フランソワ・バイル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
フランソワ・バイル

フランソワ・バイルバイルーFrançois Bayrou1951年5月25日 - )は、フランスの政治家。同国教育大臣司法大臣、またフランス民主連合(UDF)議長(党首)を歴任した。現在、民主運動(MoDem)党首。フランス南西部のピレネー=アトランティック県ポー出身。

来歴[編集]

1993年から1997年までエドゥアール・バラデュールアラン・ジュペの両内閣で教育相を務め、1998年から中道右派のUDF議長に就任。欧州議会議員でもあった。

2002年フランス大統領選挙に初めて立候補し、194万9,436票(6.84%)を獲得し、4位につけた。しかし、自身が率いるUDFの一部議員が現職のジャック・シラク大統領の支持に回るなど、中道右派票の取りまとめに失敗した。

続く2007年大統領選挙では、保守のニコラ・サルコジ国民運動連合総裁とフランス社会党セゴレーヌ・ロワイヤルの2人が有力であったが、バイルは穏健で安定した語り口が有権者に安心感を与え、この2人に肉迫するようになった。同年3月8日付『パリジャン』紙ではバイルを含む3人が三つ巴の様相を呈していると報道、サルコジとロワイヤルに飽き足りない中間層から支持され、前回から大幅に得票を伸ばし682万119票(18.57%)を獲得し、3位につけた。中道志向を強めたバイルは、4月25日の決選投票ではサルコジ、ロワイヤルの両候補のいずれも支持をしないことを表明したが、国民運動連合との選挙協力によって当選したUDFの議員から反発され、多くの議員が国民運動連合に流れることとなった。バイルは、自身を支持する5名の議員とともに新党「民主運動」結成を発表、党首に就任した。

2012年の大統領選挙にも3回連続で立候補するが、第1回投票で327万5,349票(9.13%)の得票で5位に沈んだ。バイルの中道票をにらんで、国民運動連合のアラン・ジュペ外相は「バイルが次期首相にふさわしい」と秋波を送った(後にサルコジが否定)。しかし、決選投票では左派・社会党のフランソワ・オランド支持を表明した。

2014年のポー市長選挙で当選しポー市長となる。任期は6年。

2017年5月に大統領になったエマニュエル・マクロンの最初の内閣で司法大臣・国璽尚書となった。しかし自らが党首を務める民主運動に欧州議会の公金を不正流用した疑惑が持ち上がったことで、わずか1ヶ月後の6月21日に辞任を発表した[1]

人物[編集]

趣味に馬を飼っているほか、ブルボン朝アンリ4世に関する著作がある。

フランス語の綴り字と発音との関係の原則から言うと、本来は「ベイル」が最も近い発音だが、例外的に「バイル」と発音される。

外部リンク[編集]


公職
先代:
ジャン=ジャック・ユルヴォアス英語版
フランスの旗 フランス共和国司法大臣
2017
次代:
ニコル・ベルベ英語版
先代:
ジャック・ラング
フランスの旗 フランス共和国教育大臣
1993 - 1997
次代:
クロード・アレグル
党職
先代:
自分自身
(フランス民主連合を再編)
民主運動党首
2007 -
次代:
(現職)
先代:
フランソワ・レオタール
フランス民主連合党首
1998 - 2007
次代:
自分自身
(民主運動に再編)
  1. ^ “仏法相が辞任へ、マクロン大統領の側近 国防相に続き”. AFPBB News (フランス通信社). (2017年6月21日). http://www.afpbb.com/articles/-/3132891 2017年6月22日閲覧。