コンテンツにスキップ

福田健二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Elec.24 (会話 | 投稿記録) による 2012年5月2日 (水) 17:17個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

福田 健二
名前
カタカナ フクダ ケンジ
ラテン文字 FUKUDA Kenji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1977-10-21) 1977年10月21日(46歳)
出身地 愛媛県新居浜市
身長 179cm
体重 73kg
選手情報
在籍チーム 愛媛FC
ポジション FW
背番号 24
利き足 左足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

福田 健二(ふくだ けんじ、1977年10月21日 - )は、愛媛県新居浜市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。現Jリーグ愛媛FC所属。サッカー選手の廣山望とは、小学生時代からの幼馴染である。

来歴

両親の離婚により母子家庭に育ち、小学生時代に母親が生活苦から自殺する、という過酷な少年時代を過ごす[1]。父に引き取られて千葉へ転居した後も、金銭的な問題からサッカーを諦めかけたが、廣山望ら友人たちの助けもあって中学でもサッカーを続け、ユース年代で頭角を現す。中学卒業時にはサッカーのためにブラジルへの移住を考えるなど、当時から海外志向は強かった。

習志野高校を経て、1996年に名古屋グランパスエイトに加入。3年目の1998年には16得点を挙げて名古屋のエースとして活躍し、フィリップ・トルシエによって五輪代表候補にも選ばれるなど、将来が嘱望された。しかし2000年頃から、負傷に加え、主力選手が次々に退団するなどのチームの内紛も重なり、徐々に結果が残せなくなる。同年途中に移籍したFC東京、更に2003年途中に移籍したベガルタ仙台でも目立った活躍は出来なかった。

2004年、リーガ・パラグアージャパラグアイ1部リーグ)のクラブ・グアラニーへと移籍。ここでレギュラーを掴んでリーグ10得点を挙げ、コパ・リベルタドーレスにも出場した。2005年にはプリメーラ・ディビシオンメキシコ1部リーグ)のCFパチューカへ移籍。シーズン途中にはメキシコ2部のイラプアトFCに引き抜かれ、両クラブで2桁得点を挙げる活躍を見せた。この頃に、前述の幼少期の来歴がスポーツ誌で紹介されたこともあり、「Jリーグでも欧州の有名リーグでもない、独自の道で活躍する選手」として、再び注目を受けるようになる。

メキシコでの活躍が認められ、2006年1月、セグンダ・ディビシオンスペイン2部リーグ)のCDカステリョンへの移籍を果たす。カステリョンではシーズン途中加入ということもあり2得点に終わったが、同じくスペイン2部のCDヌマンシアに移籍した2006-07シーズンは、エースストライカーとして君臨し10得点を記録。チーム得点王となり、地元メディアが選ぶ年間最優秀選手となった[2]。2007-08シーズンもヌマンシア残留が望まれたが、資金の問題により福田を手放さざるを得なくなり、スペイン2部のUDラス・パルマスへ移籍。ここでは負傷もあって15試合出場3得点と結果を残せず、足掛け3シーズン在籍したスペインを離れることになった。

2008-09シーズンは、ベータ・エスニキギリシャ2部リーグ)のイオニコスFCへ移籍。開幕からの6試合で3得点を挙げ、怪我で3ヶ月の欠場がありながらも24試合出場9得点と上々の成績を挙げたが、クラブの給与未払いにより[3]1年限りで契約を解除した[4]

イオニコスとの契約を解除した後、UAE1部アル・アインFCフランス1部USブローニュにテスト生として練習に参加したものの契約に至らず無所属となっていたが、2009年10月28日に故郷・愛媛県のクラブチームである愛媛FCと契約。実に6年ぶりの日本復帰となった。なお、2009年シーズン途中からの契約ではあるが、Jリーグの選手登録期限を過ぎていたため、試合に出場するのは2010年シーズン以降となった。

2010年は開幕戦からの出場を期待されていたが、前所属クラブであるイオニコスが移籍証明書の発行を拒否していたため、開幕戦を欠場[5]。3月12日にFIFAが福田の暫定登録を認めたため、第2節以降に出場可能となった[6]

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
1996 名古屋 - J 4 0 2 0 1 0 7 0
1997 18 19 5 8 1 1 0 28 6
1998 33 16 4 0 3 2 40 18
1999 J1 24 10 3 1 4 2 31 13
2000 26 4 6 0 2 0 34 4
2001 9 8 2 3 0 - 11 2
FC東京 11 1 - 1 0 12 1
2002 21 2 7 3 0 0 28 5
2003 0 0 0 0 - 0 0
仙台 34 10 0 - 1 0 11 0
パラグアイ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2004 (en グアラニー 20 プリメーラ 36 10 36 10
メキシコ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2005C (en パチューカ プリメーラ 21 12 21 12
2005A イラプアト 20 プリメーラA (en 19 10 19 10
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
2005-06 (en カステリョン 21 セグンダ 17 2 0 0 - 17 2
2006-07 (en ヌマンシア 24 39 10 1 0 - 40 10
2007-08 (en ラス・パルマス 7 15 3 2 0 - 17 3
ギリシャ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2008-09 (en イオニコス 24 ベータ (en 24 9 - 24 9
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2010 愛媛 24 J2 29 7 - 1 0 30 7
2011 22 1 - 1 1 23 2
2012 -
通算 日本 J1 156 40 33 5 13 4 202 49
日本 J2 51 8 - 2 1 53 9
パラグアイ プリメーラ 36 10 36 10
メキシコ プリメーラ 21 12 21 12
メキシコ プリメーラA 19 10 19 10
スペイン セグンダ 71 15 3 0 - 74 15
ギリシャ ベータ 24 9 - 24 9
総通算 378 104 36 5 15 5 429 114

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
CONMEBOLリベルタドーレス杯
2004 (en グアラニー 20 5 1
2005 (en パチューカ 1 0
通算 CONMEBOL 6 1

代表歴

エピソード

  • スペイン2部時代にリーガはトップ5より下から2部リーグまでは同レベルだと言われており、UEFAカップ出場クラスの相手なら自分たちは間違いなく互角だと語った[7]
  • スコットランドオーストリアと比べてスペイン2部のレベルはどうか?という質問に対し、スペイン2部で出られなくなった選手がスコットランドやギリシャの1部に行くと「あれは金のためだ」って(笑)とチームメイトは皆言います。と答えた[8]
  • 30歳のときに自分では33~34歳くらいまではトップでいられると思っている、32歳で迎える南アフリカW杯というのは、自分の中では、日本のために十分力になれる自信はあると語った[9]
  • 海外クラブの所属歴が長いが、実は2004年所属のグアラニーから2006年所属のヌマンシアまでは全てベガルタ仙台からのレンタル移籍であり、3カ国の5クラブを仙台所属のまま渡り歩いた。
  • ヌマンシア入団後しばらく福田はヌマンシアサポーターに批判的な目で見られていた。これは2004-05シーズンに同チームに所属した韓国人FW李天秀が15試合出場も0得点と全くの期待外れで「なぜまた使えないアジア人を獲るんだ」と思われていた為である[10]。しかし福田はゴールという結果を出し続け次第にヌマンシアサポーターに愛される選手となった(ただし李が在籍した時期のチームはトップリーグ所属であり、李の不振が降格の一因となっていた。)。

脚注

外部リンク