敷島 (戦艦)
艦歴 | |
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計画 | 1896年(明治29年)度 |
建造所 | テムズ鉄工造船所 |
起工 | 1897年3月29日 |
進水 | 1898年11月1日 |
就役 | 1900年1月26日竣工 |
除籍 | 1945年11月20日 |
その後 | 1948年解体 |
要目 | |
排水量 | 常備:14,850トン |
全長 | 133.5m(438ft) |
全幅 | 23.0m(75ft6in) |
吃水 | 8.3m(27ft3in) |
機関 | ベルビール缶25基 3気筒3段レシプロ2基 2軸、14,500馬力 |
速力 | 18.0ノット |
航続距離 | (10ノットで7,000海里)[1] |
燃料 | 石炭1,722トン |
乗員 | 836名 |
兵装 | 40口径30.5cm連装砲2基 40口径15.2cm単装砲14基 40口径7.6cm単装砲20基 47mm単装砲12基 45cm水上魚雷発射管1門 45cm水中魚雷発射管4門 |
装甲 | HS(ハーベイ・ニッケル)鋼 舷側:最大9インチ(229mm) 甲板:最大4インチ(102mm) |
敷島(しきしま)は日本海軍の戦艦。敷島型戦艦の1番艦である。艦名は日本全体の美称の一つ。
概要
1896年(明治29年)の第10議会で可決した第二期拡張計画により建造された4隻の戦艦の第1艦で、イギリス・ロンドンのテムズ鉄工造船所で建造された。日露戦争では主力艦として旅順口攻撃、旅順港閉塞作戦、黄海海戦、日本海海戦と主な作戦に参加した。
その後海防艦に類別変更、第一次世界大戦後のワシントン軍縮会議により兵装、装甲の全てを撤去し、練習特務艦となり佐世保港に繋留、使用されていた。終戦時は推進器が撤去され佐世保海兵団所属の練習艦として相ノ浦に無傷で繋留されていた。戦後の1947年に佐世保で解体された。
艦歴
- 1897年3月29日 イギリス、テームズ鉄工所で起工
- 1898年11月1日 進水
- 1900年
- 1月26日 竣工
- 4月17日 呉に到着
- 1904年 第1艦隊第1戦隊所属で日露戦争に参加
- 1905年5月27日、28日 日本海海戦に参加
- 1920年 尼港事件で沿海州沿岸警備に従事
- 1921年9月1日 一等海防艦
- 1923年4月1日 練習特務艦
- 1925年から佐世保に定繋
- 1945年11月20日 除籍
- 1947年 佐世保船舶工業(旧佐世保海軍工廠)で解体
艦長
- 向山慎吉 大佐:1900年5月20日 - 12月6日
- 伊東義五郎 大佐:1900年12月6日 - 1901年7月6日
- 富岡定恭 大佐:1901年7月6日 - 1903年4月12日
- 黒井悌次郎 大佐:1908年8月28日 - 1909年12月1日
- 大谷幸四郎 大佐:1917年12月1日 - 1918年11月10日
- (兼)匝瑳胤次 大佐:1919年6月10日 - 7月1日
- 飯田延太郎 大佐:1919年8月5日 - 11月20日
参考文献
- 泉江三『軍艦メカニズム図鑑-日本の戦艦 上』グランプリ出版、2001年。 ISBN 4-87687-221-X
- 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
- 福井静夫『福井静夫著作集第1巻 日本戦艦物語I』光人社、1992年。 ISBN 4-7698-0607-8
- 福井静夫『福井静夫著作集第2巻 日本戦艦物語II』光人社、1992年。 ISBN 4-7698-0608-6
関連項目
- 大日本帝国海軍艦艇一覧
- 敷島艦行進曲 : 瀬戸口藤吉作曲、阪正臣作詞。「潮に浮かぶ城郭」と詩う。
脚注
- ^ 『日本戦艦物語I』による。ただし括弧書きで記載され、その説明はない。『昭和造船史』では空欄となっている。