山本幸治 (プロデューサー)

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山本 幸治(やまもと こうじ、1975年 - )は主に日本のアニメーションを中心としたコンテンツプロデューサー。株式会社ツインエンジン代表取締役。2014年9月まではフジテレビに所属していた[1]。愛称は『ヤマコー[2]

人物

もともとはフジテレビの著作権部に所属していたが、「アニメをやりたい」と言う思いから、オリジナル企画案を提案するなど局の上層部とやり取りを行っていたと言う[2]

フジテレビ系列で放送されたテレビアニメレジェンズ 甦る竜王伝説』でアシスタントを担当した後、2005年に同局にて放送を開始した深夜アニメ枠『ノイタミナ』設立当初から関わり[1]、後にチーフプロデューサーに就任(“ 編集長 ”という肩書で紹介されることも多い)、ほぼ10年フジテレビ社員の立場からノイタミナに関わった。
ノイタミナが10周年を迎えた2014年9月を節目としてフジテレビを円満退職し、同年10月にコンテンツ企画会社「ツインエンジン」を設立、代表取締役に就任した。なお、ノイタミナ“ 編集長 ”の座は共にノイタミナ製作に関わっているフジテレビ所属の森彬俊に譲った。

起業後はアニメーション映画『台風のノルダ』の企画制作ほか、ノイタミナの映画ブランド「ノイタミナムービー」作品(『虐殺器官』・『ハーモニー』など)に関わる。

『虐殺器官』では制作会社(マングローブ)の経営破綻を受けて、自ら経営するツインエンジン完全子会社となるアニメ制作会社『ジェノスタジオ』を設立、代表取締役に就任[3]

主な主張

山本曰く、「フジテレビが(アニメに積極的なテレビ局として知られる)毎日放送と異なる点として、製作委員会の幹事として動いている点」を挙げている[2]

また『ノイタミナ』枠を1時間に拡大するきっかけとして、それ以前に同じく深夜アニメ枠として存在していた『NOISE』の放送時間帯が深さ故に「より多くの人に観てもらいたい思いが叶えられ辛かった」点を挙げている[4]

更に山本は「安くはないスポンサー料を払って頂いてフジテレビで深夜アニメを放送するからには、局内やスポンサーなどに対してもある程度一般性を確保する必要がある」と説き[5]、「DVDの販売促進だけで考えるならば独立局で放送した方が効率的」という持論を展開している[6]

脚注

  1. ^ a b 小黒祐一郎、岡本敦史 (2010年3月19日). “フジテレビ山本幸治プロデューサーが語る “ノイタミナ”の軌跡と、新たな展開(前編)”. アニメスタイル. 2014年7月7日閲覧。
  2. ^ a b c 堀内彰宏 (2011年7月7日). “DVDだけではないビジネスを模索したい――フジ・ノイタミナプロデューサーが語るアニメの今 (1/6)”. 誠(ITmedia). 2014年7月7日閲覧。
  3. ^ 映画「虐殺器官」制作再開、2016年完成を目指す 山本幸治Pが新スタジオ「ジェノスタジオ」設立”. animeanime (2015年11月13日). 2016年3月18日閲覧。
  4. ^ 小黒祐一郎、岡本敦史 (2010年3月19日). “フジテレビ山本幸治プロデューサーが語る“ノイタミナ”の軌跡と、新たな展開(後編)”. アニメスタイル. 2014年7月7日閲覧。
  5. ^ 堀内彰宏 (2011年7月7日). “DVDだけではないビジネスを模索したい――フジ・ノイタミナプロデューサーが語るアニメの今 (2/6)”. 誠(ITmedia). 2014年7月7日閲覧。
  6. ^ 堀内彰宏 (2011年7月7日). “DVDだけではないビジネスを模索したい――フジ・ノイタミナプロデューサーが語るアニメの今 (5/6)”. 誠(ITmedia). 2014年7月7日閲覧。

関連人物

以下はノイタミナの開始当初から参加している人物である。

  • 金田耕司(元・編成部。当初ノイタミナを取り仕切っていた)
  • 松崎容子(元・編成部)
  • 高瀬敦也(編成部。山本と同期)
  • 森彬俊(ノイタミナ二代目“ 編集長 ”)
  • 情野誠人(編成部)

外部リンク