小石川後楽園

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小石川後楽園
Koishikawa-Korakuen Gardens
大泉水と蓬莱島 地図
小石川後楽園の位置(東京都区部内)
小石川後楽園
分類 都立庭園特別名勝特別史跡
所在地
座標 北緯35度42分18.4秒 東経139度44分59.6秒 / 北緯35.705111度 東経139.749889度 / 35.705111; 139.749889座標: 北緯35度42分18.4秒 東経139度44分59.6秒 / 北緯35.705111度 東経139.749889度 / 35.705111; 139.749889
面積 7ha
開園 1938年4月3日
運営者 東京都公園協会
2011~2015年度指定管理者
設備・遊具 集会場(涵徳亭)
駐車場 なし
告示 1938年4月3日開園
事務所 小石川後楽園サービスセンター
事務所所在地 東京都文京区後楽1-6-6
公式サイト 小石川後楽園
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小石川後楽園全景(文京シビックセンターから望む)

小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)は、東京都文京区後楽一丁目にある都立庭園江戸時代初期に水戸徳川家江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園大名庭園)である。国の特別史跡及び特別名勝に指定されている[1]

概要

1863年文久3年)の水戸藩小石川邸と後楽園(国立国会図書館蔵『御上京道記』)
梅まつり
桜まつり(2010年3月26日撮影)

1629年寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房作庭家徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を、嫡子(2代藩主)の光圀が改修、の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。名前の由来は中国の笵仲淹岳陽楼記」の「(仁人は)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名づけられた。なお、小石川後楽園の紋章は水戸徳川家の裏家紋ともいわれている六つ葉葵紋である[2]

園内は中国の文人たちが好んで歌った西湖廬山も採り入れている。光圀は朱舜水を設計に参加させたといわれており、中国的、儒教的な趣好が濃厚である。

藩邸の敷地は約33ha(10万)の広さがあった。

1869年明治2年)の版籍奉還により水戸藩邸は新政府によって接収され、敷地の東側に軍需工場である東京砲兵工廠が建設された。西側の庭園部分は保存されることになった。

1872年(明治4年)、陸軍省が設立され、工場と庭園の管理を担当した。

1874年(明治7年)以降、明治天皇行幸および皇族の行啓を受けた。外国人の接待に利用されることも多くなり、世界的にも名園として知られるようになった。

1923年大正12年)3月7日、国の史跡および名勝に指定された。指定の際、岡山市の後楽園と区別するため「小石川」を冠した。

1952年昭和27年)には文化財保護法に基づく国の特別史跡および特別名勝に指定された。

1937年に隣接する旧東京砲兵工廠跡地に職業野球(現在のプロ野球)興行を主たる目的として造られた野球場は小石川後楽園にちなんで「後楽園球場」(「東京ドーム」の前身)と名づけられ、さらに同じ敷地内に建設された遊園地(後楽園ゆうえんち、現在の東京ドームシティアトラクションズの前身)や多目的ホール後楽園ホール)などにも同じように「後楽園」の名が冠されている。

1972年4月、都立公園入場料無料化の一環で、小石川後楽園も無料化された。これにより付近の高校生の通学路となったこと、来園者に池の魚が多数釣り上げられたり、パチンコで撃たれるなど利用者のマナーが極端に悪化した[3]。このため他の公園と共に再び有料化が行われている。

今日では、都立公園として整備され、一般に公開されている(有料)。7haの広さの園内には、蓬莱島と徳大寺石を配した大泉水(だいせんすい)を中心に、ウメサクラツツジハナショウブなどが植えられ、四季を通じて情緒豊かな景色が広がる。

建物の復元

東京都では2019年3月から太平洋戦争で焼失した唐門などの復元を進めてきた[1]。2020年12月19日、古写真や絵図をもとに井波彫刻協同組合(南砺市)が復元した欄間妻壁6枚を組み込んだ唐門が完成した[1]

園内の景物

(以下の1 - 67は下の平面図の番号に合致)

  1. 涵徳亭門(西門)
  2. 庭園事務所
  3. 菊形手水鉢
  4. 涵徳亭
  5. 鉄砲垣
  6. 桃山形灯篭
  7. 飾手水鉢(かざりちょうずばち)
  8. 枯滝
  9. 雪見灯篭
  10. 陽石
  11. 枝垂桜
  12. 陰石
  13. 水掘れ石
  14. 小廬山
  15. 渡月橋
  16. 西湖
  17. 屏風岩
  18. 大堰川
  19. 清水観音堂跡
  20. 通天橋
  21. 沢渡り
  22. 音羽滝
  23. 得仁堂(とくじんどう)
  24. 丸屋
  25. 蓮の池
  26. 一つ松
  27. 沢渡り
  28. 白糸滝
  29. 伽藍石
  30. 松林
  31. 円月橋
  32. 愛宕坂
  33. 八卦堂跡
  34. 小町塚
  35. 梅林
  36. 琴画亭跡
  37. 八つ橋
  38. 石橋
  39. 不老の水
  40. 藤棚
  41. 花菖蒲田
  42. 稲田
  43. 九八屋
  44. 遠州形灯篭
  45. 船着場
  46. 異形灯篭
  47. 蓬莱島
  48. 弁財天
  49. 瘞鷂碑(えいようひ)
  50. 竹生島
  51. 鳴門
  52. 唐門跡
  53. 内庭(うちにわ)
  54. 正門(東門)
  55. 砲兵工廠跡記念碑
  56. 延段(のべだん)
  57. 寝覚滝
  58. 木曽川
  59. 白雲嶺
  60. 紅葉林
  61. 徳大寺石
  62. 竜田川
  63. 帛(幣)橋(ぬさばし)
  64. 駐歩泉碑(ちゅうほせんひ)
  65. 西行歌碑
  66. 西行堂跡
  67. 朝鮮燈籠
小石川後楽園平面図

ギャラリー

(番号は上の平面図の番号に合致)

アクセス

脚注

  1. ^ a b c 井波の技術に感嘆 東京・小石川後楽園の復元「唐門」公開 彫刻組合が制作 - 北國新聞、2020年12月20日
  2. ^ かわら版小石川後楽園第11号”. 小石川後楽園 (2012年8月23日). 2022年4月28日閲覧。
  3. ^ 「都立公園 無料化が裏目に」『朝日新聞』昭和47年(1972年)6月19日朝刊、24面
  4. ^ 江戸から東京へ東京都教育委員会、2013年3月、p11

外部リンク