福田健二
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名前 | ||||||
カタカナ | フクダ ケンジ | |||||
ラテン文字 | FUKUDA Kenji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1977年10月21日(46歳) | |||||
出身地 | 愛媛県新居浜市 | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 愛媛FC | |||||
ポジション | FW | |||||
背番号 | 24 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
福田 健二(ふくだ けんじ、1977年10月21日 - )は、愛媛県新居浜市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。現Jリーグの愛媛FC所属。サッカー選手の廣山望とは、小学生時代からの幼馴染である。
来歴
両親の離婚により母子家庭に育ち、小学生時代に母親が生活苦から自殺する、という過酷な少年時代を過ごす[1]。父に引き取られて千葉へ転居した後も、金銭的な問題からサッカーを諦めかけたが、廣山望ら友人たちの助けもあって中学でもサッカーを続け、ユース年代で頭角を現す。中学卒業時にはサッカーのためにブラジルへの移住を考えるなど、当時から海外志向は強かった。
習志野高校を経て、1996年に名古屋グランパスエイトに加入。3年目の1998年には16得点を挙げて名古屋のエースとして活躍し、フィリップ・トルシエによって五輪代表候補にも選ばれるなど、将来が嘱望された。しかし2000年頃から、負傷に加え、主力選手が次々に退団するなどのチームの内紛も重なり、徐々に結果が残せなくなる。同年途中に移籍したFC東京、更に2003年途中に移籍したベガルタ仙台でも目立った活躍は出来なかった。
2004年、リーガ・パラグアージャ(パラグアイ1部リーグ)のクラブ・グアラニーへと移籍。ここでレギュラーを掴んでリーグ10得点を挙げ、コパ・リベルタドーレスにも出場した。2005年にはプリメーラ・ディビシオン(メキシコ1部リーグ)のCFパチューカへ移籍。シーズン途中にはメキシコ2部のイラプアトFCに引き抜かれ、両クラブで2桁得点を挙げる活躍を見せた。この頃に、前述の幼少期の来歴がスポーツ誌で紹介されたこともあり、「Jリーグでも欧州の有名リーグでもない、独自の道で活躍する選手」として、再び注目を受けるようになる。
メキシコでの活躍が認められ、2006年1月、セグンダ・ディビシオン(スペイン2部リーグ)のCDカステリョンへの移籍を果たす。カステリョンではシーズン途中加入ということもあり2得点に終わったが、同じくスペイン2部のCDヌマンシアに移籍した2006-07シーズンは、エースストライカーとして君臨し10得点を記録。チーム得点王となり、地元メディアが選ぶ年間最優秀選手となった[2]。2007-08シーズンもヌマンシア残留が望まれたが、資金の問題により福田を手放さざるを得なくなり、スペイン2部のUDラス・パルマスへ移籍。ここでは負傷もあって15試合出場3得点と結果を残せず、足掛け3シーズン在籍したスペインを離れることになった。
2008-09シーズンは、ベータ・エスニキ(ギリシャ2部リーグ)のイオニコスFCへ移籍。開幕からの6試合で3得点を挙げ、怪我で3ヶ月の欠場がありながらも24試合出場9得点と上々の成績を挙げたが、クラブの給与未払いにより[3]1年限りで契約を解除した[4]。
イオニコスとの契約を解除した後、UAE1部のアル・アインFCとフランス1部のUSブローニュにテスト生として練習に参加したものの契約に至らず無所属となっていたが、2009年10月28日に故郷・愛媛県のクラブチームである愛媛FCと契約。実に6年ぶりの日本復帰となった。なお、2009年シーズン途中からの契約ではあるが、Jリーグの選手登録期限を過ぎていたため、試合に出場するのは2010年シーズン以降となった。
2010年は開幕戦からの出場を期待されていたが、前所属クラブであるイオニコスが移籍証明書の発行を拒否していたため、開幕戦を欠場[5]。3月12日にFIFAが福田の暫定登録を認めたため、第2節以降に出場可能となった[6]。
所属クラブ
- ユース経歴
- 蔵波FC (袖ケ浦市立蔵波小学校)
- 市川カネヅカサッカークラブ (袖ケ浦市立蔵波中学校)
- 習志野市立習志野高等学校
- プロ経歴
- 1996年 - 2001年8月 名古屋グランパスエイト
- 2001年8月 - 2003年8月 FC東京
- 2002年12月 REムスクロン (留学)
- 2003年8月 - 2003年12月 ベガルタ仙台
- 2007年8月 - 2008年8月 UDラス・パルマス
- 2008年9月 - イオニコスFC (en)
- 2009年10月 - 愛媛FC※選手登録は2010年シーズンから
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1996 | 名古屋 | - | J | 4 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 |
1997 | 18 | 19 | 5 | 8 | 1 | 1 | 0 | 28 | 6 | ||
1998 | 33 | 16 | 4 | 0 | 3 | 2 | 40 | 18 | |||
1999 | J1 | 24 | 10 | 3 | 1 | 4 | 2 | 31 | 13 | ||
2000 | 26 | 4 | 6 | 0 | 2 | 0 | 34 | 4 | |||
2001 | 9 | 8 | 2 | 3 | 0 | - | 11 | 2 | |||
FC東京 | 11 | 1 | - | 1 | 0 | 12 | 1 | ||||
2002 | 21 | 2 | 7 | 3 | 0 | 0 | 28 | 5 | |||
2003 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||||
仙台 | 34 | 10 | 0 | - | 1 | 0 | 11 | 0 | |||
パラグアイ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2004 (en) | グアラニー | 20 | プリメーラ | 36 | 10 | 36 | 10 | ||||
メキシコ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2005C (en) | パチューカ | プリメーラ | 21 | 12 | 21 | 12 | |||||
2005A | イラプアト | 20 | プリメーラA (en) | 19 | 10 | 19 | 10 | ||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2005-06 (en) | カステリョン | 21 | セグンダ | 17 | 2 | 0 | 0 | - | 17 | 2 | |
2006-07 (en) | ヌマンシア | 24 | 39 | 10 | 1 | 0 | - | 40 | 10 | ||
2007-08 (en) | ラス・パルマス | 7 | 15 | 3 | 2 | 0 | - | 17 | 3 | ||
ギリシャ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2008-09 (en) | イオニコス | 24 | ベータ (en) | 24 | 9 | - | 24 | 9 | |||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 愛媛 | 24 | J2 | 29 | 7 | - | 1 | 0 | 30 | 7 | |
2011 | 22 | 1 | - | 1 | 1 | 23 | 2 | ||||
2012 | - | ||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 156 | 40 | 33 | 5 | 13 | 4 | 202 | 49 | |
日本 | J2 | 51 | 8 | - | 2 | 1 | 53 | 9 | |||
パラグアイ | プリメーラ | 36 | 10 | 36 | 10 | ||||||
メキシコ | プリメーラ | 21 | 12 | 21 | 12 | ||||||
メキシコ | プリメーラA | 19 | 10 | 19 | 10 | ||||||
スペイン | セグンダ | 71 | 15 | 3 | 0 | - | 74 | 15 | |||
ギリシャ | ベータ | 24 | 9 | - | 24 | 9 | |||||
総通算 | 378 | 104 | 36 | 5 | 15 | 5 | 429 | 114 |
その他の公式戦
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国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
CONMEBOL | リベルタドーレス杯 | |||
2004 (en) | グアラニー | 20 | 5 | 1 |
2005 (en) | パチューカ | 1 | 0 | |
通算 | CONMEBOL | 6 | 1 |
代表歴
- U-19、U-20日本代表
- 1996年AFCアジアユース(ベスト4)
- 1997年FIFAワールドユース(ベスト8)
- U-21、U-22日本代表
- 1998年アジア大会
- 1999年シドニーオリンピックアジア最終予選
エピソード
- スペイン2部時代にリーガはトップ5より下から2部リーグまでは同レベルだと言われており、UEFAカップ出場クラスの相手なら自分たちは間違いなく互角だと語った[7]。
- スコットランドやオーストリアと比べてスペイン2部のレベルはどうか?という質問に対し、スペイン2部で出られなくなった選手がスコットランドやギリシャの1部に行くと「あれは金のためだ」って(笑)とチームメイトは皆言います。と答えた[8]。
- 30歳のときに自分では33~34歳くらいまではトップでいられると思っている、32歳で迎える南アフリカW杯というのは、自分の中では、日本のために十分力になれる自信はあると語った[9]。
- 海外クラブの所属歴が長いが、実は2004年所属のグアラニーから2006年所属のヌマンシアまでは全てベガルタ仙台からのレンタル移籍であり、3カ国の5クラブを仙台所属のまま渡り歩いた。
- ヌマンシア入団後しばらく福田はヌマンシアサポーターに批判的な目で見られていた。これは2004-05シーズンに同チームに所属した韓国人FW李天秀が15試合出場も0得点と全くの期待外れで「なぜまた使えないアジア人を獲るんだ」と思われていた為である[10]。しかし福田はゴールという結果を出し続け次第にヌマンシアサポーターに愛される選手となった(ただし李が在籍した時期のチームはトップリーグ所属であり、李の不振が降格の一因となっていた。)。
脚注
- ^ 「福田健二 遺書」『Sports Graphic Number』2005年9月22日号
- ^ 福田がチーム得点王 地元メディアが選ぶ年間最優秀選手にスポーツナビ、2007年6月18日
- ^ http://www.ehimefc.com/efc/topics.php?s%7Cid=100828
- ^ ギリシャ2部イオニコスが福田と契約解除へサンスポ、2009年9月11日
- ^ 福田健二選手の登録について愛媛FC公式サイト、2010年3月5日
- ^ 福田健二選手の選手登録について愛媛FC公式サイト、2010年3月12日
- ^ 僕らが優勝したんです
- ^ 何が「トップ」なのかが分からないですが(笑)。
- ^ 現役時代のゴールは、どこに設定しているのでしょうか?
- ^ 小宮良之『RUN 流浪のストライカー、福田健二の闘い』ダイヤモンド社、2007年、48頁。
外部リンク
- kenji fukuda BLOG
- 福田健二 – FIFA主催大会成績(英語)