太宰府天満宮
太宰府天満宮 | |
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境内(2010年12月24日撮影) | |
所在地 | 福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号 |
位置 | 北緯33度31分17.49秒 東経130度32分5.45秒 / 北緯33.5215250度 東経130.5348472度 |
主祭神 | 菅原道真公 |
社格等 | 旧官幣中社 |
創建 | 延喜19年(919年) |
本殿の様式 | 五間社流造檜皮葺 |
例祭 | 9月25日 |
主な神事 | 鷽替え・鬼すべ(1月7日) |
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、福岡県太宰府市にある神社。菅原道真(菅原道真公 、菅公)を祭神として祀る天満宮の一つ(天神様のお膝元)。初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年200万人以上の参詣者がある。現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されている。
祭神
- 菅原道真公
学問の神として人口に膾炙している。
歴史
右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901年)に左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に権帥として左遷され、翌々延喜3年(903年)に同地で薨去した。薨後、その遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、延喜5年8月、同寺の境内に味酒正行(うまさけのやすゆき)が廟を建立、天原山庿院安楽寺と号した。一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、これを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工したが、これが安楽寺天満宮の創祀で[1]、正暦元年(990年)頃からは社号としての「天満宮」も併用された[2]。
文明12年(1480年)に当地を訪れた連歌師の宗祇が『筑紫道記』にこの安楽寺天満宮のことを記しているが、道真の御霊に対する恐れも少なくなってきた中世ごろから、道真が生前優れた学者であったことにより学問の神としても信仰されるようになった。
明治に入り、近代社格制度のもとで明治4年(1871年)に国幣小社に列格するとともに神社名を太宰府神社に変更した。これは北野天満宮が近代社格制度のもと「北野神社」に変更したのと同様に、「宮」号が基本的には皇族を祭神とする神社しか使用できなくなったからである。同14年(1881年)には官幣小社に昇格、次いで同28年(1895年)には官幣中社に昇格した。神社の国家管理を脱した戦後の昭和22年(1947年)に社号を太宰府天満宮に復した。
参道を登りつめた先には延寿王院があり、ここは幕末維新の策源地といわれ、三条実美たち公卿5人が3年半余り滞在した所である。土佐脱藩の土方久元や中岡慎太郎も滞在しており、薩摩の西郷隆盛や長州の伊藤博文、肥前の江藤新平、坂本龍馬なども来訪している。
太宰府天満宮・北野天満宮・防府天満宮を合わせて「三天神」と呼ぶ。三天神には諸説あり、太宰府と北野天満宮までは共通するものの、あとの一つを大阪天満宮等とする説も存在する。
神事
社殿
本殿は五間社流造で屋根檜皮葺。正面に1間の唐破風造の向拝(こうはい)を設ける。また、左右側面には各1間でこれも唐破風造の車寄を付け、廻廊が前方の楼門まで廻らされている。本殿は明治40年(1907年)5月27日に古社寺保存法に基づく特別保護建造物に指定され、昭和25年(1950年)文化財保護法施行に伴い重要文化財とされている。昭和41年(1966年)6月11日付で棟札9枚と板札2枚が重要文化財の附(つけたり)として指定されている。
太宰府天満宮を舞台にした作品
要整理
能楽
- 能では一番目に演じられる初番目物(しょばんめもの)。粗筋は梅津の某(ワキ)が夢の告げで筑紫安楽寺(太宰府天満宮)に行くと、老人(前シテ)と若い男(ツレ)が咲き誇る梅の垣を囲っている。飛梅(後述)とその脇の古松(老松)の謂われを尋ねると、2人はその謂われを語り、梅と松が唐の国でも尊ばれたことを述べて神々しい姿で去る。梅津の某が老松のかたわらに祗候していると、老松の神霊(後ジテ)が現れ、客人を慰めようと様々な舞楽を奏し神託を告げる。この後ジテは老人の面に白髪をたれた老神の姿で登場し、その舞いは荘厳な真ノ序ノ舞である。因みにツレの若い男は実は飛梅の精で、飛梅とは道真が京から左遷された時、京から飛んできたとされる梅である。
歌曲
- 大和田建樹『鉄道唱歌』第2集山陽九州篇
- 41.まだ一日とおもいたる 旅路は早も二日市 下りて見てこん名にききし 宰府の宮の飛梅を
- 42.千年(ちとせ)のむかし太宰府を おかれしあとは此処(このところ) 宮に祭れる菅公の 事績かたらんいざ来たれ
- 43.醍醐の御代の其(その)はじめ 惜しくも人にそねまれて 身になき罪をおわせられ ついに左遷と定まりぬ
- 44.天に泣けども天言わず 地に叫べども地もきかず 涙を呑みて辺土なる ここに月日をおくりたり
- 45.身は沈めども忘れぬは 海より深き君の恩 かたみの御衣を朝毎(あさごと)に ささげてしぼる袂かな
- 46.あわれ当時の御心を おもいまつればいかならん お前の池に鯉を呼ぶ おとめよ子等(こら)よ旅人よ
- 47.一時栄し都府楼の あとをたずねて分け入れば 草葉をわたる春風に なびく菫(すみれ)の三つ五つ
- 48.鐘の音きくと菅公の 詩に作られて観音寺 仏も知るや千代までも つきぬ恨みの世がたりは
- 鉄道唱歌第2集は全68番であるが、そのうち太宰府には8分の1弱に当たる8番を割り当てており、作者の建樹が道真と天満宮に強い関心を持っていたことを伺わせる。
- さだは、自身の所有する詩島に太宰府天満宮の分霊を祀った「詩島天満宮」を建立している。
文化財
国宝
- 翰苑 巻第三十
重要文化財
- 本殿 桃山時代(附:棟札9枚、板札2枚)
- 末社志賀社本殿 室町時代
- 太刀 銘俊次
- 毛抜形太刀 無銘
- 梅月蒔絵文台
- 太宰府天満宮文書 75巻、25冊、1幅、26通 附:境内図1幅
名物
飛梅にまつわるものが多い。
大宰府へ赴くため都を発つ道真が庭先に立っている梅に対して「東風ふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と歌った。太宰府天満宮拝殿・右手前にその飛梅が立っている。
毎年梅の花が咲く頃には巫女が「梅の使節」として総理大臣官邸など各地を訪れて梅の盆栽を寄贈する。平成16年度(2004年度)の梅の使節が当時の総理大臣小泉純一郎に梅を寄贈したが、その際渡した品種が『おもいのまま』という梅だったため、当時構造改革などで政界を変革しようとする首相に、記者たちが挙って「政治もやはりおもいのままですか?」と質問した。
太宰府天満宮での御神酒は梅酒である。また参道には梅ヶ枝餅と呼ばれる餡入りの焼き餅を販売している店が並ぶ。
茶屋
表参道から境内の奥まで、いたるところに茶屋があり、その多くは品目のうちに梅ヶ枝餅を用意している。そうした茶屋のひとつ「お石茶屋」について、吉井勇は次のような歌を詠んだ。
太宰府の お石の茶屋に 餅くへば 旅の愁ひも いつか忘れむ
この「お石茶屋」については勇のほかにも、野口雨情、犬養毅、佐藤栄作などが揃って贔屓にしたという[3]。
百選
雑事
警察庁発表の初詣者数では、毎年上位10位内に入り[4]、初詣以外にも観梅の時季には観光客(参拝者)数が増加する。また学問の神とされることから受験時にも多くの参拝があり、九州への修学旅行の行程に組み込まれるほか、海外からの観光ツアーにも組み込まれてもいる。近年では韓国の釜山と博多港とを行き来する高速船「ビートル」や「コビー」の利用で、韓国からの旅行者が増加し続けている[5]。
平成17年(2005年)に天満宮近隣に九州国立博物館が開館。相乗効果で参拝者数が増加している。この九州国立博物館(通称「九博」)は、昭和46年(1971年)に天満宮が寄贈した約5万坪の土地を敷地としている。
交通
- 正月三が日は初詣客で周辺道路は大変混雑する。九州自動車道太宰府インターチェンジを降りて太宰府方面へ向かうと国道3号に出るが、交通規制により、すぐ側道を経由後左折して「水城1丁目交差点」から福岡県道112号を進み、同「関屋交差点」を左折後は福岡県道76号を利用し天満宮に向かうこととなる。この際所要時間は通常15分前後が数時間となる。ちなみに、国道3号を直進しても「君畑交差点」までの各交差点においては、インターチェンジ方面からの左折及び進入が規制されている。また、三が日以外の日においても志望校合格祈願の受験生と合格者のお礼参りが集中する例年1月から3月にかけての土日祝日を中心に混雑する。元々天満宮周辺の駐車場が不足気味であること、九州国立博物館への来訪者が同館の開館後に加わったこともあり、渋滞が顕著となり今後解消に向かって解決策が講じられる見込みもないため、自家用車の利用は推奨できない。これらの時期においては、西鉄電車西鉄太宰府線を利用した方が無難である。
JR・私鉄
車
- 九州自動車道太宰府インターチェンジから15分
- 九州自動車道筑紫野インターチェンジから20分
周辺施設
- 九州国立博物館(用地を天満宮が寄付)
- だざいふ遊園地(太宰府天満宮と西日本鉄道の合弁)
- 二日市温泉 (筑紫野市)
- 天拝山(別名、天判山 菅原道真公が無実を天に訴えた山)
- 武蔵寺(菅原道真公がこの寺の紫藤の瀧で身を清めた)
脚注
参考文献
- 『太宰府市史』通史編2、太宰府市、平成16年
- 浦辺登『太宰府天満宮の定遠館』、弦書房、2009年。ISBN 978-4-86329-026-6
- 岡田米夫『神社』(日本史小百科)、東京堂出版、昭和52年
- 高野澄『太宰府天満宮の謎』、祥伝社、平成14年。ISBN 4-396-31306-3
- 筑紫豊『さいふまいり』、西日本新聞社、平成7年
- 森弘子『太宰府発見』、海鳥社、2003年
関連項目
外部リンク
- 太宰府天満宮(神社公式)