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許京寧

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許京寧
各種表記
ハングル 허경영
漢字 許京寧
発音: ホ・ギョンヨン
ローマ字 Huh Kyoung-young
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許京寧(ホ・ギョンヨン、허경영1947年7月13日 - )は大韓民国慶尚南道密陽市出身の政治運動家ネチズンによる愛称は許本座허본좌、ホボンジャ)[1]

一人一党を語って大統領選挙に2度立候補し、独特の公約と言動からカルト的人気を博したが、共に下位落選した。

2008年に選挙法違反(経歴詐称)と、元ハンナラ党代表朴槿恵に対する名誉毀損で摘発され[2]、最高法院で懲役1年6月の有罪が確定。服役後2009年7月に出所し、活動を再開している。

立候補歴

上記の他にも自治体首長選レベルで幾つかの出馬歴がある模様。

初期には朝鮮王朝の復古を主要政策に掲げていたが、途中から『第二の朴正煕』を名乗るようになった。

自称する略歴

自叙伝『ムクゲの花は枯れず』(『무궁화 꽃은 지지 않았다』、2000年 ISBN 899525680X)と、2007年大統領選時の選挙公報政見放送を集約すると概ね以下のようになるが、その時々で内容が異なるため不整合が多く、上記公判中総て事実が確認できない虚妄、各界要人とのツーショットも合成写真であると断定された。

確認された事実

  • 1992年 - 『真理平和党』から14代大統領選挙に出馬しようとしたが、預託金3億ウォンが準備できず候補者登録できなかった
  • 1997年 第15代大統領選挙に当り、9億9千万ウォンの財産を申告し、経済正義実践市民連合中央委員を名乗ったが、いずれも虚偽であった
  • 2002年 第16代大統領選挙にも立候補しようとしたが、預託金問題で断念
  • 2004年 - 亡夫人に売却した絵画の代金50万ドルが未払との理由でチョー・ヨンピルを訴えたが、全くの作り話だとして敗訴
  • 2007年 - 盧武鉉派の政権与党ヨルリン・ウリ党の次期大統領選公認候補者セレクションに名乗りを上げ、最終段階の手前まで勝ち残った
    • 2億ウォン(未払)の賄賂と引き替えに、朴槿恵との縁談に関する記事をゴシップ誌で5回にわたり連載させた
    • 12候補者中納税額が最少で、1億1319万ウォン(約1,300万円)を滞納していた[4]

2007年大統領選挙時の主な公約

  • 国際連合本部ビルニューヨークから板門店に移転。ブッシュ大統領も承認済
  • ジンギスカンの末裔と掛け合ってモンゴルと国家統合し、旧高句麗領を復活
  • 中国を民主化し、韓国に吸収合併する
  • バイカル湖カムチャッカ半島の買収
  • ペ・ヨンジュンを大統領日本特使に任命
  • 韓日海底トンネルの早期着工
  • 社会の不正腐敗と不条理に加担した3,000名を即時処刑
  • 国会議員に資格試験と観相学的・易学的面接を実施し、無償奉仕させる
  • 自治体首長と議員の選挙を廃止
  • 隠密特使制度の復活
  • 徴兵制廃止
  • 教育費を完全無料化する代わりに、進学先は抽選制とする
  • 国民年金の全廃
  • 税制改革 - 所得税と間接税以外の税金を全廃
  • 65才以上の全国民に『建国功労手当』の名目で毎月50万ウォン、また新入社員にも5年間毎月100万ウォンを支給
  • 新婚夫婦に一時金1億ウォンを無条件で、出産すれば3000万ウォンを支給
  • 全決裁のクレジットカード・小切手化。それに伴う現行通貨の廃止。現金使用は逮捕
  • 家具、電気、水道、携帯電話料金を毎月5万ウォンまで無償化
  • 干拓地に高層ビルを200棟建設
  • 総ての空き地に高麗人参を植えて外貨を稼ぐ、人参ニューディール政策を推進。国民所得を5万ドルにする
  • 2015年頃にはアジア連邦初代大統領に就任。大韓民国ウォンを統一通貨にする

その他の発言

大統領選挙以降

「IQ=430」、「景福宮タンクで進撃」のキャッチコピーも空しく落選した後は「経済共和党の30万党員より得票数が少ないのは陰謀だ」などと主張し、選挙結果を不服として1人で抗議活動を展開するかたわら、余勢を駆って人気テレビ番組『爆笑クラブ2』、『演芸街中継』、『PD手帳』などにも出演し、お笑いタレント扱いされていた。

2008年、朴槿恵の告訴[2]により逮捕。一時は第18代総選挙や、その後の補欠選挙にも獄中立候補の動きを見せたが、選挙法違反と併合して懲役3年を求刑され、懲役1年6月の実刑判決を受ける。判決理由は「大統領選挙過程で虚偽事実を流布し、法廷でも誤りを全く悔いていない」。控訴審、上告審でも原審が維持され、直ちに収監された。

2009年7月 に出所した後は、歌手として活動している[6]

脚注

  1. ^ 「イカす許大先生」のような意。
  2. ^ a b c d e カン・ギホン (2008年1月22日). “人気集めた許京寧氏、没落か”. 中央日報. http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=95206&servcode=200&sectcode=200 2009年6月28日閲覧。 
  3. ^ 選挙時に公示した学歴が「放送通信大学校法学科」。卒業したかは不明。
  4. ^ “大統領選:候補者の平均年齢は62.1歳”. 朝鮮日報. (2007年11月27日). http://www.chosunonline.com/article/20071127000059 
  5. ^ メンサ関係者から否定されている。
  6. ^ ”許京寧、ワールドカップ非公式ソング『赤い天使』公開” ニュースタウン 2010年6月11日付(韓国語)

関連項目

外部リンク