小田急2300形電車

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小田急2300形電車
通勤車時代の2300形
基本情報
製造所 東急車輛製造
主要諸元
編成 4【2】
軌間 1,067
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
最高運転速度 110
設計最高速度 110
車両定員 座席60人 - 座席66人 - 座席54人 - 座席60人
《134人(座席58人・立席76人) - 138人(座席59人・立席79人) - 145人(座席64人・立席81人) - 134人(座席58人・立席76人)》
【134人(座席52人・立席82人) - 134人(座席52人・立席82人)】
自重 33.5t - 34.0t - 34.0t - 33.5t
《33.0t - 33.8t - 33.7t - 33.0t》
【34.0t - 32.43t】
編成重量 135t 《133.5t》【66.43t】
編成長 70m 《70m》【35m】
全長 17,500
車体長 17,000
全幅 2,900
車体幅 2,800
全高 4,120
車体高 3,745
台車 FS203A
主電動機 MB-3012-B2
主電動機出力 75kW
搭載数 4
端子電圧 340V
駆動方式 直角カルダン駆動方式
歯車比 59:12=4.90
編成出力 1,200kW【600kW】
制御装置 発電制動併用直並列複式(ABFM-D) ABFM108-15-MDHB
制動装置 電磁直通式電空併用中継弁付自動空気制動 (HSC-D)
保安装置OM-ATS
備考 《》内は準特急車・【】内は一般車
定員・重量は左側が新宿側の車両
2300形側面図
小田急電鉄2300形(登場当時の側面図)
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小田急2300形電車(おだきゅう2300がたでんしゃ)は、かつて小田急電鉄に在籍した特急用車両である。

1955年(昭和30年)に登場したが、当初から「新形特急車両の登場までのつなぎ役」としての役割で、新形特急車両の3000形(SE車)が4編成揃った1959年には本形式は特急運用から外れ、特急の補完を行なう準特急[注釈 1]用の車両に格下げ改造された。しかし、格下げ後4年後の1963年には、3100形(NSE車)が増備されたことから準特急という種別そのものが廃止となり、2320形とともに3扉ロングシートの通勤車両へ再度格下げ改造された。改造後は2200形・2220形・2320形と共通運用で使用され、4形式とも搭載制御装置にちなみABFM車(またはFM車)と呼称された[注釈 2]

1982年(昭和57年)8月に4両全車両が廃車となったが、これはABFM車では初の廃車であった。廃車後は富士急行に売却され、同社5700形として使用されたが、富士急行においても5700形では最も早い1993年(平成5年)10月に2両が廃車となり、残る2両も1995年(平成7年)10月に廃車となった。

登場の経緯

小田急では初の特急専用車で、特急ロマンスカーの地位を不動のものにした車両とされている[1]1700形が導入されて以後、特急の利用者数は増加の一途をたどった。

この時期既に、新宿駅から小田原駅までを60分で結ぶことを目標として[2]、当時としては画期的な高性能新型特急車両の開発・設計が進められていた[3]が、特急の利用者数の増加は予想を上回り[4]、1954年頃には更なる増備が営業部門から強く要望される事態になり[2]、新型特急車両の登場を待つ余裕はないと判断された[1]

しかし、通勤車には2200形カルダン駆動方式で登場しており、特急車を旧式の吊り掛け駆動方式で増備することは得策ではないという判断から、新形特急車両の登場までの暫定的な特急車両として2200形の走行機器と特急用の車体を組み合わせた車両を導入することとなり、1955年に登場したのが本形式である。

車両概説

運輸部門からは、1700形と混用することから、3両編成で座席配置も揃えるという要望が強かった[2]が、2200形の機器・走行装置はそのまま使用するという前提から、2200形と同様の17.5m車による4両編成となり、座席配置も異なるものになった[2]。形式は4両ともデハ2300形で、先頭車がデハ2301、デハ2304、中間車がデハ2302、デハ2303である。

本節では以下、小田原方面に向かって右側を「山側」、左側を「海側」と表記する。

車体

先頭車・中間車とも車体長17,000mm・全長17,500mmで、車体幅は2,800mmと1700形と同様で2200形よりも広くなっている。客用扉はデハ2301・デハ2304には幅1,100mmのものを1箇所のみ設置した。デハ2302・デハ2303には客用扉は設置せず、デハ2302の海側とデハ2303の山側に500mm幅の非常用扉各1箇所を設けた。

正面は2200形と同様の前面2枚窓であるが、2300形では窓の幅を1,100mm、高さを880mmと大型化するとともに窓部分に傾斜をつけた「湘南形」スタイルとなった[3]前照灯が埋め込み式1灯で、その脇に複音汽笛が2個装備された。また、窓左右上部に尾灯が設けられたほか、種別表示灯が正面左右下部に設置された。

側窓は、2200形と同様の1,000mm幅とするとシートピッチと合わないだけでなく、1700形よりも窓の大きさが小さくなる[2]が、当時の技術では軽量構造の車体で窓の幅を拡大することは不可能と判断された[2]ため、窓幅は800mmとする代わりに、窓柱を100mmとすることで、窓配置とシートピッチを合わせた。この結果、窓と扉の配置はデハ2301・デハ2304がd15D(d:乗務員扉、D:客用扉)、デハ2302・デハ2303が17d(非常口の反対側側面は16-1で扉なし)となった。塗装は腰部と上部が青色、窓周りが黄色という、当時の特急色であったが、塗り分けも湘南色と同様の曲線的パターンとなった。

構体は高張力鋼のプレス鋼材を多用し、普通鋼を併用して全て溶接組み立てとしたもので、台枠では中梁と横梁が高張力鋼、端梁と側梁が普通鋼、車体骨組は高張力鋼、外板と屋根は普通鋼となっており、床板は亜鉛板を接着した耐水ベニヤ板としており、2200形と同様の構成となっている。

内装

内装は1700形では桜材のニス塗りであったのに対し、天井はアルミ板の白色エナメル塗装、側壁面にはクリーム色のメラミン樹脂材の化粧板が使用され、床は濃緑色リノリウム貼りとした明るく近代的なムードになった[2]。室内灯については、当初より蛍光灯が採用され、天井中央1列の白色カバー内に2列に並べて設置された。窓は高さ850mmのアルミ枠のもので、巻取り式カーテンが設けられた。

座席は転換式リクライニングシートをシートピッチ900mmで配置した。この座席は転換式ではあるが、通常18度の角度である背もたれがボタン操作によってさらに6度リクライニングする構造で、小田急では初のリクライニングシート採用例となったものの、角度の固定に難があり、背もたれの高さが不ぞろいになることが多いなど、あまり評価は高くなかった[3]。その後、小田急においては1980年の7000形登場まで、リクライニング機構を持った座席は採用されなかった。

デハ2303の海側の車体中央には長さ2,700mm、奥行き1,000mmのカウンターを持つ喫茶スタンドが設置されているが、1700形で設置されていた丸イスは設けられず、よりシートサービスの拠点に特化したものとなった。デハ2302・デハ2303の非常口の反対側にはトイレと放送室が設けられ、放送室には1700形に引続きレコードプレーヤーが設置されている。

主要機器

主要な機器は2200形とほぼ同様であるが、交直流電動発電機電動空気圧縮機をデハ2301・デハ2304に、直流電動発電機をデハ2304に、主制御器集電装置をデハ2302・デハ2303に搭載している。

主電動機は75kW端子電圧340V)の三菱電機MB-3012-B2形を使用、駆動装置は直角カルダン駆動方式であり、主制御器は2200形と同一の直列10段、並列9段、弱め界磁3段、発電ブレーキ13段のもので、架線電圧1350V・定員乗車時に起動加速度3.0km/h/s[注釈 3]で、定格速度は直列、並列、弱界磁各最終段でそれぞれ19、40、49km/hとなっている。台車は2200形のFS-203を若干改良したアルストムリンク式住友金属工業製のFS-203Aを使用する。

沿革

特急車・準特急車時代

改造に伴う側面窓配置の変遷

1955年春より運用を開始した。1700形の編成定員が3両編成で186人であったのに対して、本形式では4両編成で240人と増加し、特急ロマンスカーの輸送力増強に貢献した。

1957年に3000形(SE車)が運用を開始し、1700形が特急運用から外れた後もしばらくはSE車を補完する目的で使用されていたが、1959年4月にSE車の第4編成が運用に入り、箱根特急の全列車がSE車で運用可能になったため、当初より「SE車が登場するまでのつなぎ役」という目的で製造された本形式は特急車両としては運用されないこととなった。

特急運用から外れた本形式は、土休日に特急の補完列車として運行される準特急に使用されることになり、2320形と同様の2扉セミクロスシート車に改造されることになった。

改造内容は、各車両に1,300mm幅の両開き扉を増設し、扉間に6組の固定式クロスシートを配置するもので、車端部はロングシートとなり、デハ2303の便所・放送室・喫茶スタンドは撤去された。また、車内照明は蛍光灯配置をロングシート上に2列という配置に変更した上で、扇風機を設置した。また、正面には電照式方向幕を設置し、塗り分けも2200形と同様の直線パターンとなったほか、尾灯は種別灯と兼用になり、窓上のものが残された。

改造後は、2320形と共通の運用に入り、平日は主に急行などの料金不要列車に使用され、土曜日・休日には準特急に使用されたが、1963年4月に3100形(NSE車)が導入され、これと同時に準特急という種別は廃止され、本形式と2320形はともに運用を外れた。

通勤車時代

通勤車化改造の概略図

準特急の運用から外れた本形式は、2400形HE車へ増結するための2両編成が不足していたことから、2両編成のロングシート3扉車に改造されることになり、本形式は2度目の改造を施されることになった。

改造内容は、デハ2301とデハ2302、デハ2303とデハ2304の2編成に分割した上、2両編成にした際の床下機器配置を、新宿側の車両に制御器・小田原側の車両に電動発電機・電動空気圧縮機という配置に揃えるため、デハ2301とデハ2302は方向転換の上、番号を入れ替え[5]、正面はHE車と同様の貫通形に改造された(方向転換されたため、2編成とも新宿側の運転台が増設された運転台となった)。また、客用扉は2200形・2220形と同様に1,100mm幅の片開き扉を3箇所に設置し、室内の座席はすべてロングシートとなり、デハ2302のトイレは撤去された。

3扉ロングシートとなってからは、2200形・2220形・2320形と共通運用となり、小田急のダイヤ上も同一形式扱いであったため、本形式も含めた4形式をまとめて「ABFM車」「FM車」と呼ばれるようになった[注釈 2]。なお、本形式は2220形と同様の外観となったが、側面窓は扉間に800mm幅の窓が4個並ぶスタイルで、車体幅も他のABFM車よりも広い2,800mmのままであったこと、集電装置はユニット後寄りに設置という点などで判別可能であった。

当初は他のABFM車と同様、HE車の増結などに使用されていたが、大型車の増加とともに、2両編成を3本連結した6両編成での運用が目立つようになった[6]。1968年に列車種別表示器・OM-ATS信号炎管の設置を行ない、1969年にはケイプアイボリーにロイヤルブルーの帯を巻く新塗装に変更され、同時期に連結器が密着自動連結器から密着連結器に交換された。なお、1974年には他のABFM車には扉下にプラットホームと車体の間の隙間を埋めるためのステップが設置されたが、車体幅が広い本形式においてはステップ設置はされていない[7]

譲渡後の2300形(富士急5700形)

1982年よりABFM車の淘汰が開始されることになったが、本形式は2200形1編成とともに1982年8月31日付で4両全車両が廃車となった。廃車後は富士急行に譲渡され、同社では5700形として使用されることになった。譲渡後の1984年には台車を2220形の廃車で捻出されたFS316に交換し、富士急の主力車両の一部として運用された。

しかし、富士急では京王5000系を譲受の上車両の更新を行うことになり、1993年10月に同社5700形で初めてモハ5701・モハ5702(デハ2302・デハ2301)が廃車となり、残るモハ5705・モハ5706(デハ2303・デハ2304)も1995年10月に廃車となった。なお、5700形には保存のため譲渡された車両も存在するが、本形式を由来とする車両は4両とも解体され、現存しない。

脚注

注釈

  1. ^ 小田急の準特急は接客設備の格差によるものであった。接客設備の格差を理由に格下の種別を使用した事例は他にも東武伊勢崎日光線系統の快速急行だいや・おじか」がある(こちらも他社の快速急行とは異なり、急行の速達化というより急行「りょうもう」よりランクが劣る快速用車両を使用したものであった)。
  2. ^ a b 三菱電機製の直流電動車用制御装置の形式名で、自動加速 (Automatic acceleration) 、低電圧制御 (Battery voltage) 、弱め界磁付 (Field tupper) 、多段進段 (Multiple notch) の英頭文字をとったものである。
  3. ^ 応荷重装置は装備しない。

出典

  1. ^ a b 保育社『日本の私鉄5 小田急』(1983年7月1日重版)p16
  2. ^ a b c d e f g 『鉄道ピクトリアル』通巻491号 p12
  3. ^ a b c 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950-60』p64
  4. ^ 大正出版『小田急 車両と駅の60年』p87
  5. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション2 小田急電鉄1960-70』p69
  6. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション2 小田急電鉄1960-70』p68
  7. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p173

参考文献

  • 保育社『日本の私鉄5 小田急』(1983年7月1日重版)ISBN 4586505303
  • 保育社『私鉄の車両2 小田急電鉄』(1985年3月25日初版)ISBN 4586532025
  • 大正出版『小田急 車両と駅の60年』(吉川文夫編著・1987年6月1日初版)0025-301310-4487
  • 電気車研究会鉄道ピクトリアル』通巻405号「特集・小田急電鉄」(1982年6月臨時増刊号)
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』通巻491号「特集・小田急ロマンスカー」(1988年2月号)
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』通巻546号「特集・小田急電鉄」(1991年7月臨時増刊号)
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』通巻679号「特集・小田急電鉄」(1999年12月臨時増刊号)
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1 小田急電鉄1950-60』(2002年9月別冊)
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション2 小田急電鉄1960-70』(2002年12月別冊)
  • 秀和システム 藤崎一輝『仰天列車 鉄道珍車・奇車列伝』(2006年12月25日初版)ISBN 4798015474

関連項目

当形式と同様に格下げを前提として製造された他社の車両