石原宏高
前衆議院議員 石原宏高 | |
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生年月日 | 1964年6月19日(59歳) |
出身地 | 神奈川県逗子市 |
出身校 | 慶應義塾大学経済学部 |
学位・資格 | 経済学士 |
前職 | 日本興業銀行員 |
世襲 |
2世 父・石原慎太郎 |
選出選挙区 | 東京3区 |
当選回数 | 1回 |
所属党派 | 自由民主党(無派閥) |
ウェブサイト | 石原ひろたか公式ウェブサイト |
石原 宏高(いしはら ひろたか、1964年6月19日 - )は、日本の政治家。前衆議院議員(1期)。
参議院議員、衆議院議員、環境庁長官、運輸大臣を歴任した東京都知事の石原慎太郎は父。俳優の石原裕次郎は叔父。兄に衆議院議員、自由民主党幹事長の石原伸晃、タレント、気象予報士の石原良純がいる。画家の石原延啓は弟。
概要
略歴
神奈川県出身。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。大学卒業後、日本興業銀行に入行。日本興業銀行の同期に、楽天の三木谷浩史会長がいる。子供がいなかった石原裕次郎は4人の甥の中でも宏高を特に可愛がり、一時は養子縁組も考えていた[1]。
1998年の金融危機がきっかけで政界を志す。2003年、第43回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で東京都第3区から出馬。父である石原慎太郎東京都知事や石原軍団の大々的な応援を受けて選挙戦を展開したが、民主党の松原仁に敗れ、比例復活もならず落選した。
落選後は地道に選挙区内を回って地盤を固め、2005年の第44回衆議院議員総選挙では父・慎太郎や石原軍団の大々的な応援は受けずに独力で選挙戦を戦い[2]、前回敗れた松原を破り初当選する。選挙戦の終盤では小泉純一郎や安倍晋三、三木谷浩史らが応援に入った。なお当選後は石原家や石原軍団総出で叔父・裕次郎の墓参に訪れ、墓前で初当選を報告した。総選挙後は05年初当選の議員による83会の他、伝統と創造の会(稲田朋美会長)にも所属。日本国憲法改正を主張し、靖国神社にも参拝した。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では東京3区で松原に敗れ、重複立候補していた比例東京ブロックでの復活もならず、落選した。
人物
- 尊敬する政治家は父・石原慎太郎、フィリピン民主化の道半ばで凶弾に倒れたベニグノ・アキノである[3]。なおアキノは石原慎太郎の旧友であり、石原家・アキノ家は家族ぐるみの付き合いがある。
- 選挙区である東京3区(品川区や田園調布等大田区の一部、伊豆諸島、小笠原諸島)は、かつて父・石原慎太郎の衆議院議員時代の選出選挙区である旧東京2区の一部であり、直接的な地盤の継承はないながら、一般的には世襲議員に分類される。対照的に、兄の石原伸晃は選挙区の重複がまったくないため、一般的には世襲議員に分類されない。
- クイズ$ミリオネアに石原慎太郎が出演した際、スタジオに応援に駆けつけた。みのもんたが宏高に勤務先を質問すると、聞かれた本人ではなく石原慎太郎が「あの悪名高いみずほ銀行」と答えた。
所属議員連盟
脚注
- ^ このエピソードは弟 (テレビドラマ)でも語られた。
- ^ “石原ブランド頼み!宏高氏 伸晃氏に応援要請”. スポニチアネックス (スポーツニッポン). (2009年8月28日) 2009年12月2日閲覧。
- ^ フィリピン大統領選挙2010年3月29日