フィッツジェラルド (ミサイル駆逐艦)

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USS Fitzgerald
艦歴
発注 1990年2月22日
起工 1993年2月9日
進水 1994年1月29日
就役 1995年10月14日
退役
その後 就役中
要目
排水量 満載: 8,362 トン
全長 153.9 m (505 ft)
全幅 20.1 m (66 ft)
吃水 9.4 m (31 ft)
機関 COGAG方式
LM 2500-30ガスタービンエンジン (27,000shp) ×4基
可変ピッチプロペラ(5翔)×2軸
最大速 31ノット
航続距離 4,400 海里(20ノット時)
乗員 士官、兵員 337名
兵装 Mk.45 mod.2 5インチ単装砲 ×1基
Mk.38 25mm単装機関砲 ×2基
Mk.15 20mmCIWS×2基
M2 12.7mm機銃 ×4挺
Mk.41 mod.2 VLS ×90セル
* スタンダードSM-2 SAM
* スタンダードSM-3 ABM
* ESSM 短SAM
* VLA SUM
* トマホークSLCM
などを発射可能
ハープーンSSM 4連装発射筒×2基
Mk.32 3連装短魚雷発射管×2基
艦載機 ヘリコプター甲板のみ, 格納庫なし
C4ISTAR NTDS mod.5 (リンク 11/16)
AWS B/L 5 (Mk.99 GMFCS×3基)
AN/SQQ-89
センサ AN/SPY-1D 多機能レーダー×4面
AN/SPS-67 対水上レーダー×1基
AN/SQS-53C艦首装備ソナー
AN/SQR-19 曳航ソナー
電子戦 AN/SLQ-32(V)2 ESM装置
Mk.36 mod.12 デコイ発射装置
モットー Protect your People

フィッツジェラルド (英語: USS Fitzgerald, DDG-62) は、アメリカ海軍ミサイル駆逐艦アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の12番艦。艦名はウィリアム・チャールズ・フィッツジェラルド海軍中尉(William Charles Fitzgerald、1938- 1967)に因む。スタンダードミサイルSM-3を搭載するミサイル防衛対応艦船である。

艦歴[編集]

フィッツジェラルドはメイン州バスバス鉄工所で1993年2月9日に起工、1994年1月29日に進水し、1995年10月14日にロードアイランド州ニューポートで就役、カリフォルニア州サンディエゴのサンディエゴ海軍基地が母港となった。

2004年4月初め、フィッツジェラルドは弾道ミサイル迎撃システムの一部として世界的に展開する3隻のミサイル巡洋艦及び15隻のミサイル駆逐艦の一隻であることが発表された。フィッツジェラルドは2004年9月30日に横須賀に到着、第7艦隊に加わり、「Super Swap」として知られる人員交換を行った。駆逐艦オブライエン」(USS O'Brien, DD-975)の乗員140名がフィッツジェラルドに乗り込み、フィッツジェラルドを操艦してきた95名が退役するオブライエンに乗り込み本国へ帰還した。

2011年3月の東日本大震災発生に際して被災地を救援するトモダチ作戦に参加。行方不明者の捜索と物資の輸送に携わった。

2012年12月、北朝鮮は「人工衛星光明星3号の打ち上げ」と称する弾道ミサイルの発射を予告する。これに対し米国海軍は黄海に艦艇を展開させ不測の事態に備える。「フィッツジェラルド」は「DDG-65 ベンフォード」と共に12月9日までに当該海域に配備される。他にイージス艦2隻の追加派遣とミサイル追跡艦「T-AGM-23 オブザヴェーション・アイランド」に、海上自衛隊からイージス艦3隻、大韓民国海軍から2隻を加えた10隻態勢で臨む[1]。ミサイルは同月12日に発射される。

2013年4月に北朝鮮が弾道ミサイル発射の姿勢を見せた際にも、朝鮮半島南西沖に出動し警戒に当たった。

2017年の時点で、フィッツジェラルドは航空母艦ロナルド・レーガンを中核とする第5空母打撃群に属し、横須賀を母港としている。

衝突事故[編集]

衝突事故で破損した右舷

2017年6月16日午後横須賀を出港し、17日未明、静岡県賀茂郡南伊豆町沖を航行中にフィリピン船籍のコンテナ船ACX クリスタルと衝突。右舷前方の居住区・通信・機械室近辺が大破・浸水した。この事故で、居住区などにいた7名が艦内浸水区画で死亡[2][3]した他、艦長のブライス・ベンソン中佐ら3人が負傷した[4][5]。なお、艦長は水面上では最も損傷が激しかった右舷の上級士官居住区にある艦長室にて負傷した。

フィッツジェラルドは事故後しばらくは自力航行していたが、事故をうけ横須賀から派遣されたタグボート2隻が到着後はタグボートに曳航され、浸水区画から排水しながら17日夜に横須賀基地に帰港した[6]

横須賀帰港後はしばらく埠頭付けで応急修理を行っていたが、7月11日午前に横須賀海軍施設ドックに入渠した[7]

8月17日に海軍は、艦長や副艦長らを解任し、事故当時に見張りに就いていた乗組員ら約10人を処分した。海軍作戦副部長は国防総省での会見で、フィッツジェラルドが20ノットの速度で航行中、当時艦橋にいた乗組員らが周囲の状況把握を怠ったと指摘。コンテナ船に気付いたときには、既に衝突を回避する時間がなかったという[8]

クレスト[編集]

フィッツジェラルドのクレストは、フィッツジェラルド家の盾形の紋章(赤い十字を備えた白い楯)が元となっている。楯は防御を意味し、赤の十字は強さを意味する。また、赤色は勇気と行動を意味する。この伝統的なデザインは4つのシロツメグサと金の小環が織り交ぜられた青い十字が加えられて修正された。青の十字はベトナム戦争で英雄的な行動を取ったフィッツジェラルド中尉にその死後与えられた海軍殊勲章を記念している。金の小環は永遠に続く希望、忠誠と調和を意味する。

4つのシロツメグサはフィッツジェラルド中尉のアイルランドの家族および遺産を表す。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]