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家族について
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== 家族 ==
== 家族 ==
* 1995年にネパールで戸籍の無い未成年の少女と結婚するが、2年で離婚している<ref>野口健著「落ちこぼれてエベレスト」</ref>。その後、2003年7月に日本人女性と入籍<ref>{{Cite news|title=結婚のご報告!|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2003/08/post-170.html|accessdate=2018-06-03|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。2004年2月に第1子となる長女をもうけた<ref>{{Cite news|title=赤ちゃんが生まれました!! 野口絵子ちゃん|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/NEWS/post-301.html|accessdate=2018-06-03|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。
* 1995年にネパールで戸籍の無い未成年の少女と結婚するが、2年で離婚している<ref>野口健著「落ちこぼれてエベレスト」</ref>。その後、2003年7月に日本人女性と入籍<ref>{{Cite news|title=結婚のご報告!|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2003/08/post-170.html|accessdate=2018-06-03|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。2004年2月に第1子となる長女をもうけた<ref>{{Cite news|title=赤ちゃんが生まれました!! 野口絵子ちゃん|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/NEWS/post-301.html|accessdate=2018-06-03|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。
* 親は野口が小学生の頃に離婚している。その後、両親は共に再婚している。兄(長男)の他に母方の異兄弟二人いる{{要出典|date=2015年11}}。
* (野口雅昭)と実母(野口モナ)、父親の2度目のエジプト勤務時代・野口が小学生の頃に離婚。その後、両親は共に再婚しており、父親の再婚相手育ての母親であ<ref>{{Cite news|title=母が永眠されました。|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2006/11/50759378.html|accessdate=2018-06-03|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>
* 実母については、家族との時間を優先する実母と仕事人間の父親が合わなかったことが離婚原因となったこと、実母が再婚相手とも離婚して貧窮したため異父弟妹が大学を出るまで仕送りをしたことを野口が言及している<ref>{{Cite news|title=登山家 野口健さん|url=https://www.nikkei.com/article/DGKDZO59002520X20C13A8NNSP00/|accessdate=2018-06-03|language=ja-JP|work=日本経済新聞 電子版}}</ref>。その後実母はカナダに移住。2007年にテレビ朝日系列「[[グレートマザー物語]]」の企画で1度来日している<ref>{{Cite news|title=野口モナ来日|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2007/01/50815587.html|accessdate=2018-06-03|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref><ref>{{Cite news|title=母ちゃん、帰国。|野口健公式ウェブサイト|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2007/02/50822412.html|accessdate=2018-06-03|language=ja|work=野口健公式ウェブサイト}}</ref>。
* 実母のモナ(旧姓:タドロス)は[[ヘリオポリス]]出身。モナの父はエジプトとレバノンのハーフで、エジプトでは少数派の[[コプト教徒]]。モナの母は[[トルコ]]出身で、ギリシアとフランスのハーフである。モナ自身は四カ国のクォーターとなる{{要出典|date=2016年11月}}。
* 実母のモナ(旧姓:タドロス)は[[ヘリオポリス]]出身。モナの父はエジプトとレバノンのハーフで、エジプトでは少数派の[[コプト教徒]]。モナの母は[[トルコ]]出身で、ギリシアとフランスのハーフである。モナ自身は四カ国のクォーターとなる{{要出典|date=2016年11月}}。
* 父の[[野口雅昭]]は[[会津若松]]出身で、エジプト[[公使]]、イタリア[[公使]]、イエメン[[大使]]、シドニー[[総領事]]、チュニジア[[大使]]などを務めた元[[外交官]]。現在は[[京都文教大学]]教授{{要出典|date=2016年11月}}。
* 父の[[野口雅昭]]は[[会津若松]]出身で、エジプト[[公使]]、イタリア[[公使]]、イエメン[[大使]]、シドニー[[総領事]]、チュニジア[[大使]]などを務めた元[[外交官]]。現在は[[京都文教大学]]教授{{要出典|date=2016年11月}}。

2018年6月3日 (日) 11:54時点における版

野口 健(のぐち けん、1973年8月21日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市出身の日本人登山家亜細亜大学国際関係学部卒業。高校から登山を始め、1998年に25歳でチョモランマの登頂に成功し、当時の七大陸最高峰登頂最年少記録を樹立した。現在はNPO法人PEAK+AID(ピーク・エイド)代表としてヒマラヤ・富士山での清掃活動などの環境問題への取り組み、また遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」やヒマラヤでの学校建設・森林づくり、第二次世界大戦の戦没者の遺骨収集などの社会貢献活動を行っている[1]亜細亜大学[2]了徳寺大学[3]客員教授徳島大学医学部運動機能外科非常勤講師[4]

経歴

生い立ち

日本人(元外交官野口雅昭)の父親と、エジプト人の母親(野口モナ)の夫婦からアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンで誕生する。その後、幼少期をニューヨークサウジアラビアで過ごす。初めて日本に来たのは4歳の頃で、その頃は日本語が話せなかった。カイロ日本人学校の小学部から、イギリスの立教英国学院小学部に6年時に転校。同学院の高等学校在学中、本人の言葉によれば勉強が出来ない“落ちこぼれ”の不良生徒であり、学校の先輩と喧嘩をして一ヶ月の停学処分を受ける。停学中の一人旅で植村直己の著書と出会い登山を始める。卒業後、亜細亜大学一芸入試で合格する。これもあり、植村を強く慕うようになる[5]

七大陸最高峰の最年少登頂達成

亜細亜大学入学後から、世界の名立たる山々へ挑戦を挑み、各地で最年少登頂記録を樹立する。大学と並行して登山を続け、卒業前の1999年、25歳の時に世界最高峰エベレストにネパール側から登頂し、3度目の挑戦で登頂に成功。当時の七大陸最高峰の世界最年少登頂記録を更新した[注釈 1]

大学には8年間在籍した。

多方面での活動

2004年、自民党から参議院議員選挙比例区への出馬を打診され、本人も意欲を示していた[6]が、タレント議員批判に対して「自分はタレント候補ではない」と反発し不出馬を表明。同様に2007年7月の参議院議員選挙出馬の噂もあったが、本人は自分のブログで「それはありません。私は現場の人間ですから。」と不出馬を表明。自民党からの出馬を目指す理由として「一見、環境保護には縁遠そうな自民党から議員になることにこそ意味がある」と雑誌で語っていた。親交の深い橋本龍太郎の選挙応援や、橋本の元秘書など側近たちの選挙応援もしている。2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では、環境保護関連で親交のある小池百合子(当選)の応援に駆けつけた[7]2016年東京都知事選挙でも小池の応援演説を行った。

2007年、東京ヴェルディの環境アドバイザーに就任。ヴェルディの2007年開幕戦であるザスパ草津戦(国立競技場)では、でキックインセレモニーを行った。試合後は国立競技場周辺を、両チームのサポーターとゴミ拾いをおこない、環境意識への取り組みを示す。同年11月、新潟市が主催する「第2回安吾賞」に選ばれる[8]。2008年には植村直己冒険賞も受賞した[9]

2007年4月、都知事選で石原慎太郎のポスターに「石原さんを応援します」として登場するなど積極支援。2007年11月30日付けで了徳寺大学客員教授(教養教育センター)に就任。

遺骨収集活動

2008年からNPO法人「空援隊(くうえんたい)」に参加し、主にフィリピンにおける旧日本軍戦没者の遺骨調査・収集活動を開始する。2005年にヒマラヤで遭難した際、死を覚悟して遺書を書き、「自分の遺体を故郷に帰してくれないだろうか」と考えた時、橋本龍太郎から聞いた戦没者についての話を思い出したことがきっかけだったと述べている[10][11]。しかし、週刊文春(2010年3月18日号)で「空援隊が収集した遺骨にフィリピン人の骨が混じっている」という批判記事が掲載されたあとにその対応を巡って理事長と対立[12]、2010年5月18日付の公式ブログで空援隊を離れたことを表明[13]。これ以降は、自らが代表であるNPO法人PEAK+AIDの活動として沖縄での戦没者遺骨収集を行っている。

人物・評価

選挙時の応援活動を多く行っているが、特定の政党に対する応援ではなく、政治家個人(共に活動した仲間)を応援するとのスタンスを取っている[14]チベットへの人権侵害、環境対策など、中華人民共和国に対して批判的な意見を自身の公式ブログに載せている[15]

タレントのイモトアヤコが2012年9月にマッターホルンに登頂後、頂上からヘリコプターを利用して下山したことを批判した[16]

CM出演の際に「登山家」に代わる肩書きとして「アルピニスト」という肩書で紹介する提案を受け、もともと「登山家」という言葉に悪印象を持っていた野口は以後「アルピニスト」の肩書を使うようになった[17][注釈 2]。2015年7月、「第一回安藤忠雄文化財団賞」を受賞した[19]

家族

  • 1995年にネパールで戸籍の無い未成年の少女と結婚するが、2年で離婚している[20]。その後、2003年7月に日本人女性と入籍[21]。2004年2月に第1子となる長女をもうけた[22]
  • 父親(野口雅昭)と実母(野口モナ)は、父親の2度目のエジプト勤務時代・野口が小学生の頃に離婚。その後、両親は共に再婚しており、父親の再婚相手が育ての母親である[23]
  • 実母については、家族との時間を優先する実母と仕事人間の父親が合わなかったことが離婚原因となったこと、実母が再婚相手とも離婚して貧窮したため異父弟妹が大学を出るまで仕送りをしたことを野口が言及している[24]。その後実母はカナダに移住。2007年にテレビ朝日系列「グレートマザー物語」の企画で1度来日している[25][26]
  • 実母のモナ(旧姓:タドロス)はヘリオポリス出身。モナの父はエジプトとレバノンのハーフで、エジプトでは少数派のコプト教徒。モナの母はトルコ出身で、ギリシアとフランスのハーフである。モナ自身は四カ国のクォーターとなる[要出典]
  • 父の野口雅昭会津若松出身で、エジプト公使、イタリア公使、イエメン大使、シドニー総領事、チュニジア大使などを務めた元外交官。現在は京都文教大学教授[要出典]
  • 祖父の野口省己陸軍大学出身で太平洋戦争時、インパール作戦等の陸軍参謀だった[要出典]

主な登山歴

  • 1990年 8月(16歳) モンブラン (4,810m)登頂(ヨーロッパ大陸)
  • 1990年12月(17歳) キリマンジャロ (5,895m)登頂(アフリカ大陸)
  • 1992年 9月(19歳) コジアスコ (2,228m)登頂(オーストラリア大陸)
  • 1992年12月(19歳) アコンカグア (6,960m)登頂(南米大陸)
  • 1993年 6月(19歳) マッキンリー (6,168m)登頂(北米大陸)
  • 1994年12月(21歳) ヴィンソン・マシフ (4,892m)登頂(南極大陸)
  • 1996年 1月(22歳) エルブルス (4,892m)登頂(ヨーロッパ大陸、ロシア)
  • 1996年10月(23歳) チョ・オユー (8,201m)登頂
  • 1999年 5月(25歳) エベレスト (8,844m)登頂(アジア大陸)ネパール側 - 七大陸最高峰登頂の世界最年少記録樹立(当時)
  • 2007年 5月(33歳) エベレスト (8,844m)登頂(アジア大陸)チベット側 - ネパール、チベットの両方からの登頂成功者は日本人8人目。

主な出演番組

山岳ドキュメンタリー番組

ニュース番組

  • MBSナウ毎日放送
    • 『20歳の南極(前・後編)』(1995年1月5・6日)
    • 『遥かなりエベレスト(前・後編)』(1995年4月27・28日)
    • 『エルブルースの絆』(1995年10月21日)
    • 『友人ナティーの死(前・後編)』(1995年12月14・15日)
    • 『エルブルースの絆2』(1996年2月10日
    • 『友人ナティーの魂(前・後編)』(1996年5月3・4日)
    • 『チョーユー』(1996年11月30日)
    • 『汚された最高峰〜チョモランマの知られざる現実』(1996年10月10日)
    • 『野口健さん、世界7大陸最高峰制覇!喜びの現地報告』(1999年5月17日)
    • 『野口健の新たな挑戦〜チョモランマ清掃登山』(2000年6月7日)
  • 筑紫哲也ニュース23『ヒマラヤ大雪崩から半年、遺品を回収』(TBS系列・毎日放送制作、1996年5月10日)
  • スペースJ『友人ナティーの死』(TBS系列・毎日放送制作、1996年5月22日)
  • VOICE(毎日放送)
    • 『野口健、最後のチョモランマ清掃登山へ』(2003年4月10日)
    • 『野口健、決死の清掃登山〜チョモランマ』(2003年7月1日)
    • 『野口健、最後のチョモランマ』(2007年6月29日)

バラエティー番組、その他

ほか多数

CM

著作

単行本

  • 大冒険術―ぼくらはなぜ世界に挑むのか(2000年5月、文藝春秋) – 白石康次郎との共著
  • 100万回のコンチクショー(2002年2月1日、集英社) – 2004年に文庫化
  • 落ちこぼれてエベレスト(2003年1月1日、集英社)
  • あきらめないこと、それが冒険だ―エベレストに登るのも冒険、ゴミ拾いも冒険! (2006年6月1日、学習研究社)
  • 中学生のためのショート・ストーリーズ 2 (2) パックンマックンが選ぶ旅と冒険の話集(2007年2月、学研プラス) – パックンマックンとの共著
  • 確かに生きる―10代へのメッセージ (2007年7月22日、クリタ舎)
  • 100 Remains―登山家、野口健が山で集めたゴミ。美術家、田中朝子が集めた野口健の言葉。(2008年2月、ごま書房) – 田中朝子との共著
  • 富士山を汚すのは誰か ――清掃登山と環境問題 (角川oneテーマ21) (2008年5月10日、角川グループパブリッシング
  • 自然と国家と人間と(2009年2月、日本経済新聞出版社
  • 確かに生きる―落ちこぼれたら這い上がればいい(2009年6月26日、集英社)
  • それでも僕は現場に行く(2011年6月22日、PHP研究所
  • 世界遺産にされて富士山は泣いている(2014年6月14日、PHP研究所)

写真集

  • 写真集 野口健が見た世界 INTO the WORLD(2013年7月5日、集英社インターナショナル)
  • 写真集 ヒマラヤに捧ぐ(2016年2月15日、集英社インターナショナル)
  • 震災が起きた後で死なないために 「避難所にテント村」という選択肢 (2017年4月14日、PHP研究所)

社会貢献活動

関連項目

注釈

  1. ^ 同記録は2年後の2001年に、当時23歳の石川直樹によって更新され、さらには2011年に15歳のアメリカ人ジョーダン・ロメロ英語版が更新した。
  2. ^ 登山家の服部文祥は、アルピニストはアルピニズムに基き困難なスタイルで登山を行う者のことを意味し、野口の登山スタイルである大規模な遠征隊・固定ロープ・一般ルートといった手法がアルパインスタイルの対極にあることから、野口のことをアルピニストとは言えないと評している。[18]。「山と渓谷」2014年2月号に類似の指摘がある。

参考資料

  1. ^ “団体概要” (日本語). 団体概要. http://peak-aid.or.jp/about/ 2018年5月28日閲覧。 
  2. ^ 野口健氏 | 亜細亜大学”. www.asia-u.ac.jp. 2018年5月29日閲覧。
  3. ^ 平成29年度 新入生対象 野口健客員教授による特別講義及び新入生交流会について(ご案内) | 了徳寺大学”. www.ryotokuji-u.ac.jp. 2018年5月29日閲覧。
  4. ^ 整形外科 | 教室 | 徳島大学整形外科”. www.utokushima-orthop.com. 2018年5月29日閲覧。
  5. ^ 野口健公式ページならびにブログ・2008年2月13日 http://www.noguchi-ken.com/M/2008/02/51036231.html
  6. ^ “登山家の野口氏が出馬検討 来年の参院選、自民公認で”. 共同通信社. 47NEWS. (2003年12月10日). http://www.47news.jp/CN/200312/CN2003121001000496.html 2013年6月26日閲覧。 
  7. ^ 09.22 アルピニストと環境相の関係 NEWS PROJECT
  8. ^ “野口健さんに安吾賞 特別賞はベンクスさん”. 共同通信社. 47NEWS. (2007年11月20日). http://www.47news.jp/CN/200711/CN2007112001000827.html 2013年6月26日閲覧。 
  9. ^ “野口健さんに植村冒険賞 エベレストで「清掃登山」”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年2月12日). http://www.47news.jp/CN/200802/CN2008021201000481.html 2013年6月26日閲覧。 
  10. ^ 野口健、笹幸恵なぜ30代の私たちが戦没者の遺骨収容に取り組むのか=野口健×笹幸恵」『SAPIO』第21巻第20号、小学館、2009年11月25日、2010年5月26日閲覧 
  11. ^ 理事辞任のブログ記事
  12. ^ ご遺骨収集で抱いた「日本人としての誇り」」『』。2018年5月28日閲覧。
  13. ^ 空援隊を去るにあたり|野口健公式ウェブサイト」『野口健公式ウェブサイト』。2018年5月28日閲覧。
  14. ^ 公式ブログ 選挙結果についての思い
  15. ^ 公式ブログ チベットに自由と正義を~人権問題に国境はない~
  16. ^ “ヘリ使ったイモトのマッターホルン登頂SPに野口健が苦言 「テレビはそこまでやるんだね」”. RBB TODAY. (2012年10月1日). http://www.rbbtoday.com/article/2012/10/01/95185.html 2015年1月27日閲覧。 「えっ、ヘリを使っていましたか(笑)。遭難、または体調不良がなければ通常では考えにくい選択肢。」「僕ならば登山は中止します。ガイドの判断だとするならばスイスでの登山はそれが一般的なのかもしれませんが。」「個人的な考え方ですが、山登りというものは自力で下山するところまでが山登り。」「エベレストはまだ早いんじゃないかな。」とツイッターで述べた。その後、イモトはマナスル(8163m、死亡率17.85%)登頂に成功し自力で下山している。
  17. ^ 野口健インタビュー J-Wave
  18. ^ 「ZAITEN」2014年10月号、財界展望新社、p72
  19. ^ 安藤忠雄文化財団賞 ブログ 野口健公式ウェブサイト2015/07/16
  20. ^ 野口健著「落ちこぼれてエベレスト」
  21. ^ 結婚のご報告!|野口健公式ウェブサイト」『野口健公式ウェブサイト』。2018年6月3日閲覧。
  22. ^ 赤ちゃんが生まれました!! 野口絵子ちゃん|野口健公式ウェブサイト」『野口健公式ウェブサイト』。2018年6月3日閲覧。
  23. ^ 母が永眠されました。|野口健公式ウェブサイト」『野口健公式ウェブサイト』。2018年6月3日閲覧。
  24. ^ “登山家 野口健さん” (日本語). 日本経済新聞 電子版. https://www.nikkei.com/article/DGKDZO59002520X20C13A8NNSP00/ 2018年6月3日閲覧。 
  25. ^ 野口モナ来日|野口健公式ウェブサイト」『野口健公式ウェブサイト』。2018年6月3日閲覧。
  26. ^ 母ちゃん、帰国。|野口健公式ウェブサイト」『野口健公式ウェブサイト』。2018年6月3日閲覧。

野口本人の著書

その他の資料

外部リンク