がんばれ!ピンチヒッターショー

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がんばれ!ピンチヒッターショー
ジャンル バラエティ番組
構成 松岡孝
高田文夫
ディレクター 三宅恵介
出演者 伊東四朗
おりも政夫
ほか
国・地域 日本の旗 日本
言語 日本の旗日本語
製作
プロデューサー 常田久仁子
制作 フジテレビ
放送
放送チャンネルフジテレビ系列
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1977年4月2日 - 8月20日
放送時間土曜 19:30 - 20:54
放送分84分
回数17回
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がんばれ!ピンチヒッターショー』は、1977年4月2日から同年8月20日までフジテレビ系列局で放送されていたフジテレビ制作のバラエティ番組である。全17回。

概要[編集]

ゲスト歌手にも参加してもらう野球コント、『トラック野郎』シリーズに便乗した企画、玉置宏によるカラオケ企画などによって構成。司会を務めていたのは伊東四朗おりも政夫で、CM中には彼らによるコントも行われていた。

番組は基本的に毎週土曜 19:30 - 20:54 (日本標準時)に放送されていたが、同時間帯にプロ野球ナイター中継が予定されている日には放送を休止した(ナイター雨天中止時の雨傘番組には映画『若大将シリーズ』の作品が割り当てられていた)。また、この時間帯に単発特番『特集!スーパーカーでぶっ飛ばせ!』が放送された7月23日にも休止となった。

もともとこの番組は、前番組『欽ちゃんのドンとやってみよう!』が司会の萩本欽一の企画構想期間、および「ナイターの裏で冠番組はやりたくない」という意向によって一時休止することになったために開始したものである。タイトルにある「ピンチヒッター」は、『欽ドン!』のピンチヒッターを意味している[要出典]。番組の終了後、予定通りにこの時間帯で『欽ドン!』の第2期がスタートした。

この番組は「懐かしのTV特集」などの回顧番組で取り上げられることはほとんどなく、1989年12月31日にフジテレビで放送された『タケちゃんの笑って逃げきる大晦日』で最終回が取り上げられた程度である。

出演者[編集]

スタッフ[編集]

コーナー[編集]

めざせ甲子園
高校野球部を舞台にしたコントのコーナー。レギュラーメンバーがゲスト歌手の勧誘を試みる模様を放送。
とび出せ爆笑一番星!!
伊東と歌手がデコトラに乗って様々な場所へ行く模様を放送。伊東は現地の主婦たちと話をし、歌手は歌を歌っていた。
カラオケテレビ中継
玉置が一般家庭を訪問し、そこでカラオケ歌合戦を行う模様を放送。
CM中のコント
CMの合間には、伊東とおりもによるパロディコントがあった[1]

放送リスト[編集]

放送日
(1977年)
サブタイトル
1 4月2日 第一回快進撃大会
2 4月16日 花の甲子園!新入部員募集中
3 4月23日 伊東四朗VSチビッコギャング
4 5月7日 人気タレント50人大集合!電線オンドでスタジオなだれ込み!!
5 5月14日 かけめぐる!ビューティペア遂に登場!!
6 5月21日 学園に出現!! 夢見る乙女と岩手の英語教師!?
7 5月28日 ビューティペア大奮戦!! 汗と涙で伊東四朗KO!!
8 6月4日 ピンクレディーSOS!! カルメン純情日記初公開!!
9 6月11日 ヒデキの悪ガキ軍団 学園に挑戦!!
10 6月18日 青春学園!! スター夏のかくし芸大会
11 7月2日 ピンクレディーの生け花・踊り・お茶・俳句!!
12 7月9日 青春学園海の合宿!! ナオコ婆ちゃん泳いデレラ!!
13 7月16日 駅前旅館大さわぎ!! おかみ・番頭・医者・芸者!!
14 7月30日 スター夏の夜の誘惑!? どうかひとつ
15 8月6日 学園サスペリア!! 野口刑事、また事件ですよ!!
16 8月13日 夏休み!! スター風流研究会
17 8月20日 さよなら大会

参考:朝日新聞縮刷版』朝日新聞社、1977年4月2日 - 同年8月20日付のラジオ・テレビ欄。 

放送局[編集]

ほか

脚注[編集]

  1. ^ 『完璧版 テレビバラエティ大笑辞典』白夜書房、2003年、194頁。 
  2. ^ a b c 『北國新聞』1977年4月2日付朝刊、テレビ欄。
フジテレビ系列 土曜19:30枠
前番組 番組名 次番組
欽ちゃんのドンとやってみよう! (第1期)
(1975年4月 - 1977年3月)
がんばれ!ピンチヒッターショー
(1977年4月2日 - 1977年8月20日)
欽ちゃんのドンとやってみよう! (第2期)
(1977年9月 - 1978年3月)