ライシテ

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フランス政教分離のアレゴリー (1905年): "La séparation" は "la séparation des Églises et de l'État" (教会と国家の分離) のほか、別離、(夫婦の) 別居の意。

ライシテ (: laïcité; 形容詞 ライック laïque) とは、フランスにおける教会と国家の分離の原則政教分離原則)、すなわち、国家の宗教的中立性・無宗教性および(個人の)信教の自由の保障を表わす。説明的に「非宗教性」という訳語が当てられることがあり、ライシテの成立過程について (laïcisation の訳語として)「非宗教化 / 世俗化」(=社会における宗教の影響力の減少)[1] という語が用いられることもある。また、日本のメディアでは「世俗主義」と訳されることもあるが、これは英語の secularism の訳語であり[2]、これらの概念の歴史的な成立過程から、基本的には別の概念である。日本語の「ライシテ」という言葉は、世俗主義やフランス以外の国の政教分離と区別し、フランス法およびフランスの歴史に根ざした特殊な政教分離の意味で用いられ、ここ10年ほどで「ライシテ」という訳語が定着した(以下の「語義」参照)。

フランス法:フランスは「自由 (Liberté)、平等 (Égalité)、友愛 (Fraternité)」を標語に掲げる共和国であることはよく知られているが、加えて、フランス共和国憲法第1条に「フランスは不可分で (indivisible)、ライックで (laïque)、民主的で (démocratique)、社会的な (sociale) 共和国である」と書かれており、ライシテはフランス共和国の基本原則の一つである[3]

フランスの歴史:ライシテは元々、フランス革命以来、主に学校教育制度に関するカトリック勢力と、共和民主主義反教権主義勢力との対立・駆け引きを通じて醸成されてきた原則であり[4]、教育の無償制、義務制、そして非宗教性(ライシテ)を保障するジュール・フェリー法フランス語版(1882)、公立学校の教師の非宗教性を保障するゴブレ法フランス語版(1886) などによる一連の非宗教化政策の結果、1905年12月9日、フランス共和国(第三共和政)により政教分離法(ライシテ法)――政教分離原則、すなわち教会と国家の分離の原則を規定した法律――が公布され、これにより、フランスの反教権主義(反カトリック主義)は完成し、国家の宗教的中立性・無宗教性および信教の自由の保障が図られた。

中東からの移民増加とその文化的軋轢が表面化した1990年代以降はイスラムとの関係で論じられることが多いが[4]、ライシテに関する歴史・社会学者のジャン・ボベロフランス語版によれば、2001年のアメリカ同時多発テロ事件以後、「政治的イスラム」という新たな脅威が生まれ、一部のイスラムに対する恐怖が支配的な趨勢となっていったことがフランスではライシテ法本来の精神からの逸脱、世俗化 ―「ライシテの右傾化」― につながった[5]

同時にまた、フランスのライシテは、しばしば国民国家の統一を脅かしかねない(とされる)「アングロ=サクソンの共同体主義」に対置させて論じられるようになり[5]、フランス左派内における「ライシテ強硬派」[6]と「イスラム左派フランス語版[7][8]の対立を生んでいる。

目次

語義[編集]

「ライシテ」の語源はギリシア語の「ラオス (λαός, laós; 民衆)」、「ライコス (λαϊκός laïkós; 民衆に関すること)」であり、「クレーリコス (κληρικός, klêrikós; 聖職者に関すること)」と対語を成している。18世紀末、とりわけフランス革命以後、この言葉は、「教権主義」に反対する共和派の理念となり、「政教分離」、「(教育や婚姻に代表されるような)市民生活に関する法制度の宗教からの独立」、「国家の宗教的中立性」を意味するようになった[9]

訳語としては、近年のフランスにおけるライシテ原則の適用をめぐる諸問題を論じるにあたり、「政教分離」、「非宗教性」、「世俗化」などの語が用いられ、たとえば、2008年のジャン・ボベロ来日講演録『世俗化とライシテ』では、羽田正が「ライシテは、『非宗教性』ないし『政教分離』などと訳されることが多いが、日本語ではその語義自体がまだ定まっていない」としたうえで「ライシテ」という訳語を用いているが[10]、これ以後、伊達聖伸の著書 (『ライシテ、道徳、宗教学』(2010年)[11], 『ライシテから読む現代フランス』(2018年)[12])、および同氏らによるボベロの邦訳書 (『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』(2009年), 『世界のなかのライシテ』 (2014年)) など「ライシテ」と題する著書が出版され、現在では「ライシテ」という訳語が定着している。

こうした経緯から、本ページでは日本語の「ライシテ」を一般的な政教分離とは区別し、「フランスにおけるライシテ」、すなわち、フランス法およびフランスの歴史に根ざしたライシテ、「フランスの特殊性といわれているライシテ概念」(満足)[9]を意味するものとし、以下では、まず、フランス共和国の基本原則としてのライシテの概念およびその成立過程について記述し、次に、過去30年ほどの間に生じた「ライシテ」の「変質」およびその結果として生じたライシテ原則の適用をめぐる諸問題について説明する。

概要[編集]

フランス共和国の基本原則[編集]

フランスにおけるライシテとは、政治と宗教を区別・分離するフランス共和国の基本原則である。

国家は中立的な立場から、(宗教の表明が公の秩序を乱さない限りにおいて)信教の自由および思想・良心の自由を保障し、すべての信念(宗教、無神論不可知論等)を同等に扱う。この原則は、たとえば、1905年に成立した政教分離法(ライシテ法)の第1章第2条に「フランス共和国はいかなる宗教も公認せず、俸給を与える又は助成金を支出することはない」と書かれているとおり、共和主義的平等を目指すものである[13]

宗教による墓碑の種類

ライシテは政治と宗教を対立させるものではなく、政治・行政から宗教の影響を排除することが目的である。したがって、宗教は信教の自由、思想・良心の自由という個人の自由の領域を超えることはない。ただし、ライシテはフランス社会に深く根ざすものでありながら、同時にまた、社会の変化に応じて変わっていることも考慮する必要がある[14]

一方で、「ライシテ」という概念に曖昧さがないわけではない[15]。信教の自由と思想・良心の自由が区別されるように、ライシテは世俗化 (sécularisation) や中立性 (neutralité) と区別されるが、混同されるまたはすり替えられる場合もある[16]。ライシテに関する歴史・社会学者のジャン・ボベロによると、「世俗化とは、最も広い意味においては、近代社会 ― 科学技術と結びついた合理性を中心とする基準によって機能する社会 ― において、宗教の社会的役割が衰退することを意味し」[17][18]、中立性は、哲学者フェルディナン・ビュイソンがライシテに基づく国家 (État laïque) に与えた定義「すべての宗教に対して中立的で、あらゆる聖職者から独立している」に近く[17]、どちらかと言えば受動的な姿勢であるのに対して、フランスにおけるライシテはその成立過程に根ざした概念であり、

ライシテというときには、受動的で静かな中立性よりも、能動的かつ確信的に、公私を分離して公的な領域から宗教的な要素を排除するという姿勢を含意する。価値にかかわる宗教・信仰の要素を持ち込まないことによってこそ、各人の信教あるいは良心の自由が確保されるという発想にほかならない。公教育はいかなる教義をも特別扱いしてはならず、また教義によって知性がゆがめられることを許してはならない。ここに、革命以来の理性主義の表出を看取することができる。フランスは以後、このライシテを国家的原則として掲げ現在にいたる[19]

20世紀初頭(特に政教分離法の成立時)には、ライシテには、まずもって、共和主義的価値を脅かすカトリック教会の影響を排除しようという意図があったが、やがて、伝統的なカトリックとは直接関係のない様々な過激な思想(新たな全体主義セクトイスラム原理主義をはじめとする宗教的原理主義等)が生まれ、ライシテはより複雑で幅広い文脈に置かれている。

フランス革命と1958年の第五共和政憲法[編集]

ライシテの起源はフランス革命 (1789-1799) にある。フランス革命では、共和制への従属を拒否し、ローマ教皇への忠誠を誓ったカトリック聖職者の多くが処刑された。統領政府期の1801年、ナポレオン1世とローマ教皇ピウス7世の間でコンコルダ(政教条約)が結ばれ、カトリック教会プロテスタントルター派教会とカルヴァン派教会、およびユダヤ教会の4つの教会が公認され、信教の自由が認められた。その後、復古王政ブルボン朝 (1814-1830) においてカトリックが再び国教として復活し、七月王政 (1830-1848)、第二共和政 (1848-1852)、第二帝政 (1852-1870) の期間を通じ、第三共和政 (1870-1940) の初期に至るまで、カトリック勢力と反教権勢力の対立が続いた。これは特に、公立学校の創設に関する1833年ギゾー法フランス語版、公立学校の発展・推進および国家による私立学校への財政援助について定めた1850年ファルー法フランス語版の成立などの学校教育制度の確立に至る経緯において、カトリック教会派と、反教権運動の旗頭ヴィクトル・ユーゴー (1802-1885)、ジュール・ミシュレ (1798-1874)、エドガー・キネフランス語版(1803-1875) らとの対立として顕在化した。さらに、1850年代には「自由思想家」と呼ばれる、急進的な反教権運動が生まれ、両派の闘いは特に「公立学校」対「私立学校」という問題に集約されるに至った[9]

フランス革命により、アンシャン・レジーム下の特権的・身分的支配統治構造が解体された結果、権力を一元的に掌握する集権的な国家構造が構築された。教会などの「社団」的身分編成原理が破壊されたため、各個人をつなぐ紐帯が失われた。革命後に権力を掌握した人々は「一にして不可分 (une et indivisible)」というスローガンに象徴されるような近代国民国家 (État-Nation) の樹立を目指した。そして権力者たちはその紐帯の役割を教育に担わせようと考えた。アンシャン・レジーム下で支配的なイデオロギー装置であった教会を駆逐することには二つの意味があった。第一に、教会に従属していた成人を解放することにより、さらにその上の王制への従属を破壊することを目的とした。第二に、子供の教育に対する教会からの影響を排除することを目的とした。これらの目的を達するために教育は国家の管掌事項となった。つまり、教育は共和制国家を形成する目的で行われるようになった[20]アンシャン・レジームが崩壊する過程において、1789年8月の封建的特権の廃止後に採択された人権宣言(人間と市民の権利の宣言により、思想・良心の自由法の下の平等をはじめとする普遍原則が確立された。1958年第五共和政憲法の前文ではこの人権宣言が憲法の一部をなすと宣言されている。

なかでも、人権宣言第10条の「何人も、その意見の表明が法律によって定められた公の株序を乱さない限り、たとえ宗教上のものであっても、その意見について不安を持たないようにされなければならない」という信教の自由が第五共和政憲法でも保障されている[21]

(風刺画) 司祭にかみつくジュール・フェリー (1878年)

19世紀に、ライシテに関する一連の法律が施行され、次第に国家とカトリック教会とのつながりが断たれ、共和主義的普遍主義の原則に基づく新たな政治・社会規範が確立されていった[22]。こうした過程は、教義と切り離されたより広義の近代化 ― 政治・社会基盤(三権分立、国家組織、教育、非宗教的な生活習慣、法律や道徳観など)の見直しや改革を含む民主化 ― の一環であり、とりわけ第三共和政においては、公教育相ジュール・フェリー義務・無償制とともに公教育の非宗教化を粘り強く推し進め、義務制を定める 1882年3月28日の法律[23]において非宗教性をも明文化するに至った(ジュール・フェリー法フランス語版[19]。これを補う1886年10月30日の「ゴブレ法フランス語版[24]は、特に第17条で公立学校の教師はすべてライックでなければならないと規定している[25]。また、これらの法律により宗教道徳教育を排して道徳・公民教育が導入された[26][27]。1880年代のジュール・フェリー法の立案・執行の任にあたり、1887年に『教育学・初等教育事典』を編纂し、自ら「道徳」の項目を執筆した自由主義的プロテスタントフェルディナン・ビュイッソン (1841-1932) は、「ライックな信仰」という概念により、教権派の「神なき学校」という批判に対抗し、ポール・ジャネが提出した道徳教育計画(国が与えるべき、宗教の教義から独立した道徳規範)に基づく学習要領を発表した[28]

1894年に起きたドレフュス事件は教権派と共和派の対立と結びつく大問題となった。ドレフュス擁護派は1898年に「人権同盟」を結成し、政教分離支持・反教権主義の立場を表明した。さらに1899年6月22日に急進派の支持を受けたピエール・ワルデック=ルソー内閣が成立。1901年7月1日のワルデック=ルソー法(結社法)第13条により、修道会は3か月以内に認可を得ることが義務付けられた。1902年の選挙でも左派の社会党・急進党が勝利し、エミール・コンブが首相に就任。コンブは1902年の7月には約3千の無認可の修道会系学校を次々と閉鎖に追い込み、約2万人の修道会員、54の修道会がフランスから追放された。また1901年法に基づく認可申請もその多くが却下された。ビュイッソンは「人間と市民の権利の宣言の文言や精神を傷つけることはできない」として「修道会の教育の自由」を否定した[28]1904年7月7日の法律第1条で「フランスではあらゆる段階、あらゆる種類の修道会による教育は禁止される」と規定され、1904年7月29日、フランスとローマ教皇庁との国交が断絶された。

政教分離法 (ライシテ法) の成立[編集]

こうした一連の非宗教化政策の結果、1905年に政教分離法(ライシテ法)の成立を見ることになった。

1905年の政教分離法は人権宣言第10条の精神を受け継ぎ、第1条に「フランス共和国は思想・良心の自由を保障する。フランス共和国は、以下に述べる公の秩序のための制約を守る限りにおいて、信仰実践の自由を保障する」とある。さらに第2条には、「フランス共和国はいかなる宗教も公認せず、俸給を与える又は助成金を支出することはない。したがって、本法(政教分離法)の布告後、(1906年)1月1日以降、信仰実践にかかる費用は、国家、県、コミューン(市町村)の予算から排除される」と書かれている[13]

宗教と切り離された「ライックな共和国」という概念は、1946年憲法で明確に規定され、1958年憲法に受け継がれることになった。

フランスは不可分で、ライックで、民主的で、社会的な共和国である。フランスは、出自、人種、宗教の区別なく、全市民の法の下の平等を保障する。フランスはすべての信念を尊重する(1958年憲法第1条)。

現代のフランスにおけるライシテ[編集]

宗教的急進主義の台頭[編集]

1980年代の終わり頃からライシテ原則に違反すると思われる出来事が起こり、論争を呼ぶことになった。程度の差はあれ様々な宗教的急進主義の台頭により、文化的少数派の主張に対応した多文化主義的施策が後退を余儀なくされる傾向にあったからである。こうしたどちらかと言えば共同体主義的な主張は文化や政治にも深く浸透していたため、事態はいっそう困難であった。問題は、こうした施策が、たとえその一部においてであっても、果たして解放に導くものであるか否かであった。

多文化主義や共同体主義の問題以外に、同じく宗教的急進主義との関連でプロゼリティスム(執拗な宗教勧誘)[29]の問題があった。これは学校教育、医療、共和主義の原則に基づく様々な活動における共生(共に生きる)という理念に反するものである。これについては、現在では、少なくとも公共サービスにおいては(他者の権利や自由を侵害するか否かにかかわらず)ライシテ原則と国家の中立性を守るためにプロゼリティスムは禁止されているが[30]、政府はこうした事態に直面してその都度、共和主義の立場からライシテ原則を守るために委員会を設置して対策を講じてきたが、一方で、この結果、ライシテ原則自体が変質を被ることになった。

政治的イスラムとライシテの右傾化[編集]

ジャン・ボベロによると、1989年まではカトリック教会との対立においてライシテが論じられてきたが、これ以降はイスラム教がライシテをめぐる議論の焦点となり、フランスにおけるイスラム教の拡大がライシテを「深いところで変える」ことになった[31]。ボベロは1989年を「冷戦の終結とイスラムという新たな政治的恐怖の誕生」の年と位置づけている。

1989年は、イラン・イスラム共和国の指導者ホメイニ師ファトワを発して幕を開けた(2月)。作家サルマン・ラシュディが『悪魔の詩』のなかで預言者ムハンマドを冒涜したとの理由で死刑を宣告されたのである。この年の終わり(11月)には、資本主義の西洋と共産主義諸国を分断する「鉄のカーテン」を象徴していたベルリンの壁が崩壊する。東西の対決とそれにともない双方が抱いていた恐怖に代わり、「政治的イスラム」という新たな恐怖が生まれた。…一部のイスラムに対する恐怖が支配的な趨勢となるのは、特に2001年にアメリカで9・11のテロが起きてからのことである[32]

一方、フランス国内でも、1989年秋、パリ近郊のクレイユ市でイスラム系の2人の女生徒がスカーフを校内で着用していることを理由に、教師より教室に入ることを禁止されるという事件が起きた。

また、歴史・政治学者ラファエル・リオジエフランス語版は「イスラム化監視機構」などの反イスラム化団体が生まれた2003年にライシテの概念が大きく変わったと指摘する[33]。この年、ジャック・シラク大統領の下、ジャン=ピエール・ラファラン首相がフランソワ・バロワン議員に報告書の作成を求め、これに対して同議員が公立学校におけるスカーフ着用の禁止を提案する「新しいライシテ」と題する報告書を提出した[34][35]

ジャン・ボベロはこの「新しいライシテ」は1905年のライシテ法の精神 ― 反教権主義、反共同体主義 ― を受け継ぐものではなく、宗教戦争フランス革命よりはフランス植民地主義の時代につながるもの、「超国家的な政治的イスラム」よりは「グリーバリゼーションの地政学」に対応したものであり、「二つのフランスの争い」を存続させることになったと指摘する。また、政治よりはメディアが作り上げた「事実」に基づくものであり、宗教に対して過度に寛大な「アングロ=サクソンの共同体主義」に「例外的な」フランスのライシテを対置させ、さらには、「ライシテの右傾化」(ナショナル・アイデンティティの方向への傾斜)を招き、とりわけ極右がライシテ支持派を僭称したことが左派内に対立を生むことになったと分析している[31][36]

また、法学者のステファニー・エネット=ヴォーシェとヴァンサン・ヴァランタンもバロワン報告書「新しいライシテ」は1905年のライシテ法により保障された信教の自由に反する「監視のロジック」であり、「宗教における目立ったもの、他と異なるものを排除しようとしている。共に生きるという理念を蝕むばい菌のように思われている宗教を「殺菌する」ためにライシテを利用しているのだ。市民は公共の場に入るときに、他と共有できないものは捨てなければならない。この広義のライシテは右派だけでなく左派も支持しているが、1905年のライシテ法に基づくと言いながら、実はこれに違反するものである。政治的言説においてもメディアにおいても、まるで自明のことのように、ライシテの理念が脅かされていると言う。まるで、ライシテが国家の義務ではなく、一つの社会現象であるかのように」と批判している[37]

実際、このバロワン報告書を受けてジャック・シラク大統領が、ベルナール・スタジフランス語版を委員長とする「共和国におけるライシテ原則適用に関する検討委員会」(スタジ委員会)を創設した。さらに、スタジ報告書[38]を受けて、非宗教の公立学校における「目立った」(ostensible)宗教的標章の着用を禁じる2004年3月15日付法律[39](「宗教的標章規制法」:日本語で「宗教シンボル禁止法」と表現されることが多いが、「宗教的シンボル」または宗教的標章が全面的に「禁止」されたわけではない)の成立を見ることになった。既に1989年11月に国務院は公立学校における宗教的標章の着用は、それが「これ見よがし」(ostentatoire)なやり方でなされなければ、ライシテと両立可能だという声明を出していたが[40]、ジャン・ボベロは「これ見よがし」(ostentatoire)から「目立つ」(ostensible)へ用語の変化に「ひとつの変質が隠されている。もはや振舞いだけを違法とするのではなく、いくつかの標章そのものが、目立ったやり方で宗教的帰属を表明するものとされるようになったのだ。ものの見方が本質主義的になっている」[5]と指摘する。

こうして「新しいライシテ」により共和国の基本原則であるライシテと国家の中立性において本質的な変化が生じ、その主体も国家から市民社会へ、そして公務員から公共の場の利用者へ移行し[41][42]、ライシテとフランス社会の「世俗化」との区別が曖昧になった[43][44]

ライシテ原則の適用をめぐる諸問題[編集]

ライシテと公教育[編集]

(風刺画) 政教分離: 中央はモーリス・ルーヴィエ政権の文部大臣ジャン=バティスト・ビアンヴニュ=マルタン (1905年)

今日のフランス公教育はコンドルセ (1743 - 1794) とジュール・フェリー (1832 - 1893) の教育改革に負うところが大きい。フランス公教育の原型となった『公教育の一般的組織化に関するデクレ案』を作成したコンドルセは教育の自由について、まず、親の教育権の保障を挙げ、子に対する教育権は親の自然権の一つであり、国家などの公権力は親の自然権の保障を義務づけられているからこそ、公教育に責任を負うべきであるとした。また、具体的な教育内容については、教義によって知性がゆがめられることのないよう、すべての個人に歴史的・科学的根拠に基づく真理・真実を主たる内容とした教育 ― 知育 ― を提供することの重要性を解いた。さらに、教会の教育への介入の弊害を避けるために、宗教・思想・信条の自由を不可欠の人権として保障した[45]

1880年代の第三共和政前半期にジュール・フェリーが行った教育改革は、フランス公教育の方向性に大きな影響を与えることになった。何よりも重要なのは、国民の精神的統合を「自由・平等・友愛」を掲げる「一にして不可分の共和国」のシンボルとして実現するために教会勢力を公教育から駆逐したことであった。フェリーの教育改革では、1789年の人権宣言における自由、平等などの共和国の理念や権利を保障すると同時に、教育の無償制、義務制、そして非宗教性(ライシテ)を保障した[45]

1905年の政教分離法(ライシテ法)により確立した「ライックな共和国」という理念は、1946年憲法で明確に規定され、1958年憲法に受け継がれた。公立学校は今日、ライシテの精神を養う場であると同時に、共和国の理念に関する様々な批判の対象にもなった。公立学校におけるライシテの理念は、公的な場において「共に生きる」ことを目指すものであり、憲法に定める思想・良心の自由を保障するために、公的な場における宗教の表明は制限される。当初、この制限は必ずしも一定の基準に基づくものではなく、校則などにより違いがあったが、国民の人権と自由の保護を目的に設立された「権利擁護機関 (Defenseur des Droits)」のドミニク・ボーディフランス語版代表が2013年に政府に対して制限の明確化を要求し、これを受けて、国務院が明確な規定を設けた調査報告書を発表した[46]。「ライシテ監視機構フランス語版[47]が2014-2015年次報告書にこの一部を採用している[48]

フランス国家は、信仰・信条にかかわらず、全市民に対して無償かつライックな公教育を保障している。第五共和国の「憲法ブロック」(合憲性規範)の一部を構成する1946年憲法の前文第13段には「国民国家は子供及び大人の教育、文化、職業教育の平等な機会を保障する。無償かつライックな全公教育機関・過程を提供することは国家の義務である」と規定されている[49]

宗教的標章の規制[編集]

児童・生徒[編集]

ジュール・フェリーの教育改革による公教育の無償制、義務制、そして非宗教性(ライシテ)の保障、ならびに公立学校の教師の非宗教性(ライシテ)の保障(1886年ゴブレ法フランス語版)により、公教育におけるライシテは、児童・生徒の思想・良心の自由を保障すると同時に、将来の市民である子供たちが自由に学び、質問し、学習内容に基づいて自ら考えて判断を下し、批判することのできる環境を提供するものである。したがって、公立学校においては、あらゆる共同体主義的又は自民族中心主義イデオロギーや不寛容なセクト的団体の信条・教義に影響されない環境を確保しなければならない[50]

1994年1月24日のデモの際の社会党のステッカー「公立学校 ― フランスの将来のために」

1980年代の半ばに、フランスでは公立学校におけるイスラムのヴェール(ヒジャブブルカ、ニカーブ等)の着用をめぐって論争が生じた。ヴェール着用支持派 ― 一部のイスラム教徒、個人の自由の擁護者 ― は、ライシテは1789年人権宣言の原則である思想・良心の自由を保障するものであると主張し、反対派もまた、ライシテは教育に不可欠とされる中立性と平等を保障するものであるとして、児童・生徒の服装の中立性を訴えた。とりわけ、1989年クレイユ市でイスラム系の2人の女生徒がスカーフを校内で着用していることを理由に、教師より教室に入ることを禁止された事件が発生すると、識者間でも意見が分かれ、たとえば、哲学者エティエンヌ・バリバールは、「殊に、人種差別とはいえないが、外国人排斥という性質をもったイスラム教徒に対する敵意が兆しとなって現れ始めているときに、共和国の公立学校はいかなる生徒も追放してはならない。なぜなら、在学中こそが、宗教的蒙昧主義から生徒自身が自らを解放する最良の機会であるからだ」と、生徒の追放に反対した[9]。一方、文化人類学者のフランソワ・プィヨンは、これに反対して、「これ見よがしに着用されているイスラムのスカーフは、新たな原理主義者による攻撃の一環をなしている。それは、宗教の影響力から公共の場を保護することを望むわが国のライシテ基本原則に反するものである。少なくとも、校内では、少女たちを性差別的な服従から解放すべきではないのか」と述べた[9]

また、スカーフ着用反対派の哲学者、作家ら ― エリザベット・バダンテールレジス・ドゥブレアラン・フィンケルクロートエリザベット・ド・フォントネフランス語版カトリーヌ・カンツレールフランス語版 ― は、1989年11月に『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥールフランス語版』紙に掲載した「イスラムのヴェール」と題する訴えで、「自ら考える力を育てるためには、出自の共同体を忘れて、自分とは違うものについて考える喜びを知る必要がある。教師がこの手助けをするためには、公立学校は今後も本来あるべき場、すなわち解放の場でなければならず、宗教が幅を利かせる場であってはならない」と主張した[51]

リオネル・ジョスパン教育相は国務院に裁定を求め、国務院は、1989年11月27日付で、「表現の自由及び宗教の表明の自由の行使である限りにおいて、ライシテ原則に抵触しないが、宗教的標章が、その性質上、又はこれを個人的に又は集団として着用する条件により、ないしはこれ見よがしな (ostentatoire) 又は権利要求的な性質により、圧力行為、挑発、プロゼリティスム(宗教勧誘)又はプロパガンダとなるおそれがある場合は、かかる標章の着用は許されるべきではない」という見解を発表した[52]

これを受けたジョスパン教育相は、12月に宗教的標章に関する通達を出し、「生徒は、宗教的信仰を助成するような衣服及びその他の目立つようなすべての標章に注意しなければならない。・・・これについて紛争が起こった場合は、直ちに生徒とその父兄に対して対話を求めなければならない。対話は、生徒の利益のため、そして、学校がうまく機能するために、宗教的標章の着用をやめさせることを目的とする」とした[9]

こうした議論は以後さらに紆余曲折を経て、バロワン報告書(「新しいライシテ」)およびスタジ報告書(上記参照)、そして最終的には非宗教の公立学校における「目立った」(ostensible)宗教的標章の着用を禁じる2004年3月15日付法律第2004-228号(「宗教的標章規制法」)[39]の成立を見ることになった。この法律は教育法典第L141-5-1条として規定されている。

公立の幼稚園、小学校、中学校及び高等学校においては、宗教的帰属をこれ見よがしに表わす標章又は服装を身につけることは禁止されている。校則には、処分に先立ち、当該児童・生徒と話し合いを行う旨を明記する[53]

「宗教的標章規制法」制定直後、シーク教徒の高校生が学校でターバンを脱ぐことを拒否して退学になる事件が発生した。親から訴えを受けた「差別禁止・平等推進高等機関 (Haute Autorité de lutte contre les discriminations et pour l'égalité)」(通称「ラ・アルド (la Halde)」)は国務院に裁定を求め、国務院は、ターバンは慎ましい標章とは見なされず、このような標章の着用は教育法典第L141-5-1条の規定に違反するという見解を示した[54]

一方、1999年にフレール(オルヌ県)の中学生だったイスラム系の女性2人が当時体育の授業で繰り返しスカーフを脱ぐことを拒否して退学になったことについて、欧州人権裁判所に対して訴えを起こしていたが、欧州人権裁判所はトルコおよびスイスにおける同様の判例に基づき、「フランスでは、特に公立学校においては、国民を守ることが最優先事項であり、ライシテは全国民が従うべきフランス共和国の憲法上の基本原則である」として、2人の訴えを却下した[55]

保護者[編集]

児童・生徒の保護者は、公共の場の利用者として、授業その他の活動、学校運営等の妨げにならない限り、かつ、公の秩序を乱さない限りにおいて、服装等については自由である(子供の送り迎えなど)。

ただし、学校行事などの課外活動ボランティアで参加する保護者については、当初、明確な規定がなかった。アリマ・ブームディエンヌ=ティエリ上院議員は、子供の遠足や課外活動への参加を希望するイスラム系の女性らがヴェール着用を理由に参加を拒まれるなどの差別を含み、公務員から差別を受けているとして、問題を提起した。これに対して国土開発担当大臣クリスチャン・エストロジは、「クラス担任教師の責任において課外活動に参加する保護者は、公務を担う臨時職員と同様に、公務員に課される中立性の原則に従う義務がある」と回答[56]。保護者協議会連盟は「(宗教的標章規制)法が適用されるのは、公立学校の児童・生徒のみである」と抗議した。「ラ・アルド」は2007年6月に、「ライシテ原則も公務員の中立性の原則も、ヴェールを着用した保護者が、親として、公立学校の教育活動、課外活動等の公務に協力することを妨げるものではない。原則としてこれを拒むのは、宗教に基づくボランティア活動への参加において差別にあたるおそれがある」という判断を下したが[57]、これに対してさらに、「人種主義・反ユダヤ主義反対国際連盟 (LICRA)」、フェミニズム活動団体「娼婦ではない、服従もしない (Ni putes ni soumises)」、「人種差別SOS」、フリーメイソン「フランス大東社」、「共和国ライシテ委員会」、「ライック家族連合」などの団体が連名で2007年12月に『リベラシオン』に、「特殊な標章により自らを他と区別する保護者の同伴を認めることは、政治的・宗教的な選択であり、親は子の模範であるという価値観に反する。フランス共和国及びフランスの公立学校は、子供をあらゆるプロパガンダから保護し、育まれつつある思想・良心の自由を守るために、既に一世紀以上にわたって教員・教育職員に厳格な中立性の尊重という義務を課してきた」とする抗議書を掲載した[58]

最終的には国務院が2013年12月、課外活動に参加する保護者は、「宗教的中立性を要求される教員などとは別の法的範疇に属する」ため、中立性の原則に従う必要はないが、「かかる保護者が宗教的な意見を表明することができるのは、授業その他の活動、学校運営等の妨げにならない限り、かつ、公の秩序を乱さない限りにおいてである」という見解を発表した[59]

ライシテ憲章

ライシテ憲章[編集]

2013年9月9日、ヴァンサン・ペイヨン教育相が「ライシテ憲章」を発表した。ペイヨン教育相は前年度、幼稚園から高校までの公立校において非宗教性教育を徹底させる方針を明らかにしており、教育界や世論の賛同を得て憲章作成の運びとなった。「ライシテ憲章」はライシテ原則をわかりやすく簡潔に説明した15条から成る[60][61]

ライシテと女性の権利・自由[編集]

公的領域から宗教的な要素を排除し、宗教への服従から国民を解放し、教育、信教、思想・良心、そして表現の自由を確立したライシテは、伝統的な家父長制からの解放を含む女性解放、女性の権利の確立にもつながった。

ライシテ法への道を切り開いたコンドルセは女性のセクシュアリティと精神を無条件に教会の権威に従わせようとした聖職者を非難し、同じくジュール・フェリーは「女性を服従させる者はすべてを服従させる。カトリック教会が女性を排除しなかったのはこのためであり、女性たちから民主主義を奪ったのもこのためだ」とした[62]

これらの先達の言葉に言及しつつ、スカーフ論争のさなか、フェミニズムの視点からこれを分析し、『共和国を覆うヴェール (Un voile sur la République)』[63]を著したミシェル・ヴィアネスフランス語版は、「男性が男性のために作った宗教には常にミソジニーが存在し、女性差別につながった。・・・ライシテは宗教の重圧から女性の身体と精神を解放した」と述べている[64]

イスラム女性のヴェールについては、一方で「恥じらい」、「名誉」、「男たちの欲望の対象とならぬように努める」、「道徳や伝統、家族の絆、女性の貞節」を表わすとされるが[65][66][67]、他方で、サウジアラビアカタールイランなどではヴェール着用が義務づけられており、こうした男性による女性の抑圧、男性への服従から解放されるために「スカーフを脱ぎ捨てる女性」、「スカーフ着用義務に抗議する」女性も増えている[67][68][69]

こうした状況にあって、フランスの「宗教的標章規制法」については、「イスラム系の少女たちが、イスラム系の家庭やイスラム系の男性の側からの、種々の拘束や差別の犠牲者であるとし、彼女たちをその拘束や差別から解き放つことによって統合を推進することを謳っていた」が、これが果たして真の解放なのか、イスラム系の女性たちが着用を義務づけられている宗教的標章が公共空間で禁じられるなら、「まさしく宗教的性差別によって支配されている共同体的空間に彼女たちを追い返すことになるのではないか」といった議論もある[70][71][72]

2004年の「宗教的標章規制法」の後、2010年には「尊厳及び男女平等を侵害する過激な宗教実践はフランス共和国の価値に反する」等の理由により[73]、公共の場におけるブルカの着用を禁止する法案が可決された[74]

母性という神話からの解放[編集]

歴史学者エリザベット・バダンテール

1989年のスカーフ論争においてスカーフ着用反対の立場を表明した歴史学者、哲学者、作家のエリザベット・バダンテールは女性を母性から解放した書『母性という神話』[75]で知られるが、彼女は「ライシテなくしてフェミニズムは存在しない」、「個人の自由、女性の自由という問題は、ライックな国家の絶対的中立性との関連において論じられなければならない」と主張している[76]。エリザベット・バダンテールはライシテについて一貫した姿勢を貫いており、H&Mドルチェ&ガッバーナなどのブランドがイスラム教徒女性向けのコレクションを発表したときには[77]、ボイコットを呼びかけ[78]、また、特に英米から抗議が殺到したフランスのブルキニ騒動についても、「女性が何を着るのか、決める権利は誰にもない」と主張するロンドン市長サディク・カーンとは逆に[79]、バダンテールは、(一部の地方自治体によるブルキニ禁止はフランスにおける一連のテロ事件の直後のことであったことは別としても)イスラム原理主義者らの女性に対する「絶対的無関心」と「(男女を)分けようという意思」のあらわれである以上、ブルキニを着用するということはこれに従うことであり、「女性に対して公共の場で好きな服装をする権利を与えた1905年のライシテ法に違反する」と主張している[80]

左派内の対立[編集]

ジャン・ボベロが指摘するように、特に政治的イスラムの台頭により、ライシテをめぐる論争が生じ、スカーフ論争、ブルキニ論争、そして表現の自由をめぐる論争として表面化した。さらにはフランスのライシテ、普遍主義を、「アングロ=サクソン共同体主義」に対置させる議論に発展し、フランス左派の分裂につながった。「これは、ある意味では、差別に対して「どのように闘うか」という立ち位置の違いであり、一方は普遍主義の立場からライシテを熱心に擁護し、他方は共同体主義の立場からこれに疑義を投げかけている」[81]。エリザベット・バダンテールのように「普遍主義とライシテを唱える左派は、出自、宗教、性別、性的指向などにかかわらず、万人の平等を目指している。反人種差別と反全体主義を唱え、ナチズムイデオロギーと民族大量虐殺政策に反対する。フランス革命の標語「自由、平等、友愛」、理性の哲学および解放の理念を掲げ、支配に反対するマイノリティの連帯を求め、さらには、宗教とアングロ=サクソン流の宗教的共同体主義に疑義を投げかけている」。これに対して、共同体主義を唱える左派は、「理性と解放の理念に疑義を投げかけ、とりわけ解放の理念は「文明の使命」[82]の追求であると考えている。植民地主義とポストコロニアル的思考に反対を唱え、特に後者はイスラム教に対するあらゆる批判的言説ないしはライックな言説に共通する思考であると言う」。また、「(啓蒙主義の)ヴォルテールよりはむしろ(植民地主義批判の)フランツ・ファノンであり、支配者・被支配者や蒙昧主義に対抗するライシテではなく、植民者の子孫か被植民者の子孫かという図式で論じている。こうした共同体主義的発想は、必然的にマイノリティ間の対立を生む」[81]

共同体主義を唱える左派はしばしば「イスラム左派フランス語版[7][8]と呼ばれ、イスラム学者のタリク・ラマダン、哲学者のアラン・バディウ、社会学者のエマニュエル・トッド、ウェブ新聞『メディアパルトフランス語版』創設者のエドウィ・プレネルフランス語版、そして「イスラム左派」のフェミニスト活動家としてはロカヤ・ディアロフランス語版や「共和国原住民 (Indigènes de la République)」のウーリア・ブテルジャフランス語版の名前が挙げられる[83][84]。ブテルジャは、統合の概念に批判的な立場から、「統合には自分の人格を「ケルヒャー」で洗浄しなければならないし、自らの文化を否認し、共有された市民の理想像に相応しい態度を取らなければならない」と主張する[85]宮島喬はフランスにおける「共同体主義」を「民族コミュニティが、排他的にそのアイデンティティや文化の承認を要求したり、なんらかの目的に対して利益集団的に行動したりする傾向」と定義しており[86]、共同体主義だけでなく、人種主義、反ユダヤ主義、ホモフォビアとして非難されることが多く[87][88][89]、「マイノリティだが影響力の強い」左派とされる[78]

イスラム左派は対立するライシテ・普遍主義左派をしばしば「イスラモフォビア」だとして非難するが、バダンテールは、フランス人はたいてい、「イスラモフォビアだと非難されることを極度に恐れているが、イスラム左派(のフェミニスト)は(相手にイスラモフォビアの烙印を押すことで)イスラム過激派に武器を提供しているのだ。『共和国法は女性を含むすべての国民に適用されるべきだ』と言う勇気のある人々をイスラモフォビアだと攻撃するなど、言語道断である」と抗議している[78]

男女平等担当副大臣マルレーヌ・シアパ

ライックな移民のフェミニスト活動家[編集]

上記のように、「アングロ=サクソンの共同体主義」とフランスのライシテ、またはフランス左派内の共同体主義と普遍主義(ライシテ)を対置させ、対イスラム教徒を中心とするフランスの移民政策の問題として論じられることが多いが、一方で、こうした図式に収まらない移民フェミニストでかつライックな活動家として、モロッコ生まれの精神分析家で女性活動団体を立ち上げたイプティサム・ラシュガールフランス語版ギニア生まれで女性器切除反対運動を起こしたディアリアトゥー・バー (Diaryatou Bah)、モロッコ生まれでライック・反人種主義・反リベラリズムのフェミニスト団体を設立したファティマ・ベノマールフランス語版、イラン生まれで「思い切ってフェミニズム (Osez le féminisme !)」の活動に参加した後、ペルシア語のウェブサイトを立ち上げ、イランで最初のLGBT向けラジオ局に参加したスーデー・ラッド (Soudeh Rad) など[90]、フランス国外のメディアではほとんど取り上げられることのない女性活動家を挙げることができる。

エマニュエル・マクロンは大統領に就任して以来、ライシテについて明確な姿勢を示していなかった。マクロン政権下で最初に積極的なライシテ支持を表明したのは男女平等担当副大臣マルレーヌ・シアパフランス語版であった。「ライシテ・フェミニズム活動家」のシアパ副大臣は2017年に『無条件のライシテ (Laïcité, point !)』(注記:「積極的なライシテ」、「開かれたライシテ」などの形容詞で限定されないライシテ)という本を著した(共著)。彼女は、「ライシテと女性の権利は直結していると思う。欧州でもそうだが、教会と国家が分離されていない国では、人工妊娠中絶避妊手段の利用などの女性の権利を真っ向から否定することになりかねない。私にとってライシテが重要なのは、それが特定の共同体や宗教に限定されないということ」[91]、「フランス共和国が強制結婚を許さないのはライックだから。フランス共和国が女性器切除は残酷な四肢切断と同じで、習慣でも伝統でもないと断言できるのはライックだから。文化的・宗教的相対主義の立場を取らず、世界のどんな場所においても、女性の身体に対して本人の同意なく何らかの行為をしてはならないと言えるのはライックだから」[92]と語っている。

ライシテと表現の自由(宗教批判)[編集]

原則[編集]

フランスでは、表現の自由が法的に制限されるのは、基本的な自由や個人の自由が侵害される場合だけである。ライシテ原則に基づく共和国法においては、宗教的な表現と反宗教的な表現は同等の価値を有する。したがって、冒涜は存在せず、思想・表現の自由としての「冒涜する自由」が存在する[93]

そして、宗教批判は自由だが、個人の自由を尊重する以上、信者個人への攻撃は当然許されない[94]

もちろん線引きは難しいが、むしろ、だからこそその都度議論を尽くし、合意を形成していく。「『わたしはあなたの意見に反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命がけで守る』--- ヴォルテールの考え方を端的に示すとされるこの言葉が、表現の自由のために闘うフランス人の矜持となっている」[95]

ただし、アルザス・モーゼル地方(バ=ラン県オー=ラン県モーゼル県)にはごく最近まで冒涜罪が存在した。これは政教分離法が成立した1905年に、アルザス・モーゼル地方は(1871年フランクフルト講和条約により)まだドイツ領であったため、同法の適用を免れたからであり、フランスが同地方を奪還した1919年にも、地方法がフランス共和国法に合わせて改定されることはなかった。アルザス・モーゼル地方の刑法典第166条には、「公共の場で侮辱的な言葉により神を冒涜し、不安を煽る者、連邦領土において設立し、法人として認められたキリスト教団体・宗教共同体又はかかる団体の組織や儀式を公共の場で侮辱する者、ないしは教会又は宗教集会のためのその他の場所において侮辱的かつ不安を煽る行為を犯す者は、3年以下の禁錮刑に処せられる」と書かれていた(また、牧師や司祭、ラビは国から俸給を受け支給され、キリスト教およびユダヤ教の宗教施設の維持費は地方自治体が負担し、さらに、義務教育の一環として宗教教育も行われていた)[96][97]

この第166条が廃止されたのは2017年1月27日のことである(「平等及び市民性に関する2017年1月27日の法律第2017-86号」[98]による)。

一方で、差別的な表現による誹謗中傷、憎悪の扇動などで訴訟が提起されることも少なくない。差別は、フランス刑法典第225-1条の以下のように定義されている。

差別とは、出自、性別、家族状況、妊娠、身体的外観、外見から想像される又は原因が明らかな経済状況に起因する非常に困難な状況、姓、居住地、健康状態、自律性の喪失、障害、遺伝的特徴、風俗習慣、性的指向性同一性、年齢、政治的信条、組合活動、フランス語以外の言語による表現力、特定の民族、国家、いわゆる人種又は自ら選択した宗教への実際又は想定上の帰属又は非帰属を理由に、自然人の間に区別を設けることである[99]

反宗教、宗教批判、反教権主義との関連における表現の自由およびライシテの問題は、とりわけ、2006年に『シャルリー・エブド』がムハンマド風刺画を転載・掲載したことで激しい議論を巻き起こし、裁判により無罪となったことであらためてその重要性を確認することになったが、このとき、人権連盟フランス語版[要曖昧さ回避](LDH) のジャン=ピエール・デュボワフランス語版会長 (2005 - 2011) は、「風刺漫画家の自由を含む報道の自由は、宗教による禁止に左右されることはない」、「状況を承知の上で他人の感情を害したり挑発したりすることは、自らの責任においてショックを与え、無知蒙昧を知らしめることである。これに対して、理性のための闘いの第一歩は、常に自由な批判と、常に侮蔑すべき誹謗中傷を区別することであり、これは、検閲や裁判によるのではなく、民主的な議論が必要な問題である。ただし、挑発者は挑発という手段を用いるときに、自分がまるで犠牲者であるかのような振る舞いをして、批判を逃れようとしてはならない」とし、「自由と責任は表裏一体であり、民主主義と尊重も同様である」ことを確認した[100]

以下に、フランスにおける表現の自由がライシテ原則に基づくものであることを示す事例を挙げる。

『最後の誘惑』とAGRIF[編集]

1988年10月22日の深夜、マーティン・スコセッシ監督の映画『最後の誘惑』が上映されていたパリのサン=ミシェル映画館で放火事件があり、13人が負傷(うち4人は重傷)。テロ事件 (Attentat du cinéma Saint-Michel) としてその夜のニュースで一斉に報じられた[101][102]

ニコス・カザンザキスの小説『キリスト最後のこころみ』に基づき、キリストを悩める人間として描いたこの作品は、キリスト教団体から「冒涜」だとして猛烈に批判された。放火事件を起こしたのはカトリック極右団体「反人種差別およびフランス人・キリスト教徒アイデンティティ尊重のための総同盟 (AGRIF)」のメンバー5人であった。事件後3週間で『最後の誘惑』を上映していたパリの映画館17館のうち15館が上映を中止。国内の他の都市でも小規模ながら同様の事件が発生した。極右政党「国民戦線は映画フィルムの完全な破壊を求めた。マーティン・スコセッシ監督は、「キリストは人間の試練を一身に引き受けた生身の人間として描く必要があった」と説明した。5人は1990年の裁判で執行猶予付きの禁錮刑と45万フランの罰金刑を言い渡された[103]

AGRIFは「反人種差別」を標榜するが、「反キリスト教徒的人種差別」と矛盾を含んだ表現で暗に「白人」に言及し、むしろ多くの訴訟を提起することで反キリスト教的な芸術作品の検閲発禁を求めることを主な活動にしているが、ほとんどの告発、訴訟において表現報道の自由を理由に却下され、または敗訴している。

AGRIFは『最後の誘惑』のほか、映画ではジャン=リュック・ゴダール監督の『こんにちは、マリア』、ジャン=ピエール・モッキー監督の『彼は地獄で凍えている (Il gèle en enfer)』、コスタ=ガヴラス監督の『ホロコースト -アドルフ・ヒトラーの洗礼』、ロドルフ・マルコーニ監督の『これが私の肉体』、ミロス・フォアマン監督の『ラリー・フリント』がAGRIFに訴えられたが、訴えはすべて却下された[104][105][106]

『最後の晩餐』のパロディー[編集]

2005年3月、パリ大審裁判所が、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を模した衣料品会社マリテ+フランソワ・ジルボーのポスター[107]について有罪判決を言い渡した。

これは『最後の晩餐』のキリストと使徒らを女性に置き換えた写真で(ただし、背中を向けている男性が1人)、既にイタリアミラノでは禁止されていたが、フランスではフランス司教協議会の一派である「信仰・自由」協会が「宗教を理由に特定の集団を誹謗中傷した」として訴えていた。他のキリスト教指導者からも「冒涜的だ」、「嘲笑的だ」、「暴露的だ」、「信仰を商業的な目的に利用した」、「この調子だと、次は十字架にかけられたキリストが靴を売ることになるだろう」などの非難が相次いだ。第一審の判決に対して人権連盟は「恥ずべき後退だ」とし、マリテ+フランソワ・ジルボーの代理人も「表現の自由の禁止を求める判決だ」と批判した。マリテ+フランソワ・ジルボーも他人の感情を害するつもりはまったくないとして不服申し立てをした[108][109][110][111]

ところが、パリ控訴審(第二審)も、「この広告はよく練られた芸術的・美的表現であるとしても、そしてたとえ聖体の秘跡が題材になっていないとしても、キリスト教創始者の行為を、いたずらに目を引く裸体を使って暴露的に表現し、その神聖さを侮辱したことに変わりはない」として、第一審の判決を支持した。

2006年11月、破棄院は、控訴審の判決を無効とし、原告の訴えを却下した[112]

ムハンマドの風刺画[編集]

2006年、風刺新聞『シャルリー・エブド』がデンマークの日刊紙『ユランズ・ポステン』に掲載され、既に物議をかもしていたムハンマドの風刺画を転載し、併せて、表紙に「原理主義者にお手上げのムハマンド」、「ばかどもに愛されるのはつらいよ」書かれた風刺画を掲載したことで、イスラム団体(仏イスラム組織連合 (UOIF) とグランド・モスケ・ド・パリ)に「宗教を理由に特定の集団を公に侮辱した」として訴えられた[113]

2007年3月の第一審では、「ライシテおよび多元主義を原則とする社会では、信仰の尊重と宗教批判の自由は同じように重要である。・・・この表現(「ばかどもに愛されるのはつらいよ」)は確かに侮蔑的だが、見出し(「原理主義者にお手上げのムハマンド」)に明示的に示される「原理主義者」を対象とした表現にすぎず・・・信者全体を侮蔑する性質のものではない。・・・(他の画もまた)、イスラム教ではなく自爆テロを風刺したものである。・・・頭に爆弾を載せたムハンマドの風刺画については(転載されたものであり)、たとえショックを与えるものであっても、暴力的な示威行動が繰り返された当時の「文脈」において判断されなければならない。(シャルリー・エブドの行為は)明らかに、威嚇への抵抗と、脅迫および報復を受けた(デンマークの)ジャーナリストとの団結を表わす行為である」として、これを無罪とした[114]

この後、表現の自由とライシテのために闘った『シャルリー・エブド』は文部省からその勇気と功労を称えられ[115]、ダニエル・ルコント監督によるドキュメンタリー映画も制作された[116]

2015年1月7日にシャルリー・エブド襲撃事件が発生し、イスラム過激派により『シャルリー・エブド』の風刺画家、コラムニストら12人が殺害された。国際テロ組織アラビア半島のアルカイダが「ムハンマドを侮辱したことへの復讐だ」として犯行声明を出した[117]

レデケール事件[編集]

2006年9月19日付けの『フィガロ』紙に哲学者のロベール・ルデケールフランス語版の「イスラム原理主義者の威嚇に晒され、自由な世界はどうしたらいいのか」と題する記事が掲載された。記事には、「すべてのイスラム教徒が教えを受けるコーランには憎悪と暴力が潜んでいる」、「ムハンマドは情け容赦のない戦争のボス、略奪者、ユダヤ人の虐殺者、一夫多妻者・・・これがコーランから浮かび上がってくるムハンマドの実像である」などと書かれていたため[118]、イスラム教徒が大多数を占めるエジプトチュニジアなどでは同日付けの『フィガロ』紙は発禁になり、フランス国内でも批判が殺到し、ロベール・レデケールは殺害予告を受け、警察の保護下に置かれた。これに輪をかけるように、イスラム原理主義者らはインターネット上に死刑宣告のファトワを流した。「反人種主義・民族間友好運動 (MRAP)」のムールード・アウニ代表は、殺害予告や威嚇は赦しがたいとする一方で、レデケールの挑発がこうした状況を生んだのだと非難した。政治家も同様であった。ドミニク・ド・ヴィルパン首相は、この件は「あまりにも頻繁に不寛容が露わになる危険な世界にいるということ」を示しているとし、ジル・ド・ロビアンもレデケールとの「団結」を表明しながらも、「公務員はどのような状況にあっても慎重かつ節度のある態度を示さなければならない」と批判した[119]

一方、「人種主義と反ユダヤ主義に反対する国際連盟 (LICRA)」の主催で、ロベール・レデケールを支援する会が催され、イスラム学者のソエイブ・ベンシェイクフランス語版、作家のパスカル・ブリュックネール、哲学者のアラン・フィンケルクロートエリザベット・ド・フォントネフランス語版ブランディーヌ・クリージェルフランス語版クロード・ランズマン、『シャルリー・エブド』の編集長フィリップ・ヴァルフランス語版らが参加した。彼らは、『フィガロ』紙に掲載した記事で、「思考自体が、愚行者や狂信者にとっては挑発になる」とし、とりわけ、一部のイスラム原理主義をファシズムだと非難するソエイブ・ベンシェイクは、「イスラムを批判しないのは(イスラムだけ特別扱いする)隔離政策のようなものだ」と宗教批判を支持した[120]

さらに、ジャン・ボベロフランス語版は、「ロベール・レデケールの表現の自由を守ることと、憎しみに満ちたばかばかしさを支持するのとは違う」とし、これに反対した[121]

ライシテをめぐる共和国大統領の政策・発言 (シラク大統領以降)[編集]

ジャック・シラク政権下での政策[編集]

2003年5月、フランソワ・バロワン国民議会副議長、トロワ市長、与党UMP)が「新しいライシテのために」と題する報告書を提出した。バロワン報告書では、多文化主義とイスラム世界がフランスのアイデンティティを脅かすとされ、非宗教性、政教分離原則としてのライシテが、文化およびアイデンティティの問題にすり替えられた[122]

2003年7月に、ジャック・シラク大統領の命により、共和国調停人(オンブズマン、Médiateur de la République)のベルナール・スタジフランス語版を委員長とし、歴史・社会学者のジャン・ボベロフランス語版、哲学者・作家のレジス・ドゥブレ、作家のアンリ・ペニャ=ルイズフランス語版などの様々な分野の専門家から成るライシテ原則の適用に関する委員会が設置された。12月にシラク大統領に提出されたスタジ報告書では、ライシテ原則は「国民を結集し、同時にまた、個人の自由を保障する」「国家統合の基盤」であるとされた[123]

シラク大統領はスタジ報告書を受けて、12月17日に、「共和国の基盤であり、尊重、寛容、対話といった共通の価値の集大成であるライシテ原則」のもとに「国民を結集する」という趣旨の演説を行った。

ライシテは思想・良心の自由を保障する。ライシテは信じる権利と信じない権利を保障する。ライシテは、各国民に、他の信念・信仰を押し付けられるおそれなく、自由かつ心穏やかに信仰を表現・実践する可能性を保障する。ライシテは、全世界から、あらゆる文化からやってくる女性および男性に、共和国およびその機関により自らの信念・信仰が守られることを約束する。すべての人々に対して開かれ寛大なライシテは、各自がフランス社会のために最良のものをもたらすための出会いと意見交換の特別な場であり、異なる宗教の調和的共生を可能にする公的空間の中立性である[124]

2006年、1989年に設立された首相直属の検討・提議機関である統合高等審議会フランス語版(HCI) がライシテに関する使命を担うことになった。統合高等審議会は2012年に廃止され、ライシテ監視機構フランス語版がこの使命を引き継いだ。

2007年、ライシテ監視機構が設立された。首相直属の機構としてライシテ原則の尊重に関する政府の政策を助けることを目的とする。なお、ライシテ監視機構が正式に発足したのはフランソワ・オランド政権下の2013年4月である。

ニコラ・サルコジの「積極的なライシテ」[編集]

ニコラ・サルコジ (2006年)

ニコラ・サルコジは内務大臣(兼宗教担当大臣)の頃から自著『共和国、宗教、望徳 (La République, les religions, l’espérance, Cerf, 2004』で「私はカトリックの文化、カトリックの伝統、カトリックの信仰に育った」と個人的な信条を明らかにするだけでなく、「国家による大宗教の経済的支援」などの1905年ライシテ法の修正を含む「消極的で恥ずべきライシテではなく、積極的な (active) ライシテ」を提唱するなど、物議をかもしていたが[125]2007年5月に大統領に就任してからも国家元首としてライシテ法本来の精神に反する発言を繰り返し、批判を浴びた。

ローマでの演説[編集]

2007年12月20日、教皇庁を公式訪問し、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂(ローマ司教としての教皇の司教座聖堂)の名誉参事会員の称号を与えられた。これ自体は特別なことではなく、シャルル・ド・ゴールジスカール・デスタンジャック・シラク、そして2018年にはエマニュエル・マクロンも名誉参事会員の称号を与えられている。問題は、このときの演説で「フランスのルーツは本質的にキリスト教的だ」、「非常に長い間、我々の国家をカトリック教会に結びつけてきた非常に特別な絆」、「ライシテ法にはフランスをそのルーツであるキリスト教から切り離す権限はない」などの表現により、フランス共和国の歴史とカトリック教会のつながりをことさらに強調し、ライシテについて否定的な見方をしていることである。とりわけ、ライシテについては、「コンコルダ(政教条約)を破棄した1905年の政教分離法の成立は、フランスにおけるカトリック教会にとって深い傷を与える辛い出来事であった」という2005年の教皇ヨハネ・パウロ2世の言葉[126]を受けて、1905年のライシテ法成立前にも成立後にも「フランスでカトリックの信者、司祭、修道会などの団体が味わった苦しみ」に深く共感し、教育についても宗教性が不可欠であるかのように、「価値を守り伝え、善悪を教えることにおいて、小学校教員は決して司祭や牧師の代わりにはならない。なぜならば、小学校教員には人生を犠牲にする情熱や、望徳によりもたらされる熱心な指導者のカリスマ性が常に欠如しているからである」と述べ、ここでもまた(用語は違うが)「積極的な (positive) ライシテ」の必要性を訴えた[127][128]

ド・ゴール大統領がラテラノ大聖堂に献納したセーヴル焼の壺

共和主義的ライシテを否定するこのようなこのサルコジの発言に非難が殺到した。フランス大東社は、「フランス共和国は、しばしば困難に直面しながらもライシテの概念を作り上げ、これに生命を吹き込むことで、宗教からの解放を成し遂げたのである」とし、「宗教が政治・市民アイデンティティの一部であるかのような」大統領の発言に懸念を表明した[129]

哲学者のカトリーヌ・カンツレールフランス語版は、「ライシテに関するサルコジの個人的な見解については彼の著書に書いてあるから知っているし、一人のライックとしてこれに異議を唱えるつもりもないが」、「共和国大統領として公にこのような発言をしたことにショックを受けた」とし、さらに、「積極的差別という言葉を想起させる」「積極的なライシテ」という概念は「ライシテの概念を骨抜きにする。なぜならば、ライシテとは必然的に消極的でミニマリストだからだ。ライシテとは、政治関係を築く上で「何も信じる必要はない」ということである」と反論した[130]

中道派のフランソワ・バイルーは、「フランスでは不可能な国家と宗教の混同への逆戻りだ」と批判した[131]

「キリスト教徒ライシテ監視機構 (Observatoire chrétien de la laïcité)」は、「(サルコジ大統領が)我々の国のカトリック以外の宗教、不可知論および無神論の精神的・人道的・文化的な貢献を考慮せずに、誰もが抱く希望が宗教においてのみ実現されると考えるのは」「とんでもないことだ」と批判した[132]

言語学者のジャン=クロード・ミルネールフランス語版、ジャーナリストのカロリーヌ・フレストフランス語版、作家のアンリ・ペニャ=ルイズフランス語版らが2008年2月26日付の『リベラシオン』紙に「ライシテを救え」と題する記事を掲載し、「共和国大統領はライシテに対して容赦ない攻撃を仕掛け、これを乱暴かつ全面的に問い直そうとしている」と批判した[133]

教育連盟フランス語版もネット上に「共和国のライシテを守ろう」という請願書を掲載し[134]、3か月間に約15万人の署名および哲学者、労働組合その他の計145団体の支援を得て当初の目標を達成した。

アンリ・ペニャ=ルイズによると、サルコジは共和主義的ライシテについて、5つの重大な過ち・誤謬を犯している[135]

  • 道徳的な過ち:サルコジ流の「望徳(キリスト教の徳としての希望)」では人道主義的な無神論者が排除される。精神性を宗教に限定することで、無神論のヒューマニズムは否定される。
  • 政治的な過ち:大統領が厳守すべき自制義務(慎重行動義務, devoir de réserve)に違反して、個人的な信条を表明した。
  • 法的な過ち:政治家は宗教、思想等の個人的な選択について優劣をつけてはならない。
  • 歴史に関する誤謬:サルコジの発言にあるカトリック教会の位置づけは歴史的事実に基づいていない。
  • 文化に関する誤謬思想・良心の自由、権利の平等、男女同権などは、文化を歴史的偏見から解放するための闘いから生まれたものである。

(注記:なお、比較のために例を挙げるなら、フランスではライシテ原則に基づき、靖国神社問題におけるように公人が公人として特定に宗教に参加(参拝、寄付、奉納等)することは禁止されており[136]、米国の大統領就任式におけるように聖書に手を置いて宣誓することもない[137]。)

一方、バチカンではジャン=ルイ・トーランフランス語版枢機卿が「この積極的なライシテは、宗教に危険性ではなく、むしろ可能性を見出すものである」とし[138]、神学者のジャン=ミゲル・ガリーグ (Jean-Miguel Garrigues) も、「このライシテに関する公式見解により、フランス共和国とカトリック教会の真の関係がようやく明らかになった」と、サルコジの発言を歓迎した[139]

サウジアラビアでの演説[編集]

2008年1月14日、サルコジはサウジアラビアの首都リヤドを訪れ、アラブ世界との関係について見解を述べた。この演説では「一人ひとりの思考と心のなかにいる超越的な神」、「人間を服従させるのでなく、解放する神」と「神」という言葉を繰り返し、「神」は「人間の法外な傲慢と狂気に対する防波堤」だと主張した。さらに、ラテラノでの演説に対する批判を踏まえて、「私は政教分離原則に基づく国家の元首として、個人的な好みにより宗教に優劣をつけることなく、すべてを尊重しなければならない。私は、ユダヤ人であろうと、カトリックであろうと、プロテスタントであろうと、イスラム教徒であろうと、無神論者であろうと、フリーメイソンであろうと、合理主義者であろうと、各人がフランスで生きることに幸福であると、自由であると感じ、各人の信念、価値、出自が尊重されていると感じるようにしなければならない」と、カトリック教会との絆を強調したローマでの演説から一転して、「多様性の政治」の必要性を訴えている[140]

レジス・ドゥブレは、サルコジの神への繰り返しの言及、「神は人間の法外な傲慢と狂気に対する防波堤」だという言葉に対して、「自分を超えるものを求める人間はすべてあの世を見なければならないのか」と皮肉り、さらにこれが政府の責任逃れになる可能性を指摘した[141]

在仏ユダヤ系団体代表協議会の晩餐会での演説[編集]

1か月後の2008年2月13日に開催された在仏ユダヤ系団体代表協議会(CRIF)の年次晩餐会での演説では、ラテラノでの演説に対する批判について、「私は断じてライシテの道徳が宗教道徳に劣るとは言っていない。両者は相補的だと思っている」とし、さらにラテラノでの演説の「価値を守り伝え、善悪を教えることにおいて、小学校教員は決して司祭や牧師の代わりにはならない」という発言については、「私は断じて小学校教員が司祭やラビ、イマームに劣るとは言っていない」、教師は「正直、寛容、尊重からなるライシテの道徳」を教え、宗教者は超越性を示すという具合に、子供に教える内容が違うだけだと説明し、さらに、ナチズム共産主義全体主義を「神なき世界」とし、「子供たちは、教育・人間形成の過程において、精神の問題や神の次元にまで目を開いてくれる、熱心な宗教者に出会う権利がある」と強調した[142]

教皇ベネディクト16世の訪仏時の演説[編集]

2008年9月、教皇ベネディクト16世ルルドの聖母出現150周年を祝うためにフランスを訪問した際に、パリでサルコジ大統領の歓迎を受けた。このときのサルコジの演説は、ラテラノの演説の延長線上にあるが、「カトリック」という言葉は敢えて使わず、「民主主義のため、ライシテを尊重するために、諸宗教、とりわけ我々が長い歴史を共有するキリスト教との対話」、「開かれた」「積極的なライシテ」が必要だと訴えた[143]

フランスの守護聖女ペトロニラ

これに対して教皇は、「ライシテの真の意味と重要性について再検討が必要であると心底確信している。というのは、市民の宗教の自由および市民に対する国家の責任を保障すると同時に、良心の育成において宗教のみが果たし得る役割をより明確に自覚することが必要不可欠だからである」と語った[144]

国家元首としてサン・ピエトロ大聖堂で祈り[編集]

2010年10月、バチカンを公式訪問したサルコジは、教皇ベネディクト16世と会談した後、サン・ピエトロ大聖堂の聖女ペトロニラの祭壇の前で「フランスのための祈り」を捧げた。これを執り行ったのはジャン=ルイ・トーランフランス語版枢機卿である[145]。なお、聖女ペトロニラは「ペトロ(=岩=教会)の娘」、「カトリック教会の長姉」という連想によりフランスの守護聖女とされ、サルコジはラテラノの演説でもこの点を強調していた。

フランソワ・オランドの中立性[編集]

社会党のフランソワ・オランドは、それまでの大統領と違って無神論者あるいは不可知論者であり、「神は存在するというより、むしろ存在しないと確信するようになったこと」が、人生における一つの重要な節目になっていると言う。また、「個人的には宗教を実践していないが、すべての信仰を尊重する。私の信仰は信仰をもたないということである」と述べている[146]。ジャーナリストのジェローム・アンシベロによると、「(オランド大統領は)ライックだが、ライシテ強硬派ではない。こうした問題については大統領という立場から発言を控えている」[146]2014年に大統領としてバチカンを訪問しているが、宗教やライシテについての話し合いや発言はなかった[147]。彼はむしろ、「宗教と一定の距離を保つことで、良好な関係を維持していた」[148]

エマニュエル・マクロン[編集]

エマニュエル・マクロン大統領は、2016年7月にイスラム過激派テロリストに殺害されたジャック・アメルフランス語版神父の追悼ミサに参加したが、国家元首として追悼ミサには参加するが、中立性を維持するというシャルル・ド・ゴールの立場に近いとされる[149]。同様の理由で、2017年12月にマドレーヌ寺院で執り行われた国民的歌手ジョニー・アリディの追悼ミサでは、棺の前で十字を切らなかった[150]

2018年4月9日、マクロン大統領は「コレージュ・デ・ベルナルダンフランス語版(中世に修道士のための神学校として建てられ、現在は文化施設および神学教育施設)で行われたフランス司教協議会での演説で、初めて信仰に対する彼なりの見方を示し、「ライシテは宗教性(霊性)を否定するものではない」「我々はカトリック教会と国家の絆が損なわれたという印象を抱いており、これを修復することがあなたがた(司教)にとっても私(国家元首)にとっても重要である」と語ったことで、とりわけライックな左派から、「国家元首の義務に背く」、「ライシテに違反する」、「ライシテに対する攻撃である」などの猛烈な批判を受けることになった[151][152]

同性婚合法化のためのデモ---「自由、平等、友愛」の「友愛」を「ライシテ」に置き換えて (2013年)

左派政党「不服従のフランス (France insoumise)」のジャン=リュック・メランション党首は「形而上学的なたわごとだ、耐え難い。大統領の話を期待していたら、聖職者の話を聞くことになった」、アレクシス・コルビエールフランス語版は「ライックな共和国の大統領にふさわしくない発言、宗教的共同体主義を再燃させるような無責任な発言だ」、クレマンティーヌ・オータンフランス語版は「ライシテ法をいともいとも簡単に踏みにじった。非常に懸念される」、さらに歴史学者・社会党員のダヴィッド・アスリーヌフランス語版[153]も、「既に1905年に(教会と国家の)絆は絶たれている。損なわれたのはなく、幸いにも断ち切られたのだ。マクロン大統領、あなたは攻撃を仕掛けてくる共同体主義から共和国のライシテを守る立場にありながらこのような発言をした。ことの重大さがわかっていますか」と厳しく批判した[154]

ただし、一方で、オランド政権下で2013年に特にカトリックの猛反対に遭いながらも同性婚合法化法案が可決されて以来[155]、カトリックとの関係が悪化し、マクロン政権下でも生殖補助医療の規制緩和を進めていることから[156]、カトリックに対する懐柔策であるとの見方もある[157][158]

2018年6月にはバチカンを訪問し、ラテラノ大聖堂の名誉参事会員の称号を受けている[159]

年表[編集]

フランス革命期から第二帝政期まで(1789年-1870年)[編集]

フランス革命 (1789-1799) 期に、共和制への従属を拒否し、ローマ教皇への忠誠を誓ったカトリック聖職者の多くが処刑。

1801年ナポレオン1世とローマ教皇ピウス7世の間でコンコルダ政教条約)が結ばれ、カトリック教会、プロテスタントのルター派教会・カルヴァン派教会、ユダヤ教会が公認され、信教の自由が確立。

復古王政ブルボン朝 (1814-1830) においてカトリックが再び国教として復活。

七月王政 (1830-1848) から第二共和政 (1848-1852)、第二帝政 (1852-1870)、第三共和政 (1870-1940) の初期に至るまで、カトリック勢力と反教権勢力の対立が続く。

1833年ギゾー法フランス語版により公立学校が創設される。

1850年ファルー法フランス語版により国家による私立学校への財政援助を制限付きで認める[160]

第三共和政期(1870年-1940年)[編集]

第四共和政期(1946年-1958年)[編集]

  • 1946年 - 第四共和政憲法発布。信教の自由が明記されると同時に、冒頭の1条では、フランスが「ライックで、民主的で、社会的な共和国である」ことが強調される。

第五共和政期(1958年-)[編集]

  • 1958年 - 第五共和政憲法発布。人種・宗教による差別の禁止、法の下の平等がより強調される。

ミッテラン政権

  • 1989年 - 始業期である秋、パリ近郊クレイユ市の中学校で、スカーフヒジャブ)を着用していたイスラム系の女生徒2人が教師によって教室への入室を禁止され、大きな論議を呼び起こす。
    • 11月、国務院が、「表現の自由及び宗教の表明の自由の行使である限りにおいて、ライシテ原則に抵触しないが、宗教的標章が、その性質上、又はこれを個人的に又は集団として着用する条件により、ないしはこれ見よがしな (ostentatoire) 又は権利要求的な性質により、圧力行為、挑発、プロゼリティスム(宗教勧誘)又はプロパガンダとなるおそれがある場合は、かかる標章の着用は許されるべきではない」と回答した[52]
    • 12月、教育相リオネル・ジョスパンが、宗教的標章に関する通達を出し、「生徒は、宗教的信仰を助成するような衣服及びその他の目立つようなすべての標章に注意しなければならない。・・・これについて紛争が起こった場合は、直ちに生徒とその府警に対して対話を求めなければならない。対話は、生徒の利益のため、そして、学校がうまく機能するために、宗教的標章の着用をやめさせることを目的とする」とした[9]
  • 1990年 - モンフェルメイユジャン・ジョレス中学校で、新たなスカーフ事件があり、退学となったイスラム系女生徒3名の親が提訴する。
  • 1992年11月2日 - ケルーア判決: arrêt Kherouaa)で、「宗教的なしるしを全て絶対的に禁止することは不法」と判断される。
  • 1994年 - 9月、教育相フランソワ・バイルが、「生徒を学校の共同生活規則から分離させるような目立つしるしが校内で増加することは容認できない」旨の通達を出す。

シラク政権

  • 1995年 - 7月、国務院が、「目立つしるし」の定義の曖昧さを理由に、バイル通達の無効を通告、スカーフの全面禁止を否定する。
  • 1997年 - 11月、国務院が、スカーフを「目立つ攻撃的なしるし」とは看做せないと明言。退学は「体育・水泳などの義務科目への参加を拒否することで正当化される」と付け加える。
  • 2000年 - 5月、国務院が、スカーフ着用を理由に休職処分となった臨時校内監視員の事例に関し、「宗教的信仰を明らかにする権利を持っている公立学校職員に対し、ライシテ原則はその権利の妨げになっている」との判決を下す。
  • 2002年 - 12月、リヨンでスカーフを折ってバンダナ風に着用していた生徒に関し、教育委員会が規律委員会開催を拒否したことに抗議して、教員ストが実施された。
  • 2003年 - 4月、フランス・イスラム団体連合(UOIF)の会議の席上、内務相ニコラ・サルコジが「身分証明写真は無帽であることを義務付ける」旨の発言をする。
    • 5月、イスラム教フランス評議会(CMCF)の公的会合が初開催。
    • 6月、国民議会内に、教育機関における「宗教的しるし」着用に関する調査団が設置される。
    • 7月、大統領ジャック・シラクが、ベルナール・スタジを委員長とする「共和国におけるライシテ原則適用に関する検討委員会」(スタジ委員会)を設置。
    • 10月、シラクが「ライシテの問題は交渉によって解決できるものではなく、法律を最後の手段とすることができる」と発言。
    • 11月、国民議会内の調査団が「目につく政治的・宗教的しるしを禁止する」立場を明言。
    • 12月11日、スタジ委員会が「差別反対政策」と「公共サービス職員の中立性を明確にし、公立学校におけるあらゆる宗教的・政治的しるしを禁止する「ライシテについての法律」制定」を進言。また同時に、宗教融和策としてイスラームの祝日「イド・アル=フィトル」と、ユダヤ教の祝日「ヨム・キプル」も、国民の祝日に加えるよう進言。
    • 12月17日、シラクが学校内の宗教的しるし禁止の法制化には賛同するが、休日を2日増やすことは拒否すると発言。
    • 12月21日、スカーフを付けた約3000名が法案反対デモを行う。
  • 2004年 - 1月5日、公立学校における「宗教的標章規制法」(宗教的シンボル禁止法スカーフ禁止法ヒジャブ禁止法)法案が国務院に提出される[161]
    • 1月17日、2万名以上が法案反対デモ。
    • 1月19日、パリで法案反対集会。5000名参加。
    • 2月10日、国民議会(下院)が同法案可決。
    • 3月3日、上院で同法案が可決し成立。
    • 9月、同法律の施行開始。

サルコジ政権

  • 2007年12月、ニコラ・サルコジ大統領がラテラノ大聖堂の名誉参事会員の称号を与えられた際の演説で、フランス共和国の歴史とカトリック教会のつながりをことさらに強調し、ライシテについて否定的な見方をしたことで猛攻撃を受ける。この際、「積極的なライシテ」という概念を打ち出した。
  • 2008年9月、サルコジ大統領は教皇ベネディクト16世の訪仏時も「積極的なライシテ」、「開かれたライシテ」の必要性を訴えた。
  • 2010年 - 7月13日、公共空間でブルカ等の着用を禁止する「ブルカ禁止法」が国民議会(下院)で可決。
    • 9月14日、同法案が上院でも可決、成立。
  • 2011年 - 4月11日、「ブルカ禁止法」施行開始。

オランド政権

マクロン政権

  • 2017年12月、マクロン政権下で初めて男女平等担当副大臣マルレーヌ・シアパフランス語版が積極的なライシテ支持を表明。『無条件のライシテ (Laïcité, point !)』を著す[92]
  • 2018年4月9日、エマニュエル・マクロン大統領がフランス司教協議会での演説で「カトリック教会と国家の絆を修復する」と述べ、ライックな左派から批判が殺到[154]生殖補助医療の規制緩和を勧める上で、オランド政権下での同性婚の合法化 (2013年) 以来悪化していたカトリックとの関係の修復を狙ったものと見られている[157][158]

脚注・出典[編集]

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  1. ^ ジャン・ボベロは、フランス社会における宗教の影響力の減少を意味する「セキュラリザシオン (sécularisation)」という意味は「ライシザシオン (laïcisation)」と異なるものではないが、あまりにも外延的すぎると批判しながら、フランスの世俗化は、紛争を調停するために、常に国家という外部の力によって推し進められたきた点に着目している(満足 2004, ボベロ 2009)。
  2. ^ 「世俗」の語源は、ラテン語で「世間」「世の中」「現世の」を意味するsaeculumで、もともとは宗教に関連するものではなかったが、英語での慣例によって「宗教から分離した」という意味になった(「世俗」参照)。
  3. ^ Quels sont les principes fondamentaux de la République française ? - Quels sont les héritages et les principes de la Ve République ? Découverte des institutions - Repères - Vie-publique.fr” (フランス語). www.vie-publique.fr (2018年7月7日). 2018年7月21日閲覧。
  4. ^ a b 満足 p125
  5. ^ a b c 「フランスにおけるライシテ」(ジャン・ボベロ)、『世俗化とライシテ』”. 2018年7月23日閲覧。
  6. ^ ライシテ、特に積極的反宗教性を前面に押し出す立場をやや侮蔑的に「ライカール (laïcard)」と呼ぶが、これは「ライシテ強硬派」(伊達)、「戦闘的ライシテ」(和田) などと表現される。
  7. ^ a b “Quand les intellectuels quittent la gauche, la droite Figaro jubile” (フランス語). Challenges. https://www.challenges.fr/politique/quand-les-intellectuels-quittent-la-gauche-la-droite-figaro-jubile_56922 2018年7月25日閲覧。 
  8. ^ a b L'art de croire (竹下節子)”. 2018年7月25日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g 満足圭江 (2004). 「現代フランス社会における「ライシテ (政教分離)」概念の変容 ―イスラム子女のスカーフ問題をめぐって―」『東洋哲学研究所紀要』第20号. 東洋哲学研究所. 
  10. ^ 「はじめに」(羽田正)、『世俗化とライシテ』”. 2018年8月17日閲覧。
  11. ^ 伊達聖伸 (2010). ライシテ、道徳、宗教学 ― もうひとつの19世紀フランス宗教史. 勁草書房. 
  12. ^ 伊達聖伸 (2018). ライシテから読む現代フランス ― 政治と宗教のいま. 岩波新書. 
  13. ^ a b Loi du 9 décembre 1905 concernant la séparation des Eglises et de l'Etat. | Legifrance”. www.legifrance.gouv.fr. 2018年7月22日閲覧。
  14. ^ “Pourquoi la laïcité fait polémique en France” (フランス語). LExpress.fr. (2016年1月20日). https://www.lexpress.fr/actualite/societe/religion/pourquoi-la-laicite-fait-polemique-en-france_1755624.html 2018年7月22日閲覧。 
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  16. ^ “Le Québec préfère la neutralité religieuse à la laïcité” (フランス語). La Croix. (2017年8月17日). ISSN 0242-6056. https://www.la-croix.com/Religion/Laicite/Le-Quebec-prefere-neutralite-religieuse-laicite-2017-08-17-1200870236 2018年7月22日閲覧。 
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参考文献[編集]

関連項目[編集]