相馬崇人

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相馬 崇人
名前
愛称 ソウマ、シェフ
カタカナ ソウマ タカヒト
ラテン文字 SOMA Takahito
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-12-10) 1981年12月10日(42歳)
出身地 神奈川県川崎市
身長 176cm
体重 74kg
選手情報
在籍チーム ヴィッセル神戸
ポジション DFMF
背番号 3
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2005
2006-2008
2009-2010
2010-2011
2011-
日本の旗 東京ヴェルディ
日本の旗 浦和レッズ
ポルトガルの旗 マリティモ
ドイツの旗 コットブス
日本の旗 ヴィッセル神戸
40 (2)
58 (4)
27 (2)
21 (1)
()
1. 国内リーグ戦に限る。2011年7月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

相馬 崇人(そうま たかひと、1981年12月10日 - )は、神奈川県出身のサッカー選手。ポジションはMFまたは、DF国士舘大学卒。

家族は妻と一子にゴエモン(愛犬)。

経歴

東京ヴェルディ(東京V)の下部組織出身。東京V所属時は同じくユース出身の平本一樹戸川健太の3人を称し「81年組」と呼ばれていた。ヴェルディユースから直接トップチームには昇格せず、国士舘大学に進み日本フットボールリーグでのプレーを経験。2003年に東京Vに入団(サッカー部は退部したが大学生のままプロ入りし、その後に卒業)。

2004年には、左SBレギュラーだった三浦淳宏日本代表に招集されチームを離れる期間にアルディレス監督が相馬を抜擢し、三浦が代表からチームに戻ってきてからも相馬をそのまま起用し続け、三浦から左サイドのポジションを奪取した(三浦はその後、神戸に移籍)。2005年シーズンは3バック採用時は左ウイングバック、4バック採用時は左サイドバックとして1年間レギュラーで活躍。このシーズンは東京VはJ2降格となったため、J1でのプレーを希望して浦和レッドダイヤモンズへ完全移籍。

浦和の左サイドには三都主アレサンドロがおり、2006年はその控えという立場だった。三都主が欧州移籍のため退団した2007年はレギュラーとして開幕を迎えたが、夏場に調子を落とすと平川忠亮にポジションを奪われてしまった。その後、12月のクラブワールドカップでは先発に返り咲いた。2008年は浦和移籍後では初の1年間通してのレギュラーで活躍。これまでの左サイドからのチャンスメーカーとしてだけでなく、自己最多の公式戦4得点をマークした。

浦和との3年契約を満了し、念願の欧州移籍を模索していた2008年のシーズンオフ、ドイツ・ブンデスリーガ2部フライブルクから獲得を前提にした練習参加のオファーを受けるも交渉が長引いたために渡独直前で消滅[1]

浦和残留が濃厚と見られていたが、2009年1月12日、欧州移籍の実現に向け、移籍先の決まらないまま浦和を退団[2]

その後、欧州のチームが200近く集まりトレーニング合宿を開いているトルコで、オファー待ちのブラジル人選手同士で作ったブラジル選抜に加わり、他チームと試合をしながらオファーを待った[3]

1月28日、ポルトガル1部リーグマリティモと契約。日本では1年半契約で推定年俸30万ユーロ(約3500万円)と報じられたが雑誌のインタビューにより日本円にして600万円の年俸であったことが判明した。

マリティモではリーグ戦通算27試合に出場。2010年4月3日のポルト戦では移籍後初得点を記録するなどしたが、これらの結果に満足していないこと、また生活環境上の理由から、マリティモとの契約を更新する意思がないことを明らかにした。同年6月10日、エネルギー・コットブスに移籍。チーム初の日本人プレイヤーとなった[4]。2011年6月、自らの希望により、契約を解除し退団。

同年7月より、Jリーグ・ヴィッセル神戸に移籍。2年半ぶりに日本でプレイする事となった[5]。加入直後に肉離れにより離脱するも終盤に復帰し、甲状腺炎を患った茂木弘人に代わる左サイドバックとして積極的な攻撃参加でチーム初の1桁順位達成に貢献した。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

その他

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2000 国士大 29 JFL 7 0 - - 7 0
2001 5 5 0 - - 5 0
2002 3 2 0 - 2 0
2003 東京V 15 J1 1 0 0 0 0 0 1 0
2004 15 11 2 8 0 5 0 24 2
2005 7 28 0 5 0 0 0 33 0
2006 浦和 16 18 1 7 1 5 0 30 2
2007 16 13 0 2 0 1 0 16 0
2008 16 27 3 6 0 1 0 34 3
ポルトガル リーグ戦 リーグ杯ポルトガル杯 期間通算
2008-09 マリティモ 77 SP 10 0 - - 10 0
2009-10 7 17 2 - 2 0 19 2
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2010-11 コットブス 7 ブンデス2部 21 1 - 2 0 23 1
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2011 神戸 3 J1 8 1 0 0 2 0 10 1
通算 日本 J1 106 7 28 1 12 0 138 7
日本 JFL 14 0 -
ポルトガル SP 27 2 - 2 0 29 2
ドイツ ブンデス2部 21 1 - 2 0 23 1
総通算 160 9 28 1 16 1 204 11

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2007 浦和 16 3 0 3 0
2008 浦和 16 3 1 -
通算 AFC 6 1 3 0

その他の国際公式戦

タイトル

  • 2001年 - 関東大学サッカーリーグ
  • 2004年 - 第84回天皇杯
  • 2006年 - Jリーグ
  • 2006年 - XEROX SUPER CUP
  • 2006年 - 第86回天皇杯
  • 2007年 - AFCチャンピオンズリーグ

関連項目

脚注

  1. ^ “独2部フライブルクが浦和相馬の獲得断念”. 日刊スポーツ. (2009年1月4日). オリジナルの2009年1月5日時点におけるアーカイブ。. http://s02.megalodon.jp/2009-0105-1247-37/www.nikkansports.com/soccer/world/news/p-sc-tp3-20090104-446617.html 
  2. ^ 相馬崇人との契約について”. 浦和レッドダイヤモンズ (2009年1月12日). 2011年2月23日閲覧。
  3. ^ 相馬崇人オフィシャルブログ (2009年1月23日). “アルバニア”. 2009年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月29日閲覧。
  4. ^ http://www.fcenergie.de/news/news.php?ID=5906
  5. ^ デイリースポーツ (2011年7月10日). “相馬が神戸入団会見 二年半ぶりJリーグ復帰”. 2011年7月10日閲覧。
  6. ^ 相馬崇人オフィシャルブログ (2009年1月29日). “たくさん報告”. 2009年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月29日閲覧。
  7. ^ 秦れいオフィシャルブログ (2009年11月12日). “ご報告‥★”. 2010年6月21日閲覧。

外部リンク