トレヴァー・アリーザ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
トレバー・アリーザ
Trevor Ariza
Trevor Ariza Wizards.jpg
ヒューストン・ロケッツ  No.1
ポジション SF
背番号 1
身長 203cm  (6 ft 8 in)
体重 99kg (218 lb)
ウィングスパン 211cm  (6 ft 11 in)
シューズ ナイキ
基本情報
本名 Trevor Anthony Ariza
愛称 The Cobra
ラテン文字 Trevor Ariza
誕生日 (1985-06-30) 1985年6月30日(31歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州マイアミ
出身 UCLA
ドラフト 2004年 43位 
選手経歴
2004-2006
2006-2007
2007-2009
2009-2010
2010-2012
2012-2014
2014-present
ニューヨーク・ニックス
オーランド・マジック
ロサンゼルス・レイカーズ
ヒューストン・ロケッツ
ニューオーリンズ・ホーネッツ
ワシントン・ウィザーズ
ヒューストン・ロケッツ
受賞歴

トレバー・アリーザTrevor Anthony Ariza1985年6月30日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身、カリフォルニア州ロサンゼルス育ちのバスケットボール選手。NBAヒューストン・ロケッツに所属している。身長203cm。体重99kg。ポジションはスモールフォワード

経歴[編集]

ニューヨーク・ニックス[編集]

ロサンゼルスの高校で彼は後にNBA入りするハッサン・アダムスボビー・ブラウンと共にプレーして州の選手権まで進出した。UCLAに進み、1シーズン過ごした後に2004年のNBAドラフトにアーリーエントリーを表明した。ニューヨーク・ニックスより全体43位で指名を受けてNBA入り。19歳でデビューしたアリーザは、ニックスの歴史上で最年少の新人選手となった[1]

最初のシーズンはラリー・ブラウン監督のもとで80試合(ニックスの新人としては1991-92シーズングレッグ・アンソニーに次いで2人目)に出場したが[1]、翌年の2005年のNBAドラフトデビッド・リーが指名されると、次第に出場時間を奪われるようになった。

オーランド・マジック[編集]

2006年2月21日アンファニー・ハーダウェイと共にスティーブ・フランシスとのトレードに出されたアリーザはオーランド・マジックへ移籍した[1]

ロサンゼルス・レイカーズ[編集]

2007年11月20日ブライアン・クックモーリス・エヴァンズとのトレードで、ロサンゼルス・レイカーズへ移籍[2]。2008年1月には右足を骨折するが、その年5月のNBAカンファレンス決勝サンアントニオ・スパーズとの第2戦で復帰。出場後の最初の1分で得点を挙げた。

08-09シーズン途中にルーク・ウォルトンから先発の座を奪い、レイカーズの快進撃の立役者となった。このシーズンのレイカーズは65勝17敗でウェスタン・カンファレンス首位となった。このシーズンのアリーザの平均得点は8.9点でスティールはシーズンを通して、チーム最多の137スティールだった。2009年3月9日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦ではルディ・フェルナンデスにフレグラントファウルをして退場となった[3]

その年のプレーオフ、レイカーズは1回戦ユタ・ジャズとの第1戦では自己ベストの21得点をあげた。カンファレンス決勝デンバー・ナゲッツとの第1戦ではチャウンシー・ビラップスへのインバウンズパスをスティールし、第3戦でも残り1分を切ったところでケニオン・マーティンからカーメロ・アンソニーへのパスをスティールし[4]ファイナル進出に貢献した。NBAファイナルでは、ドワイト・ハワードラシャード・ルイスヒドゥ・ターコルーを擁する古巣オーランド・マジックと対戦。第4戦では前半に6本のシュート全てをはずしたものの第3Qに13得点をあげるなどオーバータイムでのチームの優勝に貢献した[5]。第5戦ではヘド・ターコルーとのマッチアップはヒートアップし、額をくっつけ合いながら言い合いをして、ダブルテクニカルファールをとられた。

ヒューストン・ロケッツ[編集]

2009年7月3日、フリーエージェントとなりヒューストン・ロケッツと5年間3300万ドルで契約した[6]。同時期にロケッツのロン・アーテストがアリーザとほぼ同額の契約金でレイカーズに移籍しており、実質的なトレードのような形となった。優勝チームの選手の中でも特にアリーザの守備面での貢献は高く評価されており、ロケッツでは更に攻撃面にも積極的に参加し、チームの将来を担うエースとしての役割を求められた。チームのエースであるトレイシー・マグレディからは自身の背番号「1」を譲られ、出場時間の増加に伴い各分野の成績も軒並み上昇。同年10月31日のブレイザーズ戦では自己ベストの31得点をあげ、2010年4月14日には、26得点、10リバウンド。10アシストの成績でキャリア初となるトリプルダブルを記録するなど、チームの中心選手として活躍した。

ニューオーリンズ・ホーネッツ[編集]

2010年8月10日、4チームが関わる大型トレードの一環でニューオーリンズ・ホーネッツに移籍した[1][7]。同年オフシーズンにホーネッツのエースクリス・ポールが低迷するチームに業を煮やして移籍をほのめかす発言をしており、チームはそれに答える形で補強を断行。アリーザ獲得はその一環であった。加齢による衰えを見せ始めていたペジャ・ストヤコビッチに代わる先発スモールフォワードとして期待がかかる。

ワシントン・ウィザーズ[編集]

2012年6月20日、チームメイトのエメカ・オカフォーと共にワシントン・ウィザーズに移籍した。

ヒューストン・ロケッツ[編集]

2014年7月15日、ヒューストン・ロケッツとの4年契約にサインした。

プレイスタイル[編集]

守備力に定評のあるエースストッパー。長い手足と抜群の瞬発力を持ち、スティール数はリーグ上位[8]。クイックネスとディフェンス能力からコブラフィル・ジャクソンにあだ名されている[9]。アリウープにも対応可能であり、近年はジャンプシュートも改善され、ゴールから遠くても得点できる能力を身に付けている。ロケッツ移籍後は得点機会が増えたことでスリーポイントシュートも安定し、評価を更に高めている。

私生活[編集]

1996年3月18日に弟がベネズエラカラカスにあるホテルの窓から転落死した[10]。 義父のケニー・マクラリーは1980年代半ばから終わりにかけてフロリダ大学でプレー、その後オーストラリアNBLシドニー・キングスでプレーしていた。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d Bio Page”. nba.com. 2011年5月8日閲覧。
  2. ^ Magic Acquire Brian Cook and Maurice Evans From L.A. Lakers”. nba.com (2007年11月20日). 2011年5月8日閲覧。
  3. ^ Lakers crash and burn in Portland”. ロサンゼルス・タイムズ (2009年3月10日). 2011年5月8日閲覧。
  4. ^ If Inbounds Issue Sticks, Nuggets Could Be Outbound”. ESPN (2009年5月24日). 2011年5月8日閲覧。
  5. ^ Fisher, Ariza dazzle Magic in pivotal Game 4”. USAトゥデイ (2009年6月13日). 2011年5月8日閲覧。
  6. ^ Trevor Ariza talks with Rockets”. ロサンゼルス・タイムズ (2009年7月3日). 2011年5月8日閲覧。
  7. ^ Pacers get Collison from Hornets in four-team trade”. nba.com (2010年8月11日). 2011年5月8日閲覧。
  8. ^ The Art Of The Steal”. nba.com (2009年12月8日). 2011年5月8日閲覧。
  9. ^ Trevor Ariza”. ロサンゼルス・タイムズ (2011年2月12日). 2011年5月8日閲覧。
  10. ^ UCLA's Ariza moves from tragedy to prospect”. USAトゥデイ (2004年6月24日). 2011年5月8日閲覧。

外部リンク[編集]