東洋紡

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東洋紡績株式会社
TOYOBO CO.,LTD.
種類 株式会社
市場情報
略称 東洋紡、TOYOBO
本社所在地 日本の旗 日本
530-8230
大阪市北区堂島浜二丁目2番8号
設立 1914年6月26日
業種 繊維製品
法人番号 2120001059666 ウィキデータを編集
事業内容 繊維、化成品、バイオ・メディカル・機能材、他
代表者 坂元龍三(代表取締役社長)
資本金 433億円(2009年3月31日現在)
売上高 連結:3,672億円
単独:2,012億円(2009年3月期)
総資産 連結:4,438億円
単独:3,624億円(2009年3月期)
従業員数 連結:11,181名
単体:3,124名(2009年3月31日現在)
決算期 3月
主要株主 日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) 4.15%
日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 3.79%
日本生命保険相互会社 2.95%
(2008年3月31日現在)
主要子会社 御幸ホールディングス など
関係する人物 渋沢栄一
阿部市郎兵衛
阿部周吉
山辺丈夫
阿部房次郎
阿部孝次郎
関桂三
宇野収
外部リンク www.toyobo.co.jp
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東洋紡績株式会社(とうようぼうせき、:TOYOBO CO., LTD)は、繊維を中心に化成バイオ医薬など高機能製品の開発・製造を行なう日本企業本社大阪府大阪市北区堂島浜。通称は東洋紡(TOYOBO)。

1882年(明治15年)創業の日本の紡績業界の名門としてその名を知られているが、現在では繊維以外の部門が高いウェートを占める。一時期「ゆたかな未来のパートナー」をコーポレート・スローガンに掲げていた時期もある。

沿革

  • 1879年(明治12年) - 渋沢栄一により、紡績事業計画を策定する。
  • 1882年(明治15年) - 東洋紡の基盤となる大阪紡績株式会社を設立する。日本初の本格的な紡績会社として操業を開始する。
  • 1886年(明治19年) - 三重紡績株式会社を設立する。
  • 1888年(明治21年) - 金巾製織株式会社を設立する。
  • 1906年(明治39年) - 金巾製織と大阪紡績が合併する。
  • 1914年(大正3年) - 大阪紡績と三重紡績が合併して東洋紡績株式会社が設立される。
  • 1927年(昭和2年) - レーヨン事業に進出する。
  • 1949年(昭和24年) - 株式を公開する。
  • 1966年(昭和41年) - 呉羽紡績を合併する。
  • 2010年(平成22年) - 3月1日に東洋化成工業を合併する。同社の精密化学品事業本部となる。
  • 2012年(平成24年) - 正式社名を東洋紡株式会社に変更予定。

事業内容

繊維事業を出発点に、化成品、機能材、バイオ・メディカルへと事業領域を拡大してきた歴史があり、2001年度以降は非繊維部門の売上高が50%を超えている。

  • 各種繊維工業品、合成樹脂およびその成形品、各種科学工業品ならびに生化学品、医薬品および関連商品製造・加工・販売、電子機器、理科学機器、医療用具およびその関連機器。
  • 各種プラントおよび機器の設計・製作・販売。
  • 各種技術・情報の販売。

事業所

グループ企業

繊維の製造販売関連

サービス関連

その他製造販売

過去のグループ企業

スポンサー番組(全て過去)

歴代キャンペーンガール



社会人スポーツ

1961年に女子バレーボール部を発足。1967年から日本リーグに参戦し、強豪として数々の実績を残す。1994年Vリーグに移行(東洋紡オーキス・バレーボール部)してからも、大林素子などの活躍により2回の優勝を果たすが、本業の不振などの理由により2002年をもってチームは解散、35年に渡る活動の幕を下ろした。

関連項目

  • 宝塚歌劇団 - 本拠地の宝塚大劇場緞帳を提供していたが2009年に別企業寄贈のものに差し替えられた。また1998年にはTAKARAZUKA1000days劇場にも緞帳を提供していた。
  • ザイロン - 東洋紡績が開発した最高レベルの引張強度・弾性率を持つ繊維。
  • 宇都宮壮十郎 明治20年(1887)に設立された、宇和紡績株式会社(その後の東洋紡績川之石工場、昭和35年閉鎖)の創立委員となり、取締役に選出されている。

外部リンク