ル・ヴェジネ

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Le Vésinet
Blason Le Vésinet01.svg
Le Vésinet Mairie.jpg
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル・ド・フランス地域圏
(département) イヴリーヌ県
(arrondissement) サン=ジェルマン=アン=レー郡
小郡 (canton) ル・ヴェジネ小郡
INSEEコード 78650
郵便番号 78110
市長任期 フィリップ・バスタール・ド・クリネー
2012年-2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes de la Boucle de la Seine
人口動態
人口 16 339人
2008年
人口密度 3268人/km2
住民の呼称 Vésigondins, Vésigondines
地理
座標 北緯48度53分41秒 東経2度07分59秒 / 北緯48.894722度 東経2.133056度 / 48.894722; 2.133056座標: 北緯48度53分41秒 東経2度07分59秒 / 北緯48.894722度 東経2.133056度 / 48.894722; 2.133056
標高 平均:m
最低:26 m
最高:47 m
面積 5.00km2
Le Vésinetの位置(フランス内)
Le Vésinet
Le Vésinet
公式サイト http://www.levesinet.fr
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ル・ヴェジネLe Vésinet)は、フランスイル=ド=フランス地域圏イヴリーヌ県コミューン

パリから西方へ電車RERで約20分の郊外に位置する高級住宅街で、広大な公園の中に戸建て住宅を点在させるという19世紀に新たに生まれた計画都市の概念に基づいて開発・分譲された公園都市。周囲には公園や人工の川や湖が配置され、植樹されて100年以上たつ樹木が道路沿いに並ぶ(2007年度の花のまちコンクールで4つ花を獲得している)[1]。現在も当時の分譲地の特徴をとどめており、ギマールによるアール・ヌーヴォー建築をはじめ、見どころも少なくない。

地理[編集]

イビス湖

ル・ヴェジネはセーヌ川の大きく湾曲した部分の中央に位置するが、セーヌ川には直接接していない。パリの19km西、サン=ジェルマン=アン=レーの4km東にあり、広さは約450ヘクタール。

コミューンの領域は28mから45mの標高の沖積平野で構成されている。コミューンは全体的に都市化されており、大部分は住宅である。緑地はコミューン全体の20%を占める。コミューンに広がるこれらの緑地には人工の水辺がつくられた。シュペリウール湖、アンフェリウール湖、スタシオン湖、クロワジー湖、「イビス湖」[2] または「大イビス湖」[3] と呼ばれることのあるグラン湖である。これらの湖は、プティット・リヴィエールと呼ばれるほぼ4kmの人工の川によって互いにつながっている。

交通[編集]

由来[編集]

ル・ヴェジネとはラテン語のvisiniolum(近隣の場所を意味する)に由来する。これはラテン語で「集落」を意味するVicinumから派生している[4]

歴史[編集]

スタシオン湖

ル・ヴェジネについて最初に名が記されたのは704年の憲章においてで、Visiniolumという名であった。この憲章において、キルデベルト3世はル・ヴェジネの地とそれに隣接するペックの地を12世紀にサン=ヴァンドリーユ修道院(fr)の修道士たちに授けている。

かつてル・ヴェジネの土地は森に覆われていた。そこは16世紀にフランソワ1世が買い取った古いイヴリーヌの森の一部で、長い間王領の狩猟地であった。中世から、ル・ヴェジネの地で狩猟をしたことのなかったルイ14世の時代まで悪い評判が伝わっていた。ノアイユ枢機卿(fr)はそれらを一掃し、農民のために家屋や礼拝堂をたてた。

フランス革命時代、森は分割され、クロワシー、シャトゥー、モンテッソン、ル・ペックといった新しいコミューンが生まれた。

1837年、新たな鉄道路線パリ・サン=ラザール駅-ル・ペック駅区間が開通した。1848年、路線はサン=ジェルマン=アン=レーまで延長された。1862年にル・ヴェジネ駅が開業している。1855年、貧困根絶を唱え、福祉事業に熱心だったナポレオン3世は就労中に怪我をしたり病気になった労働者用のリハビリ施設の建設を計画し、1859年9月に、労働者向けの療養所がル・ヴェジネで開業した。

1856年、森林に覆われたル・ヴェジネを都会風の新たな都市とするため、パリュ・エ・シィ社が誕生した。管理者アルフォンス・パリュは、ナポレオン3世の異父弟モルニー伯とのつながりがあった(モルニーはドーヴィルビアリッツの都市化に最初関わった人物でもある)。目的を達成するため、パリュはナポレオン3世と土地を交換することに同意した。サン・ジェルマンの森とマルリーの森の間にある321ヘクタールの土地を交換する代わりに、ル・ヴェジネの436ヘクタールの土地(およびサン・ジェルマンの森のうち49ヘクタール)で皇帝が狩猟を行えることとした。

まちの設計図はイギリスの庭園都市の計画に従ってポール・ド・シュロ伯に委託された。シュロ伯の主導により、市中心部はグリッド・パターン(碁盤の目)が採用され、景観と給水施設を兼ねた5つの人工湖と、それらを繋ぐ川が造られ、その周囲には緑地帯が設けられた。これらを設計したのがパリュ社の建築家ピエール・ジョセフ・オリーヴである。シュロとオリーヴは1858年付でル・ヴェジネを描いた鳥瞰図に共同署名している。まちの中心には伝統に従って教会、サント・マルグリット教会が置かれた。この建物はフランス初のコンクリート製の公共建築物の1つとなっている。

パリュ社によるこの造成地は、フランスの郊外型分譲地のはしりのひとつで、1858年10月10日に競売形式で販売が開始された。同年に、分譲地購入者が守るべき景観規制の覚書が草案され、1863年に細かい規則が定められた。住宅や周辺設備などの建築規制だけでなく、庭師と花屋以外は禁止されるなど、営業規制も定められた。これはフランスで最初に施行された計画的な景観設計の1つである。

1875年3月31日、ル・ヴェジネはコミューンとなった[5]。初代市長はアルフォンス・パリュであった。

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
17964 18459 17986 17272 15945 15928 16419

参照元:1962年までCassini de l'EHESS[6]、1968年以降INSEE[7] · [8]

経済[編集]

まちは住宅街である。複数の受賞者名簿によると、ル・ヴェジネは国外在住者が多く暮らすコミューンで、イル=ド=フランス地域圏内でも高所得者が多く、平均住宅価格は100万ユーロである[9]

ル・ヴェジネはナンテール雇用ゾーンに含まれる[10]。2006年の国勢調査では、ル・ヴェジネには4727種類の職があり、、そのうち4007(約84%)は会社員で、720人(約15%)は自営業者だった。職種は第三次産業(行政、教育、健康、商業、サービス業、輸送業、不動産業)に分散する傾向にある。

史跡[編集]

ゆかりの人物[編集]

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]