太陽の塔

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ファイル:Taiyonotou.jpg
情報
設計者 岡本太郎
高さ 70m
所在地 565-0826
大阪府吹田市千里 万博公園1-1
座標 北緯34度48分34.7秒 東経135度31分56.3秒 / 北緯34.809639度 東経135.532306度 / 34.809639; 135.532306
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太陽の塔(たいようのとう)は、1970年大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会(EXPO'70・大阪万博)の会場に、芸術家岡本太郎が制作した芸術作品であり建造物である。岡本太郎の代表作の1つである。太陽の塔は、大阪万博のテーマ館のシンボルとして建造され、万博終了後も引き続き万博記念公園に残された。

外観

塔の高さ70m、基底部の直径20m、腕の長さ25m。未来を表す上部の黄金の顔(直径10.6m、目の直径2m)、現在を表す正面胴体部の太陽の顔(直径12m)、過去を表す背面に描かれた黒い太陽(直径8m)の3つのを持つ。

黄金の顔・目

万博当時は、黄金の顔の目にはサーチライトのように光を放つキセノン投光器が取り付けられ、万博期間中は、博覧会協会が運輸省(現・国土交通省)に特別な許可を得て期間限定で点灯していた[1]

万博終了後に、雨漏りによって地下室が浸水し電気系統が故障し、また、近隣に位置する大阪国際空港を利用する飛行機の発着に支障をきたす可能性があることなどの理由により、点灯されることはなかった。しかし、2004年に行った愛・地球博のイベントでは、外部からコードで引き込んだ自動車用のライトとバッテリーを用いて、一時的に点灯が行われた。

また、2010年3月27日からは、日本万国博覧会開催40周年記念事業[1]の一環として、日没から23時まで毎夜点灯されることとなった。なお、投光器は、大阪国際空港を発着する飛行機の運航に支障が出ないよう、計148個のLEDを使用した輝度の低いものに交換されている[2]

内部

中空になっており、「生命の樹」と呼ばれる巨大なモニュメントが中心に位置している。万博開催中はパビリオンのひとつとして塔の内部に入ることができ、さながら胎内巡りの様に音楽やナレーションを聞きながら鑑賞するという趣向になっていた。

万博終了後は永らく一般非公開とされていた。しかし、2003年日本万国博覧会記念機構が独立行政法人となったのを記念して、誘導や避難などの防災対策をすることを条件とし、消防署から特別に許可が下り、33年ぶりに限定公開された。はがきによる応募者を抽選で、万博博覧会開催の年にちなんだ1970人を招待した。太陽の塔内アンコール公開のご案内 (PDF) 、以降も不定期に一般公開された。この公開は2007年3月31日をもっていったん終了した。一般公開の際は著作権の関係から内部の撮影は禁止となっていた。また、消防法の関係上(上層階に非常口がないため)、塔内の見学は1階のみで上層階へは上がれなかった。

このあと改修の上、2010年の40周年事業の一環として再公開される予定となっていた[3]。しかし耐震診断の結果、建築基準法上の耐震基準を満たしておらず、上半身や腕が特に危険という結果が出た[4]。このため、40周年の2010年の再公開は見送られた。日本万国博覧会記念機構では、2011年度に耐震補強工事の設計をおこない、早ければ2012年度に着工して再公開を実施する方針と報じられている[4]

 第4の顔 

このほか、地下空間も設けられており、そこにも「地底の太陽(太古の太陽)人間の祈りや心の源を表す」と呼ばれる第4の「顔」(直径3m、全長13m)が設置されていた。ただし、生命の樹同様万博終了後は閉鎖され、1993年を最後に様々な処理のドサクサで行方不明となってしまった。2009年には、40周年事業の一環として再展示することを目指し、情報提供が呼びかけられたが[5][6][7]、2010年3月13日のEXPO'70パビリオンの開館には間に合わなかった。現在も手がかりとなる情報はなく、引き続き情報提供が呼びかけられている。 

万博終了後、兵庫県が太古の太陽を美術館展示の為に兵庫県に搬入 その後 計画がうやむやになり、太古の太陽は荷造り(分解)状態のまま放置。 最後に所在が確認された場所に現在太陽は置かれていない。 兵庫県自体も現在はその所在、管理についてはわからないの一点張り。 太陽の置かれていた場所は倉庫でもなんでもなく、廃材置き場のような場所に野ざらしであった。

塔内の展示テーマ

生命の樹

太陽の塔の内部につくられている高さ45mの『生命の樹』は、生命を支えるエネルギーの象徴であり、未来に向かって伸びてゆく生命の力強さを表現している[8]

この「生命の樹」は、単細胞生物から人類が誕生するまでを、下から順に<原生類時代>、<三葉虫時代>、<魚類時代>、<両生類時代>、<爬虫類時代>、<哺乳類時代>にわけて、その年代ごとに代表的な生物の模型によって表していた。当時「生命の樹」の枝には約300体の模型が取り付けられており、これらのうちの一部は電子制御装置により、動いていた。なお、これらの模型は円谷プロが製作を行った。

内部はエスカレーター、もしくは展望エレベーター(国賓専用)で一階から上層部まで、登りながら見学することができた。

現在の塔内は、これら模型の大多数は散逸してしまったが一部と幹は健在。「ここから並んで60分です」と示されたサインボードなども存在しており、当時の賑わいを密閉された空間内に封印している。

展示模型


音響

(塔内演出スコア 工業調査会刊、1970年より)

万博当時の太陽の塔

太陽の塔は、丹下健三が設計した「お祭り広場」中央(やや南寄り)に、広場を覆う銀色のトラスで構築された大屋根から塔の上半分がつき出す形で建てられ、テーマ館の一部となっていた。そのさまからテーマ館サブプロデューサーであった小松左京(SF作家)が石原慎太郎の小説『太陽の季節』の中の障子を破る場面を連想し、それを聞いた岡本太郎が「太陽の〜」と命名したとされる[要出典]

万博会期中は、観客は「過去」の展示部分であるテーマ館の地下部分から、透明のトンネル状の通路を通って太陽の塔内に進入した。万博終了後この通路は撤去され、通路跡はコンクリートでふさがれているが、その跡は今でもはっきりと確認できる。

塔の右腕の内部に設置されたエスカレーターは、大屋根(空中テーマ館)につながっていた(現在、腕の開口部はふさがれている)。また、塔の西側と東側には、同じく岡本太郎作のオブジェ「母の塔」、「青春の塔」が建てられていた。

歴史

太陽の塔と、博覧会閉幕後もしばらく残されていたお祭り広場大屋根のステレオ空中写真(1975年1月) 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
  • 1970年3月15日 - 日本万国博覧会開会(〜9月13日)。
  • 1970年4月26日 - 太陽の塔の右目部分に男が登り篭城(5月3日逮捕、アイジャック事件)。
  • 1975年1月23日 - 太陽の塔 撤去反対の署名運動があり、施設処理委員会で永久保存を決める。
  • 1994年11月 - 老朽化に対応し改修工事(〜1995年3月)。
  • 2000年4月 - 30周年展開催。「岡本太郎とEXPO'70」展 ―太陽の塔からのメッセージ―」
  • 2003年10月 - 太陽の塔の内部一般公開(万博の開催年に因み1,970人限定。一般への内部公開は万博閉幕以来初)。同年11月〜12月、2004年3月にもアンコール公開が行われた。
  • 2004年9月 - 「黄金の顔」の両目のライトが34年ぶりに点灯する([愛・地球博プレイベント)。
  • 2009年1月19日 - 映画「20世紀少年」第2章の公開に関連してイベントが行なわれた。このイベントでは映画の「ともだちの塔」をモチーフとした装飾が2つの顔などに施された。装飾はこの日限りで、総工費は8000万円であった。
  • 2009年6月16日 - 吹田信号場で公開予定の新幹線0系電車が塔南側の道路を通過して搬入されるのに合わせ、通常夜11時まで行っているライトアップを車輌が通過する同日未明まで延長。高度経済成長の象徴を対面させる演出を行った。
  • 2010年3月27日 - 日本万国博覧会40周年記念事業に合わせ、「黄金の顔」の両目のライトが40年ぶりに常時点灯される[1]
  • 2012年2月21日 - 5月20日までの予定で、江戸東京博物館の企画展「ザ・タワー 〜都市と塔のものがたり〜」の目玉展示として、「黄金の顔」を東京都で初めて展示する。

保存・維持への取り組み

ファイル:Manhole cover Suita city Osaka Japan cropped.png
中央に太陽の塔の図柄があしらわれた大阪府吹田市マンホールの蓋。太陽の塔は地元のシンボルのひとつとなっている。

太陽の塔は万博終了後に取り壊される予定であったが、撤去反対の署名運動があり、施設処理委員会(委員長・茅誠司 東京大学名誉教授)が1975年1月23日に永久保存を決めた。

その後、老朽化の進行と共に維持費が増加し、その確保も難しくなっている。しかし太陽の塔はもはや大阪城通天閣に並ぶ大阪のシンボルとなっており、維持管理に懸命の努力が払われている。 1994年には、万博開催25周年記念の目玉として、表面の汚れを落とすなどの大規模改修が行われた。資金は公園へのアクセスとなる大阪高速鉄道(大阪モノレール)の万博記念公園駅西側に整備された車庫用地の売却益で賄われた。なお、この改修の際に取り外された赤色の稲妻と緑色のコロナにあたるタイルは、2006年7月に大阪城公園で開催されたイベントでストラップとして限定販売され、2007年10月にも万博公園の中にある鉄鋼館で開催されたイベントで限定で販売された。

また、2007年からは、40周年事業の一環として、再び内部・外部の改修・補強が行われた。

フィクションでの登場

  • 松岡圭祐のミステリ小説『万能鑑定士Qの事件簿XII』は、2012年以降に予定される塔の耐震補強と一般公開が、現実に先駆けて実現した設定になっている。塔内部の構造は事実に即し、生命の樹やエスカレーターが作中の重要なモチーフになる他、腕の先の出口から地上に螺旋階段が設置されたことにより上記消防法の問題をクリアした事になっている。

アクセス

脚注

関連項目

外部リンク