モガディシュ

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モガディシュ
Muqdisho
مقديشو
Pictures from an armed convoy trip in Mogadishu.jpg
モガディシュ市街
愛称 : Xamar
位置
モガディシュの位置の位置図
モガディシュの位置
モガディシュの位置の位置図
モガディシュの位置
座標 : 北緯2度4分0秒 東経45度22分0秒 / 北緯2.06667度 東経45.36667度 / 2.06667; 45.36667
行政
ソマリアの旗 ソマリア
  バナディール州
 市 モガディシュ
市長 モハメド・オマル・ハベブ・デーレ
地理
面積  
  市域 637km2
標高 9m
人口
人口 2006年現在)
  市域 約1,700,000人
その他
等時帯 東アフリカ時間UTC+3
夏時間 なし

モガディシュ英語: Mogadishuソマリ語: Muqdishoアラビア語: مقديشو‎)は、ソマリア首都インド洋に面するアフリカ東端に位置する。

ソマリア最大の都市で、商業金融、海運の中心地である。主要な産業は、食品、飲料、織物。

名称[編集]

モガディシュ(Mogadishu)は英語ドイツ語などで用いられる名称で、イタリア語スペイン語ではMogadiscioと呼ばれる。公用語であるソマリ語ではムクディショ(Muqdisho)、アラビア語ではマカディーシュー(アラビア語: مقديشو‎)と表記される。

名前の由来は明らかではない。一説によると、「シャーの玉座」を意味するアラビア語のmaqad shahのソマリ語表現と言われているが、他にはスワヒリ語で「最北の都市」を意味するmwyu maのソマリ語表現という説もある。

歴史[編集]

1980年代の街並み
モガディシュの住居地域とアメリカ軍のヘリコプター(1992年)

モガディシュの地には、900年アラブ人や黒人の植民者が定住し、12世紀初頭にはアフリカ東海岸における一大商業拠点にまで発展し、その交易の様子は14世紀に訪れたイブン・バットゥータが記している。15世紀には鄭和の船団の訪問を受けている(「木骨都束」と記されている)。16世紀にはポルトガルの支配下に入った。1871年ザンジバル島スルタンにより征服され、1892年イタリア租借地となった。イタリアは1905年にこの都市を買い上げ、イタリア領ソマリランドの首都とした。第二次世界大戦中は、ケニアを拠点とするイギリス軍に占領された。

1970年代より続くソマリア内戦では、1990年に反乱軍側がモガディシュを奪取した。その後、反乱軍内部の部族間、派閥間の抗争が激化し、都市は大きく破壊された。1992年から1995年まで内戦に介入した国連平和維持軍が駐留したが、1993年10月には派遣されたアメリカ軍とアイディード派の地元民兵の間に戦闘が発生し、アメリカ軍兵士に18人、平和維持軍のマレーシア兵に1名の死者、ソマリア人にも多数の死傷者が出た(モガディシュの戦闘)。

現在のモガディシュは、人道支援者への襲撃や部族間抗争が依然として続いていることから、きわめて危険な状態にある。国際的に認知されているソマリア暫定連邦政府の所在地でもあったが、2006年6月にイスラム法廷連合(UIC)がアメリカの後援をうける「平和の回復と対テロ同盟」を破って実効支配を開始した。厳格なイスラーム法を施行するUICにより治安は回復し、モガディシュ国際空港や港湾も開放され、アラブ首長国連邦との通交が行われたという。だが情勢はむしろ悪化しており、2006年12月28日、ソマリア暫定連邦政府軍がエチオピア軍の支援の下にモガディシュを一時制圧し、アフリカ連合軍が治安維持に当たった。その後もイスラム武装勢力とソマリア暫定連邦政府が勢力確立を争っている。

地理[編集]

上空から見た街の広がり
モガディシュの荒廃した通り"Green Line"。この通りは北と南にモガディシュを分けるものとなっており、部族闘争の境界線でもある。

Gezira Beachを始め以前はリゾートであった砂浜がある。内戦中は事実上閉鎖状態だったが、2011年からはリドで海水浴が復活している[1]

エチオピア中央部から流れるシェベル川が街の近くまで来ており、サトウキビ、綿花、バナナの栽培に重要な水源である。

気候[編集]

赤道に近いが、半乾燥地域に分類される。旱魃が頻発する。平均気温は年間を通じ30度C前後、最低は25度C前後である。4~7月に雨が多く、1~3月は降雨ゼロである。

交通[編集]

モガディシュ港

交通は、ケニアエチオピアに通じる道路がある他、アデン・アッデ国際空港がある。モガディシュ港はソマリアの主要港として、実質的に自由港のため国際的によく利用されている。しかし、付近の海域は海賊が出没するためリスクを伴う。鉄道は現存しない。

経済[編集]

内戦以後経済は回復しているが、依然不安定である。実効政府が無いため徴税が無く、従って歳出計画も無い。殺人、爆破など犯罪が多発するため企業は武装私兵を雇用している。食料・飲料・繊維が主要産業で、市場では様々な物が売られている。 ソマリアで最大の電話会社Hormuudと通信回線業者のTelcomが本社を置いている。

教育[編集]

モガディシュ大学

教育施設としては、1954年創立の国立ソマリア大学があるが、内戦により閉鎖状態であった。1997年に再オープンしている。きちんと英語のウェブサイトもある。また、サウジアラビアのイスラム開発銀行ほかが資金援助する私立モガディシュ大学には国内で修士号を取得したい何百人もの学生が集まっている。国立大学教授や知識人が指導に当たっている。デンマーク、エジプト、スーダン、ジブチ、イエメンなどの大学と連携している。他に民間企業人を育成するソマリ経営管理開発学校(SIMAD)がある。

出身者[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

  • もの食う人びと』(共同通信社刊) - 辺見庸ルポルタージュ集。同著中に収められている「モガディシオ炎熱日誌」の章は1993年8月のモガディシュでの取材に基づき執筆された。「食の風景がほかのなにかに押しつぶされ、壊されている」(文中より)というモガディシュの狂おしい光景が書き綴られている。
  • 映画『ブラックホーク・ダウン』はモガディシュの戦闘を題材にしている。

外部リンク[編集]