信教の自由
自由 |
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自由 (積極的自由 · 消極的自由) 権利 自由意志 責任 |
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信教の自由(しんきょうのじゆう)とは、信仰の自由などから構成される宗教に関する人権。今日では世界各国の憲法や「世界人権宣言」や「国際人権規約」の中でも保障されている自由の一つである。
歴史
三十年戦争に端を発した17世紀以降のヨーロッパにおける国際紛争、市民革命の多くが宗教的自由の獲得・擁護を背景とする性格をも持っていたため、人権の中でも最も重要かつ古典的なものの一つであると考えられることが多い。
信教の自由を保障した法典の例として以下のようなものがある。
- ミラノ勅令
- マグナカルタ
- ギュルハネ勅令
- アメリカ合衆国憲法
- 修正条項第一条 連邦議会は、国教を樹立し、あるいは信教上の自由な行為を禁止する法律、または言論あるいは出版の自由を制限し、または人民が平穏に集会し、また苦痛の救済を求めるため政府に請願する権利を侵す法律を制定してはならない。
- 世界人権宣言
- 第18条 すべて人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に、布教、行事、礼拝及び儀式によって宗教又は信念を表明する自由を含む。
- 市民的及び政治的権利に関する国際規約
- 第18条 すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由並びに、単独で又は他の者と共同して及び公に又は私的に、礼拝、儀式、行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む。
以上には人間と市民の権利の宣言が含まれていない。公的秩序に制限される分、保障が弱いため。ルイ16世がフォンテーヌブローの勅令を廃しているが、フランス革命で彼が処刑されているという宣言の成立経緯には注意を要する。
内容
信教の自由は具体的には以下の内容で構成される。
- 内心における信仰の自由
- 個人が自由に好むところの宗教を信仰する自由(積極的自由)、また、特定の宗教の信仰を強制されない自由(消極的自由)。思想・良心の自由の宗教面での保障として捉えられる。特定の宗教を信仰していたり、していなかったりすることによって、いわれのない差別を受けることのない権利をいう。
- 宗教的行為の自由
- 礼拝・布教・宗教活動に参加する自由(積極的自由)、また、特定の宗教の礼拝・布教・宗教活動への参加を強制されない自由(消極的自由)。
- 宗教上の結社の自由
- 宗教団体を結社する権利。結社の自由の宗教面での保障として捉えられる。
政教分離についてはその程度および手法において各国ごとに千差万別ではあるが、現代社会においては信教の自由は基本的人権の一つとして広く認められ、尊重されている事が多い。ただしイスラム教国を中心として、憲法に国教を謳い、国民全体が一つの宗教を信仰する事を自明の前提としている国もあり、決して一様ではない。信仰の「選択の自由」はあるが、なんらかの信仰を行うこと自体は強制で(つまり無神論は認めない)、選択対象が限定されている国もある。
日本国憲法における信教の自由
概説
日本国憲法においては20条に規定がある。
- 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
- 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
- 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
なお、日本国憲法第20条第3項のいわゆる政教分離については、宗教に対して「国家権力からの自由」を保障する制度的保障であるとする説と具体的権利性を認める説がある。
明治憲法との対比
明治憲法も信教の自由を保障していた[1]。明治憲法下の権利保障は「法律ノ範囲内ニ於テ」または「法律ニ定メタル場合ヲ除ク外」認めるというものであったが(法律の留保)[1]、信教の自由のみ例外的に法律の留保がなかった[2]。これについて「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限」において法律をもってしても制限することができないと解釈する学説もあったが[2]、実際には「臣民タルノ義務」に含まれるものとして法律によらなくても命令によって制限することもできると理解されていた[2]。
大日本帝国憲法第28条
日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
また、明治憲法下では神社神道については国民道徳的なものを併せ持ち仏教やキリスト教などとは本質的に異なるものとされ、信教の自由の保障とは無関係とされ特別な地位にあった[2]。
明治憲法下の信教の自由をめぐる事件には次のようなものがある。
- 教育勅語不敬事件
- 内村鑑三が教育勅語に対する拝礼を拒否したために問題となり、第一高等中学校教員を辞職。
- 上智大生靖国神社参拝拒否事件
- 1932年、クリスチャンの上智大学の学生が靖国神社で参拝を拒否したために問題となった事件。軍部を恐れた[3]上智大側が、個人的信仰と国民としての公の義務は別である旨を文部省に申し入れたため事態は沈静化したが、これ以降、キリスト教徒が積極的に戦争の遂行と神道奉賛に傾斜してゆく端緒となった[4]
日本国憲法下では神社神道も宗教の一つとして扱われている(宗教法人法第2条)[2]。
信教の自由をめぐる裁判
護国神社自衛官合祀拒否訴訟
1979年、公務執行中に死亡した夫の自衛官を護国神社に合祀された妻が合祀により宗教的静謐の利益を害されたとして損害賠償請求を起こした訴訟。当該行為に自衛隊(すなわち国)の関与があったかどうかで政教分離原則に反するかどうかも合わせて争われた。
一審、二審は宗教上の人格権の侵害を主張する原告の訴えを認めたが、最高裁は合祀行為は自衛隊退職者の団体の単独行為であると認定し、国の関与を否定。自衛隊の協力行為は目的効果基準に照らして政教分離には反しない。宗教的静謐の利益は法的保護を受ける法的利益とはいえない、として訴えを退けた[5]。
事実認定や目的効果基準への当てはめにも批判があるとともに、国側ではなく個人側に宗教的な寛容性を要求したことには強い批判がある。
違法伝道訴訟(青春を返せ裁判)
「青春を返せ裁判」とは、世界基督教統一神霊協会(統一教会)の元信者により、勧誘行為等の違法性を問うた訴訟。
改宗問題
宗教団体に入信した信者をその親族が脱退させる際、当人の信教の自由を侵害した強制改宗、拉致監禁を引き起こす問題。人身保護請求や訴訟問題となり、請求が認められるケースもある。
個人の信仰と医療行為・学校教育
靖国神社参拝問題
- 総理大臣や国務大臣個人の信仰や信念も尊重されるべきであり、靖国神社への参拝は、私人として行われているものであり問題がない、という意見がある一方、私人として行うことを公約にするのは矛盾である、との指摘もある。特定の宗教施設において、すべての戦没者を慰霊する事自体が、信教の自由に対する侵害であるとする意見もある。
神社の市有地無償借用問題
北海道砂川市の市有地にある「空知太神社」が、置かれている土地を無償で使用出来ているのは政教分離違反であるとの判断が最高裁判所で示されたが、違憲状態の解消には、氏子たちの信教の自由を侵害せずに、行うようにとした。(2010年1月)。
イスラーム国家における信教の自由
イスラーム国家においては、イスラームの絶対的優越が国是となっている。そのため、ムスリム(イスラーム教徒)のみに完全な信教の自由が与えられる(ただし、離教の自由はない)。その他の信仰に関してはズィンミーとして一定程度の人権を保障することが通例だが、場合によっては信教の自由を完全に否定され「コーランか剣か」を突きつけられることもある。概して同系の宗教を信ずる啓典の民がズィンミーとなりやすく、それ以外の信仰に関しては政府の扱い次第である。
なお、ムスリムが多い国家とイスラーム国家はイコールではない。イスラーム国家はシャリーア(イスラーム法)に全面的に基づく統治をしく国家である。
脚注
- ^ a b 阿部照哉 編『憲法 2 基本的人権(1)』有斐閣〈有斐閣双書〉、1975年、139頁。
- ^ a b c d e 阿部照哉 編『憲法 2 基本的人権(1)』有斐閣〈有斐閣双書〉、1975年、140頁。
- ^ 靖国神社参拝拒否に対抗して学校教練に配属されていた将校を陸軍が上智大学から引き揚げようとした。宇垣軍縮以降、学校では学校教練が行なわれていたが、この学校教練を履修すると兵役が10ヶ月に短縮されるという特典があった。その為私立学校では任意であった学校教練を学生獲得目的で積極的に取り入れていた。将校の引き揚げによって学校教練が廃止されることは学生数確保の面からも問題となった。
- ^ 津地鎮祭事件
- ^ 『民集』42巻5号 277頁、『判例時報』1277号 34頁、『判例タイムズ』669号 66頁
- ^ 『判例時報』1629号 34頁、『判例タイムズ』965号 83頁
参考文献
- ウィリアム・ウッダード 『天皇と神道 GHQの宗教政策』 サイマル出版会(1988年、原作英語版は1972年)
- マーサ・ヌスバウム 『良心の自由 アメリカの宗教的平等の伝統』 慶應義塾大学出版会(2011年)
関連項目