す術は無く、致命傷となった。箱館撤退の際に傷病者が搬送された湯の川ではなく、五稜郭に入ることを希望。虫の息となっても痛いとは一言もいわなかったが、開城の前夜に榎本武揚の差し出したモルヒネを飲み干して自殺した。享年26。

命日は墓碑には5月12日と刻まれているが、田村銀之助の話から5月15日とする説が有力である[4]。墓所は東京都中野区の貞源寺。法名は秀院清誉是一居士。

俳句・短歌[編集]

「朝涼や 人より先へ 渡り舟」(『征西日記』の中に登場する俳句)
「其の昔 都のあとや せみしぐれ」(『征西日記』の中に登場する俳句)
「あめの日は いとど恋しく 思ひけり 我良き友は いずこなるらめ」(横浜にて潜伏中に詠んだ短歌)
「待てよ君 冥土も共にと 思ひしに しばし後るる 身こそ悲しき」(辞世の歌とされているが、戦死した親友に向けて詠んだ短歌)
旧幕府』第2巻第8号所収の「北鳴詩史附録」による。ただし、「こそ」の後の動詞・形容詞は已然形とするものであるため、「悲しき」は誤りとして『国史大辞典』では「身こそつらけれ」と改訂されて掲載されている。

登場する作品[編集]

名誉新談:伊庭八郎(月岡芳年画)
  • 小説
    • 『伊庭八郎』『突っかけ侍』『剣客物語』(子母澤寛
    • 『幕末遊撃隊』『ごめんよ』『その男』(池波正太郎
    • 『遊撃隊始末』(中村彰彦
    • 『心形刀』(柴田錬三郎
    • 『明治暗黒星』(山田風太郎
    • 『歳三の写真』『朝涼や人より先へ渡りふね』(草森紳一
    • 『幕末遊撃隊 伊庭八郎』(長谷川つとむ)
    • 『伊庭八郎 遊撃隊隊長 戊辰戦争に散った伝説の剣士』(野村敏雄
    • 『坐視に堪えず』(東郷隆
    • 『雨に紛う』(真野ひろみ)
    • 『風よ聞け』(北原亞以子
    • 『あさぎ色の風』シリーズ(藤堂夏央
    • 『伊庭八郎幕末異聞』シリーズ、『伊庭八郎凍土に奔る』ほか(秋山香乃
    • 『松前の花(『美姫血戦』より改題)』『土方歳三』(富樫倫太郎
    • 『死んでたまるか』(伊東潤

脚注[編集]

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  1. ^ 錦絵のためわざと変名が使われている。
  2. ^ a b 新井一郎左衛門の息子。伊庭秀業の養子となって家督を継いだ。秀業の養子としては八郎の義兄にあたるが、八郎を養子としたので義父でもある。なお、新井ではなく塀和惣太郎とする説もある。
  3. ^ 天保14年(1843年)生まれという説もある。
  4. ^ 中村彰彦『ある幕臣の戊辰戦争 剣士伊庭八郎の生涯』中公新書、2014年、221-224頁

関連項目[編集]