青山浩二
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東北楽天ゴールデンイーグルス #41 | |
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2012年3月18日、横浜スタジアムにて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道函館市 |
生年月日 | 1983年8月12日(41歳) |
身長 体重 |
180 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2005年 大学生・社会人ドラフト3巡目 |
初出場 | 2006年3月25日 |
年俸 | 9,000万円(2016年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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青山 浩二(あおやま こうじ、1983年8月12日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(投手)。
経歴
プロ入り前
北海道函館市出身。小中学時代は主に外野手を務め、函館工業高校時代から本格的に投手に転向。高校3年春は全道大会準優勝。高校3年夏は南北海道大会ベスト4。
八戸大学に進学し、大学通算20勝無敗の成績を挙げた。2005年の明治神宮野球大会代表決定戦では、エースとして同期入団の松崎伸吾(当時、東北福祉大のエース左腕)と投げ合い、延長10回の末、6-5で東北福祉大が勝利。2005年の大学生・社会人ドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスから3巡目指名を受け入団。
プロ入り後
- 2006年
- ルーキーながら開幕一軍入りし、主に中継ぎとして活躍。先発が早く降板した試合ではロングリリーフも務めた。交流戦終了時にはチームトップの34試合に登板。5月31日の阪神戦でプロ初勝利を挙げた。阪神リードで8回裏2死から登板し、4球しか投げなかったが、9回に味方が逆転したため勝利投手となった。その後、不調となり8月上旬に二軍降格。9月下旬に再び一軍に合流し、最終戦に中継ぎで登板。11月1日、仙台市内の病院で秋季キャンプ練習中に傷めた右膝(半月板損傷)の手術を受けた。
- 2007年
- 開幕ローテーション入りを果たし、開幕2戦目の西武戦に先発し、6回1失点に抑えて先発での初勝利を挙げ、当時の監督の野村克也からは「今年は青山がエース」と言われた。5月7日には、北京オリンピックアジア予選日本代表第一次候補に選出される(最終メンバーには入れず)と、5月13日のオリックス戦では、初完投、初完封、初無四球試合を記録。しかし、その後は不調に陥ると4連敗し中継ぎに降格。7月下旬には二軍に降格し、9月下旬に再び一軍に合流した。しかし4勝8敗と期待されたほどの成績は残せなかった。
- 2009年
- 故障により出遅れる。楽天のチーム史上初となるCS進出を決めた10月3日の西武戦(Kスタ宮城)で先発して3本の本塁打を打たれるも打線の大量援護により9回5失点で2年ぶりの完投勝利を挙げた[1]。またこの年の7月に高校時代の同級生の女性と結婚した。
- 3月31日のロッテ戦で先発するが、左脇腹痛を起こしわずか2球で降板した[2]。先発投手が2球で降板は球団の最短記録である(先頭打者の西岡剛との対戦がカウント1ボール1ストライクで完了する前に降板したため、対戦打者数は0人)。復帰後は中継ぎで起用され、安定感のあるピッチングが続いたためセットアッパーに定着し、片山博視、小山伸一郎との勝利の方程式「スリーマウンテンズ」の一角を担った。この年は41試合に登板し、自己最多の5勝、チーム最多タイの15ホールドポイント、防御率1.72と過去最高の成績を残した。
- 2011年
- 開幕当初は先発で、開幕カードでも先発登板したが結果を残せず中継ぎに戻った。二軍降格を経験する等、前年ほどの安定感は見られなかったものの51試合に登板し、3勝4敗2セーブ、チームトップの23ホールドポイント、防御率2.79を記録した。
- 2012年
- キャンプではダレル・ラズナーからの守護神の奪還を目標に掲げ[3]、5月からはそのラズナーの故障により抑えのポジションに定着。同9日から15日にかけて6試合連続セーブの日本タイ記録を達成、初の月間MVPにも選ばれた。オールスターにも監督推薦で初出場した。そのままシーズンを通して抑えを務め、チーム最多の61試合に登板。2006年に福盛和男が挙げた21セーブを超える22セーブを挙げて球団記録を更新した[4]。
- 2013年
- 前年に引き続き抑えとして起用されるが、5月中旬から不安定な投球が続き、5月の後半からはラズナーと役割が入れ替わり中継ぎとして起用されるようになる。この年も60試合に登板し、2年連続の60試合登板と監督推薦でのオールスター出場を果たした。しかしシーズン終盤は再び不調に陥り、日本シリーズでは怪我のためベンチ入り出来なかった。オフの契約更改では登板数を評価され、年俸は大台となる1億円となった。
- 2014年
- キャンプでは守護神争いに加わるも、開幕メンバーに入ることができなかった。一軍昇格後は中継ぎとして起用されたものの、5月に入ると乱調が続き二軍落ちとなる。また、セットアッパーとして福山博之が台頭したこともあり、再昇格した6月28日には自身3年振りとなる先発登板を経験。6試合に先発するも、味方の援護に恵まれず先発での勝ち星は挙げられなかった。8月に再び二軍へ降格となり、最終的な登板数はプロ入り最少となった。また、この年はソフトバンクから加入したブライアン・ファルケンボーグが抑えとして加入した影響もあり、2007年以来のセーブ数0に終わる。
- 2015年
- この年も守護神奪回をテーマに掲げたが、首脳陣の意向により抑えは松井裕樹で固定されることとなった。セットアッパーとして開幕を迎えると、序盤こそ固め打ちを許したものの5月以降は安定。9月28日に降格するまで、ほぼシーズンを通してブルペンを支えた。自身最多タイとなる61試合に登板し、WHIPも初めて1を切るなどリーグ2位タイの35ホールドポイントをマーク。これは前年に福山博之が記録した27HPを上回り、球団新記録となった。また、6月28日には通算400試合登板、9月14日には通算100ホールドをそれぞれ記録し、海外FA権も取得。球団創設時のメンバーで、唯一投手の現役であった小山伸一郎がこのシーズン限りで引退となったことにより、生え抜き投手では最年長となった。
プレースタイル
最高球速151km/h、平均球速約143km/h[5]のストレート、キレ・変化量共に鋭い縦のスライダーを投球の軸とし、フォーク、シュート、カーブ、チェンジアップ等、多彩な変化球を駆使する本格派である。先発、中継ぎ、抑えと全てのポジションを経験している事もあり、リリーフでの回跨ぎや連投を苦としない。反面、しばしばメンタル面の弱さを指摘される事があり、好不調の波が大きい。[要出典]
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2006 | 楽天 | 42 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 4 | .250 | 305 | 65.2 | 90 | 6 | 18 | 1 | 3 | 46 | 6 | 0 | 48 | 43 | 5.89 | 1.64 |
2007 | 26 | 12 | 1 | 1 | 1 | 4 | 8 | 0 | 0 | .333 | 385 | 84.2 | 101 | 10 | 33 | 0 | 4 | 62 | 1 | 0 | 54 | 44 | 4.68 | 1.59 | |
2008 | 41 | 6 | 0 | 0 | 0 | 3 | 8 | 4 | 5 | .273 | 348 | 78.2 | 86 | 8 | 26 | 0 | 4 | 61 | 3 | 0 | 39 | 34 | 3.89 | 1.42 | |
2009 | 28 | 6 | 1 | 0 | 0 | 3 | 5 | 5 | 2 | .375 | 281 | 62.1 | 70 | 10 | 25 | 1 | 4 | 53 | 1 | 0 | 43 | 38 | 5.49 | 1.52 | |
2010 | 41 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 1 | 15 | .833 | 217 | 52.1 | 48 | 2 | 14 | 0 | 0 | 63 | 1 | 0 | 13 | 10 | 1.72 | 1.19 | |
2011 | 51 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 2 | 23 | .429 | 290 | 71.0 | 58 | 4 | 23 | 2 | 3 | 64 | 3 | 0 | 23 | 22 | 2.79 | 1.14 | |
2012 | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 22 | 2 | .556 | 260 | 64.2 | 48 | 2 | 19 | 0 | 4 | 54 | 1 | 0 | 18 | 18 | 2.51 | 1.04 | |
2013 | 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 | 11 | 17 | .375 | 263 | 60.1 | 61 | 6 | 20 | 2 | 1 | 60 | 3 | 0 | 24 | 23 | 3.43 | 1.34 | |
2014 | 22 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 1 | .200 | 230 | 52.2 | 52 | 6 | 20 | 0 | 2 | 49 | 3 | 0 | 30 | 26 | 4.44 | 1.37 | |
2015 | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | 0 | 31 | .444 | 223 | 57.2 | 37 | 3 | 18 | 1 | 1 | 58 | 2 | 0 | 18 | 18 | 2.81 | 0.95 | |
通算:10年 | 433 | 35 | 2 | 1 | 1 | 32 | 47 | 45 | 100 | .405 | 2802 | 650.0 | 651 | 57 | 216 | 1 | 26 | 570 | 24 | 0 | 310 | 276 | 3.82 | 1.33 |
- 2015年度シーズン終了時
表彰
- 月間MVP:1回 (2012年5月)
記録
- 初記録
- 初登板:2006年3月25日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(札幌ドーム)、7回裏に2番手で救援登板・完了、2回無失点
- 初奪三振:同上、7回裏にホセ・マシーアスから空振り三振
- 初ホールド:2006年4月27日、対福岡ソフトバンクホークス6回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、6回裏2死に2番手で救援登板、1/3回1失点
- 初先発:2006年5月7日、対北海道日本ハムファイターズ7回戦(フルキャストスタジアム宮城)、4回1/3を4失点で敗戦投手
- 初勝利:2006年5月31日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、8回裏2死に4番手で救援登板、1/3回無失点
- 初先発勝利:2007年3月25日、対西武ライオンズ2回戦(グッドウィルドーム)、6回1失点
- 初完投勝利・初完封勝利:2007年5月13日、対オリックス・バファローズ8回戦(京セラドーム大阪)、4安打無四球
- 初セーブ:2008年3月30日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(クリネックススタジアム宮城)、8回表1死に3番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点
- 節目の記録
- 100ホールド:2015年9月14日、対埼玉西武ライオンズ23回戦(コボスタ宮城)、8回表2番手で救援登板、1回無失点
- その他の記録
- 6戦連続セーブ:2012年5月9日、対埼玉西武ライオンズ6回戦(クリネックススタジアム宮城)~同年5月16日対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)にかけての6試合、※日本記録タイ ※史上4人目
- オールスターゲーム出場:2回 (2012年、2013年)
背番号
- 41 (2006年 - )
登場曲
脚注
- ^ “青山143球!完投で3勝目”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2009年10月3日) 2013年11月5日閲覧。
- ^ “初回緊急リリーフ!長谷部が初勝利”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年4月1日) 2013年11月5日閲覧。
- ^ “楽天青山抑え宣言、ラズナーから奪いたい”. 日刊スポーツ. (2012年2月14日) 2012年9月15日閲覧。
- ^ “楽天 勝率5割復帰!牧田先制2ラン 青山球団新22S”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年10月6日) 2012年10月8日閲覧。
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、67頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8。