風雲 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。曾禰越後守 (会話 | 投稿記録) による 2012年5月30日 (水) 01:35個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (link調整)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

艦歴
計画 1939年度(マル4計画
起工 1940年12月23日
進水 1941年9月26日
就役 1942年3月28日竣工
その後 1944年6月8日戦没
除籍 1944年7月10日
性能諸元
排水量 基準:2,077t
公試:2,520t
全長 119.3m
全幅 10.8m
吃水 3.76m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式タービン2基2軸 52,000hp
最大速力 35.0kt
航続距離 18ktで5,000浬
燃料 重油:600トン
乗員 225名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 Ⅱ×2
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
(九三式魚雷16本)
爆雷×18乃至36

風雲(かざぐも)は、日本海軍駆逐艦夕雲型の3番艦である。

艦歴

1939年度(マル4計画)仮称第118号艦として浦賀船渠で建造。1942年(昭和17年)3月28日に竣工して一等駆逐艦に類別され、横須賀鎮守府籍となる。

昭和17年の戦い

竣工後、横須賀鎮守府海面防備部隊直率部隊に編入されると同時に第十駆逐隊に編入された[1]。4月10日、戦隊改編により第一航空艦隊南雲忠一中将海軍兵学校36期))の直衛に任ずる部隊として第十戦隊(木村進少将・海兵40期)が編成され、第十駆逐隊も第十戦隊に編入された。これまでの第一水雷戦隊(大森仙太郎少将・海兵41期)に代わって機動部隊の直衛に就く第十戦隊は6月5日のミッドウェー海戦が初陣となったが、海戦は惨敗。第十戦隊旗艦軽巡洋艦長良に乗り移るまでの間、南雲中将の旗艦となったほか[2]、被弾の末総員退艦となった空母飛龍の乗員を移乗させた[2]。6月13日にに帰投した[3]

7月14日、臨時編成の第一航空艦隊が解散して第三艦隊が編成され、南雲中将が司令官となった。この間の8月7日、ガダルカナル島にアメリカ軍が上陸してガダルカナル島の戦いが始まった。8月16日、第三艦隊は柱島泊地を出撃してトラック諸島に向かうが、アメリカ機動部隊が出現した事によりソロモン諸島東方海域に急行した[4]。8月24日の第二次ソロモン海戦でも空母の直衛を務めた。9月は秋雲とともにトラック周辺で警戒行動や対潜活動を行った[5]。10月26日の南太平洋海戦では前衛部隊に配される。前衛部隊のうち秋雲と巻雲はアメリカ空母ホーネット (USS Hornet, CV-8) を撃沈した。南太平洋海戦の後、11月3日に第十駆逐隊は第二水雷戦隊田中頼三少将・海兵41期)、第七戦隊(西村祥治少将・海兵39期)とともに外南洋部隊に加勢された[6]。11月6日深夜、ガダルカナル島への鼠輸送を行うためショートランドを出撃[7]。途中でB-17 の空襲を受けたが被害はなく[7]、深夜にタサファロング沖に到着して糧食を降ろして175名の傷病兵と便乗者を乗せて帰投した[8]第三次ソロモン海戦では第七戦隊、重巡洋艦摩耶鳥海衣笠からなる支援隊の直衛に就く[9]。間を置かずブナとゴナの戦いに加わり、12月までブナ地区への兵員揚陸を行った。12月16日からはウェワク攻略作戦に参加した。

昭和18年の戦い

1943年(昭和18年)に入り、ガダルカナル島からの撤退作戦である「ケ号作戦」に参加。2月1日の第一次作戦および2月4日の第二次作戦ではエスペランス岬へ向かう輸送隊に加わり、2月7日の第三次作戦ではラッセル諸島からの撤退作戦を行った。作戦終了後はパラオに回航され[10]第四十一師団阿部平輔中将)をウェワクへ輸送する丙三号輸送作戦に従事し[10]、3月にはウェワクとマダンの間にあるハンサへ第二十師団青木重誠中将)の将兵を輸送する輸送船団の護衛を行った[10]。その後はラバウルを経てショートランドへ再進出し、コロンバンガラ島への輸送作戦に加わる[10]。しかし、4月3日にショートランドで触雷して損傷したため、輸送部隊から外された[10]。4月28日に横須賀に帰投して修理が行われた。修理後は北方に向かい、幌筵島に到着した6月13日付で第一水雷戦隊(木村昌福少将・海兵41期)に加勢する[11]。7月に行われたキスカ島撤退作戦には途中反転の第一次作戦、成功した第二次作戦ともに収容駆逐隊として参加。撤退作戦を終えた後は8月3日付で機動部隊に復帰し、横須賀を経て再び南方へと向かった[12]

9月20日、第三水雷戦隊(伊集院松治大佐・海兵43期)の指揮下に入り[13]、間もなくコロンバンガラ島からの撤退作戦である「セ号作戦」に参加した。9月28日夜と10月2日夜に二度にわたって行われた作戦では夜襲部隊として敵艦隊の出現に備えたが、何事も無くラバウルに帰投することができた。戦いは間を置かず続けられ、ベララベラ島からの撤退作戦が行われる。10月6日未明にラバウルを出撃し、ブーゲンビル島南方海域で欺瞞航路をとった後、ベララベラ島近海に向かった。6日夜、フランク・R・ウォーカー英語版大佐率いる第42駆逐群[14]の先制攻撃を受けて第二次ベララベラ海戦が始まった。後続の僚艦夕雲が第42駆逐群の集中砲火を浴びて沈没するが、アメリカ駆逐艦シャヴァリア (USS Chevalier, DD-451) に夕雲の魚雷が命中して第42駆逐群の陣形は乱れ始めた。反航戦で第42駆逐群と砲戦を交えたが、二番砲塔に被弾して使用不能となった[15]。夕雲の生存者を救助した後[16]、やがて体勢を立て直してセルフリッジ (USS Selfridge, DD-357) とオバノン (USS O'Bannon, DD-450) に対して魚雷を発射したが、距離が遠かったため命中しなかった[17]。ラバウルに帰投後、10月7日限りで第三水雷戦隊の指揮下から離れた[18]。秋雲とともにツルブへの輸送作戦を行った後[19]、第三艦隊((小沢治三郎中将・海兵37期)に合流してエニウェトク環礁へ進出[19]。トラックに帰投後、12月17日に秋雲、山雲とともに戦艦大和、空母翔鶴を護衛してトラックを出港して12月17日に横須賀に帰投し[20]東京石川島造船所で修理、対空兵器増設、電探装備工事を行った。

昭和19年の戦い

修理を終えた後の1944年(昭和19年)1月17日、秋雲とともに横須賀を出港して翔鶴を瀬戸内海まで護衛する[21]。2月5日、翔鶴、瑞鶴を護衛して洲本沖を出撃し、昭南に向かった[22]。2月20日に瑞鶴を護衛して呉に向かった後[22]、3月7日には瑞鶴、重巡洋艦最上、第三戦隊(戦艦金剛榛名鈴木義尾中将・海兵40期)を護衛して瀬戸内海を出撃してリンガ泊地に向かった[23]。リンガ泊地に到着後は秋雲、軽巡洋艦矢矧とともに航空戦隊との合同訓練に従事した[24]。5月12日、リンガ泊地を出撃してタウイタウイに進出。タンカー護衛と対潜掃討に従事した。

この頃、ビアク島を巡って攻防が繰り広げられており(ビアク島の戦い)、日本海軍は渾作戦を発動してビアク島救援作戦を展開していたが、過去二度にわたる作戦は目的を達しえなかった。そこで、大和、武蔵なども投入して上陸船団撃破と機動部隊の誘い出しを図る事となった。5月30日付で渾部隊に編入され、同日に戦艦扶桑、第五戦隊(重巡洋艦妙高羽黒橋本信太郎中将・海兵41期)を護衛してダバオに向けて出撃した。6月7日深夜、第五戦隊とともにダバオを出撃。この時、ダバオ湾英語版口にはアメリカ潜水艦ヘイク (USS Hake, SS-256) が哨戒を行っていた。翌6月8日未明、ヘイクのレーダーは湾の中央を高速で移動する4つの目標を探知[25]。2時12分、北緯06度03分 東経125度57分 / 北緯6.050度 東経125.950度 / 6.050; 125.950の地点で魚雷を6本発射し[26]、うち2本が左舷中央部と左舷艦尾に命中して搭載の魚雷が誘爆し[27]、4分で沈没した[28]。乗員のうち136名は秋霜に救助されたが[29]、残りは全員戦死。座乗していた第十駆逐隊司令赤沢次寿雄大佐も戦死した[30]

歴代艦長

艤装員長

  1. 吉田正義 中佐:1942年1月20日 -

艦長

  1. 吉田正義 中佐:1942年3月28日 -
  2. 橋本金松 少佐:1943年9月14日 -

脚注

  1. ^ 『横須賀鎮守府戦時日誌』C08030316100, pp.21
  2. ^ a b 『栄光の駆逐艦 秋雲』32ページ
  3. ^ 木俣『日本水雷戦史』148ページ
  4. ^ 『第十一戦隊戦時日誌』C08030051400, pp.21
  5. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』33ページ
  6. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.10
  7. ^ a b 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.15
  8. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.15,16 、木俣『日本水雷戦史』218ページ
  9. ^ 『第七戦隊戦時日誌』pp.8,9,13
  10. ^ a b c d e 『栄光の駆逐艦 秋雲』40ページ
  11. ^ 『第一水雷戦隊戦時日誌』C08030084400, pp.8
  12. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』47ページ
  13. ^ 『第三水雷戦隊戦時日誌』C08030106000, pp.43
  14. ^ 木俣『日本水雷戦史』365ページ
  15. ^ 木俣『日本水雷戦史』366ページ
  16. ^ 木俣『日本水雷戦史』368ページ
  17. ^ 木俣『日本水雷戦史』367ページ
  18. ^ 『第三水雷戦隊戦時日誌』C08030106100, pp.28
  19. ^ a b 『栄光の駆逐艦 秋雲』51ページ
  20. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050000, pp.5,10,25,31
  21. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050100, pp.6,10
  22. ^ a b 『第十戦隊戦時日誌』C08030050200, pp.5
  23. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050300, pp.4
  24. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』58ページ
  25. ^ 「SS-256, USS HAKE」p.118
  26. ^ 「SS-256, USS HAKE」p.141,142
  27. ^ 木俣『日本水雷戦史』439ページ
  28. ^ 「SS-256, USS HAKE」p.141
  29. ^ 『日栄丸戦時日誌』pp.18
  30. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』65,66ページ

参考文献

  • 横須賀鎮守府司令部『自昭和十七年三月一日至昭和十七年三月三十一日 横須賀鎮守府戦時日誌』(昭和17年3月1日~昭和17年3月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030316100
  • 第十一戦隊司令部『自昭和十七年八月一日至同年八月三十一日 第十一戦隊戦時日誌』(昭和17年7月14日~昭和17年11月30日 第11戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030051400
  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十七年十一月一日至昭和十七年十一月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和17年11月1日~昭和17年11月15日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030098800
  • 第七戦隊司令部『自昭和十七年十一月一日至同十一月三十日 第七戦隊戦時日誌』(昭和17年4月1日~昭和18年8月31日 第7戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030047600
  • 第一水雷戦隊司令部『自昭和十八年六月一日至昭和十八年六月三十日 第一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月1日~昭和18年7月31日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030084400
  • 第一水雷戦隊司令部『自昭和十八年七月一日至昭和十八年七月三十一日 第一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月1日~昭和18年7月31日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030084500
  • 第三水雷戦隊司令部『自昭和十八年九月一日至昭和十八年九月三十日 第三水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030106000
  • 第三水雷戦隊司令部『自昭和十八年十月一日至昭和十八年十月三十一日 第三水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030106100
  • 第十戦隊司令部『自昭和十八年十二月一日至昭和十八年十二月三十一日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050000
  • 第十戦隊司令部『自昭和十九年一月一日至昭和十九年一月三十一日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050100
  • 第十戦隊司令部『自昭和十九年二月一日至昭和十九年二月二十九日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050200
  • 第十戦隊司令部『自昭和十九年三月一日至昭和十九年三月三十一日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050300
  • 第十戦隊司令部『自昭和十九年五月一日至昭和十九年五月三十一日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(6)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050500
  • 日栄丸『自昭和十九年六月一日至昭和十九年六月三十日 特設運送船(給油船)日栄丸戦時日誌』(昭和19年5月1日~昭和19年10月31日 特設運送船日栄丸戦時日誌戦闘詳報(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030685200
  • SS-256, USS HAKE(issuuベータ版)
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年
  • 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 駆逐艦秋雲会『栄光の駆逐艦 秋雲』駆逐艦秋雲会、1986年
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。

関連項目