光文社

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株式会社光文社
Kobunsha Co., Ltd.

光文社
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
112-8011
東京都文京区音羽1丁目16番6号
設立 1945年10月1日
業種 情報・通信業
法人番号 4010001002610 ウィキデータを編集
事業内容 書籍・雑誌の発行・発売
代表者 代表取締役社長 高橋基陽
資本金 1,800万円
売上高 233億円
従業員数 257名(2011年8月25日現在)
主要株主 講談社 45.8%
(財)野間文化財団 40.3%
外部リンク http://www.kobunsha.com/
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株式会社光文社(こうぶんしゃ)は、日本出版社

概説

1945年10月1日創業。音羽グループに属する。

1954年に創刊され、数々のベストセラーを生み出したカッパ・ブックスの成功は、新書判ブームのきっかけを作った。

雑誌では、手塚治虫鉄腕アトムなどを連載した『少年』が、戦後月刊少年漫画誌の黄金時代を作った。また週刊誌『女性自身』は「OL」という言葉を定着させるなど一時代を築き、男性誌では『週刊宝石』(休刊)、ほかに写真週刊誌『FLASH』が人気を博した。

伝統的に女性誌に強く、『JJ』の創刊が、後年の女子大生向け月刊ファッション雑誌の隆盛に与えた影響は計り知れない。その後も同誌から派生した、20歳代OL向けの『CLASSY.』、30歳代既婚女性向けの『VERY』、40代女性向けの『STORY』など世代別にラインナップを充実させてきた。

また近年では山田真哉著『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』がミリオンセラーとなった光文社新書、亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』が異例のベストセラーとなった光文社古典新訳文庫なども注目を集めている。

一般に光文社は「音羽グループ」と括られるが、一方の「一ツ橋グループ」と比べて親元・講談社との結び付きが弱い。書店向け注文サイトにおいて、「一ツ橋グループ」は1つのサイトに集約されているのに対し、光文社と講談社は別々であることからもうかがえる。光文社の発行株式の殆どを持っているのは講談社なのになぜ連携がうまくいっていないのかは不明。

小学校教科書などを刊行している光文書院とは資本・人材など一切関連がない。

歴史

創業の経緯

1945年講談社は激震に見舞われていた。太平洋戦争が終わり、出版業界内部は戦争協力者への責任追及の声が激しくあがっていた。戦前から活発な活動をしていた講談社は、その最大の標的となったのである。当時の経営陣は、最悪の事態に備え、別働隊を組織した。それが光文社である。1945年11月のことであった。

しかし、責任追及の声は次第に弱まり、講談社はピンチを乗り切った。そのため、光文社は、いわば梯子を外された状態になってしまったのである。といっても、光文社の株の殆どを持っているのは講談社であり、実質的に光文社の経営権を握っているのは講談社である。

神吉晴夫の台頭

光文社が出版界の第一線に躍り出ることが出来たのは、その講談社から一足早く光文社に移っていた神吉晴夫の手によってである。神吉は「創作出版論」という独特の編集理論をもっていた。それによって、次々とベストセラーが出されていく。1951年の波多野勤子少年期』がその嚆矢で、1954年にはローゼンバーグ夫妻の『愛は死を越えて』の翻訳、1957年には田宮虎彦の妻千代の死への追悼文や往復書簡をまとめた『愛のかたみ』など、「カッパ旋風」を巻き起こした。1958年には朝日新聞に全五段の広告を打って松本清張点と線』『眼の壁』の2冊を同時発売、松本清張をベストセラー作家に押し上げた。

1954年に「カッパ・ブックス」の創刊。この新書シリーズは、その後の出版界を長く席巻する。

など。青春出版社KKベストセラーズ祥伝社などとともに、新書ブームの一翼を担った。

また、1959年には「カッパ・ノベルス」を創刊。『日本沈没』(小松左京)『悪魔の飽食』(森村誠一)などが送り出されている。

雑誌においても、1958年創刊の『女性自身』で女性誌ブームを起こし、1965年には『宝石』も創刊された。

労働争議

順風満帆に見えた光文社だが、1970年になると、神吉の経営手法(今で言う成果主義抜擢人事)に労働組合が反旗を翻したことで、労働争議が勃発した。神吉はその年に社長を退陣して、同社の経営からは身を退いたが、争議は収まらず、1977年にようやく沈静化した。

この泥沼争議を嫌い、多くの人材が光文社を去った。その中には、祥伝社や、ごま書房(現在のごま書房新社)や、かんき出版の設立に関わった者も含まれている。

その後

1980年代後半頃から、文庫ブームのあおりを受けて「カッパ・ブックス」の売れ行きが落ち始める。それに伴い、主力は『女性自身』に始まる一連の雑誌にシフトした。そして、「カッパ・ブックス」は新たに創刊された光文社新書と入れ替わる形で、新刊の発行を終了することになった。

現在の出版状況

女性誌

男性誌

総合誌

書籍シリーズ

かつて発行していた雑誌

主なベストセラー

関連団体

財団法人光文文化財団
Kobun Scheherazade Foundation
種類 財団法人
本社所在地 日本の旗 日本
171-0014
東京都豊島区池袋三丁目1番2号 光文社ビル1F
業種 サービス業
法人番号 4010001002610 ウィキデータを編集
事業内容 ミステリー文学を中心とする作家および劇団等に対する助成、顕彰事業
ミステリー文学等に関する資料館の管理・運営事業
ミステリー文学等に関する講演会の開催
その他、上記の目的を達成するために必要な事業
代表者 理事長 高橋基陽
外部リンク http://www.kobunsha.com/company/scheherazade/
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補足

  • 「カッパ・ブックス」などの「カッパ」は、神吉の「いかなる権威にも屈せず、《なんのへのカッパ》と自由な活動をしたい」という思いから名付けられた。
  • 作家の小林信彦は、光文社を受験して面接で落とされたことがある。

著名なOBOG

  • 種村季弘(1933-2004) - ドイツ文学者、評論家。1958年(昭和33年)から1960年(昭和35年)まで光文社に在籍。『女性自身』編集部などに所属していた。
  • 高田宏 - 作家。『少女』編集部に在籍。
  • 増淵健 - 映画評論家

外部リンク