渡辺勝也

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渡辺 勝也(わたなべ かつや、1965年(昭和40年)9月20日 - )は、主に特撮テレビドラマ作品の監督演出家神奈川県茅ヶ崎市出身。愛称は「ナベカツ」。独身。

目次

[編集] 来歴・人物

専門学校を卒業後、1986年(昭和61年)、『超新星フラッシュマン』より助監督として関わり、以降スーパー戦隊シリーズの助監督を務める。当時、監督は山田稔長石多可男東條昭平が中心。助監督はチーフが小中肇、セカンドが諸田敏だった。『光戦隊マスクマン』第4話より『高速戦隊ターボレンジャー』まで諸田の下でセカンド助監督、『地球戦隊ファイブマン』より諸田と各話交代でチーフ助監督、『鳥人戦隊ジェットマン』より単独でチーフ助監督と順調にキャリアを重ね、1992年(平成4年)には26歳で『恐竜戦隊ジュウレンジャー』11話「ご主人さま! 」で監督デビューを果たす。翌年『五星戦隊ダイレンジャー』では早くも重要エピソードを多数任され、続く『忍者戦隊カクレンジャー』では同作品の最多演出を果たした。

以降、スーパー戦隊シリーズのみならず東映特撮作品の中心的監督として活躍。戦隊シリーズ以外では『重甲ビーファイター』『テツワン探偵ロボタック』『仮面ライダークウガ』などに監督として携わる。

[編集] 作風・モチーフ

  • 派手な演出が特徴。またキャラクターの目に炎を映し出すのも得意で東映の白倉伸一郎は渡辺演出をしばしば「目に炎のナベカツ演出」と評している。それだけ「目」にはこだわりがあるのか、人物の目元のアップをよく用いる。夕陽をバックに使うのも特徴で、夕陽の渡辺とも呼ばれることもある。
  • スタッフなどからは「ハイスピードの申し子」、「ナベちゃんの演出は拳(こぶし)に尽きる」などと評されている。また、ハイスピードとは対照的に自身がファンであるジョン・ウーの演出を意識してスローモーションを使用することも多い。
  • 特捜戦隊デカレンジャー』に出演していた木下あゆ美は「渡辺監督は女の子をきれいに撮る監督なのでうれしい」と評している。
  • 忍者・時代劇のテイストが入ったストーリーも得意。『忍者戦隊カクレンジャー』では最多演出、『忍風戦隊ハリケンジャー』ではメイン&パイロット&最多演出、さらには『超忍者隊イナズマ!』シリーズも担当。ほかには『侍戦隊シンケンジャー』にも参加している。渡辺自身こだわりがあったせいか、2001年(平成13年)当時の雑誌インタビューでこれまでで最も愛着のある作品は『カクレンジャー』であったといい、「またいずれは忍者ものがやりたい」と答えていた。その翌年に放映されたのが『ハリケンジャー』である。
  • 自身が担当した回では、マスクオフの演出を重視することも特徴の一つである。

[編集] エピソード

  • 『フラッシュマン』の第10・11話(東條昭平組)が初の現場デビューになる。当時のサード助監督が入院で2か月戦列を外れることになり、専門学校の紹介で当初はその2か月だけの予定だったが、件の助監督氏が戻ってこなかったためそのままシリーズに携わることになった。
  • 初チーフ助監督を務めた『ジェットマン』では脚本を執筆し鈴木武幸プロデューサーにアピールするなど精力的に活躍していた。渡辺は中学生のときの夢は脚本家になることであった。しかし結局その脚本は採用されなかったが、そういった動きは当時の雨宮慶太監督も認めていて鈴木に「若手を監督に抜擢してはどうですか」と進言したという。
  • デビューは『ジュウレンジャー』だが、非公式デビューは『ジェットマン』第49話の後半部である。担当の蓑輪雅夫監督がロケ現場の海岸で転倒し骨折、急遽入院することになったためまだ撮りきれていなかったカットを蓑輪が病院のベッドで書き上げた絵コンテを元に演出した。
  • 広瀬匠がかつてインタビューで「自分が戦隊に出るたびナベ(渡辺)が偉くなっている」と指摘したことがある。確かに渡辺は広瀬がレギュラーで出演した『フラッシュマン』のサード助監督を皮切りに、『ライブマン』でセカンド助監督、『ジェットマン』でチーフ助監督、『ダイレンジャー』では監督と順調に出世している。
  • 30歳のときに参加した『激走戦隊カーレンジャー』では第2期、第3期のオープニング演出を担当、第5話以降での変身バンク演出、新ロボ・新戦士登場編、地方ロケ編、最終回演出など数々の重要エピソードを手掛け、最多エピソードとなる17作品を演出。パイロットは担当していないがメイン監督に近い役割を果たしている。
  • 1998年(平成10年)の『テツワン探偵ロボタック』が初パイロットである。この1998年(平成10年)は戦隊は田﨑竜太がパイロットを担当しているが、前年パイロットは坂本太郎長石多可男、前々年は小林義明東條昭平、長石で二回りほど若返っている。東映特撮演出陣の世代交代を強く象徴した人事として当時話題になった。
  • 自他共に認める温厚な性格だが、初めて戦隊でパイロットを担当した『忍風戦隊ハリケンジャー』の撮影当初は、心を鬼にして出演者たちを怒鳴るなど厳しく指導したという。このときの行動については、「自分が責任を持って諸田敏監督や小中肇監督にバトンを回さなきゃならないと思い、敢えて厳しく指導した」と後に雑誌のインタビューで語っている。
  • 『ハリケンジャー』の演出面ではマスクが開いて顔が見えるという設定があるが、これはメイン監督の渡辺の考案による。このアイデアは自身が強烈に印象を受けたという『フラッシュマン』のシャットゴーグルからヒントを得たものであることをインタビューにて公言している。
  • 前項にも記したとおり戦隊シリーズで初パイロットを担当した『ハリケンジャー』への渡辺の思い入れは相当強く、プロデューサーから次回作『爆竜戦隊アバレンジャー』のメイン監督要請もあったが、『ハリケンジャー』の最終回を撮りたいとの理由でその依頼を固辞したという。
  • 『ハリケンジャー』を除いて[1]彼がパイロットを務めたシリーズ作品では、エンディング映像で主人公にダンスを踊らせている。
  • 頭の上によくキャップを被っている。
  • 渡辺とは親密で共働することの多い東映の塚田英明の話によると渡辺の口癖は「大丈夫」であり、撮影や打ち合わせで「大丈夫ですよ、塚田さん」といったら安心して仕事を任されることができ、特に素敵な出来が保証されるのだと語っている。塚田が渡辺に対する信頼の程が窺える。
  • 誕生日は9月20日であるが、偶然にも先輩筋にあたる坂本太郎と同じ誕生日である。
  • 師匠筋の長石多可男を相当慕っており、長石が『侍戦隊シンケンジャー』で10年ぶりに戦隊に復帰したときは、自ら志願して監督補として現場をサポートした。長石が「立場を考えなさい」と説教したり、プロデューサーの宇都宮孝明が「あなたはローテーション監督ですから」と諭しても、全く聞く耳を持たず「お願いですからやらせてください」と強引に振り切ったという。長石・渡辺コンビは『ファイブマン』第46話以来、約19年ぶりの復活だった。その後『天装戦隊ゴセイジャー』でも長石組のテレビシリーズ4本には全て監督補としてサポートに就いた。また西村和彦は渡辺が演出した『海賊戦隊ゴーカイジャー』の自身がゲスト出演した作品についてインタビューにて「渡辺監督は『超獣戦隊ライブマン』のメイン監督だった長石さんをリスペクトした演出をされていました。なのであの回は渡辺イズムと長石イズムが融合された回だったと思いますね」と話していた。
  • 2012年(平成24年)現在のスーパー戦隊演出本数は、東條昭平、長石多可男に次ぎ歴代単独3位の182作品である。

[編集] 主な作品

[編集] テレビ

★パイロット

[編集] 映画

[編集] オリジナルビデオ

[編集] 作詞

  • 『ニュータウン小学校校歌』(1990年、『地球戦隊ファイブマン』挿入歌)
  • 『ペガサスサンダー GO!GO!GO!』(1996年、『激走戦隊カーレンジャー』挿入歌)
  • 『YOUR DREAM ~ROBOTACK AS NO.1~』(1998年、『テツワン探偵ロボタック』挿入歌)

[編集] 脚注

  1. ^ ただし、『ハリケンジャー』も劇場版ではダンスエンディングを演出している。
  2. ^ 当作品のチーフプロデューサーの白倉伸一郎の話ではスケジュールの都合により当時『ガオレンジャー』のローテーションについていた渡辺を急遽無理を言って要請したのだという。

[編集] 外部リンク

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