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「松井一實」の版間の差分

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[[マスメディア]]の報道では、'''松井一実'''と表記されている。戦後生まれ初の広島市長であり、初の[[被爆]]2世市長<ref>過去には[[荒木武]]など、被爆した市長が複数就任している。</ref>である。発言に時折[[広島弁]]を用いていることも特徴。
[[マスメディア]]の報道では、'''松井一実'''と表記されている。戦後生まれ初の広島市長であり、初の[[被爆]]2世市長<ref>過去には[[荒木武]]など、被爆した市長が複数就任している。</ref>である。発言に時折[[広島弁]]を用いていることも特徴。


== 略年譜 ==
== 経歴 ==
*父は[[銅蟲]]職人。43歳で死亡した母親は[[広島市への原子爆弾投下|広島への原爆]]により被爆している。
[[広島県]][[広島市]][[東区 (広島市)|東区]]出身<ref name="chugoku-np">[http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/2011hcity/Sh201103310002.html 候補に聞く(下)松井一実氏 - 広島市長選 - 中国新聞]</ref>。父は[[銅蟲]]職人<ref name="chugoku-np"/>。43歳で死亡した母親は[[広島市への原子爆弾投下|広島への原爆]]により被爆している。

* [[広島市立牛田小学校]]、[[広島市立牛田中学校]]、[[広島市立基町高等学校]][[京都大学]][[法学部]]卒業
[[広島市立牛田小学校]]、[[広島市立牛田中学校]]、[[広島市立基町高等学校]]を経て[[京都大学]][[法学部]]卒業
* [[1976年]](昭和51年) [[労働省]]入省

* [[1989年]]([[平成]]元年) 在イギリス日本大使館一等書記官
[[1976年]](昭和51年) [[労働省]]入省。[[1989年]]([[平成]]元年) 在イギリス日本大使館一等書記官。[[1993年]](平成5年) 婦人局婦人労働課長。[[1994年]](平成6年) 職業安定局高齢・障害者対策部高齢者雇用対策課長。[[2002年]](平成14年) 大臣官房総務課長。[[2006年]](平成18年) 大臣官房総括審議官、[[国際労働機関]]理事。[[2008年]](平成20年) [[中央労働委員会]]事務局長。
* [[1993年]](平成5年) 婦人局婦人労働課長

* [[1994年]](平成6年) 職業安定局高齢・障害者対策部高齢者雇用対策課長
[[2011年]](平成23年) [[第17回統一地方選挙|統一地方選挙]]において実施された[[2011年広島市長選挙|広島市長選挙]]で初当選([[自由民主党 (日本)|自民党]]・[[公明党]]推薦)。
* [[2002年]](平成14年) 大臣官房総務課長
* [[2006年]](平成18年) 大臣官房総括審議官、[[国際労働機関]]理事
* [[2008年]](平成20年) [[中央労働委員会]]事務局長
* [[2011年]](平成23年) [[第17回統一地方選挙|統一地方選挙]]において実施された[[2011年広島市長選挙|広島市長選挙]]で初当選([[自由民主党 (日本)|自民党]]・[[公明党]]推薦)。


== 広島市長 ==
== 広島市長 ==
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同年6月23日の広島市議会定例会にて、この発言について陳謝している<ref>[http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201106240030.html 市長「発言、十分心したい」] 中国新聞 2011年6月24日{{リンク切れ|date=2011年11月}}</ref>。
同年6月23日の広島市議会定例会にて、この発言について陳謝している<ref>[http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201106240030.html 市長「発言、十分心したい」] 中国新聞 2011年6月24日{{リンク切れ|date=2011年11月}}</ref>。

=== 趣味など ===
[[趣味]]は、[[コーラス]]と[[油絵]]<ref name="chugoku-np"/>。好きな言葉は「温故知新」<ref name="chugoku-np"/>。


== 脚注・引用 ==
== 脚注・引用 ==

2012年3月5日 (月) 15:05時点における版

松井一實
まつい かずみ
生年月日 (1953-01-08) 1953年1月8日(71歳)
出生地 広島県広島市東区
出身校 日本の旗京都大学
前職 中央労働委員会事務局長
所属政党 無所属
称号 法学士
公式サイト 松井かずみ-公式ホームページ!わくわくライフ広島

第36代 広島市長
当選回数 1回
在任期間 2011年4月10日 - 現職
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松井 一實(まつい かずみ、1953年昭和28年)1月8日 - )は、日本の政治家労働・厚生労働官僚。第36代広島市長

マスメディアの報道では、松井一実と表記されている。戦後生まれ初の広島市長であり、初の被爆2世市長[1]である。発言に時折広島弁を用いていることも特徴。

経歴

広島県広島市東区出身[2]。父は銅蟲職人[2]。43歳で死亡した母親は広島への原爆により被爆している。

広島市立牛田小学校広島市立牛田中学校広島市立基町高等学校を経て京都大学法学部卒業。

1976年(昭和51年) 労働省入省。1989年平成元年) 在イギリス日本大使館一等書記官。1993年(平成5年) 婦人局婦人労働課長。1994年(平成6年) 職業安定局高齢・障害者対策部高齢者雇用対策課長。2002年(平成14年) 大臣官房総務課長。2006年(平成18年) 大臣官房総括審議官、国際労働機関理事。2008年(平成20年) 中央労働委員会事務局長。

2011年(平成23年) 統一地方選挙において実施された広島市長選挙で初当選(自民党公明党推薦)。

広島市長

市長選

2011年の広島市長選挙により、秋葉忠利前市長の後継候補らを破り当選した。自民党が推薦した新人候補が当選したのは初めてであった。秋葉市長の時代、自民党系市議は四分五裂が常態化したことから結束力が弱く、これまでの市長選では党推薦候補が三連敗していたが、秋葉引退を機に一致団結した[3]

秋葉市政からの脱却

前任の秋葉忠利が推進してきた事業の廃止・再検討をおこなった[4][5](詳しくは秋葉忠利#広島市長時代参照)。

また、秋葉市政時代に悪化していた広島県庁および広島市議会との関係改善にも言及した。

平和活動

秋葉の推進してきた政策については変更を示唆しているが、核兵器のない世界の実現のための平和市長会議などの活動は継続するとしている[6]

福島第一原子力発電所事故に際しては、日本政府に対しエネルギー政策の見直しを要請する考えを示し[6]、歴代広島市長で初めて「脱原発」発言をした[7]。なお、広島市には島根原子力発電所を持つ中国電力の本社がある。

広島平和記念式典にて読み上げる平和宣言に、戦後初となる被爆者の体験談手記を引用した[8]

くれくれ発言

2011年6月16日に、被爆体験記を出版した被爆者らと面会し意見交換を実施したが、その際、被爆者であることを理由として医療費支給を求められたことに触れ、「悪いことではないが、亡くなった人の事を思えば簡単に言える話ではない」、「『くれ、くれ』という権利要求みたいな気持ちではなく、『ありがとう』の気持ちを持つことを忘れないように」等の趣旨の発言をした。この発言に対し、広島県被団協金子一士理事長は、「被爆地の市長でありながら被爆者援護に対して無理解だし、広島の実相を知れば、このような発言はできるのか」と非難のコメントをしている他、被団協も発言の撤回を求めている[9][10]

同年6月23日の広島市議会定例会にて、この発言について陳謝している[11]

趣味など

趣味は、コーラス油絵[2]。好きな言葉は「温故知新」[2]

脚注・引用

外部リンク