諸田敏

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諸田 敏(もろた さとし、1959年5月15日 - )は、主に特撮テレビドラマ作品の監督演出家東京都出身。

概要

来歴

映像関係の学校を卒業後、日活ロマンポルノの現場に従事。その後東映テレビプロに移り、1985年、『電撃戦隊チェンジマン』よりスーパー戦隊シリーズに助監督として参加。当時、監督は山田稔堀長文長石多可男東條昭平が中心で、チーフの助監督は小中肇だった。『光戦隊マスクマン』の4話よりチーフ助監督として現場を支える。

1991年、『地球戦隊ファイブマン』の最終回を最後に特撮の現場を離れたあとは、2時間ドラマや『福井さんちの遺産相続』、『HOTEL』、『はぐれ刑事純情派』、『はだかの刑事』といった連続ドラマの助監督を担当。その間も『恐竜戦隊ジュウレンジャー』、『ブルースワット』、『劇場版 超力戦隊オーレンジャー』などの別班で東映特撮に携わることはあった。

1996年に『超光戦士シャンゼリオン』の助監督で本格的に東映特撮に復帰。そして同作品の第19話で監督デビューする。

その後も東映特撮に参加する傍ら、『はみだし刑事情熱系』や『幻想ミッドナイト』にも助監督として携わるが、1998年の『星獣戦隊ギンガマン』の終盤からスーパー戦隊シリーズに監督として初参加。1999年日笠淳プロデューサーがチーフとなった『救急戦隊ゴーゴーファイブ』より本格的に監督のローテーションに定着。日笠プロデューサーとは特に親密で、以降彼のプロデュース作品のほぼすべてにおいて名を連ねた。その中でも『未来戦隊タイムレンジャー』・『百獣戦隊ガオレンジャー』・『轟轟戦隊ボウケンジャー』ではパイロット&メイン監督を務めた。2004年には日笠がプロデュースした『仮面ライダー剣』で仮面ライダーシリーズに初参加し、翌年の『仮面ライダー響鬼』までシリーズに携わった。その後、2009年の『仮面ライダーW』への参加をきっかけに、主な活動の場を仮面ライダーシリーズに移し、『仮面ライダーオーズ/OOO』以降は4作品連続で最多演出を果たした。また、『忍風戦隊ハリケンジャー』をはじめとしてパイロット組の次の回を演出する機会も多い。近年では『炎神戦隊ゴーオンジャー』、『侍戦隊シンケンジャー』、『[仮面ライダーW』、『天装戦隊ゴセイジャー』と4シリーズ連続で担当、通算8シリーズでセカンドパイロットを担当している。2015年の『仮面ライダーゴースト』では仮面ライダーシリーズのパイロット監督を初担当する[1][2][3]

2002年に結婚[4]

演出面での特徴

主にコミカルな演出を得意とし、アニメの合成(例えば顔の描かれた太陽)などを使用する。その一方で、『百獣戦隊ガオレンジャー』の破邪百獣剣、『轟轟戦隊ボウケンジャー』のレッドゾーンクラッシュ、『天装戦隊ゴセイジャー』のレッドブレイクのような、派手な必殺技のプロセスも使用する。また、照明の光量を強めに当てたりカメラをグルグルと回転させるアングルなども多用している。さらには、役者を「水落ち(海や池などに落とす)」させるのも特徴の一つ。シナリオにはそういった指定はなくても、「ここで水に落とそうと思います」と言い放ち役者を水落ちさせることがしばしばある。[要出典]

カメオ出演

その他のエピソード

  • 助監督時代は特に監督の長石多可男と東條昭平に影響を受けたとインタビューで語っており、『天才の長石、クレバーの東條』と評する。長石と東條は「正反対」で、長石は「天才肌」で思い入れを重視して演出するのに対し、東條は「ものすごく頭が良くて、すべて計算で成り立っている」と語っていた[5]
  • 『超光戦士シャンゼリオン』でチーフ助監督の依頼があったとき、特撮作品より離れて久しかったため最初は依頼を固辞した。しかし、監督が自身が師匠と慕う長石多可男と助監督時代の先輩の小中肇と聞かされて「これはやらねばなるまい」と翻意し、作品参加を決意したという。尚、諸田をチーフ助監督で招聘したのは同番組の制作担当であった沼尾和典である。[要出典]
    • 後年の『長石多可男監督を偲ぶ会』では長石を偲ぶ弔辞の席に立った。会に参加していた柴崎貴行によると、諸田は今でも「長石監督ならどう撮るか」を考えて撮影することがあると述べたという。[要出典]
  • 仮面ライダーW』では、田﨑竜太監督がパイロット(第1・2話)を撮り、諸田がセカンドパイロット(第3・4話)を手がけた。田﨑は、自身はパイロットを担当することが多いが、第3・4話を撮るほうが難しいと主張しており、その意味で「見事な第3〜4話を作り上げた諸田さんはすごい。パイロットを崩して、さらに面白くした」と評する[7]
  • 未来戦隊タイムレンジャー』に出演した勝村美香に同作のDVD発売イベントの際、諸田がかなりの遅刻魔であったことを暴露されている[出典無効]
  • 百獣戦隊ガオレンジャー』に出演した酒井一圭は、「諸田さんはスゴかったですよ。やっぱり諸田戦隊ですよねガオレンジャーは!」とコメントしており、対談したプロデューサーの日笠淳からも「うん、そうだね。」と答えられている[8]
  • 轟轟戦隊ボウケンジャー』第7話のゲスト出演に清水紘治を指名したのは諸田であった[9]。自身が『超新星フラッシュマン』で助監督を務めていた際、清水の重厚な演技が忘れがたい味があったからであるという。諸田と清水は20年ぶりに戦隊の現場で再会を果たしている。
  • 侍戦隊シンケンジャー』に主演した松坂桃李は、第3・4話のリハーサルで諸田に「全然お話にならない」と言われたのが悔しかったという。すべての撮影を終えたあとで、「諸田監督はわりとハッキリものを言う方ですけど、すごく的確にわかりやすく説明してくれる」と話している[10]。また後に、「緑(鈴木)の奴は本読みでもこういうことしてるけど、お前は何もしないのか?」と言われたことも回想しており、「両親の反対を押し切って俳優になった挙げ句の果てに待っていたのは、諸田さんに怒られる日々だった」ともコメントしている[11]
  • 同じく『シンケンジャー』に出演した鈴木勝吾は、打ち上げの席で諸田に「迷いながらやっているのがよかった」と言われ、嬉しかったという[10]
  • 脚本家のきだつよしは『仮面ライダー響鬼』にて初めて諸田と仕事を共にしたが、どんどん修正を入れられてゆく脚本を読んで「直される前のホンの方がおもしろかったのに」と諸田がフォローを入れたことに恩義を感じ、自身のブログにて「なんてイイ人だ、この人について行こう、と思った記憶がある」と述懐した[要文献特定詳細情報]。『響鬼』以来、『仮面ライダーウィザード』にて久々にコンビを組んでいるが「普段は飄々とされていて柔らかい雰囲気の方なんですが、おもしろくするために何をすべきかに対して鋭い観点を持っておられ、今回の打ち合わせでも目から鱗なアドバイスをいただきました」と諸田について語っている。

主な作品

テレビ

太字はパイロット担当作品。

映画

オリジナルビデオ

  • 星獣戦隊ギンガマン スーパービデオ ひみつのちえの実(1998年、講談社

演出協力

脚注

  1. ^ 「STAFF INTERVIEW 01 諸田敏 監督」『『仮面ライダーゴースト』キャラクターブック 零 〜開眼〜』東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS MOOK〉、2015年10月3日、62頁。ISBN 978-4-86336-498-1 
  2. ^ 『東映ヒーローMAX』VOLUME 52(2015 autumn)、辰巳出版、2015年9月1日、2頁、ISBN 978-47778-1533-1{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  3. ^ 「[インタビュー]諸田敏」『宇宙船』VOLUME 150(2015 autumn)、ホビージャパン、2015年10月1日、pp.54-55、ISBN 978-4-7986-1099-3 
  4. ^ [1]
  5. ^ a b 『NEWTYPE THE LIVE 特撮ニュータイプ』2006年7月号[要ページ番号]
  6. ^ 「director INTERVIEW01 坂本浩一」『獣電戦隊キョウリュウジャー公式完全読本』ホビージャパン、2014年6月20日、64頁。ISBN 978-4-7986-0828-0 
  7. ^ 『仮面ライダーマガジン』Winter '09-'10(2009年、講談社)[要ページ番号]
  8. ^ ハイパーホビー』2011年5月号[要ページ番号]
  9. ^ [2]
  10. ^ a b 『侍戦隊シンケンジャー 公式読本 真剣勝負!』(2010年、グライドメディア)[要ページ番号]
  11. ^ BS朝日極上空間』(2013年1月12日放送分より)[出典無効]